鳴かぬなら 鳴かせてみせよう 鳩や亀 ― 2012-01-30 22:58:12
「亀鳴くや 皆愚なる 村のもの」と詠んだのは、高浜虚子です。
「亀鳴く」は、俳句では春の季語であり、歳時記にも載っています。しかし、果たして亀は本当に鳴くのでしょうか?
タイトルもずばり「亀が鳴く国~日本の風土と詩歌」(中西進 著、角川学芸出版 発行)という書物が、いま手元にあります。作者によれば、これこそは俳句の「エアポケット」というものです。
読者は亀が鳴くことなどありえないと決めかかっているから、作者は百も承知の上で、「亀が鳴きました。だから(あるいは、なのに)こうです」と言って、聞くほうは突然フェイントをかけられたような気がする、という理屈になります。
「いったい、だれがいつ、亀が鳴くなど言い出したのか。さらに、それに悪乗りして季語とさえ認定したのはいつのだれだ。歳時記によると、亀は春鳴くことになっている。なぜ春か、それらはいっさい不明のままに、現代にいたるまで、俳句はむしろ喜んで、亀の鳴く句を作っているように見える。」
「すばらしいではないか。この虚を遊ぶ文芸こそが俳句である。」
「亀鳴くや ひとりとなれば 意地も抜け」 (鈴木真砂女)
「亀鳴いて 椿山荘に 椿なし」 (菅裸馬)
「亀鳴くや 小説どれも 同じ型」 (高崎梨郷)
みんな意地が抜けた瞬間です。
例えば、大いに期待して読め始めた小説が型通りのつまらないもので、なんだとがっかりさせられた気持ちが、亀を鳴かせたそうです。
なるほど、と頷きながら読みました。
いや、いや、亀は鳴くものだ、と言っているのは、英国大使やモロッコ大使を歴任していた平原毅氏です。
蛙には共鳴袋、哺乳類には声帯、鳥類には鳴管があって、亀には何もないゆえ、亀は鳴かない、と「図説 俳句大歳時記」(角川書店)の解説・今泉吉典氏は根拠を挙げて力説していますが、それでもやはり実際に聞いたという人にはかなわないでしょう。
平原毅氏の「英国大使の博物誌」によれば、ヘルマン亀、ガラパゴス島の象亀はキーッと叫ぶような声を出し「私は自分の耳で聞いている」そうです。それと、日本の天然記念物である西表島の「せまるはこ亀」が鳴くのも聞いたことがあるそうです。
しかも、「いずれも愛の季節に、愛の行為の最中に、びっくりするほど大きなキーッという叫び声を出す」、とのことです。
「私は日本の『いし亀』や『くさ亀』が鳴くのを聞いたことはない。みみずが鳴くのは『おけら』の鳴き声のことだといわれるが、この『亀鳴く』もあるいは『おけら』の鳴き声を間違っているかも知れない。」と、作者は一応続けました。しかし、もしかして古では亀ももっと大声で遠慮なく鳴いていたかもしれません。
中国の古典で、僕が知るところでは、「唐書」に、「大和三年,魏博管內有虫,状如龜,其鳴晝夜不絕。」なる記述が見えます。
こうなったら、文明の利器?、YouTubeを探しましょう。そうしたら、象亀でなくても、普通に亀が鳴く映像がありました。
元大英博物館館長のサー・デイヴィド・ウイルソンが来日して、平原毅氏と酒を交わして歓談した折、確かに聖書にも亀の声が聞こえる、という表現がある、と言い出したそうです。
酒の席なので期待しなかったが、十日程して航空便で知らせが来て、それは旧約聖書の「ソロモン雅歌」第2章10~12だそうです。
「Rise up, my love, my fair one, and come away.
For, lo, the winter is past, the rain is over and gone;
The flowers appear on the earth; The time of the singing of birds is come, and the voice of turtle is heard in our land.」
なるほど、確かに「the voice of turtle」とあります。
いや、しかし、日本語訳ではどうなっているかと言いますと、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。
見よ、冬は過ぎ、
雨もやんで、すでに去り、
もろもろの花は地にあらわれ、
鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞こえる。」
あれ?亀が登場しないです。
ちなみに僕は中国語訳も探してみましたが、やはり亀は出てきません。
「我的佳偶 、我的美人 、起來、與我同去。
因為冬天已往、雨水止住過去了
地上百花開放、百鳥鳴叫的時候已經來到、斑鳩的聲音在我們 境內也聽見了。 」
なんのことはなく、平原毅氏の調べによれば、単にサー・デイヴィド・ウイルソンの勘違いです。
もちろん英語で「亀」のことを「turtle」と書きますが、これは通俗ラテン語の「tartuga」に由来するフランス語の「tortue」から英語に入ってきた単語です。別にラテン語の「turtur」から古代英語の「turtla」になり、さらに「turtle」になった鳥もいます。綴りも発音も「亀」と同じですが、正確には「turtledove」と呼び、和名では「こきじばと」というものだそうです。
大英博物館の館長を務めたほどの知識人でも、イギリスにはまったく棲息していない亀は、あまり知らないようです。
皆愚かなる、とは、巨匠は厳しいです。
「亀鳴く」は、俳句では春の季語であり、歳時記にも載っています。しかし、果たして亀は本当に鳴くのでしょうか?
