桜川慈悲成と大きな頭2008-02-03 00:13:15

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 2ヶ月前ぐらい、whyさんのブログに変なコメントを残しました
http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj/50655494.html)が、「その手は食わん」の噺を作った桜川慈悲成という人物は、実はすごい人かも知れません。

 きょう図書館から借りた「大江戸化物細見」(アダム・カバット注校編)に、桜川慈悲成作の「ばけものつわもの二日替」が収録されています。

 本職は芝宇田川町の鞘師ですが、三足も四足もわらじを履いていたような、趣味の広い人だったそうです。
 桜川杜芳の門下として黄表紙も書けば、狂歌も作ります。絵は玄人はだし、芝居通であり、落語を自作自演もしました。おまけに当時の町人には珍しく陶器にに通じ、茶道にも心得があったようです。


 さて、「ばけものつわもの二日替」のほうは、酒呑童子を退治したかの頼光四天王の、ふたりの臆病者の子息が、頑張って妖怪退治に挑んだ話です。

 張り子の大頭を被る臆病の時太郎に、ろくろ首、河童や太鼓医者と言った化け物たちが、「さても怖い顔じゃ。」と言いながら、逃げて帰ってしまうところは、興味深いです。
 また、妖怪たちの親玉にあたる越後の大入道もまた、えらく頭が大きいです。(それを見たろくろ首のお六が「おや、気味の悪いのふ」とショックを受けたらしい)

 大きい頭=怖い/不気味、
 安永、安政、文化年間あたりに、そういうイメージはあったようで、おもしろいです。

ノゲイラ兄勝利2008-02-04 23:30:43

 まだ映像を見ていないですが、UFC81でアントニオ・ホドリコ・ノゲイラ(Antonio Rodrigo Nogueira)が、ティム・シルビア(Tim Sylvia)に一本勝ちしたようです。

 前チャンピオンのランディ・クートゥアがUFCを離れているので、この試合を勝ったノゲイラは、UFCヘビー級の新チャンピオンに認定されました。
 PRIDEとUFCの両方でチャンピオンベルトを巻いたのは、ノゲイラ兄は初めてだと思います。


 Sherdogに「Nogueira's 10 Best Nights」と題する文章が出ています( http://www.sherdog.com/news/articles.asp?n_id=11146&my_page=1)が、UFC81のティム・シルビア戦が3位に選ばれました。

 1位のミルコ・クロコップ戦、2位のボブ・サップ戦、そして今回の試合もそうらしいですが、いずれも前半は劣勢になりながら、得意の関節技から逆転勝利しています。
 柔術マジシャンの面目躍如とともに、決してあきらめない精神力も、さすがだと言えましょう。

遊戯王デュエルモンスターズ2008-02-06 00:40:43

 「遊戯王デュエルモンスターズ WORLD CHAMPION 2007」(http://www.konami.jp/gs/game/yugioh_wcs2007/)という、任天堂DSのゲームをやっています。

 すでに2008年版も出ているようです(http://www.konami.jp/gs/game/yugioh_wcs2008/)が、そこまでついて行けていません。ゲームは週一ぐらいのペースで、のんびりとやっています。

 大昔のGBA版もやったことがありますが、それと比べると、効果、魔法、ワナ、すべてが複雑になっています。
 変化が多いぶん、奥が深くなり、おもしろいと思います。


 昨年末は「暗黒界」のデッキで遊んでいましたが、いまは一転して光属性のカードを中心にしています。


 例えば、いまのデッキはたまたま以下のようなカードになっています:

(ノーマルモンスター)
 青眼の白龍(★8) ×1
 ブラッド・ヴォルス(★4) ×1

(効果モンスター)
 サイレント・マジシャンLV8(★8) ×1
 超伝導恐獣(★8) ×1
 可変機獣ガンナードラゴン(★7) ×1
 ニュート(★4) ×1
 雷電娘々(★4) ×2
 カイザー・シーホース(★4) ×2
 ブレイドナイト(★4) ×1
 マハー・ヴァイロ(★4) ×1
 シャインエンジェル(★4) ×1
 センジュ・ゴッド(★4) ×1
 サイレント・マジシャンLV4(★4) ×2
 ルーレットボマー(★4) ×1
 スーパースター(★2) ×1
 聖なる魔術師(★1) ×1
 光の追放者(★3) ×2

(儀式モンスター)
 カオス・ソルジャー(★8) ×1

(魔法)
 疫病ウィルス・ブラックダスト ×1
 カードトレーダー ×1
 カオスの儀式 ×1
 次元の裂け目 ×1
 シャインスパーク ×1
 洗脳~ブレインコントロール ×1
 ソウルテイカー ×1
 魂吸収 ×1
 団結の力 ×1
 デーモンの斧 ×1
 光の護封剣 ×1
 フォース ×1
 レベルアップ ×1

