【翻訳練習 (中→日)】「向晩的淡水」2011-07-13 09:56:43

 作者は林文義、原文(但し前半部分のみ)はこちら(↓)。
<http://www.mingdao.edu.tw/library/peruse/lip/%E5%90%91%E6%99%9A%E7%9A%84%E6%B7%A1%E6%B0%B4--%E6%9E%97%E6%96%87%E7%BE%A9.pdf>

 九歌出版社より、と文末にありますが、1980年7月の「大同半月刊」で掲載された後、「千手観音」なる随筆集に収められ、元々は蓬莱出版社が1981年に出版したものです。
 古い初版本が、台湾→日本→中国→日本と海を渡り、いま手元にあります。

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 [ 夕暮れの淡水 ]

 渡し船もこれが最終便だろう。船尾のフェンスに寄りかかって、私は船に砕かれた白い浪を見つめた。夕暮れの海風はやさしく、乱れた黒髪をかすかに掠め、潮をゆるやくになだめる海風のように......北淡線の列車はもう出そうだな、と船頭さんが言った。私は頭を横に振り:バスに乗って帰ります。心のなかでは、この柔らかな潮風に乗って帰るよ、と呟く。ちょっとキザだったかな?いや、八里郷から淡水鎮に向かう道は、まさしく最も美しい旅路なのだ。

 私の右目には、暗くなりかけた大屯山の巨大な影;左目には夕陽を浴び、赤く染め上げられた紅毛城の、古く哀愁に満ちた佇まい。淡水、近づいてきた- 若き日の感情が蠢く、この小さな港町よ。船頭は舵に気を配り、船をゆっくり接岸しようとしている。青を基調とした波止場は、セザンヌの絵を思い出させる。最終便の船が岸に着き、泊まる。寄り添う姿に、まるで愛情がこもっているように思えてきた。岸辺の無言で力強い懐に身を寄せ、満天の星を頭上に頂き、満足感に浸って、静かに休む....そう思いをめぐらせていたところ、船は岸に着いた。

 先に岸に上がったのは、若い夫婦だった(或いは恋人達か?)。船に乗せてきたバイクを男が岸から引っ張り上げ、女のほうは後ろから押した。彼らはすぐにエンジンを掛けなかった。小さな港の魚屋さんで二尾の魚を買い、顔いっぱいに笑みを浮かべながら、ようやくバイクに跨って行った。もしかして、彼らの家はこの小さな町の一角。和風の木造住宅を見れば、外は赤いレンガの低い壁が囲い、紫色の藤の花が中から壁の外まで伸び、その外は奥深い路地、路地を進むと夕焼けに輝く海に突き当たる......何艘かのいかだがゆらゆらと浮かんでいるかも。

 遠く、小さく、無数の四角い窓にすべて灯が点り、淡い黄色もしくは青、いずれも暖かみが溢れ、人の望みを吸い寄せる。この海辺の小さな町、たそがれどきには言いようのない輝きが放たれ、まるで油絵で見るような鮮烈な色彩だ。西に落ちてゆく夕陽が、まず美しく豊潤な黄色をあたりに塗り、そのうえ、鮮やかな紅色と黄金色で町の光る部分を描き出す。そして影をなす部分は、一面の紺青だ。古く狭い路地を歩けば、曲がり角の向こうから、いきなり老人の顔が不意に目の前に現れてくる- 老人は色褪せした扉の下に静かに座り、団扇をゆったり扇ぎ、慈しみに満ちた古い微笑みをあなたに投げかける。

 路地を行くと、暗くなりかけた夕暮れのなかに大きな古い教会が聳え、見上げる塔の先端に白いハトが軽やかに飛び回る- 異国にいるように感じた。エーゲ海沿いの小さな国だろうか?彼らのゴシック式の小窓は、夕暮れになると、必ず小さなロウソクを灯し、町ごとロウソクの影に揺らぐ......ここはしかしあの青いエーゲ海岸ではなく、ここは淡水、海辺にある小さな町だ。

コメント

_ 花うさぎ ― 2011-07-16 10:56:06

訳のできばえについてでなくて恐縮なのですが、

 私の右目には、暗くなりかけた大屯山の巨大な影;左目には夕陽を浴び、赤く染め上げられた紅毛城の、古く哀愁に満ちた佇まい。

って、「え」と思う表現ではないですか。
右目と左目に違うものが映ると感じたことは生涯でまだ一度もありません。
詩的表現なのか、それともこの人の場合、鳥のように顔の側面についているのでしょうか。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-17 06:42:36

花うさぎさん、おはようございます。右目で天、左目で地を睨む不動明王の天地眼のようなものかも知れません。
左右の目に違うものを映すには、大きな本とかを縦に鼻の前にくっつけて、視界を重ならないようにすればいいじゃないでしょうか?(笑)
しかし、考えてみれば、鳥の目に映る世界はどんなものですかね? カメレオンも左右の目が別々に動くのが有名ですが、視界が重なるときで得られる立体感はわれわれと同じようなものでしょうかね?

