幻の本2012-01-20 00:38:47

 曾つて誤つて法を破り
   政治の罪人として捕はれたり、
 余と生死を誓ひし壮士等の
   数多あるうちに余は其首領なり、
      中に、余が最愛の
      まだ蕾の花なる少女も、
      国の為とて諸共に
      この花婿も花嫁も。
     :
     :


 と始まるのが、北村門太郎の「楚囚之詩」です。

 いや、北村門太郎と言ってもあまりピンと来ないかも知れませんが、明治の文豪のひとり、北村透谷の本名です。
 思潮社から出版されている「現代詩文庫1001 北村透谷詩集」を図書館から借りていますが、冒頭に全編収録されているのが処女作の「楚囚之詩」です。
 実は、この原書は近代文学書の稀覯本の親玉と言われるぐらい、噂だけが有名で、実物を見たことのある人はごく稀という珍本です。


 古書店のあるじでもあった作家・出久根達郎が「古本綺譚」で書いた話によれば、22歳の透谷がこのB6判横綴わずかな叙事詩を自費出版したのは、明治22年の4月だそうです。
 自序では、「余は遂に一詩を作り上げました。大胆にも是れを書肆の手に渡して知己及び文学に志ある江湖の諸兄に頒たんとまでは決心しましたが、実の処躊躇しました。」で始まり、「余は此『楚囚之詩』が江湖に容れられる事を要しませぬ」と続いたりと、はなはだ頼りない言葉を綴りました。
 はたしてこの小冊子が印刷されるや、やはり自信がなく、後悔したのか、まもなく著者により回収され、手元に残す一冊を除いてすべて廃棄した、と透谷が日記に書きました。
 透谷は満25歳のときに自殺しましたが、透谷の名声が上ってからは、もし見つかったら幻の本だろうと言われていました。

 42年後の昭和5年、本郷の古本即売展で、ある大学生が雑本の山からその「幻の本」を見つけ出し、稀覯本につきものの数奇な伝説はここから始まりました。
 その学生は35銭で購入しましたが、すると隣から突如、その学生をつかまえて、ぜひ5円でゆずれと血相を変えて談判する紳士が現れました。何事かとほかの客がとり囲い、くだんの学生は本を抱きしめて逃げるように会場から消えてしまい、話題騒然となったそうです。
 その本が透谷日記にいう、残った唯一の一冊だと思われましたが、実はそうではないかも知れません。十数年経って、二冊目が出て、そのときは80円で売れたそうです。
 最近では平成14年の京都組合大市に出品されたそうですが、当初店頭に並んでいたわずかの時間で何冊か売れたものがあって、現在完全本は4、5部存在していると言われています。

 また、昭和37年に神戸の古書市場に出品された「万象図譜」という、四六判40頁袋綴の袋から、バラバラになった「楚囚之詩」の本文が出てきて、やはり大騒ぎになりました。「万象図譜」は明治24年に出版されたもので、特に稀覯本ではないですが、同じ製本所で破棄処分になった「楚囚之詩」のページをシン紙に用いたと推定されたので、愛書家やコレクターたちはたちまち「万象図譜」探しに血眼となりました。ところがせっかく入手して開いてみると、シン紙には古新聞やほかの本の断裁が詰め込まれ、残骸でもなかなか現れてこないから、「楚囚之詩」は幻の本なのであります。


 北村透谷はここ小田原の生まれです。

 父母とともに上京したのは十三、四歳の頃だと思います。また、短い人生としての最晩年も、小田原市国府津の長泉寺で過ごしました。
 「小田原と北村透谷」(小澤勝美 著)という本が僕の手元にありますが、透谷の文章の美しさと力強さは、壮大な箱根の山々を背景に美しい相模の海に面した自然環境にも関係するだろう、と記されています。

 彼が生まれ育った小田原唐人町の海岸や、祖母とお参りした早川の観音、「景色よろし」と日記に書いた江の浦、いずれも僕ににとっても身近の景色で、珍しくもなく、むろん幻でもないです。