【翻訳練習】懐かしい曲「My Hometown」2013-02-22 23:27:14

 そろそろおしまいにしようかと思いますが、最後にもう一曲紹介させてください。
 Bruce Springsteenの「My Hometown」です。

 

 Bruce SpringsteenとMark Knopflerは、その時代の僕のヒーローです。
 渋くて格好いいと、単純にそう思いました。


オレが8歳の頃、親父の新聞を買いに、
よく小銭を握り バス乗り場のほうへ走っていた。
古くてでかいビュイックの運転席で、
おやじの膝に座り 町を走り回ったとき、
オレの髪をくしゃくしゃに撫でながら言った。
息子よ いいかい、よく見ておくんだ、これがお前のふるさとじゃ。
これがお前のふるさと。
お前が生まれ育った場所、
これがお前のふるさとじゃ。

'65年の頃、オレの高校にも緊張が高まり、
黒人と白人の間に数え切れないほどの衝突が起きていた。
なすすべなど 何もなかったさ。
土曜の夜、信号で2台の車が止まり 後部座席に銃が置いてあった。
ショットガンの一撃で、言葉がかき消された。
やっかいな時代が オレのふるさとにやってきた。
オレのふるさと。
オレが生まれ育った場所、
オレのふるさとに。

いまではメインストリートさえ、あるのは閉め切った窓と空っぽの店ばかり。
もうはや誰もここにやって来なくなったようだ。
線路の向こうの敷物工場もまもなく閉鎖される。
仕事はみなよそにもって行かれたと、現場のおっさんが言った。
もう誰もお前のふろさとにはもう戻ってこないさ。
お前のふるさと。
お前が生まれて育った場所、
お前のふるさとに。

オレとケイト、昨夜はベッドで横になりながら、
ここから出て行くことを話し合った。
荷物を積み込み、たぶん南のほうに向かうだろう。
オレは35歳になり、いまじゃオレにも息子がいる。
昨晩 ハンドルの前に息子を座らせて言った。
息子よ いいかい、よく見ておくんだ、これがお前のふるさとだ。

【翻訳練習】懐かしい曲「Summer of '69」2013-02-01 17:59:00

 極私的な、80年代音楽ブームは、なお続いています。

 こちらは、Bryan Adamsの「Summer of '69」 です。


 もうちょっと後の「Have You Ever Really Loved a Woman?」は、いまも携帯電話に入っていますが、私にとってのBryan Adamsは、やはり1980年代の「Heaven」やこの「Summer of '69」が原点です。
 原詩は、 こちら です。


最初の本物のギターは
安物雑貨店で手に入れた
指に血がにじむほど弾きまくった
'69年の夏のことだった

学校の仲間らとバンドを作り
そりゃ一所懸命やったよ
やがてジミーが抜け ジュディが結婚し
うまくいくわけがないと 知るべきだった

いま振り返れば
あの夏は 永遠に続きそうだった
できることならば
いつまでもあのころのままでいたかった
人生で一番の日々だった

不平をこぼしても仕方がないさ
働きはじめたのだから
ドライブインで夜をぐったりと過ごし
そしてその頃 君に出会った

君の家の玄関前に立ち
いつまでも待っているわと 君は言った
おれの手が 君に握り締められたとき
絶対いましかないと 気づいていた
人生で一番の日々だった
あぁ

遠い'69年の夏に

おれらは 時間を無駄にした
おれらは若くて じっとしていられなかった
もっと落ち着かなければならなかったんだ
永遠に続くものは きっとありゃしない
永遠なんて

そしていま時代は変わった
過去に去来したすべてをじっくりと見つめることができる
おんぼろのギターを手に取るとき 君のことを思い出す
どうしてうまくいかなかっただろうね