タイトルもずばり「亀が鳴く国~日本の風土と詩歌」(中西進 著、角川学芸出版 発行)という書物が、いま手元にあります。作者によれば、これこそは俳句の「エアポケット」というものです。
読者は亀が鳴くことなどありえないと決めかかっているから、作者は百も承知の上で、「亀が鳴きました。だから(あるいは、なのに)こうです」と言って、聞くほうは突然フェイントをかけられたような気がする、という理屈になります。
「いったい、だれがいつ、亀が鳴くなど言い出したのか。さらに、それに悪乗りして季語とさえ認定したのはいつのだれだ。歳時記によると、亀は春鳴くことになっている。なぜ春か、それらはいっさい不明のままに、現代にいたるまで、俳句はむしろ喜んで、亀の鳴く句を作っているように見える。」
「すばらしいではないか。この虚を遊ぶ文芸こそが俳句である。」
「亀鳴くや ひとりとなれば 意地も抜け」 (鈴木真砂女)
「亀鳴いて 椿山荘に 椿なし」 (菅裸馬)
「亀鳴くや 小説どれも 同じ型」 (高崎梨郷)
みんな意地が抜けた瞬間です。
例えば、大いに期待して読め始めた小説が型通りのつまらないもので、なんだとがっかりさせられた気持ちが、亀を鳴かせたそうです。
なるほど、と頷きながら読みました。
いや、いや、亀は鳴くものだ、と言っているのは、英国大使やモロッコ大使を歴任していた平原毅氏です。
蛙には共鳴袋、哺乳類には声帯、鳥類には鳴管があって、亀には何もないゆえ、亀は鳴かない、と「図説 俳句大歳時記」(角川書店)の解説・今泉吉典氏は根拠を挙げて力説していますが、それでもやはり実際に聞いたという人にはかなわないでしょう。
平原毅氏の「英国大使の博物誌」によれば、ヘルマン亀、ガラパゴス島の象亀はキーッと叫ぶような声を出し「私は自分の耳で聞いている」そうです。それと、日本の天然記念物である西表島の「せまるはこ亀」が鳴くのも聞いたことがあるそうです。
しかも、「いずれも愛の季節に、愛の行為の最中に、びっくりするほど大きなキーッという叫び声を出す」、とのことです。
「私は日本の『いし亀』や『くさ亀』が鳴くのを聞いたことはない。みみずが鳴くのは『おけら』の鳴き声のことだといわれるが、この『亀鳴く』もあるいは『おけら』の鳴き声を間違っているかも知れない。」と、作者は一応続けました。しかし、もしかして古では亀ももっと大声で遠慮なく鳴いていたかもしれません。
中国の古典で、僕が知るところでは、「唐書」に、「大和三年,魏博管內有虫,状如龜,其鳴晝夜不絕。」なる記述が見えます。
こうなったら、文明の利器?、YouTubeを探しましょう。そうしたら、象亀でなくても、普通に亀が鳴く映像がありました。
元大英博物館館長のサー・デイヴィド・ウイルソンが来日して、平原毅氏と酒を交わして歓談した折、確かに聖書にも亀の声が聞こえる、という表現がある、と言い出したそうです。
酒の席なので期待しなかったが、十日程して航空便で知らせが来て、それは旧約聖書の「ソロモン雅歌」第2章10~12だそうです。
「Rise up, my love, my fair one, and come away.
For, lo, the winter is past, the rain is over and gone;
The flowers appear on the earth; The time of the singing of birds is come, and the voice of turtle is heard in our land.」
なるほど、確かに「the voice of turtle」とあります。
いや、しかし、日本語訳ではどうなっているかと言いますと、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。
見よ、冬は過ぎ、
雨もやんで、すでに去り、
もろもろの花は地にあらわれ、
鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞こえる。」
あれ?亀が登場しないです。
ちなみに僕は中国語訳も探してみましたが、やはり亀は出てきません。
「我的佳偶 、我的美人 、起來、與我同去。
因為冬天已往、雨水止住過去了
地上百花開放、百鳥鳴叫的時候已經來到、斑鳩的聲音在我們 境內也聽見了。 」
なんのことはなく、平原毅氏の調べによれば、単にサー・デイヴィド・ウイルソンの勘違いです。
もちろん英語で「亀」のことを「turtle」と書きますが、これは通俗ラテン語の「tartuga」に由来するフランス語の「tortue」から英語に入ってきた単語です。別にラテン語の「turtur」から古代英語の「turtla」になり、さらに「turtle」になった鳥もいます。綴りも発音も「亀」と同じですが、正確には「turtledove」と呼び、和名では「こきじばと」というものだそうです。
大英博物館の館長を務めたほどの知識人でも、イギリスにはまったく棲息していない亀は、あまり知らないようです。
皆愚かなる、とは、巨匠は厳しいです。
【翻訳練習 (日→中)】昔から雨が降ってくる ― 2011-06-28 01:53:15
