謹賀新年20132013-01-02 15:56:14

 夜半来の風は、やむどころか、ますます本式の吹きようになってきました。
 むろん寝正月にはなんら支障はなく、あしきゴタゴタをいっさいがっさい吹き飛ばしてくれれば、と、思ってしまいます。しかし、歩くのも難儀しそうなのに、と箱根のランナーの心配をして見たら、なかなかどうして、若者たちは意にも介さない様子で一心不乱に快走しています。

 日が沈み、日がまた昇ります。悠久の時の流れのなか、整然として正しくめぐり、まことに健やかというべきです。

 天行健なり。君子、以って自ら彊めて息まず。
 幸せな一年となるよう、お祈りいたします。

うごけば、寒い2013-01-19 13:38:23

 南国生まれにとって、この冬の寒さは、応えます。

 「うごけば、寒い」は、橋本夢道(http://tbbird.asablo.jp/blog/2008/02/27/2666324)の俳句です。夢道の墓は生前に建立されたようで、墓石にも、「炎天や『うごけば 寒い』吾が墓石」と刻まれています。
 普通、体を動かせばいくらかは温まりもしそうですが、真に骨まで沁み酷寒のなかでは、動けば動くほど心身とも辛くなるようです。

 そうすると、コタツのなかに足を埋めて読書するに如かず、です。
 子供が読みかけている武侠小説「鹿鼎記」(金庸原作、徳間書店)の日本語訳版を手に取って、適当にページをめくりました。
 あれっ、と思いました。
 あるはずと思ったものが、ないからです。

 台湾の遠流出版社から出ている中国語版が僕の本棚にありますが、比べると、この遠流版の第一話、および第一話直後に挿入されている注釈だけが、なぜか日本語訳版ではそっくり抜かれ、収められていません。
 あるいは、この日本語訳の原本にしている中国語版に、すでになくなっているかも知れません。


 省かれた本来の第一話は、歴史上に残る明史案(http://baike.baidu.com/view/295986.htm)を取り上げています。

 そして、続く作者による注釈は、次のように書かれています:
 「本書的寫作時日是一九六九年十月二十三日到一九七二年九月二十二日。開始寫作之時, 中共文化大革命的文字獄高潮雖已過去, 但慘傷憤懣之情, 兀自縈繞心頭, 因此在構思新作之初, 自然而然的想到了文字獄......」

 中華圏のベストセラー作家の金庸、本名は査良鏞、先祖のひとりに査嗣庭という人物がいます。
 清の雍正帝の時代、ウィキペディアの記載(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%8D%E6%AD%A3%E5%B8%9D)によれば、科挙の郷試において、礼部侍郎であった査嗣庭が試験官を務め、「詩経」の一節である「維民所止」を出題したところ、清朝を批判するものだとされ、査嗣庭は投獄され病死、死体は晒し者とされました。
 時事を風刺したりする日ごろの言動のせいだと思われますが、「維民所止」の「維止」が、漢字「雍正」の頭を刎ねた形であるため、とも言われています。

 改竄事件で話題になった「南方週末」のOBは、「微博」で「広東メディアは改革・開放後、最も暗黒な時代に遭遇した」と批判したそうです。
 政治が暗黒なほど、自由な言動は制限され、文字の獄は惨烈を極まるのです。


 橋本夢道は1941年(昭和16年)2月、治安法違反の容疑で逮捕されました。いわゆる新興俳句弾圧事件、もしくは昭和俳句弾圧事件です。
 治安維持法違反と言っても、菊は皇室の象徴として使われたゆえ、「菊枯れる」という季語を用いたことで皇室の衰退を暗示した、という言いがかりに近いケースも、なかにはあったそうです。

 夢道は当時37歳、妻子を残して二年間を獄中に送り、獄中の冬で詠んだのが、冒頭の一句でした。

 抑圧された苛政の下、人々は口を持っていても言葉は喋れず、手を持っていても文章は書けません。
 動けば、寒い、のであります。