「ナマハゲ体験講座」の中国語訳2012-04-16 23:05:06

 東北観光博覧会(http://www.visitjapan-tohoku.org/)のポータルサイト多言語版が、一時閉鎖になりました。

 外国語訳に誤りが多く、苦情が殺到し、公開しながらの修正を断念したそうです。(http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2012041305820.html
 むべなるかな、機械翻訳の結果を、そのままホームページに載せたようです。

 例えば、歌人の石川啄木の法要「啄木忌」は、英語で「Woodpecker mourning」になっていました。Woodpeckerは鳥のキツツキ(啄木鳥)ではありますが (笑)
 例えば、「ナマハゲ体験講座」は、中国語で「はげ頭病の講座を体験する現場」と誤訳されたそうです。
 目が点になりましたが、なるほど、infoseekの翻訳ページでやってみると、中国語訳では「经验现场秃头病讲座」に化けています。


 上のネットニュースによれば、「担当者は『自動翻訳機の辞書機能に固有名詞を登録するなど改善を図っていきたい』と話す。」とあります。いや、そういう問題ではないと思いますが。
 そもそも現在ネット上の機械翻訳は、そのまま実用に耐えられるものだと考えている人が存在していることに、かなりびっくり仰天です。

「サハラ物語」の日本語訳2011-11-05 22:40:05

 いつも通っている図書館に「サハラ物語」(三毛 著、妹尾加代 訳、筑摩書房、1991年3月初版)が置いてあるのを、いまさら気づきました。原作は三十年前に台湾で読みましたが、懐かしくなって、この日本語訳版も借りてみました。

 本作品は、三毛とそのスペイン人の夫ホセが北アフリカの砂漠で過ごしていた頃の生活記録ですが、中国語圏で長く人気を博したのは、その体験の珍しさだけではなく、作者の軽妙洒脱な文筆にもよるところも大きいと思います。
 しかし日本語訳版からは、残念ながら、あまりその面影は伺えません。

 普通の日本語の文章としても、冗長だと思える表現や意味が不明確な箇所が散見されます。
 比較のために、ネットで見つけた中国版(http://www.millionbook.net/gt/s/sanmao/shldgs/index.html)を引用していますが、正規版ではなさそうで、タイプミスなどもあるかも知れません。


-(日本語訳)-
翌日また見に行くと、それはくるみ程の大きさに腫れあがり、彼女は痛がって破れたむしろの上にころがってうなっていた。「だめだわ、病院に行かなくちゃ」私は母親に言った。


 「破れたむしろ」をわざわざ強調するところが気になりました。

-(原文)-
第二天再去看她,她腿上的癤子已經腫得如桃核一般大了,這個女孩子痛得躺在地上的破席上呻吟,“不行,得看醫生啦!”我對她母親說。“


 なるほど、「破席」とはありますが、これは慣用語のようなもので、省略してもよさそうです。

-(日本語訳)-
半年あまりたつと、私はハンティの家族はもう大変仲良くなっていて、ほとんど毎日いっしょにお茶を沸かして飲んでいた。ある日、お茶を飲んでいる時のこと、ハンティと彼の妻のグーバイだけが部屋の中にいたが、ハンティが思いがけないことを言った。
「うちの娘はもうすぐ結婚する。あんた都合の良い時にあれに言ってやってほしいんだ」


-(原文)-
半年多過去了,我跟罕地全家已成了很好的朋友,几乎每天都在一起煮茶喝。有一天喝茶時,只有罕地和他的太太葛柏在房內。罕地突然說:“我女儿快要結婚了,請你有便時告訴她。”


 この「お茶を沸かして飲んでいた。」も、好みの問題かも知れませんが、沸かさず飲むお茶がないし、冗長だと感じました。
 まあ、ここまでは目くじらを立てるほどの内容ではありません。

-(日本語訳)-
「それは承知したよ。だがとにかく裁判所へ行って、どういうふうに手続きのしかたを聞かなきゃ。きみの国籍の問題もあるし」二人で結婚後の私の二つの国籍について、よく話しあった。


