玉兎の春2011-02-19 00:42:52

 石川雅望がお上のお咎めを受けて江戸を追われた後、宿屋飯盛の代わりに「伯楽連」をまめたのは、同じく四方赤良(大田南畝)門下で狂歌を学んだ、1歳年下の岸識之です。
 通称は岸宇右衛門、狂歌名は頭光と言います。聖人から発せられる光背の頭光(ずこう)のほうではなく、読み方は「つぶらのひかる」、若ハゲであったゆえです。

 頭光は軽快で大らかな詠み口を身上とし、「花の山色紙短冊酒さかな入相のかねにしめて何程」、「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」、「月みても更に話句なかりけり世界の人の秋と思へば」、などがその作品です。
 日本橋亀井町に生まれ、長じて亀井町の町役人となり、生粋の江戸っ子、日本橋っ子でした。彼にはこんな歌もありました:
 「我ら団十郎ひいきにて生国は花のお江戸のまん中」


 団十郎とは、むろん歌舞伎の市川団十郎を指し、団十郎は江戸の昔から筆頭役者でした。初代は元禄年間の人で、頭光の時代はと言えば、名人の誉れ高い五代目が活躍していました。

 五代目の団十郎は荒事、和事とも堪能で、舞踊にも秀で、敵役、実悪、女形など、ひとりで何役も演じて見せたと言います。
 また、文才もあって、四方赤良ら文化人との交流を持ち、自らも「花道のつらね」の名で狂歌を詠みました。頭光がひいきするのもむべなるかなです。
 寛政八年に一時引退し、成田屋七左衛門と名を改め、向島に草屋を建て、好きな俳諧、狂歌を作り、質実な隠居生活を送っていました。
 花道のつらねが詠んだ歌で有名なのは、
 「たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くふめし」

 華やかな舞台で見栄を切る姿は影もなく、毎日三度の飯など、平凡な楽しみを歌っています。それでいて実に決まっていて、気に入っています。
 関係ないですが、いまから十数年前、この歌を一文字だけ変えて、敬愛する友人夫婦に送りました。
 「たのしみは春の桜に秋の菊 夫婦仲良く三度くふめし」
 友人夫婦はともに競馬キチで、桜花賞と菊花賞は欠かせないだろうと思ったためです。名優には失礼だったかも知れません。

 花道のつらねの歌を検索して、もうひとつ見つかりました:
 「をそろしき寅の年の尾ふみこえて光のどけき玉の卯の春」

 恐ろしかったかどうかは別として、虎年の尾をなんとか踏み越えて、兎年を迎えているのは、ちょうどいまと同じです。
 僕のつぶらのひかり、いや、間違いました。のどかに射る春の光が、じきに訪れて来ることを、いまかと心待ちしています。

府中の豆 ~お代わりをお持ちしました2011-02-14 07:54:32

 曹植に話を戻しますが、「洛神賦」のような傑作を残し、その詩文が高く称賛されているものの、本人は「吾雖德薄,位為蕃侯,猶幾戮力上國,流惠下民,建永世之業,留金石之功。」と語ったように、文学者としての高名よりも、政事での活躍を望んでいたようです。
 ある意味では兄の曹丕と好対照です。文学的な名声は弟に及ばないですが、曹丕は「典論」論文で文学の重要性を謳い、後世に大きな影響を与えました。

 「蓋文章,經國之大業,不朽之盛事。年壽有時而盡,榮樂止乎其身,二者必至之常期,未若文章之無窮。」

 台湾で高校を通っていた頃、この文章が国語の教科書に載っていたが、経国の大業、不朽の盛事とは、なかなか気合いが入っているな、と感心ました。

 日本においては、時代は下りますが、かの「古今和歌集」の仮名序が、ようやく匹敵できるのではないでしょうか?

 「力をも入れずして天地を動かし
  目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
  男女のなかをもやはらげ
  猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」

 裂ぱくの気合が感じられ、この紀貫之の序文も好きです。
 もっともこう大上段に構えられ、いつも「文以載道」で迫られると、息苦しくなる書き手もいるはずです。戯文、洒落、息抜き、エンターテイメントとしての文学もいろいろありますから。

 「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」

 江戸時代、宿屋飯盛という人が詠った狂歌です。天地が一々動かされてはたまらないから、歌詠みは下手で結構、古今の序文をふまえた上で斜めに構えた、捧腹絶倒に値する傑作だと思いませんか。


