【馬関係の本】「信州 馬の歴史」 (信州馬事会 編)2007-05-12 01:11:13

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 題記の書物は昭和63年、信濃毎日新聞社から出版されたものです。
 僕は十数年前、神保町の書店で見かけて(古本屋ではなく新刊書店だったと思います)、購入したものです。

 これはなかなかの掘り出し物で、この本でなければ載らないような史料、ここで初めて知ったエピソートなど、参考文献としても価値は高いと思います。


 内容は8つの章に分かれて、信州の古墳と出土した馬具などを紹介する「馬の考古学」と、古代信濃の国で設置された御牧の話を中心に据えた「古代の御牧」から、「駅馬と伝馬」、「信州中馬」の章へ続き、そして一転して「木曽馬」の章では、題名の通り、在来の木曽馬の歴史と特色を記述しています。
 あとは「農馬と農車」、「戦争と軍馬」へと、ほぼ歴史の流れにも沿って、有畜農業時代や「非常時」の馬政などを述べて、最後は「民俗に見る馬」という章で締めくくっています。


 この本の特徴と言えるところは、脚色を施さない生の数字がたくさん出てきます。
 例えば、××駅から○○駅までの駅馬の駄賃がいくらかを示す表とか、明治後期から昭和初期まで県北部、中部、南部それぞれ繋養されていた種牡馬の数(軽種、中間種、在来種ごと)を示す表とか、例としてあげている馬飼育を兼業する農家の年間収入の記録など。
 時間があってちょっと詳しく見ると、それぞれいろなおもしろい話が読み出せるような気がします。

 あと、最後に信州馬事年表なるものが付録で付いていますが、これも割と詳しく書いてあって、年代別で調べ物があるときに便利だと思います。

【レース予想】2007ヴィクトリア・マイル2007-05-13 00:14:37

 本来の力から言えば、カワカミプリンセスとスイープトウショウが一枚上であるのは、ほぼ衆目一致しているところです。
 しかし、この組み合わせですんなり決まるかというと、そうでないと見る向きも多く、実際前売りの馬連オッズは5.2倍もついています。

 確かに、このチャンピオン牝馬2頭はとも穴があります。
 まず実質無敗のカワカミプリンセス、能力の高さは夙に知られていて、いまさら言うまでもないですが、元々桜花賞を回避しているぐらいで、マイルは得意距離とは捉えられていません。
 そのうえに、休み明けなので、どうしても一枚割り引いて考えざるを得ません。

 スイープトウショウのほうも、すでに6歳。
 競走馬としてのピークを越えている可能性が、確かに十分にあります。
 おまけに調教に相変わらずの気性難を見せて、スタートだってちゃんとまともにきれるかどうか、わかったものではありません。


 それでもこの2頭を選んだのは、一にも二にも、冒頭で述べた絶対能力を考慮した結果です。
 オッズが高めなのは、むしろ歓迎です。
 10ハロンのレースであれば、もっと確実なのでしょうが、府中のマイルなら、ほかの競馬場よりは底力が試されるレースになりやすいでしょう。

 そのなかでも本命はスイープトウショウにしたのは、前走で見せた相変わらずの末脚、あれを見れば、能力低下はさほどではないと考えることもできます。
 それに、対カワカミプリンセスで考えたとき、明らかに距離経験はこちらのほうが豊富です。

 本当は、一番勝ってほしいのは、カワカミプリンセスかも知れません。
 このへん、強い馬を見たい多くの競馬ファンも同じか、前売りの単勝1番人気です。
 休み明けのマイルG1をもいきなり勝ってしまうと、いよいよ本当に歴史的な名牝になりますね。

 但し、もう1頭の6歳馬・ジョリダンス、こちらも軽視できないと思います。
 スイープトウショウと同じ年齢ですが、長期休養を経験していて、レースでの消耗は少なく、いまこそピークを迎えているような観があります。
 確かに実績が劣り、前哨戦で負かしてメンバーもやや物足りないですが、内容や時計を見れば、もしかすると、スイープトウショウを相手にしても、マイルなら互角に近いレースができるようなレベルです。

 加えてもう1頭、キストゥヘヴン。
 カワカミプリンセス世代の桜花賞馬なので、同じマイル戦なら、完全に無視するわけにもいかないような気がします。


◎ スイープトウショウ
○ カワカミプリンセス
▲ ジョリーダンス
△ キストゥヘヴン

かもめ図書館2007-05-14 01:33:11

 昼過ぎ、子供を連れて近くの「小田原市立かもめ図書館」に行きました。

 先月行ったときは、図書システムの変更等に伴う長期休館に遭って入れなかったが、すでに業務は再開し、今日は大丈夫でした。
 それにしても、清潔なソファに座り、窓の外からのそよ風に吹かれながらの読書は、実に快適であり、無上の幸せを感じます。