いつものようにwhyさんのブログを眺めていたら、中島みゆきの歌詞を中国語に翻訳されているのを見つけました(http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj/60615579.html#60617634)。
どうやら元は、塵さんが先に訳されていたようで(http://blogs.yahoo.co.jp/sea85419sen/archive/2011/06/19)、いわば競作?です。
whyさんの訳も、塵さんの訳も、さすがにプロだけに、それは実に素晴らしいものです。あえて顰みに倣い、素人なりに訳してみたいと思いました。
推敲はあまりできていないですが、素朴な原詩から、素直に思いつく言葉を並べると、このようになりました。
-----------------------------------------------------
「雨總是下不停」 ~中島みゆき
以前 我好像是池辺的一棵樹
只懂得要把手伸向遙遠的天際 是一棵無奈的樹
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
以前 我好像是海辺的一尾魚
只想著如何学会説出心裏的話 是一尾寂寞的魚
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
以前 這裡有大恐龍 還有小恐龍
是不是也如此仰頭看著雨 是不是也如此垂頭被雨打
雨珠不停地飄落
雨總是下不停
以前 我好像是崖辺的一隻虫
只知道朝著遙遠森林的那頭走 是一隻虔誠的虫
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
雨珠不停地飄落
令人千思萬想的雨
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どうやら元は、塵さんが先に訳されていたようで(http://blogs.yahoo.co.jp/sea85419sen/archive/2011/06/19)、いわば競作?です。
whyさんの訳も、塵さんの訳も、さすがにプロだけに、それは実に素晴らしいものです。あえて顰みに倣い、素人なりに訳してみたいと思いました。
推敲はあまりできていないですが、素朴な原詩から、素直に思いつく言葉を並べると、このようになりました。
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「雨總是下不停」 ~中島みゆき
以前 我好像是池辺的一棵樹
只懂得要把手伸向遙遠的天際 是一棵無奈的樹
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
以前 我好像是海辺的一尾魚
只想著如何学会説出心裏的話 是一尾寂寞的魚
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
以前 這裡有大恐龍 還有小恐龍
是不是也如此仰頭看著雨 是不是也如此垂頭被雨打
雨珠不停地飄落
雨總是下不停
以前 我好像是崖辺的一隻虫
只知道朝著遙遠森林的那頭走 是一隻虔誠的虫
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
雨珠不停地飄落
令人千思萬想的雨
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媽祖祭(2) ― 2011-06-14 01:28:30
日本の領土として統治を受けていた時代、台湾における日本語文学を語るうえ、避けて通れないのが西川満です。
西川満の功過は語るに難しく、台湾文壇を牛耳るやり方には批判の声も多かったようです。しかし、二十代に書かれたこの「媽祖祭」の詩は台湾語(閩南語)のフレーズを多用し、絢爛たるエキゾチシズムを醸し出し、僕は好きです。
西川満の功過は語るに難しく、台湾文壇を牛耳るやり方には批判の声も多かったようです。しかし、二十代に書かれたこの「媽祖祭」の詩は台湾語(閩南語)のフレーズを多用し、絢爛たるエキゾチシズムを醸し出し、僕は好きです。
大筍五本 ― 2011-05-07 11:31:00
いつの間にか立夏となりましたが、冬の小雨と春の低温が原因で、今年はタケノコがちょっと遅め、今になってたくさん出ていると人から聞きました。
「雨後春筍」と熟語にありますが、そもそもタケノコは歳時記のうえでは夏の食べ物、俳句だと夏の季語になります。
「筍が竹とならんず梅雨晴れの山いつぱいにひそめる力」
これは大正期の歌人・岩谷莫哀の歌で、国会図書館近代デジタルライブラリーで見付けました(<http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018239>)。シンプルですが、山いっぱいに力を貯めている出ようとするタケノコが見えてきそうで、僕にはおもしろいです。
これも梅雨晴れのときに詠んだものですね。
京都の早掘りなど、春先どころか寒中からタケノコは食べられます。
「その味は出盛りの季節の美味ではないが、これはこれで一種捨てがたい風味があって、十分珍重に価する。」と、食通で知られる北大路魯山人は言っていました。
