幸田露伴の若いときの随筆2011-07-17 23:13:47

 幸田露伴の若いときの随筆「折々草」を、読んでみました。


 まず目に飛び込んだのは、この変な文章(第十八):
 「......酔は醒に若かず飽は飢に若かず、頑健なるは微恙あるに若かず、濁富ならむは清貧ならむに若かじ。醒、飢、病、貧、我之を四妙となす。而して尚私(ひそか)に謂ふ、人を屠り火を放ちし罪を抱くあるあらむには愈々益々もつて妙ならむ。酔飽健富は是天人の交接を妨げ親和を碍するの大奸大賊、殺人放火の罪は母天子人の間に立つの頴考叔なり、醒飢病貧は正に是れ悍馬を制するの羈韁なり荊鞭なり。」

 酔飽健富より醒飢病貧のほうを取るのは良いとして、殺人放火の罪までますます妙だろうと書かれるのは、さすがに意味がよくわかりません。(乞う解説)

 頴考叔という人物は寡聞にして知らなかったのですが、調べてみたら、中国は春秋時代の人だったようです。
<http://edu.ocac.gov.tw/culture/chinese/cul_chculture/vod25html/vod25_26.htm>


 また、第二十三の「天意」も興味深いです:
 「人事悉とく皆必ずしも人為にあらじ、悲しむべく恨むべきものを把り來つて仔細に観ずること一回二回三回四回、飜覆思考する数百回すれば、漸く悲の骨且つ砕けんとすつの悲、痛中に薄らぎ、恨の血殆ど氷らんとするの恨、苦中に解け、我を悲まんとするに悲しむべき者なく、他を恨まんとするに恨むべきものなきを覚ゆ。こゝに於て所謂天意なるものの存するなきや疑ふを免れず。静かに周易を味ひ、更に泰否師比の往来変化の理を尋ぬるに、邈々渺々として我心死するが如く我身亡するが如し。」

 すべては天の意志なので、自身を悲しむことも、他人を恨むことも、一切仕方のないこと、という意味でしょうか?

 ちなみに、「泰否師比」も知らなかったのですがが、どうやら周易の六十四卦にあるようです。
「師者。眾也。眾必有所比。故受之以比。」
「泰者。通也。物不可以終通。故受之以否。」
<http://sites.google.com/site/iching01/home17>


 数えてみましたが、「折々草」を書いたときの露伴は、まだ二十代前半だったかも知れません。

 露伴のお孫さん(青木玉?)と対談したことを、渡部昇一氏が「知の愉しみ、知の力」(致知出版社)に書いています:
 「大学に入ったあと、『おまえ、何を読んでるんだ?』と露伴が聞くのだそうです。『国文科で”十八史略”を読んでいます。』と答えると、『ああいうものは、俺は子供のとき、寝ころんで読んだもんだ。』と言われたそうです。」

 露伴は家計の関係で中学を中退したりして、結局大学は出ていないと思いますが、なるほど、漢学についての該博な知識は、小さいときから「十八史略」などを寝ころびながら読んだ環境で育てられたのでしょうね。

コメント

_ why ― 2011-07-18 07:36:55

おはようございます!
>殺人放火の罪は母天子人の間に立つの頴考叔なり
極論ですね。でも、人間は一旦窮地に追い込まれないと気づかないことは確かにあるかも知れません。なんでもないことでも実はありがたいことだったり・・・
「天意」のくだりも悟りの境地に達した露伴の気持ちの現われでしょうか。しかし、20代でこういうことが言えるとはさすが文豪ですね。
それにひきかえ、私なんか欲の塊ですから、未だに俗欲に諦めきれずもがいています。
これを読んでまず『清貧の思想』を思い出しましたが、「酔は醒に若かず飽は飢に若かず、頑健なるは微恙あるに若かず…」はよく考えたら、『菜根譚』にもありそうですね。やはり賢人の知恵には通じるものがあるようです。
それにしても露伴翁の文章、格言のように含蓄があってリズミカルで口ずさみたくなりました。ほんの少しだけしか読んだことがありませんが、ものすごく漢文の素養のある人だなと、圧倒されたことがありました。十八史略というと、私は魯迅を連想しますが、なるほど文豪にとっては寝ころんで読むものですね。
恥ずかしながら、露伴はいまだに知りませんが、そのリズミカルな文体はしっかりと幸田文に受け継がれ、青木玉さん、奈緒さんと四代にわたって、脈々と続いていることはファンにとって、この上なく嬉しいことです。

_ 花うさぎ ― 2011-07-18 09:17:45

十八史略を大学で読むというのは、私にとっても意外です。

別に青木玉女史を下に見るつもりもなく、
私たち自身、たいして漢文は読めなかったのですが、
それでも、「十八史略」というのは、大学を受験する高校生などが漢文や史書の基礎を学ぶために読むものという感じがして、大学で学ぶものではないという印象がありました。