 日本語自体、さほど違和感はありませんが。

-(原文)-
“這個我答應你,但總得去法院問問手續,你又加上要入籍的問題。”我們講好婚后我兩個國籍。


 「講好」を「よく話しあった」と訳すのは、正確だと思えません。
 ここでは、二重国籍を残すことにふたりで決めた、という程度の意味ではないでしょうか。

-(日本語訳)-
この時は迷宮山に迷わなかった。三十分行ったが、そこではなかったので引き返した。


 「迷宮山」と三毛たちが呼んでいるのは、砂漠に聳え立ついくつかの大きな砂丘です。しかし「そこではなかったので」のところ、意味が不明です。

-(原文)-
迷宮山這次沒有迷住我們,開了半小時不到就跑出來了。


 なるほど、「不到」を誤訳されたかも知れません。

(試訳)
 「このときは迷宮山で道を迷うことなく、三十分足らずで出てこれました。」

-(日本語訳)-
それはもう四隅がすりきれてしまった写真で、西洋の服装を身につけたアラビヤの女が写っていた。均整のとれたスタイルに大きな目をしていたが、決して若くはない顔にゴテゴテと厚化粧が塗られていた。


-(原文)-
這是一張已經四周都磨破角的照片,里面是一個阿拉伯女子穿著歐洲服裝。五官很端正,眼睛很大,但是并不年輕的臉上涂了很多化妝品,一片花紅柳綠。


 「五官很端正」をわざわざ「均整のとれたスタイル」に置き換えなければならない理由がわかりません。実際、その後に「胖腿下面踏了一雙很高的黃色高跟鞋」と続いているだけに、スタイルは均整が取れているか、かなり微妙です。

-(日本語訳)-
私は「待ってね」と言うと、家にとんで帰り、最高単位の総合ビタミン剤を十五粒持ってくると、ハティエットに渡した。「ハティ、あなた羊を殺すことができる」と聞くと、うんうんとうなずく。「まず彼女にこのビタミン剤を飲ませてやるの、一日二、三回ね。それからマトンのスープを作って飲ませてやってちょうだい」
このようにして十日もたたないうちに、そのハティエットの形容によると死にかかっていたいとこは、自分で歩いて私のところにやって来て、しばらく座って帰っていくほど元気になった。


 ここまでくると、突っ込みどころが満載で、ほとんど小学生の作文になってしまいました。「あなた羊を殺すことができる」など、まさか能力を確認しているわけではないでしょうね。

-(原文)-
“等一下。”我說著跑回家去,倒了十五粒最高單位的多种維他命給她。“哈蒂,殺只羊你舍得么?”她赶緊點點頭。“先給你表妹吃這維他命,一天兩三次,另外你煮羊湯給她喝。”這樣沒過十天,那個被哈蒂形容成正在死去的表妹,居然自己走來我處,坐了半天才回去,精神也好了。


-(日本語訳)-
ホセが車を買うと、私はたちまちその「夢の白馬」が大好きになった。それでしょっちゅうこの白馬を連れて町へ出て用事を片付けたり、時には職場までの私の「夢の王子さま」を迎えに行くこともあった。


-(原文)-
等到荷西買了車子,我就愛上了這匹“假想白馬”,常常帶了它出去在小鎮上辦事。有時候也用白馬去接我的“假想王子”下班。


 アフリカで運転免許を取得する話の枕ですが、「夢の王子さま」、「夢の白馬」と訳してしまうと、ニュアンスが大きく変わってしまいます。  若干難しいかも知れませんが、「假想」はあくまでも仮想であって、仮にそうだと置き換えているだけで、白馬に乗る王子さまと現実の車に乗る夫とは、やはり隔たりはあるかと思います。

【翻訳練習 (中→日)】「向晩的淡水」2011-07-13 09:56:43

 作者は林文義、原文(但し前半部分のみ)はこちら(↓)。
<http://www.mingdao.edu.tw/library/peruse/lip/%E5%90%91%E6%99%9A%E7%9A%84%E6%B7%A1%E6%B0%B4--%E6%9E%97%E6%96%87%E7%BE%A9.pdf>

 九歌出版社より、と文末にありますが、1980年7月の「大同半月刊」で掲載された後、「千手観音」なる随筆集に収められ、元々は蓬莱出版社が1981年に出版したものです。
 古い初版本が、台湾→日本→中国→日本と海を渡り、いま手元にあります。