中国浙西省の溪口鎮は竹林とタケノコの生産で知られています。規模では較べようもないかと思いますが、台湾嘉義縣の溪口郷にも竹林があって、やはりタケノコが名産のひとつになっています。
幼いとき、親に連れられて一泊の旅に行ったことがありますが、早朝の霧のなかの竹林の幽玄なこと、昼に食べた筍つくし料理の美味なこと、どっちも忘れられません。
そのとき食べたのは、ほとんどは真竹だったと思います。
日本でいま食されるタケノコは、例の二十四孝の孟宗に因む孟宗竹がほとんどですが、そこまで肉厚でない真竹の筍も、野趣があって美味しいと思います。
そもそも孟宗竹は、文久元年琉球を経由して中国より伝来したそうで、その前の時代だと、例えば其角が読んだ「老僧の筍をかむなみだ哉」なども、孟宗竹ではなく、たぶん真竹だと思われます。
真竹は孟宗竹より季節が遅く、昔の歳時記で夏に分類するのも合点がいきます。
江戸初期はというと、こちらも孟宗竹ではなかったと思いますが、木下長嘯子が石川丈山に筍を送り、しゃれた和歌を付けた話は、なかなかおもしろいと思います。
「谷のかけ 軒のなてしこ 今さきつ
常より君を くやと待ける」
「たけのこいつゝをくるといふを句の上下をきて 石川丈山翁のもとへつかはしける」ともあるので、これは五七五七七のそれぞれの句の上下一字ずつ取って、「た・け・の・こ・い・つ・つ・を・く・る」と読ませる遊びです。
漢詩の名人で知られる石川丈山は、即座に詩を賦して返したそうです。
「二人相連欠其一
旬日竹友消日彩
欲語無口亦無言
全躰忘身何有待」
こちらは全体が字謎、各句にひと文字ずつを当てているようです。
例えば起句の「二人相連欠其一」は、「二」と「人」をつなげた「夫」から「一」が欠けるので、「大」という字になる、といった具合です。
「雨後春筍」と熟語にありますが、そもそもタケノコは歳時記のうえでは夏の食べ物、俳句だと夏の季語になります。
「筍が竹とならんず梅雨晴れの山いつぱいにひそめる力」
これは大正期の歌人・岩谷莫哀の歌で、国会図書館近代デジタルライブラリーで見付けました(<http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018239>)。シンプルですが、山いっぱいに力を貯めている出ようとするタケノコが見えてきそうで、僕にはおもしろいです。
これも梅雨晴れのときに詠んだものですね。
京都の早掘りなど、春先どころか寒中からタケノコは食べられます。
「その味は出盛りの季節の美味ではないが、これはこれで一種捨てがたい風味があって、十分珍重に価する。」と、食通で知られる北大路魯山人は言っていました。
中国浙西省の溪口鎮は竹林とタケノコの生産で知られています。規模では較べようもないかと思いますが、台湾嘉義縣の溪口郷にも竹林があって、やはりタケノコが名産のひとつになっています。
幼いとき、親に連れられて一泊の旅に行ったことがありますが、早朝の霧のなかの竹林の幽玄なこと、昼に食べた筍つくし料理の美味なこと、どっちも忘れられません。
そのとき食べたのは、ほとんどは真竹だったと思います。
日本でいま食されるタケノコは、例の二十四孝の孟宗に因む孟宗竹がほとんどですが、そこまで肉厚でない真竹の筍も、野趣があって美味しいと思います。
そもそも孟宗竹は、文久元年琉球を経由して中国より伝来したそうで、その前の時代だと、例えば其角が読んだ「老僧の筍をかむなみだ哉」なども、孟宗竹ではなく、たぶん真竹だと思われます。
真竹は孟宗竹より季節が遅く、昔の歳時記で夏に分類するのも合点がいきます。
江戸初期はというと、こちらも孟宗竹ではなかったと思いますが、木下長嘯子が石川丈山に筍を送り、しゃれた和歌を付けた話は、なかなかおもしろいと思います。
「谷のかけ 軒のなてしこ 今さきつ
常より君を くやと待ける」
「たけのこいつゝをくるといふを句の上下をきて 石川丈山翁のもとへつかはしける」ともあるので、これは五七五七七のそれぞれの句の上下一字ずつ取って、「た・け・の・こ・い・つ・つ・を・く・る」と読ませる遊びです。
漢詩の名人で知られる石川丈山は、即座に詩を賦して返したそうです。
「二人相連欠其一
旬日竹友消日彩
欲語無口亦無言
全躰忘身何有待」
こちらは全体が字謎、各句にひと文字ずつを当てているようです。
例えば起句の「二人相連欠其一」は、「二」と「人」をつなげた「夫」から「一」が欠けるので、「大」という字になる、といった具合です。
玉兎の春 ― 2011-02-19 00:42:52
石川雅望がお上のお咎めを受けて江戸を追われた後、宿屋飯盛の代わりに「伯楽連」をまめたのは、同じく四方赤良(大田南畝)門下で狂歌を学んだ、1歳年下の岸識之です。
通称は岸宇右衛門、狂歌名は頭光と言います。聖人から発せられる光背の頭光(ずこう)のほうではなく、読み方は「つぶらのひかる」、若ハゲであったゆえんです。
頭光は軽快で大らかな詠み口を身上とし、「花の山色紙短冊酒さかな入相のかねにしめて何程」、「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」、「月みても更に話句なかりけり世界の人の秋と思へば」、などがその作品です。