(ワナ)
 アボビスの化神 ×1
 アタグアの暴風 ×1
 王宮の陥落 ×1
 銀幕の鏡壁 ×1
 攻撃の無力化 ×1
 ディメンション・ウォール ×1
 六芒星の呪縛 ×1

 サブデッキには、「閃光の結界像」、「ハリケーン」、「ホーリシャベリン」などが入っています。


 だいぶバラバラなのは、賑やかなのが趣味なのと、ほしい数だけのカードが、まだそろっていないためです。

歳々平安2008-02-06 23:35:02

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 2月7日は旧正月、中国では春節とも称し、一年の中でも一番にぎやかに祝う日です。

 日本のお正月は、つぼみさんのブログで感動的な記事を拝見しました((http://tubomim.exblog.jp/7182820/)。

 つぼみさんの勇気と深い慈悲は、まだまだこれからの目標として遠くにありますが。
 世の中の全ての人々が平和に暮らせるように、まず、ここでは願いたいです。

Googleアース歴史散歩① ~横浜競馬草創期の歩み2008-02-15 00:29:24

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 日本で初めて西洋式競馬が行われたのは横浜であり、日本における近代競馬の発祥地だと言っても差し支えないでしょう。
 但し、いまの根岸森林公園にあった根岸競馬場がその始まりだと思っている人が結構いるようで、歴史的に正しいとは言えません。


 「文明開化うま物語」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/23/1527686)に書かれているようにある通り、「横浜市史稿」(昭和7年)によると、「文久元年中、洲干弁天社の裏西海岸を埋め立て、馬場および馬見所を新設し、幕府の役人たちが此所で馬術を練習し、折々競馬を開催した。外国人も亦、此馬場を利用して馬術の練習し、競馬を行っていた」、とあります。

 横浜の洲干弁天社は、横浜開港前から景勝地として知られ、浮世絵にも描かれていましたが、現在の横浜弁天は移っており、まったく痕跡が残っていないぐらいです。
 古地図を見比べながら捜すと、現在弁天通り、弁天橋に地名が残っているとおり、関内と桜木町の間、いまの馬車道の西側あたりかと思います。
 また、当時フランス人技師クリペ作製の「横浜絵図面」に、弁天社の裏西側に細長い「馬バ」も描かれています。
 とすると、上図の「①」あたりだと思います。


 もっとも、「根岸の森の物語」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/07/21/1671340)に引用されていますが、横浜開港資料館の「横浜ものはじめ考」では、洲干弁天社の馬場は幕府役人の馬術練習場で、ここを利用した外国人とはフランスの軍事顧問であり、スポーツとしての競馬が行われると考えられない、だとしています。
 そうだとすれば、次の文久2年(1862年)5月に行われたレースが、たぶん最初の近代式競馬になります。

 その年5月1,2日に行われた春開催と、10月1,2日に行われた秋開催、それぞれのプログラムが居留地新聞「ジャパン・ヘラルド」に載っており、「日本賞」、「メトロポリタン賞」、「横浜ダービー」などのレース名が見えています。
 開催されたのは、当時外国人居留地裏の湿地帯に急造されたコースで、「馬たちの33章」(早坂昇治、緑書房)にも記述があるように、ほぼいまの中華街をすっぽり囲む、1周約1200メートルの円形コースだそうです。
 上図の「②」あたりに該当すると思います。


 ところが、生麦事件のせいもあり、この中華街コースでの競馬開催は1862年の春、秋限りとなりました。
 当時の居留地新聞によれば、1865年には、英国駐屯軍主催の「横浜駐屯軍競馬(Yokohama Garrison Races)が駐屯地の連兵場などで行われたそうです。

 英駐屯軍の連兵場がどこにあったか、明確に突き止めていませんが、上図の「③」あたりだと言われているようです。


 そして、いよいよ1866年に根岸競馬場が建設されました。

 1867年1月に好天の元に、にぎやかなその初開催が行われた根岸競馬場は、現在の根岸森林公園にあたり、旧馬場の楕円形もほぼ残されています。
 上図の「④」の場所です。

Googleアース歴史散歩② ~パリの競馬場2008-02-18 00:38:45



 17世紀のフランスは競走馬の生産に関して、イギリスをリードしていたほどでしたが、1789年のフランス革命は競馬に関わる多くの貴族をギロチンに送り、競馬場や牧場を焼き払ってしまいました。