君の家の玄関前に立ち
いつまでも待っているわと 君は言った
おれの手が 君に握り締められたとき
絶対いましかないと 気づいていた
人生で一番の日々だった

あぁ、遠い'69年の夏に
おぉ、'69年の夏だった
あぁ、おれとあの子がいた'69年
おぉ~
夏、夏、'69年の夏だった

【翻訳練習】懐かしい曲「Forever Young」2012-12-19 21:06:39

 ここ数週間、'80年代の音楽ばかり聴いています。
 若かりし日々を懐かしむようになったのは、年を取った徴候なのでしょうね。

 その懐かしい歌のなか、Laura Branigan が唄ったこの「Forever Young」も含まれています。


 これほどの名曲をただ再紹介するだけではいくらなんでも能がないので、若干趣向を変え、歌詞の日本語訳にもチャレンジしたいと思います。
 と言っても、訓練を受けていないド素人が1時間も掛けずに拵えたものなので、出来に自信がない、というより、出来の悪さには相当な自信があります(^^;)
 すみません、先に謝っておきます。

 なお、大同小異ながら、原詩はいくつか異なるバージョンがあるようで、ここではこれを基準にします。


優雅に踊り、しばらくは踊ろう
天国は待ってくれるはずと、ただ空を眺める
最高の結末を望みながらも、最悪の事態を予想する
それとも我々を、びっくりさせてくれるのかしら

若くして死ぬか、それとも永遠に生きるか
我々に力はないけど、いつだって諦めきれない
砂場に座り、命は短い旅
悲しい人たちのために、音楽がある

いつ宇宙がひとつになるかを、想像できるかい?
太陽に顔を向けて
リーダーを称えながら、調子を合わせる
狂気の人により、音楽が演じられた

永遠の若さ
いつまでも若くありたい
君は本当に永遠に生きたいのか?
いつまでも永遠に

永遠の若さ
いつまでも若くありたい
君は本当に永遠に生きたいのか?
いつまでも永遠に

水のようなものがあれば、熱のようなものがある
奏でられる旋律もあれば、刻まれるリズムもある
早かれ遅かれ、みんなが消えて去ってゆく
なぜ彼らは若いままに留まれないか?

わけも知らずに老いてゆくのはつらい
老馬のようにただ死を待つのは耐え難い
若さは太陽に照らされるダイヤモンドのようである
しかしダイヤモンドは永遠に輝くはず

たくさんの冒険は、まだ今日はできない
たくさんの歌を、我々は忘れていた
多くの夢は、なおはるか彼方で待っている
我々は実現させようとしている

永遠の若さ
いつまでも若くありたい
君は本当に永遠に生きたいのか?
いつまでも永遠に

「ナマハゲ体験講座」の中国語訳2012-04-16 23:05:06

 東北観光博覧会(http://www.visitjapan-tohoku.org/)のポータルサイト多言語版が、一時閉鎖になりました。

 外国語訳に誤りが多く、苦情が殺到し、公開しながらの修正を断念したそうです。(http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2012041305820.html
 むべなるかな、機械翻訳の結果を、そのままホームページに載せたようです。

 例えば、歌人の石川啄木の法要「啄木忌」は、英語で「Woodpecker mourning」になっていました。Woodpeckerは鳥のキツツキ(啄木鳥)ではありますが (笑)
 例えば、「ナマハゲ体験講座」は、中国語で「はげ頭病の講座を体験する現場」と誤訳されたそうです。
 目が点になりましたが、なるほど、infoseekの翻訳ページでやってみると、中国語訳では「经验现场秃头病讲座」に化けています。


 上のネットニュースによれば、「担当者は『自動翻訳機の辞書機能に固有名詞を登録するなど改善を図っていきたい』と話す。」とあります。いや、そういう問題ではないと思いますが。
 そもそも現在ネット上の機械翻訳は、そのまま実用に耐えられるものだと考えている人が存在していることに、かなりびっくり仰天です。

「サハラ物語」の日本語訳2011-11-05 22:40:05

 いつも通っている図書館に「サハラ物語」(三毛 著、妹尾加代 訳、筑摩書房、1991年3月初版)が置いてあるのを、いまさら気づきました。原作は三十年前に台湾で読みましたが、懐かしくなって、この日本語訳版も借りてみました。

 本作品は、三毛とそのスペイン人の夫ホセが北アフリカの砂漠で過ごしていた頃の生活記録ですが、中国語圏で長く人気を博したのは、その体験の珍しさだけではなく、作者の軽妙洒脱な文筆にもよるところも大きいと思います。
 しかし日本語訳版からは、残念ながら、あまりその面影は伺えません。