日本橋亀井町に生まれ、長じて亀井町の町役人となり、生粋の江戸っ子、日本橋っ子でした。彼にはこんな歌もありました:
「我ら団十郎ひいきにて生国は花のお江戸のまん中」
団十郎とは、むろん歌舞伎の市川団十郎を指し、団十郎は江戸の昔から筆頭役者でした。初代は元禄年間の人で、頭光の時代はと言えば、名人の誉れ高い五代目が活躍していました。
五代目の団十郎は荒事、和事とも堪能で、舞踊にも秀で、敵役、実悪、女形など、ひとりで何役も演じて見せたと言います。
また、文才もあって、四方赤良ら文化人との交流を持ち、自らも「花道のつらね」の名で狂歌を詠みました。頭光がひいきするのもむべなるかなです。
寛政八年に一時引退し、成田屋七左衛門と名を改め、向島に草屋を建て、好きな俳諧、狂歌を作り、質実な隠居生活を送っていました。
花道のつらねが詠んだ歌で有名なのは、
「たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くふめし」
華やかな舞台で見栄を切る姿は影もなく、毎日三度の飯など、平凡な楽しみを歌っています。それでいて実に決まっていて、気に入っています。
関係ないですが、いまから十数年前、この歌を一文字だけ変えて、敬愛する友人夫婦に送りました。
「たのしみは春の桜に秋の菊 夫婦仲良く三度くふめし」
友人の夫婦はともに競馬キチで、桜花賞と菊花賞は欠かせないだろうと思ったためです。名優には失礼だったかも知れません。
花道のつらねの歌を検索して、もうひとつ見つかりました:
「をそろしき寅の年の尾ふみこえて光のどけき玉の卯の春」
恐ろしかったかどうかは別として、虎年の尾をなんとか踏み越えて、兎年を迎えているのは、ちょうどいまと同じです。
僕のつぶらのひかり、いや、間違いました。のどかに射る春の光が、じきに訪れて来ることを、いまかと心待ちしています。
通称は岸宇右衛門、狂歌名は頭光と言います。聖人から発せられる光背の頭光(ずこう)のほうではなく、読み方は「つぶらのひかる」、若ハゲであったゆえんです。
頭光は軽快で大らかな詠み口を身上とし、「花の山色紙短冊酒さかな入相のかねにしめて何程」、「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」、「月みても更に話句なかりけり世界の人の秋と思へば」、などがその作品です。
日本橋亀井町に生まれ、長じて亀井町の町役人となり、生粋の江戸っ子、日本橋っ子でした。彼にはこんな歌もありました:
「我ら団十郎ひいきにて生国は花のお江戸のまん中」
団十郎とは、むろん歌舞伎の市川団十郎を指し、団十郎は江戸の昔から筆頭役者でした。初代は元禄年間の人で、頭光の時代はと言えば、名人の誉れ高い五代目が活躍していました。
五代目の団十郎は荒事、和事とも堪能で、舞踊にも秀で、敵役、実悪、女形など、ひとりで何役も演じて見せたと言います。
また、文才もあって、四方赤良ら文化人との交流を持ち、自らも「花道のつらね」の名で狂歌を詠みました。頭光がひいきするのもむべなるかなです。
寛政八年に一時引退し、成田屋七左衛門と名を改め、向島に草屋を建て、好きな俳諧、狂歌を作り、質実な隠居生活を送っていました。
花道のつらねが詠んだ歌で有名なのは、
「たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くふめし」
華やかな舞台で見栄を切る姿は影もなく、毎日三度の飯など、平凡な楽しみを歌っています。それでいて実に決まっていて、気に入っています。
関係ないですが、いまから十数年前、この歌を一文字だけ変えて、敬愛する友人夫婦に送りました。
「たのしみは春の桜に秋の菊 夫婦仲良く三度くふめし」
友人の夫婦はともに競馬キチで、桜花賞と菊花賞は欠かせないだろうと思ったためです。名優には失礼だったかも知れません。
花道のつらねの歌を検索して、もうひとつ見つかりました:
「をそろしき寅の年の尾ふみこえて光のどけき玉の卯の春」
恐ろしかったかどうかは別として、虎年の尾をなんとか踏み越えて、兎年を迎えているのは、ちょうどいまと同じです。
僕のつぶらのひかり、いや、間違いました。のどかに射る春の光が、じきに訪れて来ることを、いまかと心待ちしています。
府中の豆 ~お代わりをお持ちしました ― 2011-02-14 07:54:32
曹植に話を戻しますが、「洛神賦」のような傑作を残し、その詩文が高く称賛されているものの、本人は「吾雖德薄,位為蕃侯,猶幾戮力上國,流惠下民,建永世之業,留金石之功。」と語ったように、文学者としての高名よりも、政事での活躍を望んでいたようです。
ある意味では兄の曹丕と好対照です。文学的な名声は弟に及ばないですが、曹丕は「典論」論文で文学の重要性を謳い、後世に大きな影響を与えました。
「蓋文章,經國之大業,不朽之盛事。年壽有時而盡,榮樂止乎其身,二者必至之常期,未若文章之無窮。」
台湾で高校を通っていた頃、この文章が国語の教科書に載っていたが、経国の大業、不朽の盛事とは、なかなか気合いが入っているな、と感心ました。
日本においては、時代は下りますが、かの「古今和歌集」の仮名序が、ようやく匹敵できるのではないでしょうか?