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 [ 夕暮れの淡水 ]

 渡し船もこれが最終便だろう。船尾のフェンスに寄りかかって、私は船に砕かれた白い浪を見つめた。夕暮れの海風はやさしく、乱れた黒髪をかすかに掠め、潮をゆるやくになだめる海風のように......北淡線の列車はもう出そうだな、と船頭さんが言った。私は頭を横に振り:バスに乗って帰ります。心のなかでは、この柔らかな潮風に乗って帰るよ、と呟く。ちょっとキザだったかな?いや、八里郷から淡水鎮に向かう道は、まさしく最も美しい旅路なのだ。

 私の右目には、暗くなりかけた大屯山の巨大な影;左目には夕陽を浴び、赤く染め上げられた紅毛城の、古く哀愁に満ちた佇まい。淡水、近づいてきた- 若き日の感情が蠢く、この小さな港町よ。船頭は舵に気を配り、船をゆっくり接岸しようとしている。青を基調とした波止場は、セザンヌの絵を思い出させる。最終便の船が岸に着き、泊まる。寄り添う姿に、まるで愛情がこもっているように思えてきた。岸辺の無言で力強い懐に身を寄せ、満天の星を頭上に頂き、満足感に浸って、静かに休む....そう思いをめぐらせていたところ、船は岸に着いた。

 先に岸に上がるのは、若い夫婦だった(或いは恋人達か?)。船に乗せてきたバイクを男が岸から引っ張り上げ、女のほうは後ろから押した。彼らはすぐにエンジンを掛けなかった。小さな港の魚屋さんで二尾の魚を買い、顔いっぱいに笑みを浮かべながら、ようやくバイクに跨って行った。もしかして、彼らの家はこの小さな町の一角。和風の木造住宅を見れば、外は赤いレンガの低い壁が囲い、紫色の藤の花が中から壁の外まで伸び、その外は奥深い路地、路地を進むと夕焼けに輝く海に突き当たる......何艘かのいかだがゆらゆらと浮かんでいるかも。

 遠く、小さく、無数の四角い窓にすべて灯が点り、淡い黄色もしくは青、いずれも暖かみが溢れ、人の望みを吸い寄せる。この海辺の小さな町、たそがれどきには言いようのない輝きが放たれ、まるで油絵で見るような鮮烈な色彩だ。西に落ちてゆく夕陽が、まず美しく豊潤な黄色をあたりに塗り、そのうえ、鮮やかな紅色と黄金色で町の光る部分を描き出す。そして影をなす部分は、一面の紺青だ。古く狭い路地を歩けば、曲がり角の向こうから、いきなり老人の顔が不意に目の前に現れてくる- 老人は色褪せした扉の下に静かに座り、団扇をゆったり扇ぎ、慈しみに満ちた古い微笑みをあなたに投げかける。

 路地を行くと、暗くなりかけた夕暮れのなかに大きな古い教会が聳え、見上げる塔の先端に白いハトが軽やかに飛び回る- 異国にいるように感じた。エーゲ海沿いの小さな国だろうか?彼らのゴシック式の小窓は、夕暮れになると、必ず小さなロウソクを灯し、町ごとロウソクの影に揺らぐ......ここはしかしあの青いエーゲ海岸ではなく、ここは淡水、海辺にある小さな町だ。

【翻訳練習 (日→中)】昔から雨が降ってくる2011-06-28 01:53:15

 いつものようにwhyさんのブログを眺めていたら、中島みゆきの歌詞を中国語に翻訳されているのを見つけました(http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj/60615579.html#60617634)。
 どうやら元は、塵さんが先に訳されていたようで(http://blogs.yahoo.co.jp/sea85419sen/archive/2011/06/19)、いわば競作?です。

 whyさんの訳も、塵さんの訳も、さすがにプロだけに、それは実に素晴らしいものです。あえて顰みに倣い、素人なりに訳してみたいと思いました。
 推敲はあまりできていないですが、素朴な原詩から、素直に思いつく言葉を並べると、このようになりました。

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  「雨總是下不停」  ~中島みゆき

以前 我好像是池辺的一棵樹
只懂得要把手伸向遙遠的天際 是一棵無奈的樹
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨

