【レース予想】2009年天皇賞・春2009-05-03 09:36:53

 3200メートルの天皇賞は好きです。

 近年、スピード競馬がもてはやされ、多くの重賞は距離が短縮され、新設されたG1も中、短距離のレースばかりです。確かにスピード重視の配合が多くなるにつれ、重厚なスタミナ型が少なくなってきましたが、何もマラソンを走らせるわけでなく、16ハロンぐらいなら問題はないと思います。
 一息つく向こう正面、人馬の呼吸、折り合いはどうか。そろそろ仕上げに入る二周目の3コーナー、騎手の駆け引き、仕掛け所はどこか。そういう見方も楽しめるのは、長距離戦ならではです。


 今年のメンバーは、よく言えば百花繚乱、多士済々ですが、悪く言ってしまえば、ドングリの背比べ、そんな気がします。信頼が置けるスーパースターがいなく、どこからでも買える、どう買えても安心できない、出馬表を見ながらそういう溜息が出ます。
 能力だけ押し切れてしまう中心馬がいないから、ステイヤーが活躍する古き良き時代の天皇賞を思い出しても、まあ、よいでしょう。

 古き良き時代のスタミナの権化と言えるのが、メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンの血統。去年(http://tbbird.asablo.jp/blog/2008/05/04/3453481)同様、ここでは改めてホクトスルタに期待したいです。
 対抗は、中途半端な一番人気になりましたが、菊花賞を勝っているアサクサキングス。
 去年1、2着したアドマイヤジュピタ、メイショウサムソンが引退したいま、3、4着にそれぞれ粘ったアサクサキングス、ホクトスルタが、ここで大威張りして不思議はないはずです。


◎ ホクトスルタ
○ アサクサキングス
▲ ジャガーメイル
△ モンテクリスエス
△ アルナスライン
△ スクリーンヒーロー
△ ネヴァブション

Pacman対Hitman2009-05-05 00:10:53

 オスカー・デ・ラ・ホーヤと最後にグローブを交えた選手にして、ゴールデン・ボーイに引導を渡したと言ってもいい、あのマニー・パッキャオは今度、5階級制覇を達成したそうです。

 まあ、引かれたのは「Pacman対Hitman」というキャッチフレーズですが、事前の「煽りビデオ」(↓)はかなり凝った作りです。盛り上げようとしていたのはわかりますが、結果はマニー・パッキャオの圧勝でした(2ラウンドKO勝ち)。
 IBOというマイナー団体、リッキー・ハットンという元チャンピオンは、フィリピンの英雄パッキャオにとっては軽かったかも知れません。


佃島とその渡し船2009-05-05 22:41:17

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 情けは人のためならず。

 めぐりめぐって己が身のため......。 このように語り出されるのが、三代目三遊亭金馬の「佃祭り」です。

 佃島の住吉神社の大祭りはすごい人出、八丁堀の次郎兵衛というものが、その日最後の渡し船に乗って戻ろうとしたところ、若い女に袖を引き留められました。
 いまや佃島の船頭の女房となったその女、三年前に吾妻橋から身を投げようとしたとき、五両をめぐんで助けたのが次郎兵衛であり、命の恩人と思いがけない再会、というわけです。
 このやりとりの間に渡し船が出てしまったので、女は次郎兵衛を家まで案内し、あらためて夫婦で礼を尽くしてもてなしたところ、「大変だ、大変だ」の声がこだまします。人を乗せすぎたせいか、なんと乗り損ねたその最後の渡し船は転覆したそうです。
 事故で乗客はひとり残らず溺れて死んだというので、次郎兵衛の家も大騒ぎ。奥さんが涙の通夜をしているところで、船頭に送られて次郎兵衛が戻ってきました......