「力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」
裂ぱくの気合が感じられ、この紀貫之の序文も好きです。
もっともこう大上段に構えられ、いつも「文以載道」で迫られると、息苦しくなる書き手もいるはずです。戯文、洒落、息抜き、エンターテイメントとしての文学もいろいろありますから。
「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」
江戸時代、宿屋飯盛という人が詠った狂歌です。天地が一々動かされてはたまらないから、歌詠みは下手で結構、古今の序文をふまえた上で斜めに構えた、捧腹絶倒に値する傑作だと思いませんか。
この宿屋飯盛はただ者ではありません。
通称を石川五郎兵衛、雅号を石川雅望と言い、狂歌師にして国学者であり、そして小伝馬町の「糠屋(こぬかや)」という旅籠のあるじです。
国学では古語辞典の「雅言集覧」や源氏物語の研究書「源註余滴」でいまも知られていますが、狂歌は大田南畝に学び、好きが高じて仲間を集め、「伯楽連」なる狂歌の連を作りました。「伯楽」の名は、連中に小伝馬町や馬喰町の人が多かったからでしょうが、近くに北町奉行があり、訴訟で上京する人のための公事宿が多かったようです。糠屋もそのひとつ、狂歌名の「宿屋飯盛」はその本業に因んだものです。
「初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る」、「世わたりの道にふたつの追分や、たからの山に借銭のやま。」などが、宿屋飯盛が詠んだ歌です。
悪質な公事師の尻押しをしたという疑いで、石川雅望は江戸払いとなりました。
時は寛政三年、江戸を追われた石川雅望は宿屋を廃業して、府中で住まいを構えました。
府中は東京都の地理的中心にあり、いま東京競馬場がある町で、僕もまめに通っていました。「伯楽連」とは「馬」でつながった、と言いたくもなりますが、江戸の町民の交通手段は足、大江戸と言えども西は新宿あたりまで、府中は日本橋から二日脚、現代人の感覚ではわからない距離にあり、辺鄙な地でした。
ある日、大田南畝が訪ねてきました。弟子の境遇を見て、泣きながら歌を詠みました。
「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」
ふちうは「府中」であって、「釜中」です。健康の意のまめと足のまめを表現しながら、曹植の七歩の詩をふまえ、「釜中」に「府中」を引っかけたのであります。
出久根達郎のエッセイで書かれていますが、まめは真面目の意味もあり、石川の無実も言外訴えていたかも知れません。
ある意味では兄の曹丕と好対照です。文学的な名声は弟に及ばないですが、曹丕は「典論」論文で文学の重要性を謳い、後世に大きな影響を与えました。
「蓋文章,經國之大業,不朽之盛事。年壽有時而盡,榮樂止乎其身,二者必至之常期,未若文章之無窮。」
台湾で高校を通っていた頃、この文章が国語の教科書に載っていたが、経国の大業、不朽の盛事とは、なかなか気合いが入っているな、と感心ました。
日本においては、時代は下りますが、かの「古今和歌集」の仮名序が、ようやく匹敵できるのではないでしょうか?
「力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」
裂ぱくの気合が感じられ、この紀貫之の序文も好きです。
もっともこう大上段に構えられ、いつも「文以載道」で迫られると、息苦しくなる書き手もいるはずです。戯文、洒落、息抜き、エンターテイメントとしての文学もいろいろありますから。
「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」
江戸時代、宿屋飯盛という人が詠った狂歌です。天地が一々動かされてはたまらないから、歌詠みは下手で結構、古今の序文をふまえた上で斜めに構えた、捧腹絶倒に値する傑作だと思いませんか。
この宿屋飯盛はただ者ではありません。
通称を石川五郎兵衛、雅号を石川雅望と言い、狂歌師にして国学者であり、そして小伝馬町の「糠屋(こぬかや)」という旅籠のあるじです。
国学では古語辞典の「雅言集覧」や源氏物語の研究書「源註余滴」でいまも知られていますが、狂歌は大田南畝に学び、好きが高じて仲間を集め、「伯楽連」なる狂歌の連を作りました。「伯楽」の名は、連中に小伝馬町や馬喰町の人が多かったからでしょうが、近くに北町奉行があり、訴訟で上京する人のための公事宿が多かったようです。糠屋もそのひとつ、狂歌名の「宿屋飯盛」はその本業に因んだものです。
「初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る」、「世わたりの道にふたつの追分や、たからの山に借銭のやま。」などが、宿屋飯盛が詠んだ歌です。
悪質な公事師の尻押しをしたという疑いで、石川雅望は江戸払いとなりました。
時は寛政三年、江戸を追われた石川雅望は宿屋を廃業して、府中で住まいを構えました。
府中は東京都の地理的中心にあり、いま東京競馬場がある町で、僕もまめに通っていました。「伯楽連」とは「馬」でつながった、と言いたくもなりますが、江戸の町民の交通手段は足、大江戸と言えども西は新宿あたりまで、府中は日本橋から二日脚、現代人の感覚ではわからない距離にあり、辺鄙な地でした。
ある日、大田南畝が訪ねてきました。弟子の境遇を見て、泣きながら歌を詠みました。
「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」
ふちうは「府中」であって、「釜中」です。健康の意のまめと足のまめを表現しながら、曹植の七歩の詩をふまえ、「釜中」に「府中」を引っかけたのであります。
出久根達郎のエッセイで書かれていますが、まめは真面目の意味もあり、石川の無実も言外訴えていたかも知れません。
釜中の豆 ~「相思」から「相煎」 ― 2011-02-13 23:20:44
またまたsharonさんのブログで見かけたものですが、王菲が歌う「紅豆」という曲を紹介されています(http://daybydayon.exblog.jp/12055568/)。ありふれた中華系バラードのようでいて、うまくデリケードさを醸し出す歌い手の力も相まって、いい雰囲気に仕上がっています。
この歌を知らなかったのは僕が無知なだけ、簡単に調べましたが、中華圏では大流行したヒット曲だし、作詞した林夕という方も、多産をもって知られる超売れっ子作詞家であるようです。
「還沒好好的感受雪花綻放的氣候, 我們一起顫抖, 會更明白什么是溫柔......」と歌い出す一番は、まあこれと言って難解なフレーズはないですが、二番の歌い出しの「還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口, 然后一起分享, 會更明白相思的哀愁......」のところ、なぜ「把紅豆熬成纏綿的傷口」なのか、不思議で気になっていました。
あずきを煮詰めたらぜんざい、まさかあれを傷口に塗るのか、などとバカなことを考えていたら、答えはsharonさんから教えて頂きました。
「紅豆最相思」か、なるほど、あずきではないですね。前にchococoさんのところで書かれた話(http://blogs.yahoo.co.jp/chococo_latte/33672060.html)も、いまさらながら思い出し、かろうじて合点となりました。
賈宝玉が即興で詠った「紅豆曲」も読み直しましたが、「滴不尽相思血涙拋紅豆...」のくだり、、ままならぬ思いがつい詰まって、「相思」の記念に渡された紅豆まで投げ出したのでしょうか?