 普通の日本語の文章としても、冗長だと思える表現や意味が不明確な箇所が散見されます。
 比較のために、ネットで見つけた中国版(http://www.millionbook.net/gt/s/sanmao/shldgs/index.html)を引用していますが、正規版ではなさそうで、タイプミスなどもあるかも知れません。


-(日本語訳)-
翌日また見に行くと、それはくるみ程の大きさに腫れあがり、彼女は痛がって破れたむしろの上にころがってうなっていた。「だめだわ、病院に行かなくちゃ」私は母親に言った。


 「破れたむしろ」をわざわざ強調するところが気になりました。

-(原文)-
第二天再去看她,她腿上的癤子已經腫得如桃核一般大了,這個女孩子痛得躺在地上的破席上呻吟,“不行,得看醫生啦!”我對她母親說。“


 なるほど、「破席」とはありますが、これは慣用語のようなもので、省略してもよさそうです。

-(日本語訳)-
半年あまりたつと、私はハンティの家族はもう大変仲良くなっていて、ほとんど毎日いっしょにお茶を沸かして飲んでいた。ある日、お茶を飲んでいる時のこと、ハンティと彼の妻のグーバイだけが部屋の中にいたが、ハンティが思いがけないことを言った。
「うちの娘はもうすぐ結婚する。あんた都合の良い時にあれに言ってやってほしいんだ」


-(原文)-
半年多過去了,我跟罕地全家已成了很好的朋友,几乎每天都在一起煮茶喝。有一天喝茶時,只有罕地和他的太太葛柏在房內。罕地突然說:“我女儿快要結婚了,請你有便時告訴她。”


 この「お茶を沸かして飲んでいた。」も、好みの問題かも知れませんが、沸かさず飲むお茶がないし、冗長だと感じました。
 まあ、ここまでは目くじらを立てるほどの内容ではありません。

-(日本語訳)-
「それは承知したよ。だがとにかく裁判所へ行って、どういうふうに手続きのしかたを聞かなきゃ。きみの国籍の問題もあるし」二人で結婚後の私の二つの国籍について、よく話しあった。


 日本語自体、さほど違和感はありませんが。

-(原文)-
“這個我答應你,但總得去法院問問手續,你又加上要入籍的問題。”我們講好婚后我兩個國籍。


 「講好」を「よく話しあった」と訳すのは、正確だと思えません。
 ここでは、二重国籍を残すことにふたりで決めた、という程度の意味ではないでしょうか。

-(日本語訳)-
この時は迷宮山に迷わなかった。三十分行ったが、そこではなかったので引き返した。


 「迷宮山」と三毛たちが呼んでいるのは、砂漠に聳え立ついくつかの大きな砂丘です。しかし「そこではなかったので」のところ、意味が不明です。

-(原文)-
迷宮山這次沒有迷住我們,開了半小時不到就跑出來了。


 なるほど、「不到」を誤訳されたかも知れません。

(試訳)
 「このときは迷宮山で道を迷うことなく、三十分足らずで出てこれました。」

-(日本語訳)-
それはもう四隅がすりきれてしまった写真で、西洋の服装を身につけたアラビヤの女が写っていた。均整のとれたスタイルに大きな目をしていたが、決して若くはない顔にゴテゴテと厚化粧が塗られていた。


-(原文)-
這是一張已經四周都磨破角的照片,里面是一個阿拉伯女子穿著歐洲服裝。五官很端正,眼睛很大,但是并不年輕的臉上涂了很多化妝品,一片花紅柳綠。


 「五官很端正」をわざわざ「均整のとれたスタイル」に置き換えなければならない理由がわかりません。実際、その後に「胖腿下面踏了一雙很高的黃色高跟鞋」と続いているだけに、スタイルは均整が取れているか、かなり微妙です。

-(日本語訳)-
私は「待ってね」と言うと、家にとんで帰り、最高単位の総合ビタミン剤を十五粒持ってくると、ハティエットに渡した。「ハティ、あなた羊を殺すことができる」と聞くと、うんうんとうなずく。「まず彼女にこのビタミン剤を飲ませてやるの、一日二、三回ね。それからマトンのスープを作って飲ませてやってちょうだい」
このようにして十日もたたないうちに、そのハティエットの形容によると死にかかっていたいとこは、自分で歩いて私のところにやって来て、しばらく座って帰っていくほど元気になった。


