「サハラ物語」の日本語訳 ― 2011-11-05 22:40:05
本作品は、三毛とそのスペイン人の夫ホセが北アフリカの砂漠で過ごしていた頃の生活記録ですが、中国語圏で長く人気を博したのは、その体験の珍しさだけではなく、作者の軽妙洒脱な文筆にもよるところも大きいと思います。
しかし日本語訳版からは、残念ながら、あまりその面影は伺えません。
普通の日本語の文章としても、冗長だと思える表現や意味が不明確な箇所が散見されます。
比較のために、ネットで見つけた中国版(http://www.millionbook.net/gt/s/sanmao/shldgs/index.html)を引用していますが、正規版ではなさそうで、タイプミスなどもあるかも知れません。
-(日本語訳)-
翌日また見に行くと、それはくるみ程の大きさに腫れあがり、彼女は痛がって破れたむしろの上にころがってうなっていた。「だめだわ、病院に行かなくちゃ」私は母親に言った。
「破れたむしろ」をわざわざ強調するところが気になりました。
-(原文)-
第二天再去看她,她腿上的癤子已經腫得如桃核一般大了,這個女孩子痛得躺在地上的破席上呻吟,“不行,得看醫生啦!”我對她母親說。“
なるほど、「破席」とはありますが、これは慣用語のようなもので、省略してもよさそうです。
-(日本語訳)-
半年あまりたつと、私はハンティの家族はもう大変仲良くなっていて、ほとんど毎日いっしょにお茶を沸かして飲んでいた。ある日、お茶を飲んでいる時のこと、ハンティと彼の妻のグーバイだけが部屋の中にいたが、ハンティが思いがけないことを言った。
「うちの娘はもうすぐ結婚する。あんた都合の良い時にあれに言ってやってほしいんだ」
-(原文)-
半年多過去了,我跟罕地全家已成了很好的朋友,几乎每天都在一起煮茶喝。有一天喝茶時,只有罕地和他的太太葛柏在房內。罕地突然說:“我女儿快要結婚了,請你有便時告訴她。”
この「お茶を沸かして飲んでいた。」も、好みの問題かも知れませんが、沸かさず飲むお茶がないし、冗長だと感じました。
まあ、ここまでは目くじらを立てるほどの内容ではありません。
-(日本語訳)-
「それは承知したよ。だがとにかく裁判所へ行って、どういうふうに手続きのしかたを聞かなきゃ。きみの国籍の問題もあるし」二人で結婚後の私の二つの国籍について、よく話しあった。
日本語自体、さほど違和感はありませんが。
-(原文)-
“這個我答應你,但總得去法院問問手續,你又加上要入籍的問題。”我們講好婚后我兩個國籍。
「講好」を「よく話しあった」と訳すのは、正確だと思えません。
ここでは、二重国籍を残すことにふたりで決めた、という程度の意味ではないでしょうか。
-(日本語訳)-
この時は迷宮山に迷わなかった。三十分行ったが、そこではなかったので引き返した。
「迷宮山」と三毛たちが呼んでいるのは、砂漠に聳え立ついくつかの大きな砂丘です。しかし「そこではなかったので」のところ、意味が不明です。
-(原文)-
迷宮山這次沒有迷住我們,開了半小時不到就跑出來了。
なるほど、「不到」を誤訳されたかも知れません。
(試訳)
「このときは迷宮山で道を迷うことなく、三十分足らずで出てこれました。」
-(日本語訳)-
それはもう四隅がすりきれてしまった写真で、西洋の服装を身につけたアラビヤの女が写っていた。均整のとれたスタイルに大きな目をしていたが、決して若くはない顔にゴテゴテと厚化粧が塗られていた。
-(原文)-
這是一張已經四周都磨破角的照片,里面是一個阿拉伯女子穿著歐洲服裝。五官很端正,眼睛很大,但是并不年輕的臉上涂了很多化妝品,一片花紅柳綠。
「五官很端正」をわざわざ「均整のとれたスタイル」に置き換えなければならない理由がわかりません。実際、その後に「胖腿下面踏了一雙很高的黃色高跟鞋」と続いているだけに、スタイルは均整が取れているか、かなり微妙です。
-(日本語訳)-
私は「待ってね」と言うと、家にとんで帰り、最高単位の総合ビタミン剤を十五粒持ってくると、ハティエットに渡した。「ハティ、あなた羊を殺すことができる」と聞くと、うんうんとうなずく。「まず彼女にこのビタミン剤を飲ませてやるの、一日二、三回ね。それからマトンのスープを作って飲ませてやってちょうだい」
このようにして十日もたたないうちに、そのハティエットの形容によると死にかかっていたいとこは、自分で歩いて私のところにやって来て、しばらく座って帰っていくほど元気になった。
ここまでくると、突っ込みどころが満載で、ほとんど小学生の作文になってしまいました。「あなた羊を殺すことができる」など、まさか能力を確認しているわけではないでしょうね。
-(原文)-
“等一下。”我說著跑回家去,倒了十五粒最高單位的多种維他命給她。“哈蒂,殺只羊你舍得么?”她赶緊點點頭。“先給你表妹吃這維他命,一天兩三次,另外你煮羊湯給她喝。”這樣沒過十天,那個被哈蒂形容成正在死去的表妹,居然自己走來我處,坐了半天才回去,精神也好了。
-(日本語訳)-
ホセが車を買うと、私はたちまちその「夢の白馬」が大好きになった。それでしょっちゅうこの白馬を連れて町へ出て用事を片付けたり、時には職場までの私の「夢の王子さま」を迎えに行くこともあった。
