小田原競馬場2007-05-17 00:43:29

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 神奈川県西の果てのこの地に住み着いてはや16年、もちろん知っています。
 小田原にケイリン場はあっても、競馬場はありません。

 いまは、ですね。


 1998年8月に配られた「小田原広報」No.728、これはいまも手元に残していますが、小田原競馬場について紹介していました。

 その記述によれば、大正14年から昭和5年という短い期間ではありますが、いまの小田原駅西口を出て、市役所に向かう途中にある山手橋を過ぎたところに、小田原競馬場が存在していました。

 大正12年の関東大震災は小田原にも大きな爪痕を残し、災後復興の一環で、元々梅林が一面に広がった丘をすり鉢状で切り取って建設されたのが、小田原競馬場でした。
 大正14年の第1回開催では 3日間で、延べ6万人の観客も集めたということなので、本当なら、いま土曜日の中山や阪神競馬場に匹敵するぐらいの入りでした。

 また、開催日には花火が打ち上げられ、熱気はお祭りのようだったとも書かれています。
 ちなみに、当時の馬券は1枚1円、アルバイト従業員の1日の賃金が約50銭ですから、かなり高額だったことがわかります。


 しかし、こうした競馬人気も長くは続かず、時代の移り変わりが速く、ふたたび戦争の影が覆い、昭和5年に小田原競馬場はその幕を閉じることになりました。
 競馬場はクレー射撃場や海軍航空技術京急所などに変貌して、戦後ではすっかり住宅地に姿が変わり、残念ながら、当時を偲ぶ面影はなにひとつなくなりました。

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