 ここまでくると、突っ込みどころが満載で、ほとんど小学生の作文になってしまいました。「あなた羊を殺すことができる」など、まさか能力を確認しているわけではないでしょうね。

-(原文)-
“等一下。”我說著跑回家去,倒了十五粒最高單位的多种維他命給她。“哈蒂,殺只羊你舍得么?”她赶緊點點頭。“先給你表妹吃這維他命,一天兩三次,另外你煮羊湯給她喝。”這樣沒過十天,那個被哈蒂形容成正在死去的表妹,居然自己走來我處,坐了半天才回去,精神也好了。


-(日本語訳)-
ホセが車を買うと、私はたちまちその「夢の白馬」が大好きになった。それでしょっちゅうこの白馬を連れて町へ出て用事を片付けたり、時には職場までの私の「夢の王子さま」を迎えに行くこともあった。


-(原文)-
等到荷西買了車子,我就愛上了這匹“假想白馬”,常常帶了它出去在小鎮上辦事。有時候也用白馬去接我的“假想王子”下班。


 アフリカで運転免許を取得する話の枕ですが、「夢の王子さま」、「夢の白馬」と訳してしまうと、ニュアンスが大きく変わってしまいます。  若干難しいかも知れませんが、「假想」はあくまでも仮想であって、仮にそうだと置き換えているだけで、白馬に乗る王子さまと現実の車に乗る夫とは、やはり隔たりはあるかと思います。

【翻訳練習 (中→日)】「向晩的淡水」2011-07-13 09:56:43

 作者は林文義、原文(但し前半部分のみ)はこちら(↓)。
<http://www.mingdao.edu.tw/library/peruse/lip/%E5%90%91%E6%99%9A%E7%9A%84%E6%B7%A1%E6%B0%B4--%E6%9E%97%E6%96%87%E7%BE%A9.pdf>

 九歌出版社より、と文末にありますが、1980年7月の「大同半月刊」で掲載された後、「千手観音」なる随筆集に収められ、元々は蓬莱出版社が1981年に出版したものです。
 古い初版本が、台湾→日本→中国→日本と海を渡り、いま手元にあります。

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 [ 夕暮れの淡水 ]

 渡し船もこれが最終便だろう。船尾のフェンスに寄りかかって、私は船に砕かれた白い浪を見つめた。夕暮れの海風はやさしく、乱れた黒髪をかすかに掠め、潮をゆるやくになだめる海風のように......北淡線の列車はもう出そうだな、と船頭さんが言った。私は頭を横に振り:バスに乗って帰ります。心のなかでは、この柔らかな潮風に乗って帰るよ、と呟く。ちょっとキザだったかな?いや、八里郷から淡水鎮に向かう道は、まさしく最も美しい旅路なのだ。

 私の右目には、暗くなりかけた大屯山の巨大な影;左目には夕陽を浴び、赤く染め上げられた紅毛城の、古く哀愁に満ちた佇まい。淡水、近づいてきた- 若き日の感情が蠢く、この小さな港町よ。船頭は舵に気を配り、船をゆっくり接岸しようとしている。青を基調とした波止場は、セザンヌの絵を思い出させる。最終便の船が岸に着き、泊まる。寄り添う姿に、まるで愛情がこもっているように思えてきた。岸辺の無言で力強い懐に身を寄せ、満天の星を頭上に頂き、満足感に浸って、静かに休む....そう思いをめぐらせていたところ、船は岸に着いた。

 先に岸に上がったのは、若い夫婦だった(或いは恋人達か?)。船に乗せてきたバイクを男が岸から引っ張り上げ、女のほうは後ろから押した。彼らはすぐにエンジンを掛けなかった。小さな港の魚屋さんで二尾の魚を買い、顔いっぱいに笑みを浮かべながら、ようやくバイクに跨って行った。もしかして、彼らの家はこの小さな町の一角。和風の木造住宅を見れば、外は赤いレンガの低い壁が囲い、紫色の藤の花が中から壁の外まで伸び、その外は奥深い路地、路地を進むと夕焼けに輝く海に突き当たる......何艘かのいかだがゆらゆらと浮かんでいるかも。