まあ、私たちの大学が力もないのにプライドばかり高かったということかもしれませんが。

_ 花うさぎ ― 2011-07-18 09:18:21

十八史略を大学で読むというのは、私にとっても意外です。

別に青木玉女史を下に見るつもりもなく、
私たち自身、たいして漢文は読めなかったのですが、
それでも、「十八史略」というのは、大学を受験する高校生などが漢文や史書の基礎を学ぶために読むものという感じがして、大学で学ぶものではないという印象がありました。

まあ、私たちの大学が力もないのにプライドばかり高かったということかもしれませんが。

_ 花うさぎ ― 2011-07-18 09:19:13

十八史略を大学で読むというのは、私にとっても意外です。

別に青木玉女史を下に見るつもりもなく、
私たち自身、たいして漢文は読めなかったのですが、
それでも、「十八史略」というのは、大学を受験する高校生などが漢文や史書の基礎を学ぶために読むものという感じがして、大学で学ぶものではないという印象がありました。

まあ、私たちの大学が力もないのにプライドばかり高かったということかもしれませんが。

_ 花うさぎ ― 2011-07-18 17:40:34

すみません。
送信のボタンを押しても反応しなかったので、
適当に連打したら、何度も投稿してしまいました。
失礼しました。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-19 09:18:00

whyさん、ありがとうございます。なるほど、極限状態に追い込まれてこそ気付く真理がある、そんなものでしょうか。

幸田露伴翁の小説では初期の「風流仏」をちょっと読んだだけですが、確かに漢文の素養も豊かで、六朝駢賦でも読んでいるような華麗な修辞とリズミカルさが備えられていますね。

さて、二十代にして悟りの境地に達したかどうかはわかりませんが、別の日では以下のようなことも書いています:
「芭蕉は四十歳前後にして漸く芭蕉たり、西鶴も亦殆然り。之を思へば当世の作者の概して取るに足らざるも無理ならず。四十歳よりさきの事かな、四十歳よりさきの事かな。」
その露伴が四十前後に書いた随筆「潮待ち草」も借りていますので、これから読んでみようと思います。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-19 10:06:35

花うさぎさん、十八史略の文章は難しくないほうですか?我が家には、陳舜臣の「小説 十八史略」(しかもなぜか2、3、4巻だけ)が置いてあるだけ(笑)で、原文はまったく読んだことがないです。
大学受験も、まあ、理科ですし(^^;)
渡部昇一氏が書いた露伴の話には前段がありました。お孫さんが大学に入りたいと、恐る恐るお爺さんに許しを乞う話があって、その続きなので、たぶん大学に入ってすぐのお勉強だったのでしょう。難しいかは、読み方にもよるかも知れませんが。

_ 花うさぎ ― 2011-07-19 11:47:53

実際のところ、大学一年生のレベルを思えば、「十八史略」などから読むのは非常に妥当だと思います。私たちの大学がレベルが高かったわけでもありません。
でも、難度が学生のレベルに対して適正かどうかというよりは、
その本の位置付けの問題があると思うんです。

大学で「ハリーポッター」を読んでいるとたとえば言ったらどんな感じでしょう。
「ハリーポッター」の日本語訳には誤訳が多数あると指摘されているのを読んだことがありますから、実際には読みやすいとは言え、そう簡単に完全に理解できる英語で書かれてはいないのかもしれません。でも、やはり大学で「ハリー・ポッター」は読みませんよね。そういう感じなのかなと思うのです。

_ 花うさぎ ― 2011-07-19 13:43:48

「人の身の上に起こることは、すべてが人の意思によって起こったものではないから、事象について繰り返しよく考えれば、怨む気持ちも悲しむ気持ちもなくなるだろう」ということでしょうか。
まあ、その通りなのかもしれませんが、それで「恨み」は消えても、「悲しみ」は消えるものだろうかとも思いませんか。

_ 花うさぎ ― 2011-07-19 13:59:20

ただちょっと思ったのですが、確かに幸田露伴は文豪でしょうし、この時代の人が書いた文章を現代人の感覚で読むと「漢文の素養があって小難しくて教養があってすごい」ということになるのでしょうが、この時代はまだ「言文一致」の時代ではないですから、文を書くといえば、優劣はあってもこういう文を書くしかなかったということも言えますよね。(このあたりの事情は中国とも共通します)
逆に「言文一致運動」が起こって、口語の文が出現したということがセンセーショナルだったわけですし。

_ why ― 2011-07-20 08:56:19

全然自信がなくて恥をさらすようなものですが、菜根譚の「半文半白」風の文体をもじって訳すと、こんな感じになるのでしょうか。
醉不若醒,飽不若飢,頑健不若微恙,濁富不若清貧.醒飢病貧為我之四妙,而尚私謂:有屠人放火抱罪愈益妙.醉飽健富是妨天人交接礙親和的大奸大賊,殺人放火之罪乃立母天子人間的穎考叔,醒飢病貧正是制悍馬的羈韁荊鞭.