_ why ― 2011-07-18 07:52:34

これも素敵!!Fujimotoさんのしっとりした文体にぴったりの文章ですね。
訳文を読みながら、絵が浮かびました。いつかFujimotoさんの写真にあった鹿港の黄昏でしたっけ、ぐっとくるものがありました。
今の私にはまだとても真似できる力量はありませんが、いつかこういう文章を日本語に訳してみたいですね。それまでにはまだたくさんのものを積み重ねなければならないでしょうけど、ひとつの目標として目指そうかと思います。
>夕暮れの海風はやさしく、乱れた黒髪をかすかに掠め、潮をゆるやくになだめる海風のように
しいて言えば、ここは私にちょっと分かりにくかったかな。覚束ない非母語の感覚ですが、「潮をゆるやくになだめる海風のように」の「海風の」が余分だったような気がしますが、自信がありません。
あと、「;」や「:」などはこういう文体にちょっと馴染まないような感がしないでもありません。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-19 09:49:50

whyさんは謙遜されていますが、僕が2、3時間はかかったこの量は、whyさんなら半分の時間でもっときれいに仕上げられたのでしょう。

ご指摘の「海風の」部分、確かに変な文章になっていますね(笑)
前日の深夜に書いたときはなかったのですが、ベッドに入って原文を再読したら「海風」が二度出ているのがなぜか気になり、朝起きて添足してしまいました。まったくご指摘の通りです。
「;」や「:」は、正直なところ、あまり考えていませんでした(^^;)
翻訳は経験が少なく、練習してちゃんと指導を受ければ身に付くものかも知れませんが、いまでは、どれぐらい原文から外れてよいかの感覚がわからず、若干悩みながらも適当に書いてしまいました。

_ why ― 2011-07-19 11:36:56

2、3時間で出来たんですか。はやいですね。私は文芸翻訳はしたことがありませんが、普通の論文の翻訳ですらものすごく遅筆で、延々と辞書を引いたりして・・・経済性が低いです。トホホ。

こういう文章、書き手が意図するものをどれだけ読み取るか、とどれだけの文章力があるかで出来栄えが決まるんでしょうね。特に深い含蓄があるわけではなく、夕暮れの美しい光景を巧みな筆致で、読み手に伝えたい、共感してもらいたいというのが作者の意図するところでしょうから、それを対象言語でどれだけ再現できるかはやはり文章力にかかりますね。
私はFujimotoさんの訳文から夕日や空や花の色、街やそこにいる人々の表情、動きのある風景など、色々なものが伝わって響いた気がします。字面からそこの美しさを読み取れました。素敵ですね。そういうのが翻訳の効果ではありませんか。練習や指導で身につくテクニックもあるのでしょうが、それ以前の感性やセンスも大事なものですね。

もう一箇所、ちょっと気になりましたが、率直に申し上げますね。
>慈しみに満ちた古い微笑みをあなたに
ここは訳文ではなく、原文の問題ですが、「古老的微笑」は分かりにくいですね。日本語に訳すとき、どう処理すればいいか分かりませんが、例えば「昔から変わらぬ微笑みを通りすがりの人に」といった感じに変えても許容範囲ではないかしら。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-20 10:34:16

whyさん、論文では専門用語もたくさん出てくるかも知れませんし、正確さが特に必要なケースが多く、さぞ難しいでしょう。僕も特許文書などを読むと、英語だろうと、日本語だろうと、どうしてそこまで難しく書けるのか、悩みながら呆れてしまいます。
この辺、道楽ゆえの気楽さが挟む余地がないでしょうね。

「古老的微笑」のくだり、正直なところ、いまいち作者の意図がよくわかりませんでした。「昔から変わらぬ微笑み」だと言われて、なるほどと、いまさらながら膝を打ちました。

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