【馬関係の本】「文明開化うま物語」 早坂昇治 著2007-05-23 07:49:07

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 横浜の有隣堂から発行された「有隣新書」の1冊です。

 作者の早坂さんは、旧たんぱ放送の競馬中継アナウンサー、東京12チャネル(いまのテレビ東京)の競馬解説者などを歴任し、その後、根岸競馬公苑の学芸部長にもなっていた方です。

 緑書房から刊行されている「馬たちの33章」という氏の著書も手元にありますが、これも日本における馬の文化や歴史を、様々な角度から眺める、おもしろい1冊です。
 33章のうち、「西洋式競馬のはじまり」と題する章があり、現代競馬がどのように日本で始まったかを考証、紹介していますが、書かれた内容の元となっているのが、1989年先に出版された、題記の「文明開化うま物語」ではないかと思います。


 本書は3つの章に分かれています。

I. 西洋の馬文化がやってきた
II. 競馬-歩みはじめのころ
III. 馬場だけが知っている

 一番分量が大きく、重要なのが第2章かと思います。第1章はその導入部、第3章はその補足にあたります。


 ちなみに作者は、日本での西洋競馬の始まりは1861年だとしています。

 それは、元々横浜外国人居留地に住んでいたイギリス人たちが、たまたま役人の馬場が近くにあったので、何人かの有志が場所を借りて娯楽の競馬を行った、という形のものだと推定されています。
 競馬は、娯楽の少なかった居留外国人の共感を呼んだため、翌1862年は幕府に交渉し、居留地裡の空き地、現在は中華街として知られている場所で新たに円形の競馬場を作らせました。
 そして1862年の5月1日と2日に、初めて番組を事前掲載した形の、正式な競馬が行われたのであります。(なんと、その第1回競馬番組を掲載している英字新聞が現存しています。)

 居留外国人が増え、住宅の建設等により。中華街にあった競馬場はすぐに使えなくなりました。
 駐屯軍競馬などを経て、1886年に根岸競馬場の建設が始まり、1887年新しい根岸競馬場で最初の競馬が華々しく開催されたそうです。

 と言っても、幕末から明治30年頃ま日本で行われた競馬は、日本馬と中国馬が主体でした。
 日本在来種のなかでも南部馬が特に優秀だとされ、南部馬の「タイフーン」号は、1872年に1マイルを2分26秒で走破したそうです。
 現在のサラブレッド競馬と比べると、五十数秒は遅いタイムですが、馬場の違いもあり、まあまあ速い時計ではないかと思います。


 さて、根岸競馬場では、1942年まで実に76年もの間、毎年の春と秋を中心に競馬が開催されました。
 根岸競馬場の歴史は、ほとんどそのまま、日本競馬初期の歴史だと言っても過言ではない、かも知れません。

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