-(原文)-
等到荷西買了車子,我就愛上了這匹“假想白馬”,常常帶了它出去在小鎮上辦事。有時候也用白馬去接我的“假想王子”下班。
アフリカで運転免許を取得する話の枕ですが、「夢の王子さま」、「夢の白馬」と訳してしまうと、ニュアンスが大きく変わってしまいます。 若干難しいかも知れませんが、「假想」はあくまでも仮想であって、仮にそうだと置き換えているだけで、白馬に乗る王子さまと現実の車に乗る夫とは、やはり隔たりはあるかと思います。
コメント
_ 蓮 ― 2011-11-06 02:07:43
_ 花うさぎ ― 2011-11-06 09:31:59
確かに「舍得」や「假想」など訳しにくいけれど、もう少しどうにかならなかったのかと思います。大きな誤訳はないけれど、いい加減な詰めの甘い訳ですね。細かい部分に気を遣う時間がなかったのでしょうか。
サーチナの訳などにも、しょっちゅう誤訳があります。
最近も「日本女性在职场不好混」という部分が「日本女性は職場ではぶらぶらして時間を過ごせない」と訳してありました。こういう意味不明な日本語になった時に、どうして自分で変だと気付かないのか、そこが不思議です。
_ (未記入) ― 2011-11-06 16:12:26
私はそうとうに違和感があります。
特に「どういうふうに手続きのしかた」の部分です。「どういうふうに手続きをするか」か、もしくは「手続きのしかた」のいずれかでないと変ですよね。それに
「二人で結婚後の私の二つの国籍について、よく話しあった。」も「二人で」は「よく話し合った」の前に持ってきたほうがすっきりすると思うんです。
ところで「最高単位」ってこの場合は何なのですか。
_ T.Fujimoto ― 2011-11-09 22:48:32
ただ、有名出版社から出され、プロの翻訳家が訳した文章としては、明らかに満足できないレベルだと思いました。
_ T.Fujimoto ― 2011-11-09 23:20:30
「サーチナ」は読んだことがないですが、このサイトの記事等はすべて中国語から訳されているものでしょうか?
_ T.Fujimoto ― 2011-11-09 23:42:26
「最高単位」ですが、ビタミンの単位は何かを忘れてしまいましたが、mgなど量そのものではなく、効力を表す単位があるはずです。確かに通販でも「総合ビタミン(高単位タイプ)」と書かれたりします。最も含有量の高い総合ビタミンを持ってきた、ということではないでしょうか?
_ 花うさぎ ― 2011-11-10 18:46:40
>このサイトの記事等はすべて中国語から訳されているものでしょうか?
BBSはそのまま訳されていることが多いようですが、ブログの訳はダイジェストです。
以前には、誤訳が引き金となって、コメント欄で中国への罵倒が始まったことがありました。最近は、コメント欄はなくなったようですけど。
出版翻訳も、ネット上の翻訳記事も、もしかしたらおそろしく安い料金でやっているのかもしれないので、訳す側をあまり批判する気にもなれません。
翻訳は、このまま「安かろう、悪かろう。品質向上めざしてもむだ」みたいな世界になりそうです。
>「最高単位」ですが、ビタミンの単位は何かを忘れてしまいましたが、mgなど量そのものではなく、効力を表す単位があるはずです。
あ、そうなんですか。知りませんでした。ありがとうございます!
_ T.Fujimoto ― 2011-11-11 00:18:08
ネット上の翻訳もの、質にピンキリがあるのは、なんとなく仕方ないような気もします。恐ろしく安い料金でやっているものもあれば、高い品質が要求されるものもあるし、そういう要求は今後も続くのではないでしょうか?
翻訳に限らず、われわれの業界もそうです。デバッグにいくらか手を抜けば、だいぶ安く仕上げることが可能です。99.9%正常動作できる機械と、99.999%まで保障する機械とでは、値段に大きな違いが生じます。ミッションクリティカルな業務を行う企業は、それでも後者を選びますね。
_ ぜ ― 2012-01-29 23:50:16
こういうやり取り中国語が出来なくても個人の感性とインテリジェンスが出ていて、私には楽しいものです。
故意にはずす、正しい調子のリズムをわざと入れ替えて文章の肌触り滑らかさに不愉快な雑音を放り込んでいく事だってあるわけでしょうから、ねぇ。
楷書と行書、さらには癖の強いもはや判読しがたいまでの文字の傲慢不埒に感じ入ることも時にはあります。
_ T.Fujimoto ― 2012-02-01 00:07:31
故意にリズムを外して、ワンポイントアクセントを付けるのは、夏目漱石や井伏鱒二などを読んでも時々出くわすことがあって、どちらかと言えば好きです。
しかし、個性やスタイルとして確立できるまでは、なかなか難しいとは思います。
もっとも、ここでは、いくら文芸翻訳と言えども、最低限に守るべき正確さと原文に対する尊重(雰囲気などの伝達)を気にしたまでですが。
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