 この宿屋飯盛はただ者ではありません。
 通称を石川五郎兵衛、雅号を石川雅望と言い、狂歌師にして国学者であり、そして小伝馬町の「糠屋(こぬかや)」という旅籠のあるじです。
 国学では古語辞典の「雅言集覧」や源氏物語の研究書「源註余滴」でいまも知られていますが、狂歌は大田南畝に学び、好きが高じて仲間を集め、「伯楽連」なる狂歌の連を作りました。「伯楽」の名は、連中に小伝馬町や馬喰町の人が多かったからでしょうが、近くに北町奉行があり、訴訟で上京する人のための公事宿が多かったようです。糠屋もそのひとつ、狂歌名の「宿屋飯盛」はその本業に因んだものです。
 「初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る」、「世わたりの道にふたつの追分や、たからの山に借銭のやま。」などが、宿屋飯盛が詠んだ歌です。

 悪質な公事師の尻押しをしたという疑いで、石川雅望は江戸払いとなりました。
 時は寛政三年、江戸を追われた石川雅望は宿屋を廃業して、府中で住まいを構えました。
 府中は東京都の地理的中心にあり、いま東京競馬場がある町で、僕もまめに通っていました。「伯楽連」とは「馬」でつながった、と言いたくもなりますが、江戸の町民の交通手段は足、大江戸と言えども西は新宿あたりまで、府中は日本橋から二日脚、現代人の感覚ではわからない距離にあり、辺鄙な地でした。

 ある日、大田南畝が訪ねてきました。弟子の境遇を見て、泣きながら歌を詠みました。

 「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」

 ふちうは「府中」であって、「釜中」です。健康の意のまめと足のまめを表現しながら、曹植の七歩の詩をふまえ、「釜中」に「府中」を引っかけたのであります。
 出久根達郎のエッセイで書かれていますが、まめは真面目の意味もあり、石川の無実も言外訴えていたかも知れません。

釜中の豆 ~「相思」から「相煎」2011-02-13 23:20:44

 またまたsharonさんのブログで見かけたものですが、王菲が歌う「紅豆」という曲を紹介されています(http://daybydayon.exblog.jp/12055568/)。ありふれた中華系バラードのようでいて、うまくデリケードさを醸し出す歌い手の力も相まって、いい雰囲気に仕上がっています。
 この歌を知らなかったのは僕が無知なだけ、簡単に調べましたが、中華圏では大流行したヒット曲だし、作詞した林夕という方も、多産をもって知られる超売れっ子作詞家であるようです。

 「還沒好好的感受雪花綻放的氣候, 我們一起顫抖, 會更明白什么是溫柔......」と歌い出す一番は、まあこれと言って難解なフレーズはないですが、二番の歌い出しの「還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口, 然后一起分享, 會更明白相思的哀愁......」のところ、なぜ「把紅豆熬成纏綿的傷口」なのか、不思議で気になっていました。
 あずきを煮詰めたらぜんざい、まさかあれを傷口に塗るのか、などとバカなことを考えていたら、答えはsharonさんから教えて頂きました。
 「紅豆最相思」か、なるほど、あずきではないですね。前にchococoさんのところで書かれた話(http://blogs.yahoo.co.jp/chococo_latte/33672060.html)も、いまさらながら思い出し、かろうじて合点となりました。

 賈宝玉が即興で詠った「紅豆曲」も読み直しましたが、「滴不尽相思血涙拋紅豆...」のくだり、、ままならぬ思いがつい詰まって、「相思」の記念に渡された紅豆まで投げ出したのでしょうか?
 罪のない紅豆がこうして放り出されるのは、「紅豆最相思」だと言い切り、なんだかんだ流行らせた、千四百年前の大詩人・王維にも幾分の責任があるように思えます。

  紅豆生南国
  春来発幾枝
  願君多采摘
  此物最相思


 王維の紅豆詞の以外、豆に関する古詩で有名なのがもうひとつ、例の曹植の「七歩の詩」も思い出されます。

  煮豆持作羹
  漉豉以爲汁
  萁向釜下然
  豆在釜中泣
  本是同根生
  相煎何太急

 「煮豆燃豆萁,豆在釜中泣。 本是同根生,相煎何太急。」とする書物もありますが、どちらにしても根本は同じ、ポイントは後半の「本是同根生,相煎何太急」です。本来相い思うべき兄弟は、こちらは相い煎(に)ることになってしまいました。
 皇帝である兄・曹丕が聞いて、慚愧の色を隠せず、それ以上の迫害を与えなかったのですから、言ってみれば、曹植のトンチが身を救った、ということになります。


 話が脱線気味ですが、釜中の豆でつい思い出したのがもうひとつ、落語の話です。手元に資料がないですが、大筋は以下のように覚えています:

 寺の大釜のなかに、味噌を作るための豆が大量に煮られています。
 良い匂いがしてきて、和尚さんが食べたくなったが、なにぶん小僧の前でつまみ食っては示しがつかないので、小僧を用事に出しました。小僧が戻ってきても見られないように、思案したあげく、どんぶりにみそ豆を盛って、ひとりで隠れて食べる事にしました。
 帰ってきた小僧は、こちらはこちらで和尚さんがいないのを良いことに、みそ豆をつまみ食いし始めました。しかし食べているところをもし見つかると大変なので、やはりどこか良い場所がないかと考えました。
 意を決して、小僧は豆をどんぶりに山盛りして、臭いのを我慢すればと心ウキウキして向かったのは雪隠、すなわち便所です。
 で、便所の扉を開けてみたら、びっくり、和尚さんがしゃかんで豆を食べているのでないですか。和尚さんも仰天したが、小僧はそれ以上に慌ててしまい、思わず「お、お代わりをお持ちしました」、と。

 こちらのトンチが、結局身を救ったかどうか、落ちのあとなので、定かでないのは言うまでもありませんが。

嫌というほど好き、死ぬほど生きてほしかった2011-02-03 07:41:20

 7時前、カーテンの隙間に漏れる朝日が目に入って、春を感じました。
 冬眠中のクマが目覚めた、というわけではありません。早朝の相変わらずの寒さの向こうに、生気がかすかに芽生え、うごめき始めたような気がしました。
 中華圏では春節とも呼び、今日は旧正月です。


 映画「非誠勿擾」のエンディングテーマ曲「最好不相見」を、sharonさんがブログで紹介しています(http://daybydayon.exblog.jp/12032161/)。本編は未見ですが、美しい風景をバックに歌われたこの歌詞がおもしろくて、以下転載させて頂きました。

 最好不相見,便可不相戀
 最好不相知,便可不相思
 最好不相伴,便可不相欠
 最好不相惜,便可不相憶
 最好不相愛,便可不相棄
 最好不相對,便可不相會
 最好不相誤,便可不相負
 最好不相許,便可不相續
 但曾相見便相知,相見何如不見時
 安得與君相訣絕,免教生死作相思

 出会わなければ良かった、愛し合わなければよかった、口では言っても、本心は逆なのでしょうね。
 大人になって、平和な国で普通に暮らしていたら、そうそう感情の起伏が訪れることはないかも知れません。しかし、人間というものは、気持ちが、生活が安定しているだけで、幸せだと心底感じられるように出来ていないものです。

 反語です。嫌いと言うのは好きである裏返し、嫌になっちゃうほど好きです。早く忘れてしまいたいと嘆くのは、大概は夢寐にも忘れられない人です。

 「世の中は色と酒とが敵なり どうぞ敵にめぐりあいたい」
 四方赤良(大田南畝)のように、素直に唄えればいいのですが、なかなかそうはいかないのが人間の感情、機微の難しいところです。

 山本夏彦の「死ぬの大好き」もウソですし、沢木耕太郎の随筆を読んで知りましたが、デキシーランド・ジャズのスタンダートに「I'll Be Glad When You're Dead, You Rascal You !」という長い題名の曲があります。


 この古い演奏もそうですが、かなり陽気な曲です。
 しかしこれは葬式、葬送の歌なのです。

 タイトルは訳せば、「お前が死んじまって俺はうれしいぜ、この馬鹿野郎が!」となりますか。
 男が本当に大切な友を送り出すとき、これ以外の感情表現はできない、悲しみを口にしたらやるせなくなる、そういうことはあるのでしょう。

絵の中の姿2009-06-02 01:58:22

 一昨年、当ブログで「浮生六記」を取り上げことがあります(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/12/05/2473639)。

 Ayuo(高橋鮎生)の「絵の中の姿 2007」というアルバム(http://mora.jp/package/80328021/ZIP-0024/)を聞くと、 「絵の中の姿」1~4の曲があり、歌われているエピソードはその「浮生六記」に基づくものだそうです。

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< 絵の中の姿1 八つの頃 >


君とはじめて会ったときは
八つの頃だった
君と僕は同い年
近所の家の庭で
君の書いた歌を見せた
幸せになるには
繊細すぎる心を持ってた
と思ったが

その後にも
自分で編んだ服を着て
僕の前に現れて
いろんな歌を見せた
終わりかけないのも、たくさんあったが
それはだれにも習ってないから
君と話しながら共に学んで行こう
と言った