以前 我好像是海辺的一尾魚
只想著如何学会説出心裏的話 是一尾寂寞的魚
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨

以前 這裡有大恐龍 還有小恐龍
是不是也如此仰頭看著雨 是不是也如此垂頭被雨打
雨珠不停地飄落
雨總是下不停

以前 我好像是崖辺的一隻虫
只知道朝著遙遠森林的那頭走 是一隻虔誠的虫
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
雨珠不停地飄落
令人千思萬想的雨
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遣唐使時代の通訳2009-02-11 01:27:32

 「古代日本人と外国語」(湯沢質幸、勉誠出版)を読んでいて、「通事」や「訳語」と呼ばれていた遣唐使時代の通訳の話は、とても興味を惹くものでした。

 以下はメモ代わり:

・主たる通訳の地位や待遇ですが、「延喜式」の記述を参照すると、大使、副使、判官、録事に続き、船頭や医師と同格かちょっと上ぐらいです。

・遣唐使では訳語(中国語の通訳)以外、新羅、奄美等の訳語も同乗していて、寄港地や漂流地の言葉が話せる通訳も必要だったわけです。

・通訳の任命は「行き会ったりばったり」的で、通訳の養成に関する朝廷の命令が何回かあったが、どうもあまり計画的に継続していなかったようです。

・838年(承和5年)お入唐船団には少なくとも4人の通訳が同行していたうえ、唐の楚州に定住していた新羅人の劉慎言をも雇っていました。(劉慎言は通訳というより、広く遣唐使や在唐日本人の世話をして、金品手紙の受け渡しや保管もやっていた、日本の「中国現地事務所長」風でした。)

・中・日間だけでなく、日本が新羅や渤海国との間で使われていた外交用言語も中国語(唐語)だと推定されています。

三宝2008-12-30 01:00:13

 金庸の武侠小説で最初に読んだのは「倚天屠龍記」。新聞での連載を毎朝、楽しみにしていたのは、前にも書いた通りです(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/09/21/531978)。

 図書館の開架に「倚天屠龍記」の日本語訳を見かけ、懐かしくてその第五巻を手に取りました。


 一気に読み進んだが、明教教祖の主人公・張無忌が、囚われている謝遜を求めて少林寺を訪ねたところですが、

 空聞と張無忌・楊逍・殷天正らは時候の挨拶を交わすとすぐに黙り込んだ。張無忌が言った。
 「方丈神僧、われら一同用もなく三宝殿に参ったわけではございません。こうして方丈にお目通り願いましたのは、わが教の謝法王を釈放していただきたいからです。......」


 小説には羅漢堂、達磨堂、般若院、方丈精舎などの建物が登場しますが、少林寺には三宝殿という名前の建物は存在しません。
 誤訳だと言えないかも知れませんが、用もなく三宝殿に参ったわけではない、と書いても、日本の読者の多くは意味がわからないだと思います。

 たぶん原文は「無事不登三寶殿」、大事な要があるこそ訪ねてきたことを表す慣用句です。


 ところで、「無事不登三宝殿」はよく使っても、なぜ「三宝殿」なのか、「三宝」とはなにかは、実はよく知らなかったので、ついてに調べてみました。
 仏教では佛、法、僧(”釋氏要覽”:「 三寶、謂佛、法、僧也。」)。
 また、道教では耳、目、口。
 だとか。

 三種の神器ではまさかないでしょうが、もっと具体的な仏具、法器をひそかに想像していたのが、まったくの見当違いでした。

【翻訳練習 (中→日)】 徐志摩の詩2008-10-23 00:02:53

 xingさんやwhyさんのコメントから徐志摩を思い出し、その詩作を読み直しました。
 大胆にも試訳を付けました。プロでないゆえ、よほど下手くそでも、詩人からそうきついお咎めがないかと思いたいです。



 偶然   偶然 
.
我是天空裏的一片雲, 私は空に浮かぶ雲、
偶而投影在你的波心; 期せず君の心に映った;
 你不必訝異  驚くことなかれ
 更無須歡喜  喜ぶこともなおなく
在轉瞬間消滅了蹤跡。 瞬く間に跡形も消え去ろう。
.
你我相逢在黑夜的海上, 我らは闇夜のうながみに出会い、
你有你的,我有我的,方向;     君には君の、私には私の、目指す先がある;
你記得也好  覚えていてもよかろう
最好你忘掉  忘れていたらなおよく
在這交會時互放的光芒。 交わったときに互いが激しく放った光を。
.