「妨天人」なのか「天人妨」なのか私にはまだはっきりしませんが、前後の文脈からすると前者でしょうか。殺人放火の罪を目のあたりにすることもまんざら悪いことではない、それは母と子、天と人の間に立つ穎考叔のような存在で、悟らせてくれるものがあるということでしょうか。

そもそも日本語も漢文の素養もおぼつかないのに、その上露伴の真意を読み取るなんて今の私にはとうてい無理かもしれません。笑いのネタの一つにでもしてください。

_ why ― 2011-07-20 09:01:31

上の文は繁体字で入力しました。使い方がよく分からないせいかもしれませんが、呆れるほど効率が悪いですね。これじゃ確かに使い物になりません。
Fujimotoさん、時間があるときにぜひ一度簡体字入力を使ってみてください。ビックリするくらいサクサク進みますよ。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-20 10:55:20

花うさぎさん、時間さえ経てば、位置付けが変わり、大学の英文学でハリー・ポッターを読む時代は、そのうち来るような気がしますよ(笑)

_ T.Fujimoto ― 2011-07-20 11:00:02

花うさぎさん、恨みは消えても悲しみは消えない人、悲しみは消えても恨みは消えない人、それぞれいるような気がしなくもないです。それが、繰り返し考えて気付く場合もあれば、あえて考えず、忘却の力に頼るしかない場合もあるかも知れません。
悟り、達観、諦め、言い方もいろいろできそうです......

_ T.Fujimoto ― 2011-07-20 11:12:51

花うさぎさん、文字通りの「言文一致」は、難しいですよね。僕などは胡適あたりを思い出しますが、確かに中国でもそうでした。
しかし、程度はともかく、もしかしてこのような運動は何回も繰り返すかも知れません。話し言葉は時代とともにめまぐるしく変わり、書物は一旦文字になると時空が凝固してしまうようなものなので、すぐに距離ができてしまいます。
それと、本当に喋る言葉のままで文字にすると、却ってわかりにくい場合もありますし。
文言だからと言って、素養があるように見えるかと言うと、もちろんそうでもないですが。

_ why ― 2011-07-20 11:47:25

>醒飢病貧為我之四妙
うっかりしていました。訂正します。
⇒「醒飢病貧我為之四妙」ですね。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-22 06:14:16

whyさん、「半文半白」風文体への漢訳、ありがとうございます。
日本語も漢文も素養がおぼつかないのは僕もそうですが、「妨天人」なのか「天人妨」なのかと言えば、文意から、僕も前者でよいかと思います。
次の「親和を碍する」も、本来は「天人の親和を碍する」であるところから、前文と重複する「天人の」を省略したように思えますが、日本語の語順と異なる漢文では、どう並べるのが正しいですか?

_ T.Fujimoto ― 2011-07-22 06:24:29

whyさん、ちょうどパソコンを買い変えようとしていて、中国語入力システムの導入はその後に、だと考えています。但し、システムというより、拼音を僕ががちゃんとできるかが、いささか自信がないです(^^;)

_ why ― 2011-07-23 10:16:22

Fujimotoさん、おはようございます!
>是天人の交接を妨げ親和を碍するの大奸大賊
専門家の方には、そんなの簡単だよと言われそうですが、ここは中国語にどう置き換えればいいか、ずいぶん悩みました。どうにもバランスが悪くて。
形的には「是天人妨交接礙親和的」にすれば、一番見た目の座りがいいように思いますが、意味を考えればつじつまが合わないですね。かといって「是妨天人交接礙天人親和的」にすると、ちょっとくどい表現になりますし。結局原文のまま「是妨天人交接礙親和的」にしましたが、でもこれも座りが悪くてあまり中国語らしくないですよね。いくらでもありそうな文型なのに、いざ訳そうと思ったら、全然例文を思いつかなくて愕然としました。中学であんなに暗唱させられた漢文が一体どこへ飛んでいったやら・・・

_ T.Fujimoto ― 2011-07-25 00:01:29

whyさん、こんばんは。
結局は日本語なので、並び替えるだけでは座りが悪く、中国語らしくない、ということなのでしょうかね。

試しに、(A)=「妨」、(a)=「碍」、(B)=「天人」、(C)=「交接」、(c)=「親和」、だとして、考察してみます:
語順がSOV型の日本語では、 (B-C-A) と (B-c-a) の2つの文は、束論でいう分配束じゃないですが、共通部である主語をまとめれば、B-((C-A),(c-a)) になります。(これが露伴の原文です)
SVO型の中国語では、語順が (A-B-C) や (a-B-c) になり、例え真ん中の主語が共通であっても、1つの文にまとめるのは難しいです。
結局、大人しく2つを横に並べて、「是妨天人交接、礙天人親和的」とするか、
強引に (A,a)-B-(C,c) に結合して、「是(妨,礙)天人(交接,親和)的」にするか、という選択かな、とちょっと思いました。
後者は、(A-B-c)や(a-B-C)の形で読まれても、そうおかしくならないケースに限るかも知れませんが。

_ why ― 2011-07-25 08:41:22

さすがFujimotoさん、素晴らしいですね。
「是(妨,礙)天人(交接,親和)的」、こういう方法もありましたね。どうして思いつかなかったんでしょう。目から鱗、中国語で言うと「茅塞頓開」ですね。どうもありがとうございました。これですっきりしましたわ。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-27 12:17:56

whyさん、言葉を並べて変えれば、いろいろな形ができますね。

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