 また、ボランティアの方による「絵本読み聞かせ」の時間もあり、子供のほうも大いに楽しんだようです。

【翻訳練習 (日→中)】「Sara」2007-05-15 00:15:08

 Sara   ~作詩 紅龍(上々颱風)
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晴れわたる空 眩しい緑 万里無雲的晴空 晃眼眩目的緑意
 アユタヤの街 続くこの道  古都大城的街道 無止境的延伸
樹々のさざめき 雀のおしゃべり 樹木們在喧鬧 麻雀在軽語
 きっとあなたも 聞いていたはず  那你一定也曾経聴過
河に遊んでる 水牛と子どもたち 小孩子們在河辺與水牛嬉戯
 どこまでも澄んだ その笑顔  那笑容 無比的清澈純真
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Sara Sara 水の流れ キラキラ黒い瞳 唽哩唽哩 潺潺流水 晶瑩剔透 如漆黒的瞳眸
 Sara Sara あなたの声 キラキラ胸に忘れない  唽哩唽哩 你的声音 晶瑩剔透 永難忘懐
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白い雲と 青い水田 白白的雲 湛藍的水田
 アユタヤの丘 木陰のまどろみ  古都大城的丘嶺 有樹蔭下的酣睡
遠い昔の 悲しい夢も 古老遙遠的 悲傷的夢
 きっとあなたも 知っていたはず  那你一定也早已熟知
夜空にきらめく あれは南十字星 南十字星在夜空閃耀
 いつまでもいつも 見つめてよ  無論何時永遠地 只是凝視著她
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Sara Sara 水の流れ キラキラ黒い瞳 唽哩唽哩 潺潺流水 晶瑩剔透 如漆黒的瞳眸
 Sara Sara あなたの声 キラキラ胸に忘れない  唽哩唽哩 你的声音 晶瑩剔透 永難忘懐
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小田原競馬場2007-05-17 00:43:29

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 神奈川県西の果てのこの地に住み着いてはや16年、もちろん知っています。
 小田原にケイリン場はあっても、競馬場はありません。

 いまは、ですね。


 1998年8月に配られた「小田原広報」No.728、これはいまも手元に残していますが、小田原競馬場について紹介していました。

 その記述によれば、大正14年から昭和5年という短い期間ではありますが、いまの小田原駅西口を出て、市役所に向かう途中にある山手橋を過ぎたところに、小田原競馬場が存在していました。

 大正12年の関東大震災は小田原にも大きな爪痕を残し、災後復興の一環で、元々梅林が一面に広がった丘をすり鉢状で切り取って建設されたのが、小田原競馬場でした。
 大正14年の第1回開催では 3日間で、延べ6万人の観客も集めたということなので、本当なら、いま土曜日の中山や阪神競馬場に匹敵するぐらいの入りでした。

 また、開催日には花火が打ち上げられ、熱気はお祭りのようだったとも書かれています。
 ちなみに、当時の馬券は1枚1円、アルバイト従業員の1日の賃金が約50銭ですから、かなり高額だったことがわかります。


 しかし、こうした競馬人気も長くは続かず、時代の移り変わりが速く、ふたたび戦争の影が覆い、昭和5年に小田原競馬場はその幕を閉じることになりました。
 競馬場はクレー射撃場や海軍航空技術京急所などに変貌して、戦後ではすっかり住宅地に姿が変わり、残念ながら、当時を偲ぶ面影はなにひとつなくなりました。

山在虚無縹緲間2007-05-18 00:13:43

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 そういえば、我が家の玄関を飾る一枚。
 これも、亡き父が残した絵です。一応額縁も自作だったようです。

 決して落款や捺印をしないところも、ほかの絵と同じです。

【レース予想】2007オークス2007-05-20 00:15:14

 まったくもって予想が当たりません。

 レース自体が荒れていることも確かですが、それでも昔ならもっとマシな結果になっているような気がします。もしかすると、記憶力、集中力、判断力...いろんな力に衰えが来ているのか?
 いや、まだそう思いたくはないですな。
 人間はだれにしても挫折は必要であり、それにおしひしがれず立ち上がることが大切だと、悲壮な気分で自らを鼓舞したり。
 せめて気力だけでも振り絞って、虚心になって検討することにしました。

