世界中の旧正月2009-02-03 00:57:41

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 アジアを中心に旧正月に関する写真の数々です。
 Big Pictureの写真は、相変わらず素晴らしいです。

 <http://www.boston.com/bigpicture/2009/01/chinese_new_year_welcoming_the_1.html>

青春の魔法2009-02-05 00:00:53

 敬愛する浜尾朱美さんは、著書「私の競馬」の序章で、「青春の魔法が解けてしまった。と実感した時があった。」から書き始めています。
 忙しくも安定した生活から安らぎを得た代償として、恋をする「ときめき」を失っていた。と、岩井俊二監督の映画「ラブレター」を見たあとに気づき、暗澹とした気分に襲われた、という話です。

 青春の魔法とは、胸を焦がす切なさと、ときめく恋心です。

 「ラブレター」は映像美も素晴らしい映画でしたが、もっと普通の、例えば大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」とか、もしくはほとんどサブカルの「グミ・チョコレート・パイン」などを何気なく見ていて、不意に胸がキューンとなる瞬間があります。
 遠い彼方に逝ったはずの甘酸っぱい気分が甦り、懐かしいのと、やばい、動揺しているぞ、という思いが混じります。
 ですが、感情の渦は一瞬にして抑圧されてしまいます。夢を見る頃は、やはりとっくに過ぎてしまったようです。

遣唐使時代の通訳2009-02-11 01:27:32

 「古代日本人と外国語」(湯沢質幸、勉誠出版)を読んでいて、「通事」や「訳語」と呼ばれていた遣唐使時代の通訳の話は、とても興味を惹くものでした。

 以下はメモ代わり:

・主たる通訳の地位や待遇ですが、「延喜式」の記述を参照すると、大使、副使、判官、録事に続き、船頭や医師と同格かちょっと上ぐらいです。

・遣唐使では訳語(中国語の通訳)以外、新羅、奄美等の訳語も同乗していて、寄港地や漂流地の言葉が話せる通訳も必要だったわけです。

・通訳の任命は「行き会ったりばったり」的で、通訳の養成に関する朝廷の命令が何回かあったが、どうもあまり計画的に継続していなかったようです。

・838年(承和5年)お入唐船団には少なくとも4人の通訳が同行していたうえ、唐の楚州に定住していた新羅人の劉慎言をも雇っていました。(劉慎言は通訳というより、広く遣唐使や在唐日本人の世話をして、金品手紙の受け渡しや保管もやっていた、日本の「中国現地事務所長」風でした。)

・中・日間だけでなく、日本が新羅や渤海国との間で使われていた外交用言語も中国語(唐語)だと推定されています。

【レース予想】2009きさらぎ賞2009-02-14 23:37:53

 大器晩成とはまことに便利な言葉ですが、実際その通りであることは少ないです。ダービーまではまだ日があるとして、少なくとも皐月賞を考えると、今ごろ雌伏したままではほぼ絶望的です。

 そういう見方で見たいのはきさらぎ賞です。
 クラシックに直結しないレースだと、ハクタイセイが勝つあたりまでは言われていたような記憶がありますが、その後に西高東低がずっと続いていることもあり、いつの間にかクラシックの登竜門レースになってきました。

 今年も大器だと騒がれているリーチザクラウンが出走してきます。年末のラジオNIKKEI杯でロジユニヴァースに負けるまでは、ダントツのクラシック候補ナンバー・ワンでしたが、さすがにあの4馬身差でややトーンダウンしています。それでも千両賞とその前の未勝利戦での勝ち方があまりに派手なので、明日では引き続き一番人気は間違いないでしょう。
 リーチザクラウンに負けた馬たちのその後は、しかし見てみるとぱっとしていないので、意外と千切られたほうが軽かっただけかも知れません。
 まあ、勝ちタイム等を分析すれば、弱い馬でないのは間違いないですが、飛び抜けていないとすれば、こんなところで大本命を押すほど素直ではありません。

 本命は、ベストメンバーでいいかと考えています。
 寒竹賞は強かったし、負かしたピースオブラックも将来性が豊かな一頭なので、2馬身差は十分に優秀だと見ています。
 北島三郎のキタサンガイセンは2連勝中ですが、新馬戦のほうの末脚が印象的です。

