【素人写真】久々の台湾2017-08-22 22:57:03

 久々の台湾。
 親戚や友人に会い、そして初めての阿里山、何度目かの日月潭に行きました。















横須賀軍艦めぐり2016-12-19 23:02:17

 先月のことでしたが、ようやく写真を整理しましたので。

 まずはこちら、米軍の潜水艦です。


 こちら米軍のイージス艦です。


 そして、巨大な原子力空母ロナルドレーガン号です。
 艦上で働く人は5千人以上だそうです。

 作業中。

 そして、こちらのイージス艦はちょうど帰港途中。

 以降は自衛隊、こちら潜水艦救難母艦です。

 海洋観測艦だそうです。

 退役済みの掃雷艦。
 艦体番号は消されたが、微かに見える305番はつしま、です。

 特務艦はしだて。

 姉妹艦のやまぎり、ゆうぎり。

 自衛隊最大の護衛艦いずもの姿も見えます。


 以上、軍艦めぐりツアーから、でした。

富と夢の国の貧しい人々2016-10-04 22:28:07

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 この写真(↑)を、「アメリカ文化のヒーローたち」で、本間長世先生は以下のように評しました。
 「アーカンソー州で写した貧しい家族のやせた母親の長い大きな顔ににじむ困苦の表情は、さながら彼の絵画の作品に現れる顔の、ある種のものを思い起こさせる。」

 撮影したのはベン・シャーン、核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにしたシリーズなどにより、日本でもよく知られる画家、写真家です。


 第一次世界大戦によりヨーロッパは荒廃したものの、アメリカでは被害が限定的で、日本もそうでしたが、むしろ戦争特需により一時的な繁栄がもたされました。日本ではすぐにその反動で不景気になりましたが、アメリカではその繁栄が長く続き、その分、バブルがはじけ、1929年10月ニューヨーク株式市場の大暴落に始まった大恐慌は、凄まじい規模のものとなりました。
 なんと4年間で、工業生産が50%減り、1933年には失業者が1300万人に昇ったそうです。
 大恐慌がアメリカ社会に貧困をもたらし、特に南部の小作農民や最下層のプアホワイトたちは窮状に陥って、屋根も崩れているような家に住み、いつか衣食住がなんとか満たされるようなときが来ることを願うばかりでした。
 作家のアースキン・コールドウェルが述べたところによれば、子供たち栄養失調のために体型が歪み、女たちはぼろをまとって小銭を、男たち空腹に耐えかねて蛇、牛糞、粘土を食べるまでになったそうです。

 1932年、フランクリン・ルーズヴェルトが大統領になり、ほとんど伝説的とさえなったニューディール政策を掲げ、それまでは否定されてきた政府による経済介入を行いました。
 大統領のブレーントラストのひとり、グリーンベルト・タウン計画の責任者でもあった、元コロンビア大学教授のレックスフォード・ガイ・タグウェルは、ロイ・ストライカーを中心に写真家たちのチームを作りました。
  写真家たちはアメリカのあらゆる地域に出動し、大恐慌がアメリカ各地にどのような影響を及ぼしたか、再定住局や農場保障局がどんなプロジェクトを行ったかを示す写真を撮るように指示されました。
 当時農場保障局の別の課に雇われていたベン・シャーンは、1935年秋に南部を三ヶ月間旅行して撮影した写真も、ストライカーは歴史部のほうでも使わせてもらうようにしたようです。


 第二次世界大戦後、飢えに貧しさに苦しむ日本人は、通り行くアメリカ兵からチョコレートやガムをもらい、アメリカがどこまでも裕福で豊かな国だと思い描き、そのわずか十数年前、アメリカにかくも貧しく、悲惨な世界が存在したなど、まったく思いもしなかったのでしょう。

【素人写真】二月のある日2016-03-06 14:51:04

 山北町の洒水の滝、人影がなかったのです。











大正時代の皇居外苑馬場先門2014-04-30 23:13:45

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 棚を整理すると、古い便箋用紙のなかから、何枚かの絵葉書がこぼれて落ちました。
 はては、と思い出してみれば、どうやら何年か前に神田の古書街で求めて、その日のうちに変な場所に挟んでそのまま忘れてしまったものです。

 求めた際は気づかなかったが、この2枚、写っているのは同じ場所ではないかと、今日は眺めながら思いました。どちらも広々として、何より遠景の雰囲気が似ています。
 どうでも良いことではありましょうが、こういうときは、判然としないままで置いておくのはなんとなく精神衛生上良くなく、やはり確かめたくなります。ちょっとした歴史探偵ゲームのつもり、でもあります。

 上のほうは、場所を明記してあります。大正5年11月、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の立太子の礼の際の、馬場先奉祝門です。
 問題は下のほう、大正8年5月、帝都三大祝典の実況とありますが、どこを写したかは書いてありません。
 帝都三大祝典とは、大正8年の東宮殿下御成年式、東京市制三十年、遷都五十年を祝ったもので、大正8年5月7日から20日まで、東京各地区の交差点や橋などに奉祝門が飾られました。詳細は不明ですが、大小様々な奉祝門、その数は多いようです。