 とはいえ、今週のオークス、またもや一筋縄には行かないレースです。
 ハイ・レベルと言われてきた今年の3歳牝馬ですが、桜ウオッカは牡馬が出るダービーに挑戦、ダイワスカーレットは熱発により回避、アストンマーチャンは距離適性を考えての路線変更、花賞で3強に祭り上げられていた馬たちがいずれも出走して来ません。

 代わりに、一応抜けた1番人気に支持されたのが、2回の抽選はずれなど、桜花賞へは出走すらかなわなかったベッラレイアです。
 この馬、荒れ削りながらも、べらぼうに能力が高いなのはこれまでのレースで証明済みです。なにしろ抜け出したときの脚の回転が、まるでエイトマンような速さです。
 最近は逃げ先行馬の前残りが多い傾向ですが、ジョッキーたちはそろそろもっと積極的なレース運びをするだろうと、祈りにも似た予想をし、本命馬を支持することにしました。

 相手は、桜花賞好走したカタマチボタンとローブデコルテでしょう。ダイワスカーレットとウオッカから離されたとは言え、化け物2頭はここにはいないので、大威張りしてもいいはずです。
 わすれな草賞を買ったザレマもも軽視できないし、レインダンスももう一度見直ししたい1頭です。

 NHKマイルで人気薄で制したピンクカメオは、実はもとより能力は注目していた1頭ですが、距離がどうかというところがありますので、今回は思い切ってはずすことにします。
 ミンティエアーも強いですが、オークスで考えるとキャリアが心配です。


◎ ベッラレイア
○ カタマチボタン
▲ ローブデコルテ
△ ザレマ
△ レインダンス

【馬関係の本】「文明開化うま物語」 早坂昇治 著2007-05-23 07:49:07

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 横浜の有隣堂から発行された「有隣新書」の1冊です。

 作者の早坂さんは、旧たんぱ放送の競馬中継アナウンサー、東京12チャネル(いまのテレビ東京)の競馬解説者などを歴任し、その後、根岸競馬公苑の学芸部長にもなっていた方です。

 緑書房から刊行されている「馬たちの33章」という氏の著書も手元にありますが、これも日本における馬の文化や歴史を、様々な角度から眺める、おもしろい1冊です。
 33章のうち、「西洋式競馬のはじまり」と題する章があり、現代競馬がどのように日本で始まったかを考証、紹介していますが、書かれた内容の元となっているのが、1989年先に出版された、題記の「文明開化うま物語」ではないかと思います。


 本書は3つの章に分かれています。

I. 西洋の馬文化がやってきた
II. 競馬-歩みはじめのころ
III. 馬場だけが知っている

 一番分量が大きく、重要なのが第2章かと思います。第1章はその導入部、第3章はその補足にあたります。


 ちなみに作者は、日本での西洋競馬の始まりは1861年だとしています。

 それは、元々横浜外国人居留地に住んでいたイギリス人たちが、たまたま役人の馬場が近くにあったので、何人かの有志が場所を借りて娯楽の競馬を行った、という形のものだと推定されています。
 競馬は、娯楽の少なかった居留外国人の共感を呼んだため、翌1862年は幕府に交渉し、居留地裡の空き地、現在は中華街として知られている場所で新たに円形の競馬場を作らせました。
 そして1862年の5月1日と2日に、初めて番組を事前掲載した形の、正式な競馬が行われたのであります。(なんと、その第1回競馬番組を掲載している英字新聞が現存しています。)

 居留外国人が増え、住宅の建設等により。中華街にあった競馬場はすぐに使えなくなりました。
 駐屯軍競馬などを経て、1886年に根岸競馬場の建設が始まり、1887年新しい根岸競馬場で最初の競馬が華々しく開催されたそうです。

 と言っても、幕末から明治30年頃ま日本で行われた競馬は、日本馬と中国馬が主体でした。
 日本在来種のなかでも南部馬が特に優秀だとされ、南部馬の「タイフーン」号は、1872年に1マイルを2分26秒で走破したそうです。
 現在のサラブレッド競馬と比べると、五十数秒は遅いタイムですが、馬場の違いもあり、まあまあ速い時計ではないかと思います。


 さて、根岸競馬場では、1942年まで実に76年もの間、毎年の春と秋を中心に競馬が開催されました。
 根岸競馬場の歴史は、ほとんどそのまま、日本競馬初期の歴史だと言っても過言ではない、かも知れません。