 遠く、小さく、無数の四角い窓にすべて灯が点り、淡い黄色もしくは青、いずれも暖かみが溢れ、人の望みを吸い寄せる。この海辺の小さな町、たそがれどきには言いようのない輝きが放たれ、まるで油絵で見るような鮮烈な色彩だ。西に落ちてゆく夕陽が、まず美しく豊潤な黄色をあたりに塗り、そのうえ、鮮やかな紅色と黄金色で町の光る部分を描き出す。そして影をなす部分は、一面の紺青だ。古く狭い路地を歩けば、曲がり角の向こうから、いきなり老人の顔が不意に目の前に現れてくる- 老人は色褪せした扉の下に静かに座り、団扇をゆったり扇ぎ、慈しみに満ちた古い微笑みをあなたに投げかける。

 路地を行くと、暗くなりかけた夕暮れのなかに大きな古い教会が聳え、見上げる塔の先端に白いハトが軽やかに飛び回る- 異国にいるように感じた。エーゲ海沿いの小さな国だろうか?彼らのゴシック式の小窓は、夕暮れになると、必ず小さなロウソクを灯し、町ごとロウソクの影に揺らぐ......ここはしかしあの青いエーゲ海岸ではなく、ここは淡水、海辺にある小さな町だ。

【翻訳練習 (日→中)】昔から雨が降ってくる2011-06-28 01:53:15

 いつものようにwhyさんのブログを眺めていたら、中島みゆきの歌詞を中国語に翻訳されているのを見つけました(http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj/60615579.html#60617634)。
 どうやら元は、塵さんが先に訳されていたようで(http://blogs.yahoo.co.jp/sea85419sen/archive/2011/06/19)、いわば競作?です。

 whyさんの訳も、塵さんの訳も、さすがにプロだけに、それは実に素晴らしいものです。あえて顰みに倣い、素人なりに訳してみたいと思いました。
 推敲はあまりできていないですが、素朴な原詩から、素直に思いつく言葉を並べると、このようになりました。

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  「雨總是下不停」  ~中島みゆき

以前 我好像是池辺的一棵樹
只懂得要把手伸向遙遠的天際 是一棵無奈的樹
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨

以前 我好像是海辺的一尾魚
只想著如何学会説出心裏的話 是一尾寂寞的魚
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨

以前 這裡有大恐龍 還有小恐龍
是不是也如此仰頭看著雨 是不是也如此垂頭被雨打
雨珠不停地飄落
雨總是下不停

以前 我好像是崖辺的一隻虫
只知道朝著遙遠森林的那頭走 是一隻虔誠的虫
雨珠不停地飄落
於是我想起來了 我到底是誰
雨總是下不停 令人千思萬想的雨
雨珠不停地飄落
令人千思萬想的雨
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遣唐使時代の通訳2009-02-11 01:27:32

 「古代日本人と外国語」(湯沢質幸、勉誠出版)を読んでいて、「通事」や「訳語」と呼ばれていた遣唐使時代の通訳の話は、とても興味を惹くものでした。

 以下はメモ代わり:

・主たる通訳の地位や待遇ですが、「延喜式」の記述を参照すると、大使、副使、判官、録事に続き、船頭や医師と同格かちょっと上ぐらいです。

・遣唐使では訳語(中国語の通訳)以外、新羅、奄美等の訳語も同乗していて、寄港地や漂流地の言葉が話せる通訳も必要だったわけです。

・通訳の任命は「行き会ったりばったり」的で、通訳の養成に関する朝廷の命令が何回かあったが、どうもあまり計画的に継続していなかったようです。

・838年(承和5年)お入唐船団には少なくとも4人の通訳が同行していたうえ、唐の楚州に定住していた新羅人の劉慎言をも雇っていました。(劉慎言は通訳というより、広く遣唐使や在唐日本人の世話をして、金品手紙の受け渡しや保管もやっていた、日本の「中国現地事務所長」風でした。)

・中・日間だけでなく、日本が新羅や渤海国との間で使われていた外交用言語も中国語(唐語)だと推定されています。