 人気の一角になりそうなリクエストソングですが、前走はハマったという印象があるし、対戦相手の質を調べると、言われるほど信頼は置けないと思えました。


◎ ベストメンバー
○ リーチザクラウン
▲ キタサンガイセン
△ ダノンカモン

西説伯楽必携2009-02-16 23:48:07

 先日、古代史の通訳についてのメモを載せた(http://tbbird.asablo.jp/blog/2009/02/11/4111983)ら、whyさんから、江戸時代の通事や通詞に関するコメントを頂きました。
 たまたまちょっと前に「西説伯楽必携」なる書物を調べていて、江戸時代の阿蘭陀通詞が登場してきましたので、併せて概要をメモしておきます。

・江戸時代の翻訳といえば、鎖国と同時に誕生し、開国と共に終焉を迎えた阿蘭陀通詞が重要な地位を占めていました。

・1729年、阿蘭陀通詞の今村源右衛門(今村英生)による「西説伯楽必携」というと分厚い翻訳書ができあがっていましたが、日本初の本格的な西洋書の翻訳だと見ている研究者が多いです。

・8代将軍吉宗は西洋馬の輸入に熱心で、その関係で馬術師のハンス・ユンゲル・ケイゼルが1725年に来日し、御前で乗馬や射撃を披露し、西洋式馬術、飼育法、馬の病の治療法を伝授しました。

・今村源右衛門は若い時に長崎の出島の医師ケンペルの助手となり、新井白石のシドッチ尋問に関わり、その後吉宗の時代に大通詞として重用された人物でした。「西説伯楽必携」は翻訳と、源右衛門が直接ケイゼルに聞いたことをまとめたものだそうです。


 蘭学の先鞭をつけたのが、西洋馬術、馬医関係の翻訳本だというのは意外ですが、たまたま必要に迫られていただけかも知れません。
 ちなみに、かの有名な「解体新書」より半世紀も古いです。(あまり関係ないですが、1852年には題名が一字違いの「解馬新書」という馬医書も、菊池東水より記されています。)

 さて、題名の「西説伯楽必携」のなかの「伯楽」ですが、元々「星経」には「伯楽、天星名、主典天馬」とあり、天にいる馬を司る星の名前だそうです。

 日本語には古くから伝わり、「博労」、「馬喰」(ばくろう)も「伯楽」から転じた言葉だそうです。
 古文書に「伯楽をはくらうとよみたるはよし、誤るにあらず」とあるにはありますが、いまに「名伯楽ですね」と言えば、馬を扱う人にとってこのうえにない賛辞になりますが、語感と当て字が悪いせいか、「最高の馬喰ですね」というとまず怒られそうです。

八方美人的な絵2009-02-18 00:09:42

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 これ(↑)が世界中でもっとも好かれている絵です。

 まさか。
 いや、そう反論されるかとは思いますが、ちゃんと世界中の人々からアンケートを取った結果に基づいて、ふたりの画家が一所懸命描いたものです。

 アンケートというのは、 「もっとも好きな色は?」、「二番目に好きな色は?」、「モダンアートと伝統アートで好きなのはどっち?」、「戸外と室内のシーンで好きなのはどっち?」のような文字による質問です。描くほうはとにかく可能な限り、その多数意見に従って、さくさくと描き込んだわけです。
 したがって、一番人気の青と二番人気の緑が多用され、野外の風景が描かれて、絵の中には野生動物(ペットよりも好まれて)やグループ(個人より好まれて)なども含まれています。

 質問は三十数問にのぼり、結果はこちらです(http://www.diacenter.org/km/surveyresults.html)。

 なにはともかく、上の絵が結論になります。
 さあ、これは芸術なのでしょうか? 科学なのでしょうか?
 え?そのどちらでもない?

