鳴かぬなら 鳴かせてみせよう 鳩や亀 ― 2012-01-30 22:58:12
「亀鳴くや 皆愚なる 村のもの」と詠んだのは、高浜虚子です。
「亀鳴く」は、俳句では春の季語であり、歳時記にも載っています。しかし、果たして亀は本当に鳴くのでしょうか?
タイトルもずばり「亀が鳴く国~日本の風土と詩歌」(中西進 著、角川学芸出版 発行)という書物が、いま手元にあります。作者によれば、これこそは俳句の「エアポケット」というものです。
読者は亀が鳴くことなどありえないと決めかかっているから、作者は百も承知の上で、「亀が鳴きました。だから(あるいは、なのに)こうです」と言って、聞くほうは突然フェイントをかけられたような気がする、という理屈になります。
「いったい、だれがいつ、亀が鳴くなど言い出したのか。さらに、それに悪乗りして季語とさえ認定したのはいつのだれだ。歳時記によると、亀は春鳴くことになっている。なぜ春か、それらはいっさい不明のままに、現代にいたるまで、俳句はむしろ喜んで、亀の鳴く句を作っているように見える。」
「すばらしいではないか。この虚を遊ぶ文芸こそが俳句である。」
「亀鳴くや ひとりとなれば 意地も抜け」 (鈴木真砂女)
「亀鳴いて 椿山荘に 椿なし」 (菅裸馬)
「亀鳴くや 小説どれも 同じ型」 (高崎梨郷)
みんな意地が抜けた瞬間です。
例えば、大いに期待して読め始めた小説が型通りのつまらないもので、なんだとがっかりさせられた気持ちが、亀を鳴かせたそうです。
なるほど、と頷きながら読みました。
いや、いや、亀は鳴くものだ、と言っているのは、英国大使やモロッコ大使を歴任していた平原毅氏です。
蛙には共鳴袋、哺乳類には声帯、鳥類には鳴管があって、亀には何もないゆえ、亀は鳴かない、と「図説 俳句大歳時記」(角川書店)の解説・今泉吉典氏は根拠を挙げて力説していますが、それでもやはり実際に聞いたという人にはかなわないでしょう。
平原毅氏の「英国大使の博物誌」によれば、ヘルマン亀、ガラパゴス島の象亀はキーッと叫ぶような声を出し「私は自分の耳で聞いている」そうです。それと、日本の天然記念物である西表島の「せまるはこ亀」が鳴くのも聞いたことがあるそうです。
しかも、「いずれも愛の季節に、愛の行為の最中に、びっくりするほど大きなキーッという叫び声を出す」、とのことです。
「私は日本の『いし亀』や『くさ亀』が鳴くのを聞いたことはない。みみずが鳴くのは『おけら』の鳴き声のことだといわれるが、この『亀鳴く』もあるいは『おけら』の鳴き声を間違っているかも知れない。」と、作者は一応続けました。しかし、もしかして古では亀ももっと大声で遠慮なく鳴いていたかもしれません。
中国の古典で、僕が知るところでは、「唐書」に、「大和三年,魏博管內有虫,状如龜,其鳴晝夜不絕。」なる記述が見えます。
こうなったら、文明の利器?、YouTubeを探しましょう。そうしたら、象亀でなくても、普通に亀が鳴く映像がありました。
元大英博物館館長のサー・デイヴィド・ウイルソンが来日して、平原毅氏と酒を交わして歓談した折、確かに聖書にも亀の声が聞こえる、という表現がある、と言い出したそうです。
酒の席なので期待しなかったが、十日程して航空便で知らせが来て、それは旧約聖書の「ソロモン雅歌」第2章10~12だそうです。
「Rise up, my love, my fair one, and come away.