 最後に与太郎の話がついてしまうのは、落語の落語たるところですが、本来はしんみりした人情話です。このへん、円歌の門を叩く前に元々講釈師に弟子入りしていた金馬らしい話でしょうか。


 歌川広重の「名所江戸百景」に「永代橋佃しま」というがあります。(http://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/item/hiroshige157.htm
 永代橋から南の眺めで、白魚の漁り火が見えます。白魚を捕るのは佃島の船の特権、11月から3月まで行われる江戸の風物詩だそうです。
 手元に杉浦日向子の「江戸アルキ帖」(新潮文庫)がありますが、「橋上、立ち止まって、水の上の漁り火に見とれている人が、欄干に点々と影となってよりかかっている。」となっています。


 大田南畝の「半日閑話」に、明和六年二月四日に佃島渡し船転覆の記述があり、死者三十余人だったそうです。
 東京オリンピックの頃に橋ができて、ようやく休止符が打たれましたが、それまで佃島には三百年以上もの、長い渡し船の歴史がありました。

 「佃島ふたり書房」で第108回直木賞を取った出久根達郎が、その江戸時の佃島の渡し守を題材にして書いたのが、上の写真の「波のり舟の ~佃島渡波風秘帖(つくだのわたしいざこざひかえ)」(文春文庫)です。

 この小説に書かれているのは佃島であって、作者が創作したユートピアでもあります。主人公である渡し守の正太は、島の平穏が乱されるのを好まず、島と向こう岸との行ったり来たりするだけの日常に満足するような平凡な男です。

 「毎日ひとつ所」をこいている渡し守ですが、普通の人の生活だって大差はないかも知れません。


 出久根達郎は中卒して上京し、月島の古書店で丁稚奉公していました。多感な年頃、落ち込むことがあると、職場近くの佃島を訪れていたそうです。
 小説だけでなく、エッセイでも「佃島の娘」、「佃島の猫」などが「人さまの迷惑」に収録されたり、佃島の住吉神社について綴った「住吉さま」、「縁結びの神」は「思い出そっくり」に収録されています。
 それぐらい作者にとって思いで深い、心の中の原風景だったのでしょう。

 「佃島には三軒の佃煮屋さんがある。その一軒の『天安』で、海老やハゼを百グラムずつ求めて、それを肴にカップ酒を飲んでいた。」
 「調子に乗って飲み過ぎて、藤棚下のベンチで酔いつぶれた。目がさめたら、私の回りに十匹も二十匹もの猫が集まっていて、ひどく驚いた。私の肴を食い散らかしていたのである。」(「佃島の猫」)

 この「天安」は、いまも変わらず営業しているようです。Googleでサーチすると、元祖佃煮の文字が踊るホームページが出てきます(http://www.tenyasu.jp/)。いかにも歴史がありそうな建物に、懐かしい古の風景が見えた気がします。

 出久根達郎は、佃島出身の奥さんと結婚し、佃島で古本屋を開いた、という話を書いています。
 「私は毎朝、渡船を利用して神田の古書市場に仕入れに行った。妻は店を開き帳場に座った。冒頭に述べた如く佃島は文人墨客の行楽地であるから、古本商売でもなんとか二人口を養うぐらいの実入りはあった。まして相思相愛の若夫婦に、少し位の貧乏がなんであろう。」(佃島の娘」)


 「波のり舟の ~佃島渡波風秘帖」の「切口上」に書かれていますが、佃島の渡し守の名は、安藤鶴夫の文章では代々「時(とき)」と呼ばれているそうです。
 理由は記されていませんが、決まった時間に船を出すことで時を刻むか、振り子のように行ったり来たりしながらも変わらぬ時間を演出するか、そのどちらかと思いました。

 ちなみに、出久根達郎はこの安藤鶴夫を「通人通語」にも取り上げていて、「人の情のなつかしく、我が心の『おやじ』」というタイトルでした。
 その安藤鶴夫は、しかしなぜか冒頭の「佃祭り」の三遊亭金馬とはそりが合わないようです。
 安鶴版「わが落語鑑賞」に文楽、三木助、可楽はいても、金馬のキの字も出てこないようです。三遊亭金馬は落語評論家として絶大的な力を持つ安藤鶴夫に徹底的に無視され、また、桂文楽が思い出話などを見ると、金馬のほうも安藤をことのほか嫌っていたようです。

フグのエキス2009-05-08 01:29:53

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 大型連休の最終日、雨の中、子供を連れて江ノ島の水族館に行って来ました。