十四の時に
君が秘密に
お菓子を持って来た事がばれて
みんなに笑われたため
その後には
僕の前から身を隠すようになった

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< 絵の中の姿4 四十の時に >


四十の時に
君が重い病にかかった
寝たきりの君を治療のために
山につれていった
君を肩にしょいながら
舟で川を渡り
山を越えた

元気になったと思うと
急に倒れて
旅の途中申し訳ないが
と君は言いつつ
生まれ変わるまで、と言いながら
この世から去っていった

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 Ayuoは様々なフィールドで様々な音楽を作っている、才能豊かでユニーク方だと思います。

春の風2009-02-27 23:32:08

 先週の金曜日は3時間、今週の水曜日は5時間、喋れもしない英語をむりやり長時間話し続けるのは、本当に疲れました。
 ときには、それこそまわりの空気さえ固まってしまう何秒間もかけて、ようやく絞り出した単語は、自分でも情けなくなるぐらい、へんてこりんなものだったりします。

 それにしても、まだまだ寒いですな。
 もうすぐ3月、そろそろ暖かくなってほしいものです。

 It's a warm wind, the west wind, full of bird's cries;
 I never hear the west wind but tears are in my eyes,
 For it comes from the west lands, the old brown hills,
 And April's in the west wind, and daffodils.
      ~ J. Masefield : "The West Wind"


 3月の後半にJRAにも東風(こち)ステータスが行われますが、「こち吹かば香おこせよ梅の花...」の歌で思い出されるように、日本に春をもたらす暖かい風と言えば東風です。
 イギリスでは、春の軟風は逆に西風ですね。

 話によると、西風ゼフュロスはトラキオス(バルカン半島の東)の山中に住み、嵐をかもし出すのを楽しんで、野蛮な権勢をほしいままにしていました。ところが、妖精のクロリスにうつつを抜かしたのが最後で、以来ゼフュロスは甘い香りのする優しい微風しか吹かず、泉を花のように咲かせたそうです。
 クロリスは死後、風の花すなわちアネモネとなり、以来ずっと風によって受粉し、また柔らかくて白い羽のついた実を微風に託しています。

 たぶん東風ステータスの1週間前かな、桜花賞のトライアル・レースにも指定されているアネモネステークスは、例年通りに行われるはずです。

兎にも角にも心よきかな2009-01-27 17:39:04

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 一年の始めと聞けば老いながら
 兎にも角にも心よきかな


 中華圏では春節とも呼ぶ旧正月が昨日にあり、中華圏はどこでも大いに賑わっています。
 その前の日曜日、大晦日に当たる除夕の日は、主にブログを通して知り合った仲間による、実に素敵な新年会に参加しました。(http://tubomim.exblog.jp/10210301/


 冒頭の歌は、生田流箏曲の名人だった葛原勾当によるものです。
 勾当なので、もちろん目が不自由な方ですが、16歳から病没する71歳まで56年間続いた日記がいま残っています。
 自ら考案した木活字を利用して自力で記したりしていたそうですが、到底本人では読めないはずです。
 それでも書き続けた所為を考えれば、日記とは言いながら、誰かに読まれることを意識して綴ったのに違いないです。


 ブログも、基本的にそうですね。
 完全にメモ帳代わりで使っている非公開のブログを僕もひとつ持っていますが、普通ネットで公開しているものであれば、程度の差こそあれ、どこか読み手を意識している部分があるかと思います。なんらかの目的で発信し、なにかを伝えたくて、いろいろな思いが込められています。

 葛原勾当が日記を綴った時代と違うのは、ブログではときに反響が上がったり、交流が生じたり、ブログ主が当初考えもしなかったフィードバックが得られる場合も多々あります。
 まあ、悪い方向に転んでしまえば、犯罪に繋がったりする報道を耳にすることもありますが、それはたぶん少数で、少なくとも僕だけが幸運だったと思えません。

 類は友を呼ぶ。ネットやブログを介した交遊は、自由度の高い、利害関係の少ない、新しい人間関係の可能性を示してくれているように思います。

來途若夢行 去世法舟輕2008-11-26 23:17:17

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 上國随縁住  來途若夢行
 浮天滄海遠  去世法舟輕
 水月通禅寂  魚龍聴梵声
 惟憐一燈影  萬里眼中明


 唐の時代の錢起が書いた、「送僧帰日本」という律詩です。
 日本へ帰国することになった僧侶を送る、とありますが、その日本から来た和尚さんは誰でしょうか?

 詩を詠みながら、古の日中交流に思いを馳せてみました。