 1819年、ルイ18世がシャンドマール競馬場でレースを再開し、パリ市内ではシャン・ド・マルスの練兵場で競馬が行われました。
 シャン・ド・マルスの練兵場というのは、いまはエッフェル塔がそびえる、上のパリの航空写真の「①」の場所です。

 練兵場の走路はコンディションが悪く、馬にも騎手にも危険が多かったそうです。
 ようやく、1834年のシャンティ競馬場完成によりフランス競馬界が本格的に復興してきましたが、シャンティでもパリ市内から60キロ離れ、フランスの馬種改良促進協会はより近くに土地を物色していました。
 そこで空き地となったロンシャン修道院の跡地を借り受け、1857年、皇帝臨席の元に華々しく開場したのが、「②」の場所にある有名なロンシャン競馬場です。
 フランスのダービーとも呼ばれているジョッキークラブ大賞や、ファッションの華やかさで知名度はジョッキークラブ大賞凌ぐオークス、長い歴史を誇るパリ大賞。そしてなにより、ヨーロッパ古馬最大のレースにして世界で最も格式の高いレースの1つである「凱旋門賞」も、この競馬場で行われています。

 さて、ブローニュの森の西にロンシャン競馬場があれば、森の東、「③」の場所にはオートイユ競馬場が位置しています。
 1873年に完成されたオートイユ競馬場はたぶん障害レース専用の競馬場であり、共和国大統領賞、スティープルチェース大賞などが花形レースとして知られています。

 パリの西側にあるブローニュの森(847ヘクタール)よりも、やや大きいのがパリの東側にあるヴァンセーヌの森(934ヘクタール)です。
 このヴァンセーヌの森にも1878年から競馬場ができていました。
 1955年に大改造され、速歩競走、繋駕競走の本拠地として有名なのが、航空写真の「④」の場所です。
 速歩や繋駕のレースは日本では廃れてしまいましたが、欧米ではいまも多くのレース行われています。


 Googleアースでブローニュの森のまわりを見ると、確かに東側のオートイユ競馬場競馬場と西側のロンシャン競馬場が、はっきりと写っています。(↓)




 凱旋門賞は、ロンシャン競馬場の、あの有名な風車小屋の前からスタートします。
 何回か修復されているいまの姿ですが、この地にイザベル・ド・フランスが13世紀に修道院を創設し、18世紀末ではしばらく華やかに行われた「ロンシャン参り」、唯一名なごりがこの風車小屋だと言われています。(↓)




 オートイユ競馬場のコースを拡大してみると、障害レース専門だけあって、固定式障害が備えられているのがわかります。(↓)




 ヴァンセーヌの森では、競馬場の近くにも大きな公園、動物園、そして多くのスポーツ施設があります。
 1900年のパリ・オリンピックのメイン会場でもあったようです。(↓)



架空世界の地球儀2008-02-19 23:47:17

 Google Earthはおもしろいです。

 しかし、ぐるぐる地球を回してみると、我々と我々の先祖が住んできたこの世界が、思いの外に狭いことに気付きます。
 狭いという表現は、きっと正しくないでしょうが、人工衛星で隅から隅まで写真に写してしまったら、宇宙にでも飛び出さないかぎり、この地球にはもうはや秘境が存在しえなくなります。

 インドやエチオピア付近に住んでいる奇怪な民族を自由に書き綴るプリニウスの「博物誌」、荒唐無稽を恐れずに怪力乱神を思い切り語る「山海経」、想像力のみで構成された架空の「東方旅行記」......
 こういう想像力を掻き出す、魅力的な書物はもう出てこないでしょうか?


 Google(じゃなくてもいいですが)には、架空の地図、想像上の世界も、なんとか作って欲しいものです。

 まったくの創作でなくても、手始めに、例えば「オズの虹の国」を、どこかに埋め込んでもらえないでしょうかね。
 エメラルドの都から赤い峡谷までどれぐらいの距離があるか、ギリキン山脈はどんな形をしているのか、眺めてみたい気持ちはあります。

 それができたら、次は「中つ国」を希望します。
 中つ国なら、むろん霧ふり山脈は北から南へと縦断しているはずですし、ホビットの村とエルフが住むリンドンの地、ゴンドール王国とローハンの草原、太古の森が残るファンゴルンと滅びの山も、それぞれしかるべき方角で見付けられるのでしょう。

 中つ国もできて、なおも暇をもって余すなら、そうですね。ついてに、テンガン山がそびえ立つシンオウ地方(ポケモン)もどうでしょうか?

偽アースシー2008-02-24 00:44:41

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 ということで、アースシー(Earth Sea)を発見しました。
 なわけはなく、偽造しました。

 もうちょっと島の数を多くしたほうがいいと思いますが、無造作に集めて来るだけでも、案外手間が掛かります(笑)。