罪のない紅豆がこうして放り出されるのは、「紅豆最相思」だと言い切り、なんだかんだ流行らせた、千四百年前の大詩人・王維にも幾分の責任があるように思えます。
紅豆生南国
春来発幾枝
願君多采摘
此物最相思
王維の紅豆詞の以外、豆に関する古詩で有名なのがもうひとつ、例の曹植の「七歩の詩」も思い出されます。
煮豆持作羹
漉豉以爲汁
萁向釜下然
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急
「煮豆燃豆萁,豆在釜中泣。 本是同根生,相煎何太急。」とする書物もありますが、どちらにしても根本は同じ、ポイントは後半の「本是同根生,相煎何太急」です。本来相い思うべき兄弟は、こちらは相い煎(に)ることになってしまいました。
皇帝である兄・曹丕が聞いて、慚愧の色を隠せず、それ以上の迫害を与えなかったのですから、言ってみれば、曹植のトンチが身を救った、ということになります。
話が脱線気味ですが、釜中の豆でつい思い出したのがもうひとつ、落語の話です。手元に資料がないですが、大筋は以下のように覚えています:
寺の大釜のなかに、味噌を作るための豆が大量に煮られています。
良い匂いがしてきて、和尚さんが食べたくなったが、なにぶん小僧の前でつまみ食っては示しがつかないので、小僧を用事に出しました。小僧が戻ってきても見られないように、思案したあげく、どんぶりにみそ豆を盛って、ひとりで隠れて食べる事にしました。
帰ってきた小僧は、こちらはこちらで和尚さんがいないのを良いことに、みそ豆をつまみ食いし始めました。しかし食べているところをもし見つかると大変なので、やはりどこか良い場所がないかと考えました。
意を決して、小僧は豆をどんぶりに山盛りして、臭いのを我慢すればと心ウキウキして向かったのは雪隠、すなわち便所です。
で、便所の扉を開けてみたら、びっくり、和尚さんがしゃかんで豆を食べているのでないですか。和尚さんも仰天したが、小僧はそれ以上に慌ててしまい、思わず「お、お代わりをお持ちしました」、と。
こちらのトンチが、結局身を救ったかどうか、落ちのあとなので、定かでないのは言うまでもありませんが。
この歌を知らなかったのは僕が無知なだけ、簡単に調べましたが、中華圏では大流行したヒット曲だし、作詞した林夕という方も、多産をもって知られる超売れっ子作詞家であるようです。
「還沒好好的感受雪花綻放的氣候, 我們一起顫抖, 會更明白什么是溫柔......」と歌い出す一番は、まあこれと言って難解なフレーズはないですが、二番の歌い出しの「還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口, 然后一起分享, 會更明白相思的哀愁......」のところ、なぜ「把紅豆熬成纏綿的傷口」なのか、不思議で気になっていました。
あずきを煮詰めたらぜんざい、まさかあれを傷口に塗るのか、などとバカなことを考えていたら、答えはsharonさんから教えて頂きました。
「紅豆最相思」か、なるほど、あずきではないですね。前にchococoさんのところで書かれた話(http://blogs.yahoo.co.jp/chococo_latte/33672060.html)も、いまさらながら思い出し、かろうじて合点となりました。
賈宝玉が即興で詠った「紅豆曲」も読み直しましたが、「滴不尽相思血涙拋紅豆...」のくだり、、ままならぬ思いがつい詰まって、「相思」の記念に渡された紅豆まで投げ出したのでしょうか?
