俳句、その奥に漂うもの2008-02-27 00:34:19

 俳句と言えば五七五。
 天経地義ではないにしても、十七文字の定型が頭にあったから、橋本夢道に出会ったときは、それなりにショックでした。

 自由律で、季語さえもないですが、表現上の約束を看破したうえ、リズム、陰陽、わびさび、橋本夢道の句はちゃんと俳句になっているように思えます。

 いま読み直しても、素人ながら、その奥にあるなにかを惹かれます。


 恋をしたときの歌。

「その唇を忘れず別れてもなお恋の雨の音の中」
「うぐいすの匂うがごときのどぼとけ」
「僕を恋うひとがいて雪に喇叭が遠くふかるる」
「さくら散るまひる日傘で行く」


 住んでいた月島の下町を歌ったもの。

「路地の子に研屋泥鰌屋唐辛子屋も真似らるる」
「月島や夏ひしひしと阿鼻叫喚の夕餉どき」
「子がろう石で丸を描く路地にかなしみ多き親」


 戦争を歌ったものもあります。

「村は新緑戸籍に死にし兵帰る」
「大戦起るこの日のために獄をたまわる」
「夏稲の黄に垂るる穂を見て哭けり」


 親の死を悔やんだ歌。

「あたふたと故郷に帰るいつも悲しいことばかり」
「私に逢いたい事は云わずに死んだままの父」
「大寒の渦の慟哭母生きよ」
「九十九の母の遺骨や桃の花」


 絶吟となった辞世の一句。

「桃咲く藁屋から七十年夢の秋」