小2の宿題2009-02-21 01:14:08

 国語の宿題ですが、意外と難しかったりします。

===================================================
「どんな かん字が 入るかな」
 まん中の 四角に、かん字を 1文字 入れると、矢じるしの
ように よめる ことばが できます。 矢じるしに ちゅういし
て、四角に 入る かん字を 書きましょう。


   雪
   ↓
歩→□→場
   ↑
   近

   電
   ↓
会→□←手
   ↑
   通

   工
   ↓
新→□→文
   ↓
   家

   地
   ↑
紙←□→心
   ↑
   活

   校
   ↓
正→□→番
   ↑
   入

   図
   ↓
読→□→道
   ↓
   記

   船
   ↓
気→□←立
   ↓
   力

   算
   ↓
人→□→字
   ↑
   点

===================================================

子供は、3問を残してギブアップしたようです。

津本陽の言葉2009-02-22 11:19:21

 いままではさっぱり縁がなかったのですが、去年の暮れから続けて津本陽氏の小説を3冊読みました。
 奇抜な設定や劇的な展開がふんだんにあるわけではないですが、行雲流水のように流れるその言葉に、魅了されました。

 以下に適当にいくつの段落を写してみましたが、使い古しになっていない表現をちりばめながら、難解になったり飾りすぎたりする嫌いもなく、僕には心地よかったのです。


 「さあこれから河原町で茶漬けなどを食べて、金福寺から詩仙堂へでもいってくるか」
 晴れわたった秋空をながめ、三条大橋の手前の小路で昼食をとった。
 歯の傷に障らないようゆっくりと食事を終えると、高下履を鳴らし東へむかって歩を運ぶ。賀茂河原には薄が白銀の波打たせ、赤とんぼが群れをなして澄んだ空中に浮いている。
 (「拳豪伝」より)

 往来に沿う店舗は顧客の足がとだえることなく、祭礼のような賑わいをみせている。書林は遠方からでも眼につく看板を掲げ、店頭に和漢の書籍を山積みしている。呉服屋は眼もあやな色彩の布帛を軒に垂れ、道を行く女性を誘う。
 傘屋、煙草屋、花かんざし屋、段通敷物屋、絵草紙、銅器、磁器、骨董、菓子、煎餅、鯛味噌、奈良漬、寿司、岩おこし、かまぼこ。かぞえきれない多種多様の店舗が、男衆、女中を店頭に立たせ、客の呼び込みに懸命であった。
 (「拳豪伝」より)

 日常の些細な物事が、いくらでも古池に湧く泡のように頭にうかび、佳つ次は果てもない物思いに疲れ切って、悲鳴をあげる。
 彼女は左馬之助が、この屋形へもう帰ってこないのではないかと、怯えていた。おそれたらいかん、こわがる者には、ほんまに鬼が姿をみせにくるのやと、気をとりなおそうとするが、懊悩はみぞおちのあたりにわだかまって、うごかなかった。
 (「剣のいのち」より)

 東使左馬之助は、左手で佩刀の鯉口を切り、姿をあらわした敵を横目で睨みながら、足先で地面をさぐった。彼は無意識に、斬りあいに有利な低い足場を求めた。眩しい朝の陽射しが照りわたり、顔に冷や汗がふきだしてくる。
 (「剣のいのち」より)

 湯のような風が、草いきれをはこんでいた。道筋の地蔵尊のうえに枝をひろげる、楠や椋の古木で、無数の油蝉がやかましく啼き立てている。
 宮本武蔵は菅笠を眼深にかぶり、ゆっくりと足を運んでいる。陽は頭上をわずかに過ぎていた。
 (「宮本武蔵」より)

 三日ののち、武蔵は円光寺へ帰った。千種川沿いに六里の道を辿り、途中、蝉時雨のなかで握り飯を食う。
 彼はあとを追ってくる敵がいないのをたしかめたのち、河原に降りると衣類をぬぎすて、川に入った。肌に冷たい水はこころよい。抜き手を切って中流に泳ぎ出て浮き身をする。
 彼は弥蔵、お千とともに讃甘竹山城下の野池で泳ぎまわり、田螺とりに陽の落ちるのを忘れた記憶を呼び起こす。
 ...
 初夏の空に、ちぎれ雲が流れていた。武蔵はふだんは思いだすのを避けている、讃甘に住んでいた頃のふるびた記憶の絵を、幾枚もくりひろげた。
 (「宮本武蔵」より)


 高下履を「鳴らし」、足先で地面を「さぐった」、ですな。