 フグが泳ぐ水槽の前に、若いカップルが談笑していました。
 「いつも思うけど、なんで河豚は海なのに、漢字は『河』と書くのかな?」
 「川にもいたりして」
 「いや、それだけはないよ。『海』で書くと、確かにイルカになってしまうよね。」
 「そうだっけ?イルカとフグは一体どこが似ているかな?」


 イルカとフグのどこが似ているかは置いとくとして、「それだけはない」というのはウソで、大陸の大きい川にフグが捕れることだけは間違いないです。

 「本草綱目」に河豚は江淮河海に皆あると言っているから、古来より、長江にも淮水にも黄河にもそれぞれいるはずです。
 ネットで調べると、河豚は「長江三鮮」のひとつに数えられ、中国では長江産のものが一番有名だそうです。しかし江豚と呼ばず、河豚だと名付けたところ、その昔は黄河産のものが有名だったかも知れません。


 いずれもしても、台湾Yahooの質問回答(http://tw.knowledge.yahoo.com/question/question?qid=1306020206076)に、「全球只有日本人吃河豚,而且視為河豚是珍饈。」とあるのは、きっと間違いです。
 少なくとも中国人は昔から食し、東坡居士の「正是河豚欲上時」もあれば、梅堯臣の「河豚当是時 貴不数魚蝦」の詩も知られています。

 日本だけでなく、エジプトにもフグを捌くための免許が存在するらしいです。
 中国はどうかはわかりませんが、数百年前にはさすがにないでしょう。
 むかし当ブログで陳維崧の詩を引用した(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/02/23/1203213)ことがありますが、清の大詩人・陳維崧は河豚を食って中毒し、「顔も目も腫れ上がって弁識できないほど」だと、王漁洋という人が「居易録」に記しているそうです。
 このくだり、青木正児が著書の「酒の肴」に書いてありますが、青木正児は下関の生まれで、河豚(「フク」と、濁らず書いた)にはそれなりのこだわりがありそうです。


 さて、「毒の話」(山崎幹夫、中公新書)によれば、フグ毒の中毒は早い場合は20~30分、通常は3~6時間で発症します。中毒症状はまず頭痛、めまい、胸苦しさを感じ、動悸が激しくなるそうです。
 毒成分テトロドトキシンの人での致死量はなんと0.5~2ミリグラムだけで、比べても意味はないですが、言ってみれば青酸カリの百分の一以下です。

 うえの写真は、江ノ島水族館の売店で購入した土産の「河豚せんべい」です。

 フグの味はしない(というよりフグの味は?)ですが、成分を見ると、ちゃんと「フグのエキス」というのが含まれています。
 フグのエキスってなんだろうかと考えているうち、まさかですが、ちょっとめまいがしてきました。

競走馬のバックフリップ2009-05-15 00:56:56

 仰向けて一回転までしてしまうこともあるのですね。


 いや、騎手はよく無事でした。

【レース回顧】2009ヴィクトリアマイル2009-05-18 07:48:34

 月並みの表現ですが、恐れ入りました。昨日のウオッカは、桁違いに強かったのです。

 思い出したのは昨年の安田記念、内目をうまく抜け出した後は、すでに勝利を確信して、悠々とその余韻を楽しんでいるような風情でした。
 これで4年連続にして5つ目のG1(Jpn1)、獲得賞金も歴代牝馬の1位に躍り出たそうです。いまさらですが、名牝というより歴史的な名馬として、記録と記憶の両方に名を残すのでしょう。

 さて、次は安田記念の連覇へ挑むのでしょうか。この調子を維持できれば、可能性は十分にあるのでしょう。

 離されはしましたが、ブラボーデイジーは上がり馬の勢いを見せて、軽快な、よい走りを見せました。
 一方、ウオッカ以外のG1(Jpn1)馬、カワカミプリンセス、レジネッタ、リトルアマポーラはいずれも掲示板に載ることができず、結果としては期待はずれだったと言わざるを得ません。

