ほし芋の味2009-05-19 00:37:09

 西鶴の辞世の句を読みました。

 「浮世の月見過ごしにけり末二年」。
 52歳に亡くなり、平均寿命より2年余分に生きてしまった、という意味のようです。

 その昔の平均寿命から言えば、残り十年の時点もとうに過ぎていて、そのせいかどうか、最近は年寄りらしくなってきたようです。
 そのひとつかも、と思ったのは、「干し芋」が美味いと感じるようになったことです。


 親父がまだ生きていた頃なので、考えてみればだいぶ前のことになります。全然大した話ではないですが、なぜかいまもありありと覚えているのが、親父が突然に干し芋が食べたい、と言い出したときのことです。

 いや、もとより珍しいものではなく、前から食品売り場で時々見かけますが、目を惹くものでもないし、僕は食べた記憶すらなかったのです。
 結局あのときは近所のスーパーで見つからなく、ちょっと離れた大きいスーパーまで車を飛ばし、ようやく首尾良く一袋を手に入れることができたんだと思います。

 袋を開けてあげると、親父は薄褐色の一切れをゆっくり口に運び、暫く咀嚼したあと、申し訳なさそうに手を止めました。
 聞くまでもなく、あまり美味しくなかったのですな。


 甘い菓子など口にすることのない、戦時中の少年にとって、ほし芋はまさに最高なごちそうでした。
 思い出の中では最高にうまいものも、残念ながら、末期ガンで宣告された余命を過ぎた後に食べて、感動は甦ってこなかったのです。

 所詮はそんなもので、ほし芋の残りは、全部僕が頂きました。
 本来はほんのり甘い菓子ですが、あのときはなぜかちょっとしょっぱく感じ、美味しいとは思えませんでした。

コメント

_ 花うさぎ ― 2009-05-19 08:41:35

>甘い菓子など口にすることのない、戦時中の少年にとって、ほし芋はまさに最高なごちそうでした。

素朴そうに見えて、案外、干しイモや干し柿って高いものですよね。
たいしておいしいものでもないのに、こんなに高くて誰が買うのだろう、と思っていました。
私はいまだに干しイモも干し柿も好きになれません。
ただ、年をとったのか、子供と一緒にファミレスなどに行っても食べたいものがなくて困るようになりました。

_ 村長 ― 2009-05-19 13:08:27

お父様、干し芋を噛みながら、昔のことを思い出して
いらっしゃったのでしょうか。

私も、市販の干し芋はあまり食べる気がしませんが、
群馬の朝市で買った干し芋は本当に美味しかったです。
工場で機械乾燥するのと、民家の軒先に干すのとでは、
味が違うのかもしれません。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-19 23:58:50

花うさぎさん、仰るとおりで、干しイモや干し柿は意外といい値段で売られています。
手間がかかるらしいです。機械で大量生産できるものが安く、人の手で手間暇かけて作るものが高い、そういう世の中でしょうね。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-20 00:24:18

村長さん、こんばんは。
人生が終焉に近づくことを悟って、干し芋を囓っていた
昔を思い出し、走ってきた日々を振り返っていたのでしょうね。

それにしても、そうですか、工場で機械乾燥するのと民家の軒先に干すのとでは、味が全然違うのですね。きっとスーパーで売られているのは前者で、父が本当に幼い頃に食べていたものを持ってこれなくて、いま考えると悔いが残ります。
去る人はすでに諦めがつき、ずいぶんとさっぱりしていたかも知れませんが。

_ gotozrx ― 2009-05-20 07:26:39

好物の 干し芋 俺は 欲張らず 
 残りの全部 おまえに譲る

子供の長生きを祈る父の辞世 お粗末様スミマセン…

_ why ― 2009-05-20 19:38:13

干し芋が食べたいとおっしゃったお父さまはきっと若かりし日に思いを馳せて、過ごして来られた人生の色々な出来事を、干し芋で確かめたかったのではないでしょうか。お父さまのお気持ちを察すると、胸が一杯になりました。

私、干し芋も干し柿も昔から大好きです。
エキスが詰まっているからか、生のそれよりも甘くて、その上、歯ごたえがあって美味しい。
昔は機械で加工する干し芋なんか聞いたこともなく、民家の軒先で干されていたお芋は時々目にしていました。北の風を受けて、日に日に黒ずんで、萎んで、甘みが増して・・・って感じでしたっけ。

こんなことを言っていいかしら。
・・・数年前に、スーパーで買った干し芋を、喜んで食べようと開けてみたら、長い髪の毛が一本、袋の中に静かに横たわっていました。
以来、一度も口にしていません。ズボラのわりには案外、神経質なところもあるんだなと、どうしようもなく思っています。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-21 22:18:35

gotozrxさん、おもしろい歌、ありがとうございます。

物資の乏しかった頃はほかに選択肢がなかったが、実際はそれほど美味しいものではなかったかも、逝く人がぽつりとこぼした感想は、こっちまでもが残念に思うものでした。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-21 22:32:48

whyさん、干し柿は、僕も昔は好きでした。
いや、いまも嫌いではなく、目の前にあったら、たぶん自然に手を伸ばしたのでしょう。ただ近年はまったく食べていないのは、その存在を忘れていて、少なくとも積極的に食べたいほどの「思い」がない、ということです。

人生の色々を確かめるしかない時が来たら、いったい何を最後に食べたいと思うのでしょうか?

_ 蓮 ― 2010-07-02 23:35:41

心にのこる素敵な文章読ませてもらいました。

_ T.Fujimoto ― 2010-07-04 10:04:53

蓮さん、思い付くままで綴った雑文ですが、お褒めの言葉ありがとうございました。

_ sharon ― 2010-07-06 09:57:43

>人生の色々を確かめるしかない時が来たら、いったい何を最後に食べたいと思うのでしょうか?

干し芋のぱりぱり感を思い出し、喉が渇いてきました。私なら最後にひんやりした冷たいお冷がほしいと思います。

_ T.Fujimoto ― 2010-07-07 06:47:54

sharonさん、ぱりぱり感はないでしょうが、干し芋は喉に引っかかるかも知れませんね。
現実では、最後の刻になっても食べ物を味わえるかが問題なのでしょうが、イメージとして、です。お冷やでさっぱり流してサヨナラ、というのもすっきりしていいかも。

_ ぜ ― 2012-01-30 00:06:42

私にとっては真冬の西瓜。

アマチュアゴルファーの無謀運転でいぬっころみたいにひき殺されてしまいました。

冷たい雨の降りしきる夕方ごろりと転がっていました。親父の好きだった酒屋の前でした。

それ以後わたしはゴルフを憎み、金持ちをねたみながらこの世の中をひっくり返してやりたいと念にじながらも、その実は臆病に世古世故と生きてしまいました。

西瓜を食いたいといった父はまだ40半ばでしたが、其の健康な歯はわずかに薄赤いだけの西瓜を少し齧るだけで終わりでした。

_ T.Fujimoto ― 2012-02-03 00:03:47

To:ぜ様
真冬の西瓜、ですか?
いまひとつ理解できていませんが、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身、人の世の出来事、やはり予測のしようもない儚いものかも知れません......

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