 20年前なら裏付けを取るのにもっと難儀していたかも知れませんが、そこはインターネット時代、グーグル先生に尋ねてみると、あっけなく答えがわかりました。
 こんなページが出てきました。「皇居前外苑の式典」
<http://www7b.biglobe.ne.jp/~ophl/koukyokasumigaseki/shikiten2/koukyo_saiten/index.html>

 上の写真はないですが、絵葉書がたくさんあって、「東宮殿下御成年式馬場先奉祝門光景」や「奠都五十年祭祝賀門夜景(馬場先)」に写っている門の形は、まさにそっくりです。
 ということで、歴史探偵ゲームはあっさり終わってしまいました。つい物足りなく思ってしまうほです。しかし、手色彩のほうで色が判明したのと、夜には灯を点していたことがわかったのが、想定外の収穫でした。

古い写真を眺めながら2012-12-03 22:13:24

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 上の写真はCorbisにあるものですが、Jill Jonesが撮影し、National Geographic誌(英語版)に掲載された、たぶん手彩色の写真です。
 正月の街をぶらりするMinstrels(吟遊詩人?)、という説明文がついています。大正年間の写真だと推測していますが、これは一体何でしょうか?

 ひとりが祝儀の口上を述べて、もうひとりが鼓を打つ、漫才の起源にもなった民俗芸能かも知れません(参考: <http://homepage1.nifty.com/zpe60314/ayose3.htm>)。
 もしくは、チンドン屋さんみたいなものかも知れません。

 Corbisにはほかにも何枚か、このJill Jones女史が残した貴重な写真があります。(<http://www.corbisimages.com/photographer/jill-jones>)
 また、ここにないですが、当時掲載されなかったほかの数枚の写真が、1999年12月号のNational Geographic誌日本語版に載っています。(これがいま手元にあります)
 どの写真も平和な暮らしを捉え、人々は笑みを浮かべたり、ほのぼのとしています。


 1910年(明治43年)に、National Geographic誌英語版に「日本の面影」を寄稿したウィリアム・チェイビンは、当時の日本人について、以下の記述を残しました。
 「世界でこれほど幸福で満足した人々が見いだせるだろうか。幸福を支えるこの国々の特筆は二つ。米国でさんざん語られながら実現にほど遠い簡素な生活と、自然美を愛し、他人へ思いやる心だ。」

 しかし、National Geographic誌の写真の中には、子守をする少女や、東京の市電の乗客に新聞を売る少年も写っています。当時、尋常小学校を卒業すれば奉公に出て、働く子供が多く、母親や弟妹と一緒に食事をするのも、かなり幼い頃までだったようです。
 また、大正5年の「婦人之友」の付録によれば、毎日の炊事と朝夕の掃除に6時間25分、洗濯に1時間13分、裁縫に2時間40分......と、家電製品が登場する前の主婦は、家事だけでも大変忙しかったようです。

 それでもやはりあの頃の日本は、幸せに見えたのでしょうか?

青春の影と光2012-07-18 22:37:34


 上の写真、シンディ・シャーマンの作品(Untitled #96、1981年)です。
 シンディ・シャーマンは1954年生まれ、セルフポートレイト、つまり作者自身を被写体にした写真作品を、多く残している写真家、美術作家です。

 この写真のなか、彼女の手が握っているのは、求人広告雑誌を切り取ったものらしいです。多少想像力を働かせば、都会に出てきた女の子が、思うように仕事を見つけられずにぐったりしてしまった、という情景を思い浮かぶこともできそうです。なんだか、悲しげな目をしています。

 しかし僕などから見れば、この悲しげな目さえも、ちょっとばかりまばゆくて、まぶしいものです。
 ちょっとしたことですぐに落ち込む青春時代は、一方で、未来への希望もたっぷり含んでいます。思い通りに行かないことは多々ありますが、決して諦めず、You can never never surrender! と歌い上げられるのも、若者の特権です。


 Corey Hartが歌う「Never surrender」を、僕が感激して聞いていたのは高校時代。なにくそ、頑張るぞ、と奮起したいときに口ずさみ、自分自身を鼓舞していました。
 

 その結果でうまく行ったかどうかは、すでに記憶にないです。
 絶望的に思えていたりしても、決して絶望的でなかったことだけは事実です。物質的に成功したというよりも、精神的には成功したつもりです。


 ちなみに、上のシンディ・シャーマンの写真は、昨年のとあるオークションで、3億1500万もの世界一の高値がついたそうです。彼女は物質的にも成功したようですね。

南の島にて2010-11-10 07:53:14


 インド洋の小さな島から日本に戻ってきて、そろそろ1週間が経とうとしています
 なぜ海がこんな色をしているかはよくわかりませんが、無修正です。歩いて一周しても10分は掛からない、本当に小さな島ですが、そこで見た海と星空の美しさは、後々まで忘れられそうにないものです。