ほし芋の味2009-05-19 00:37:09

 西鶴の辞世の句を読みました。

 「浮世の月見過ごしにけり末二年」。
 52歳に亡くなり、平均寿命より2年余分に生きてしまった、という意味のようです。

 その昔の平均寿命から言えば、残り十年の時点もとうに過ぎていて、そのせいかどうか、最近は年寄りらしくなってきたようです。
 そのひとつかも、と思ったのは、「干し芋」が美味いと感じるようになったことです。


 親父がまだ生きていた頃なので、考えてみればだいぶ前のことになります。全然大した話ではないですが、なぜかいまもありありと覚えているのが、親父が突然に干し芋が食べたい、と言い出したときのことです。

 いや、もとより珍しいものではなく、前から食品売り場で時々見かけますが、目を惹くものでもないし、僕は食べた記憶すらなかったのです。
 結局あのときは近所のスーパーで見つからなく、ちょっと離れた大きいスーパーまで車を飛ばし、ようやく首尾良く一袋を手に入れることができたんだと思います。

 袋を開けてあげると、親父は薄褐色の一切れをゆっくり口に運び、暫く咀嚼したあと、申し訳なさそうに手を止めました。
 聞くまでもなく、あまり美味しくなかったのですな。


 甘い菓子など口にすることのない、戦時中の少年にとって、ほし芋はまさに最高なごちそうでした。
 思い出の中では最高にうまいものも、残念ながら、末期ガンで宣告された余命を過ぎた後に食べて、感動は甦ってこなかったのです。

 所詮はそんなもので、ほし芋の残りは、全部僕が頂きました。
 本来はほんのり甘い菓子ですが、あのときはなぜかちょっとしょっぱく感じ、美味しいとは思えませんでした。

大食いの奇跡2009-05-20 22:18:41

 いま「イスラム聖者 ~奇跡・予言・癒しの世界」(講談社現代新書)を読んでいますが、イスラム聖者が行った「奇跡」を、スブキー(?~1370)が25種類に分類した、という話が出ています。
 死者の再生、死者との会話、治療などと並び、「異常にたくさん食べられる能力」というのが、分類の第17項にあります。

 確かに古来の英雄に大食いの伝説が欠かせません。
 「シャー・ナーメ」の英雄・ロスタムなど、大人5人前の肉とパンを離乳食にしていたそうです。

 そうすると、N.Y.でのHot Dog Eating Contestで6連覇した小林尊、大食い大魔神の異名を持つジャイアント・白田、涼しい顔であくまでも美味そうに食べ続けるギャル・曽根など、テレビなどで呆れるぐらいの大食いを見せる現代フードファイターたちは、奇跡を実演している現代の聖者・英雄なのでしょうか?


 文化14年3月、江戸は両国柳橋で行われた「大酒大食の会」に関する記録が「兎園小説」に残って、青木青児の「抱樽酒話」に引用されています。

 見ると、制限時間はわかりませんが、例えば「飯連」の部門では、三河島の三右衛門という人が飯68杯と醤油2合を平らげ、浅草の73歳の和泉屋吉蔵の記録は飯58杯と唐辛子54です。
 ほか、「蕎麦組」では二八そばを57杯やら63杯やらを食べた豪の者が現れたり、「菓子組」、「酒組」ともども、目を疑いたくなるような数字が残されています。

 青木青児先生の感想は、「呆れ返った連中であるが、太平の楽事、羨むべし。」
 「僅かばかりの配給米に露命をつなぎ、たまさかの配給酒か闇酒で咽をうるおし、一きれの羊羹でああ甘かったと舌鼓を打つ当世から考えると、まるでうそのような話。」


 そのウソのような話が、苦難の時を経て、いま再現されています。

 世界中に目を向けると、相変わらず多くの人間が食糧難に苦しんでいます。鯨呑牛飲を自慢する大食いは、正直、見て気持ちいいものではないし、奨励する気もさらさらないですが、少なくともひとつだけ、現代の日本は平和でかつ豊か、その現れだと言えましょう。
 多少の不況があるぐらい、本当に苦しい時代を生きた先哲たちから見れば、いまもまだまだ羨むべし「奇跡」の時代なのでしょうね。