For, lo, the winter is past, the rain is over and gone;
The flowers appear on the earth; The time of the singing of birds is come, and the voice of turtle is heard in our land.」
なるほど、確かに「the voice of turtle」とあります。
いや、しかし、日本語訳ではどうなっているかと言いますと、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。
見よ、冬は過ぎ、
雨もやんで、すでに去り、
もろもろの花は地にあらわれ、
鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞こえる。」
あれ?亀が登場しないです。
ちなみに僕は中国語訳も探してみましたが、やはり亀は出てきません。
「我的佳偶 、我的美人 、起來、與我同去。
因為冬天已往、雨水止住過去了
地上百花開放、百鳥鳴叫的時候已經來到、斑鳩的聲音在我們 境內也聽見了。 」
なんのことはなく、平原毅氏の調べによれば、単にサー・デイヴィド・ウイルソンの勘違いです。
もちろん英語で「亀」のことを「turtle」と書きますが、これは通俗ラテン語の「tartuga」に由来するフランス語の「tortue」から英語に入ってきた単語です。別にラテン語の「turtur」から古代英語の「turtla」になり、さらに「turtle」になった鳥もいます。綴りも発音も「亀」と同じですが、正確には「turtledove」と呼び、和名では「こきじばと」というものだそうです。
大英博物館の館長を務めたほどの知識人でも、イギリスにはまったく棲息していない亀は、あまり知らないようです。
皆愚なる、とは、巨匠は厳しいです。
「亀鳴く」は、俳句では春の季語であり、歳時記にも載っています。しかし、果たして亀は本当に鳴くのでしょうか?
タイトルもずばり「亀が鳴く国~日本の風土と詩歌」(中西進 著、角川学芸出版 発行)という書物が、いま手元にあります。作者によれば、これこそは俳句の「エアポケット」というものです。
読者は亀が鳴くことなどありえないと決めかかっているから、作者は百も承知の上で、「亀が鳴きました。だから(あるいは、なのに)こうです」と言って、聞くほうは突然フェイントをかけられたような気がする、という理屈になります。
「いったい、だれがいつ、亀が鳴くなど言い出したのか。さらに、それに悪乗りして季語とさえ認定したのはいつのだれだ。歳時記によると、亀は春鳴くことになっている。なぜ春か、それらはいっさい不明のままに、現代にいたるまで、俳句はむしろ喜んで、亀の鳴く句を作っているように見える。」
「すばらしいではないか。この虚を遊ぶ文芸こそが俳句である。」
「亀鳴くや ひとりとなれば 意地も抜け」 (鈴木真砂女)
「亀鳴いて 椿山荘に 椿なし」 (菅裸馬)
「亀鳴くや 小説どれも 同じ型」 (高崎梨郷)
みんな意地が抜けた瞬間です。
例えば、大いに期待して読め始めた小説が型通りのつまらないもので、なんだとがっかりさせられた気持ちが、亀を鳴かせたそうです。
なるほど、と頷きながら読みました。
いや、いや、亀は鳴くものだ、と言っているのは、英国大使やモロッコ大使を歴任していた平原毅氏です。
蛙には共鳴袋、哺乳類には声帯、鳥類には鳴管があって、亀には何もないゆえ、亀は鳴かない、と「図説 俳句大歳時記」(角川書店)の解説・今泉吉典氏は根拠を挙げて力説していますが、それでもやはり実際に聞いたという人にはかなわないでしょう。
平原毅氏の「英国大使の博物誌」によれば、ヘルマン亀、ガラパゴス島の象亀はキーッと叫ぶような声を出し「私は自分の耳で聞いている」そうです。それと、日本の天然記念物である西表島の「せまるはこ亀」が鳴くのも聞いたことがあるそうです。
しかも、「いずれも愛の季節に、愛の行為の最中に、びっくりするほど大きなキーッという叫び声を出す」、とのことです。
「私は日本の『いし亀』や『くさ亀』が鳴くのを聞いたことはない。みみずが鳴くのは『おけら』の鳴き声のことだといわれるが、この『亀鳴く』もあるいは『おけら』の鳴き声を間違っているかも知れない。」と、作者は一応続けました。しかし、もしかして古では亀ももっと大声で遠慮なく鳴いていたかもしれません。
中国の古典で、僕が知るところでは、「唐書」に、「大和三年,魏博管內有虫,状如龜,其鳴晝夜不絕。」なる記述が見えます。
こうなったら、文明の利器?、YouTubeを探しましょう。そうしたら、象亀でなくても、普通に亀が鳴く映像がありました。
元大英博物館館長のサー・デイヴィド・ウイルソンが来日して、平原毅氏と酒を交わして歓談した折、確かに聖書にも亀の声が聞こえる、という表現がある、と言い出したそうです。
酒の席なので期待しなかったが、十日程して航空便で知らせが来て、それは旧約聖書の「ソロモン雅歌」第2章10~12だそうです。
「Rise up, my love, my fair one, and come away.
