【読後感】「中央アジア歴史群像」 加藤九祚 著2007-05-04 17:09:48

.
 先月末、川崎は新百合ヶ丘で開かれた「包餃子・学中文」という、誠に素敵、かつ美味な集いに参加させて頂きました。
 会合の詳細は、つぼみさんのブログ(http://tubomim.exblog.jp/)や whyさんのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj)に詳しいですが、往復の電車で、だいぶ前に途中まで読みながら放置していた題記の本を、ようやく最後まで読めたことも、おまけのおまけですが、個人的な収穫のひとつです。

 岩波新書に収められているこの「中央アジア歴史群像」、作者の加藤さんはロシア語が堪能で、1963年以降中央アジア(現在のカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギルスタンなどを指す)へ数十回旅行されたそうです。
 この本は、古代ソグト人の時代から近代に至るまでの中央アジアを、何人かの歴史人物を通して紹介しています。

 アレキダンドロス大王に抵抗したスピタペネスから、8世紀のアラブ侵入に抵抗した中央アジアまでは、現存する情報源がギリシャなど相手側の書物がメインであるせいか、中央アジアのイメージがもうひとつ明確に汲み取れないような気がします。
 やはりペルシア、イスラム文化が入植され、この地域で元々伝わっていてチュルク語と渾然一体、新たな文化の花を咲かせた9世紀以降が、いま我々が持つ中央アジアのイメージの、その発端や発祥ではないかと思います。

 作者が歴史を語るうえで、重要だとしてあげた人物は次の人たちです:
・「ペルシア詩人の父」 ルダキー
・「百科事典的大学者」 イブン・シーナ
・「チンギス・カンに抵抗したオルト城主」 イナルチク
・「中央アジアの覇者」 チムール
・「ムガール帝国の創始者」 バーブル
・「ウズベク文学の祖」 アリシェール・ナワイー
・「トルクメニスタンの民衆詩人」 マハトゥム・クリ

 中央アジアから生まれた大征服者のチムールとかは別として、詩人・文学者が多いなのが特徴だと思われます。
 戦いに暮れたバーブルでさえも、多くの詩編を残しています。
 東西さまざまな文明・宗教が交錯するこの地、詩が人々の生活に溶け込んでいる様が、はっきりと伺えます。

 いままで多少とも読んでいたのはイブン・シーナぐらいのもので、マハトゥム・クリなどに至っては、ほとんど名前すら知らなかったんですが。

 そのマハトゥム・クリの詩が引用されています。
 隠そうとしないその強い無常観は、祇園精舎の鐘よろしく、日本の中世文学にも通じるところがあるようです。

   この世の栄光を誇るなかれ、私たちの存在は短い
   お前は留まることなく、必ず通り過ぎる、お前は永遠でない
   死という献酌官がお前に透明な飲み物を運んでくる
   自らが死の盃にすがりつく、お前は永遠でない

   この世は砂上の砦、時は文字をも消し去る
   永遠に続く混濁のなかで一切はその価値を失う
   かつて生命が栄えたところもいまは死の砂漠と化している
   過ぎし日の牧民の宿営地もいまは消えた、お前は永遠でない
   別離はつらい、別れる人たちは嘆き悲しむ
   お前が若く力強いとき、正しく慈悲深くあれ
   お前のいのちに火がともされ、熱く燃えるだろう
   そしてたいまつのように燃え尽きるだろう、お前は永遠でない