 闊的海   広い海 
.
闊的海空的天我不需要, 広い海際なき空を私は欲せず、
我也不想放一只巨大的紙鷂 四面八方の風を弄ぶために、
上天去捉弄四面八方的風; 大きな紙鳶を放つつもりもない。
我只要一分鐘 ほしいのはほんの一分間
我只要一點光 ほしいのは一筋の光
我只要一條縫, ほしいのは僅かな隙間、
像一個小孩子爬伏在一間暗屋的窗前 子供のように暗い部屋の窓辺にあごを乗せ
望著西天邊不死的一條縫, 覗いているのは西の空とわに到る僅かな隙間、
一點光,一分鐘。 一筋の光、ほんの一分間。
.


 殘詩   殘す詩 
怨誰? 怨むか?
怨誰? だれを?
這不是青天里打雷? 青天の霹靂じゃなかろうか?
關著; 閉めよう;
鎖上; 鍵もかける;
趕明兒瓷花磚上堆灰! あしたになったらタイルには塵だらけ!
別瞧這白石台階光滑, 石段がすべすべだと思うな、
趕明兒, あしたになったら、
唉,石縫里長草, はぁ、隙間にも草が生え、
石板上青青的全是莓! しげしげと苔だらけになるさ!
那廊下的青玉缸里養著魚真鳳尾, 廊下のかめにはあのひれ長の金魚も、
可還有誰給換水, だれが水を替えてくれる、
誰給撈草,誰給喂! だれが草を掬う、だれかよ!
要不了三五天準翻著白肚鼓著眼, 幾日もしないうちに息が絶えてしまおう、
不浮著死,也就讓冰分兒壓一個扁! 死んで浮かんでくるか、でなきゃ氷でペシャンコだ!
頂可憐是那幾個紅嘴綠毛的鸚哥, 一等可哀そうなのはあの赤いくちばしのおうむ、
讓娘娘教得頂乖, 奥さまにあれだけ教えられ、
會跟著洞簫唱歌, 縦笛にハモって歌えたり、
真嬌養慣,喂食一遲, ご飯がちょいっと遅れるだけで、
就叫人名兒罵。 名指しで怒るのに。
現在,您叫去! いまじゃ、呼んでみな!
就剩空院子給您答話...... 答えてあげるのは空っぽの庭ばかりだ......
.

古いレストランの百年間の精神を溶かす錯覚2008-10-14 22:52:47

 dragonfly様が前回スペインへご旅行され、Botinへ行かれたときの記事(http://dragonfly.asablo.jp/blog/2008/01/12/2556523)を読み直して、改めて羨ましく思いました。

 ヘミングウェイも通っていたBotinは、ギネスにも載っている、現存する世界最古のレストランだそうで、創業は1725年です。
 日本では、あの徳川吉宗が八代将軍の座にいる享保年間、中国だと清王朝のまだ初期、雍正帝の在位中です。


 この歴史あるレストランのサイト(http://www.botin.es/)を見ると、フロントページに国旗が並んでいます。
 おっ、日の丸もありまして、日本語を含む多言語サイトですね。

 しかし、です。
 恐らく自動翻訳による日本語のページは、開いてみればわかりますが、まったく理解不能な文章になっています。
 試しに英文なら「Philosophy of the Company」の最初のところを写しましたが、読みながら、コンピュータによる自動翻訳が実用できるレベルまで、あと何年かかるだろうかと、嘆いてしまいました。
 

「会社の哲学」
 結婚がEmilio GonzalezとAmparo Martinによって形作ったときに、Madrilenianの古いレストランの百年間の精神の精神を溶かす錯覚を写し出したこれは子供、Antonio及びJoseが開発し、家族及びしっかりと"オーストリアのマドリード"の中心で定着する残物の第三世代がこの頃は続ける美しい冒険の基盤を解決した。これらの年中のRestaurante Botinの道を支配した哲学は、ある機会で、Antonio Gonzalez Martinが表現した考えに忠実に反映される。......