For, lo, the winter is past, the rain is over and gone;
The flowers appear on the earth; The time of the singing of birds is come, and the voice of turtle is heard in our land.」
なるほど、確かに「the voice of turtle」とあります。
いや、しかし、日本語訳ではどうなっているかと言いますと、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。
見よ、冬は過ぎ、
雨もやんで、すでに去り、
もろもろの花は地にあらわれ、
鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞こえる。」
あれ?亀が登場しないです。
ちなみに僕は中国語訳も探してみましたが、やはり亀は出てきません。
「我的佳偶 、我的美人 、起來、與我同去。
因為冬天已往、雨水止住過去了
地上百花開放、百鳥鳴叫的時候已經來到、斑鳩的聲音在我們 境內也聽見了。 」
なんのことはなく、平原毅氏の調べによれば、単にサー・デイヴィド・ウイルソンの勘違いです。
もちろん英語で「亀」のことを「turtle」と書きますが、これは通俗ラテン語の「tartuga」に由来するフランス語の「tortue」から英語に入ってきた単語です。別にラテン語の「turtur」から古代英語の「turtla」になり、さらに「turtle」になった鳥もいます。綴りも発音も「亀」と同じですが、正確には「turtledove」と呼び、和名では「こきじばと」というものだそうです。
大英博物館の館長を務めたほどの知識人でも、イギリスにはまったく棲息していない亀は、あまり知らないようです。
皆愚なる、とは、巨匠は厳しいです。
コメント
_ 秋葉@ゑこう ― 2012-02-01 01:35:44
_ 蓮 ― 2012-02-02 22:36:51
それにしても前回の文章の透谷にしろ、今回の虚子にしろ、明治の人はどうしてこうも早熟なのだろう。
ネットでちょっとチェックしてみたら、この句は虚子25歳くらいのときの作ですね。とてもそうとは思えない老成ぶりで「愚なる 村のもの」のぼくは―同じ伊予の出身です、おもわずうなってしまいました。
ネットでちょっとチェックしてみたら、この句は虚子25歳くらいのときの作ですね。とてもそうとは思えない老成ぶりで「愚なる 村のもの」のぼくは―同じ伊予の出身です、おもわずうなってしまいました。
_ T.Fujimoto ― 2012-02-03 00:22:02
To: ゑこう 様
なぜイギリスにカメがいないか、僕にはわかりませんが、ものの本によると、この島国には陸亀はおろか、淡水産の亀も、スッポンも、昔から住んでいないそうです。
亀を意味する「turtle」は17世紀に中頃にやっと現れたのに対して、「こじきばと」を意味する「turtle」は、14世紀の初めから用例があります。もうひとつの亀を表す単語「tortoise」のほうは、14世紀の終わり頃からあったそうですが。
なぜイギリスにカメがいないか、僕にはわかりませんが、ものの本によると、この島国には陸亀はおろか、淡水産の亀も、スッポンも、昔から住んでいないそうです。
亀を意味する「turtle」は17世紀に中頃にやっと現れたのに対して、「こじきばと」を意味する「turtle」は、14世紀の初めから用例があります。もうひとつの亀を表す単語「tortoise」のほうは、14世紀の終わり頃からあったそうですが。
_ T.Fujimoto ― 2012-02-03 00:26:42
To: 蓮様
実は、僕も同じことを考えていました。明治の人だけではなく、江戸の人とかに対しても、そのような気がしてなりません。
人間の寿命が短い分、生き方が詰まっていて、急いで生きて、早く老成してしていたかも知れません......
実は、僕も同じことを考えていました。明治の人だけではなく、江戸の人とかに対しても、そのような気がしてなりません。
人間の寿命が短い分、生き方が詰まっていて、急いで生きて、早く老成してしていたかも知れません......