罪のない紅豆がこうして放り出されるのは、「紅豆最相思」だと言い切り、なんだかんだ流行らせた、千四百年前の大詩人・王維にも幾分の責任があるように思えます。
紅豆生南国
春来発幾枝
願君多采摘
此物最相思
王維の紅豆詞の以外、豆に関する古詩で有名なのがもうひとつ、例の曹植の「七歩の詩」も思い出されます。
煮豆持作羹
漉豉以爲汁
萁向釜下然
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急
「煮豆燃豆萁,豆在釜中泣。 本是同根生,相煎何太急。」とする書物もありますが、どちらにしても根本は同じ、ポイントは後半の「本是同根生,相煎何太急」です。本来相い思うべき兄弟は、こちらは相い煎(に)ることになってしまいました。
皇帝である兄・曹丕が聞いて、慚愧の色を隠せず、それ以上の迫害を与えなかったのですから、言ってみれば、曹植のトンチが身を救った、ということになります。
話が脱線気味ですが、釜中の豆でつい思い出したのがもうひとつ、落語の話です。手元に資料がないですが、大筋は以下のように覚えています:
寺の大釜のなかに、味噌を作るための豆が大量に煮られています。
良い匂いがしてきて、和尚さんが食べたくなったが、なにぶん小僧の前でつまみ食っては示しがつかないので、小僧を用事に出しました。小僧が戻ってきても見られないように、思案したあげく、どんぶりにみそ豆を盛って、ひとりで隠れて食べる事にしました。
帰ってきた小僧は、こちらはこちらで和尚さんがいないのを良いことに、みそ豆をつまみ食いし始めました。しかし食べているところをもし見つかると大変なので、やはりどこか良い場所がないかと考えました。
意を決して、小僧は豆をどんぶりに山盛りして、臭いのを我慢すればと心ウキウキして向かったのは雪隠、すなわち便所です。
で、便所の扉を開けてみたら、びっくり、和尚さんがしゃかんで豆を食べているのでないですか。和尚さんも仰天したが、小僧はそれ以上に慌ててしまい、思わず「お、お代わりをお持ちしました」、と。
こちらのトンチが、結局身を救ったかどうか、落ちのあとなので、定かでないのは言うまでもありませんが。
嫌というほど好き、死ぬほど生きてほしかった ― 2011-02-03 07:41:20
7時前、カーテンの隙間に漏れる朝日が目に入って、春を感じました。
冬眠中のクマが目覚めた、というわけではありません。早朝の相変わらずの寒さの向こうに、生気がかすかに芽生え、うごめき始めたような気がしました。
中華圏では春節とも呼び、今日は旧正月です。
映画「非誠勿擾」のエンディングテーマ曲「最好不相見」を、sharonさんがブログで紹介しています(http://daybydayon.exblog.jp/12032161/)。本編は未見ですが、美しい風景をバックに歌われたこの歌詞がおもしろくて、以下転載させて頂きました。
最好不相見,便可不相戀
最好不相知,便可不相思
最好不相伴,便可不相欠
最好不相惜,便可不相憶
最好不相愛,便可不相棄
最好不相對,便可不相會
最好不相誤,便可不相負
最好不相許,便可不相續
但曾相見便相知,相見何如不見時
安得與君相訣絕,免教生死作相思
出会わなければ良かった、愛し合わなければよかった、口では言っても、本心は逆なのでしょうね。
大人になって、平和な国で普通に暮らしていたら、そうそう感情の起伏が訪れることはないかも知れません。しかし、人間というものは、気持ちが、生活が安定しているだけで、幸せだと心底感じられるように出来ていないものです。
反語です。嫌いと言うのは好きである裏返し、嫌になっちゃうほど好きです。早く忘れてしまいたいと嘆くのは、大概は夢寐にも忘れられない人です。
「世の中は色と酒とが敵なり どうぞ敵にめぐりあいたい」
四方赤良(大田南畝)のように、素直に唄えればいいのですが、なかなかそうはいかないのが人間の感情、機微の難しいところです。
山本夏彦の「死ぬの大好き」もウソですし、沢木耕太郎の随筆を読んで知りましたが、デキシーランド・ジャズのスタンダートに「I'll Be Glad When You're Dead, You Rascal You !」という長い題名の曲があります。
この古い演奏もそうですが、かなり陽気な曲です。
しかしこれは葬式、葬送の歌なのです。
タイトルは訳せば、「お前が死んじまって俺はうれしいぜ、この馬鹿野郎が!」となりますか。
男が本当に大切な友を送り出すとき、これ以外の感情表現はできない、悲しみを口にしたらやるせなくなる、そういうことはあるのでしょう。
冬眠中のクマが目覚めた、というわけではありません。早朝の相変わらずの寒さの向こうに、生気がかすかに芽生え、うごめき始めたような気がしました。
中華圏では春節とも呼び、今日は旧正月です。
映画「非誠勿擾」のエンディングテーマ曲「最好不相見」を、sharonさんがブログで紹介しています(http://daybydayon.exblog.jp/12032161/)。本編は未見ですが、美しい風景をバックに歌われたこの歌詞がおもしろくて、以下転載させて頂きました。
最好不相見,便可不相戀
最好不相知,便可不相思
最好不相伴,便可不相欠
最好不相惜,便可不相憶
最好不相愛,便可不相棄
最好不相對,便可不相會
最好不相誤,便可不相負
最好不相許,便可不相續
但曾相見便相知,相見何如不見時
安得與君相訣絕,免教生死作相思
出会わなければ良かった、愛し合わなければよかった、口では言っても、本心は逆なのでしょうね。
大人になって、平和な国で普通に暮らしていたら、そうそう感情の起伏が訪れることはないかも知れません。しかし、人間というものは、気持ちが、生活が安定しているだけで、幸せだと心底感じられるように出来ていないものです。
反語です。嫌いと言うのは好きである裏返し、嫌になっちゃうほど好きです。早く忘れてしまいたいと嘆くのは、大概は夢寐にも忘れられない人です。
「世の中は色と酒とが敵なり どうぞ敵にめぐりあいたい」
四方赤良(大田南畝)のように、素直に唄えればいいのですが、なかなかそうはいかないのが人間の感情、機微の難しいところです。
山本夏彦の「死ぬの大好き」もウソですし、沢木耕太郎の随筆を読んで知りましたが、デキシーランド・ジャズのスタンダートに「I'll Be Glad When You're Dead, You Rascal You !」という長い題名の曲があります。
この古い演奏もそうですが、かなり陽気な曲です。
しかしこれは葬式、葬送の歌なのです。
タイトルは訳せば、「お前が死んじまって俺はうれしいぜ、この馬鹿野郎が!」となりますか。
男が本当に大切な友を送り出すとき、これ以外の感情表現はできない、悲しみを口にしたらやるせなくなる、そういうことはあるのでしょう。
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