_ 長瀬達郎 ― 2012-02-03 23:34:38
「亀鳴いて 椿山荘に 椿なし」の句を作った菅裸馬の孫が、平成23年7月に「俳人菅裸馬」(角川書店)を出版しました。右の句は載っていませんが、裸馬の173句と彼の人生が描かれています。
_ 花うさぎ ― 2012-02-04 10:30:11
明治時代の人の文章などを読むと早熟だと思いますよね。
大学時代に中国文学を専攻しましたが、その時、明治時代の人の漢文調の文章を読んで感嘆したものです。どうして若年にも関わらず、こんな文が書けたのだろうと思って。
でも、くだらない文はたいていは時間の流れとともに淘汰されてしまうものですし、
彼らは、ある意味、
情報が少なかったから、与えられた狭い選択肢の中で、集中的に能力を磨き、
老成するのが早かったのかなと「負け惜しみ」半分で考えたりしていますけれど、
どうなんでしょう。
大学時代に中国文学を専攻しましたが、その時、明治時代の人の漢文調の文章を読んで感嘆したものです。どうして若年にも関わらず、こんな文が書けたのだろうと思って。
でも、くだらない文はたいていは時間の流れとともに淘汰されてしまうものですし、
彼らは、ある意味、
情報が少なかったから、与えられた狭い選択肢の中で、集中的に能力を磨き、
老成するのが早かったのかなと「負け惜しみ」半分で考えたりしていますけれど、
どうなんでしょう。
_ T.Fujimoto ― 2012-02-06 23:50:05
To:長瀬達郎様
菅裸馬さんのお孫さんですか?
機会があれば、ほかの作品も読んでみたいと思います。
菅裸馬さんのお孫さんですか?
機会があれば、ほかの作品も読んでみたいと思います。
_ T.Fujimoto ― 2012-02-06 23:55:30
To:花うさぎ様
文章の運筆などもそうですが、古の人は考え方も早熟だったように思えますね。
仰る通り、情報の比較的に少なかった時代にあって、集中的に能力を磨かれたかも知れません。
逆に言えば、余計なところに注意を引かれずに、知恵と精力を集中できれば、現代の人も特定の分野で成功する確率が高くなるような気がします...
文章の運筆などもそうですが、古の人は考え方も早熟だったように思えますね。
仰る通り、情報の比較的に少なかった時代にあって、集中的に能力を磨かれたかも知れません。
逆に言えば、余計なところに注意を引かれずに、知恵と精力を集中できれば、現代の人も特定の分野で成功する確率が高くなるような気がします...
_ ゑこう ― 2012-02-09 22:06:41
なんだか、追加されたYouTubeのカメさん動画に笑ってしまいました。
なんだか隠微な雰囲気もするのですが。。。。☆ゑ
なんだか隠微な雰囲気もするのですが。。。。☆ゑ
_ T.Fujimoto ― 2012-02-10 07:39:14
To: ゑこう様
亀の動画、せっかく見つかったものの、なんとなく品位に欠け、載せようかどうか若干悩みました。
うら若き乙女なら、恥ずかしくて見ていられないかも知れません。(該当者は、当ブログの読者にいないと推断しましたが)
亀の動画、せっかく見つかったものの、なんとなく品位に欠け、載せようかどうか若干悩みました。
うら若き乙女なら、恥ずかしくて見ていられないかも知れません。(該当者は、当ブログの読者にいないと推断しましたが)
_ 長瀬達郎 ― 2012-02-17 22:09:15
本当は菅裸馬の孫です。「俳人菅裸馬」(角川書店)は現在の俳句結社の主宰の方何人かに送って読んでいただきましたが、皆さんに大変高い評価を頂いています。実は裸馬は本名を菅礼之助といい、財界人としての顔をもっています。本では礼之助の生きた明治、大正、昭和、その間日本経済は発展するのですが、当時の出来事、人との交流などのエピソードをまじえ、その節目に俳句を紹介したものとなっています。辛口の知人からも愛読書の城山三郎を読んでるようだったと褒めてもらったりしています。角川の本ですが流通に乗っていないので、鎌倉の書店かほか2-3の書店、あるいはAmazonか楽天オークションで私が新品を置いているぐらいしか皆様の目に触れるところはないですが、機会があったらご覧になってください。
_ T.Fujimoto ― 2012-02-20 23:11:32
To:長瀬達郎さま
ご著作の「俳人菅裸馬」、Amazonでヒットしました。
失礼ながら存知ませんでしたが、ウィキペディアに、元東京電力会長、元経済団体連合会評議会議長の傍ら、俳誌「同人」を主宰されたとあります。日本の経済発展に大きな影響を与えた名士ですね。
ご著作の「俳人菅裸馬」、Amazonでヒットしました。
失礼ながら存知ませんでしたが、ウィキペディアに、元東京電力会長、元経済団体連合会評議会議長の傍ら、俳誌「同人」を主宰されたとあります。日本の経済発展に大きな影響を与えた名士ですね。
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何故でしょうか。。。気になって今晩眠れそうもないです(笑)
ググって遊んでしまいそうでなぁ。。☆ゑ