景気の波、人生の波2009-03-04 23:10:08

 資本主義の経済には、48年から60年ぐらいの周期で景気の山谷が遷る長期的な循環が存在します。そう提唱したのが、旧ソビエトの統計学者ニコライ・D・コンドラチェフ教授で、1926年の論文に含めて発表しています。1930年代から1940年代の世界恐慌を予測したこの長期変動は、「コンドラチェフの波」と呼ばれたりするそうです。
 昭和50年1月の朝日新聞で取り上げた記事が、講談社ブルーバックスシリーズの「予測の科学」で引用されていますが、見ると、周期的にはやや遅れていますが、いまがほぼその第5波の谷底だと見ることもできます。
 波が終わったら完全に元に戻るものではなく、朝日新聞で取り上げた記事では、波を打ちながらも波ごとにわずかずつ上にのぼっていく図にしています。

 この循環の周期や要因は、あまり理論的に説明されず、もしかしてただの偶然かも知れません。

 しかし祇園精舎の鐘、沙羅双樹の花、何一つ変わらないものがなく、諸行無常、盛者必衰、これだけは我々が常に経験してきたことです。
 あれこれ変化する様は「ゆらぎ」だと捉えることができ、大きなゆらぎのなかに小さなゆらぎが含まれ、さまざまなゆらぎのなか、ほぼ元の状態に復帰するものもあれば、「経年変化」によって復帰しないものもありましょう。

 四季は変わらず循環するだけのように見えても、そのなかを生きている人間が、いつの間にか老いてしまいました。
 最近keikoさんも書かれた「年年歳歳花相似, 歳歳年年人不同」(http://taohua1.exblog.jp/9329157/)も、まあそういうことなのでしょうね。

光~眼遇之則成色2009-03-05 00:06:34

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 講談社のブルーバックスシリーズと言えば、だいぶ古い(1986年)ですが、「馬の科学」というのが手元にあります。
 この本では馬の色覚について、以下のように書かれています。

 「馬の色覚についてはまだ不明なところが多いが、網膜には桿体と錐体の両方の視細胞が認められていることから、色覚域は狭いものの、ある程度の識別は可能といわれていいる。」


 もっと時代を遡ると、馬は色覚がない全色盲だと書かれている文献すら多いが、80年代でもまだこの程度の認識ですね。
 近年の研究結果によれば、鳥類とかは四色型色覚なのに対して、馬を含めてほとんどの哺乳類動物は二色型色覚だそうです。

 人間もほかの哺乳類同様、明るさを識別する桿体に較べると、色を識別する錐体の数が少ないですが、なぜか多くの人は3種類の錐体細胞を持つ三色型色覚に進化しています。
 いわゆる光の3原色は、まあ、三色型色覚を持つ人間を基準にしているものでしょう。

 X染色体上に位置する黄緑錐体(赤錐体)と緑錐体は、元は同じものだった経緯もあって、遺伝上の変異が生じやすいらしいです。どちらかの遺伝子を失ってしまうこともありますが、両方の中間的な特性を持つ「中間型」の錐体細胞を生み出したりすることもあるそうです。
 X染色体を1本しか持たない男性はこの遺伝上の影響を受けやすく、「中間型」の錐体を遺伝した場合も、通常の三色型色覚を前提とした色覚検査をパスできない場合が多いです。

 ところが、X染色体を2本持つ女性のなかには、片方が通常の黄緑錐体(赤錐体)と緑錐体、もう片方は「中間型」の錐体を持つケースがあるそうです。
 この場合、四色型色覚となるため、三色型色覚を持つ大多数の人が識別できるすべての色を見分けられるだけでなく、大多数の人がわからない、黄色/赤の混合光とオレンジ色の光の違いを区別ができたりします。

 wikipediaの「色覚異常」の項に、以下の一文が載っています:
 『正常色覚も異常色覚も単に人間の感覚であり、どちらが正しいわけでもないし、ある意味ではどちらも間違いだともいえる。なぜなら、そもそも物理学的には、「色」という物理量は存在せず、あくまで波長の違う可視光線を個々人の脳がどのように「色」として解釈するかでしかないからである。 ただ多数派が「正常」色覚者と呼ばれるだけである。』

 たぶんこれが正しい解釈なのでしょう。

夏の風2009-03-07 10:48:08

 1986年暮れの香港で行われた、競馬の国際招待競走「香港ヴァーズ(香港瓶)」に、「風之歌」という馬が出走して4着に入りました。ほかでもなく、日本からの遠征したソングオブウインドのことであり、直前に菊花賞を勝ったばかりの3歳馬でした。
 香港でのレースを最後に、故障が判明して早々と引退して種牡馬生活に入りましたが、急死した偉大なエルコンドルパサーの後継として、ファンと馬産地から大きな期待がかけられています。

 ヨーロッパ競馬最高峰の凱旋門賞での2着など、生涯3着以下がなく、国際クラシフィケイションでは日本調教馬として史上最高の134ポンドが与えられたエルコンドルパサーですが、名前はアンデスの曲「コンドルは飛んでいく(El Cóndor Pasa)」から取ったものです。
 サイモン&ガーファンクルによってカバーされたことで日本でもよく知られたこの曲は、どうもオーナーの方が好きで、とっておきの駿馬にこのタイトルを付けたそうです。
 産駒の「風之歌」の名前も、この飛翔のイメージが継承されたかと思われます。

 ソングオブウインドの母は、メモリアルサマー(その母サマーワイン)ですので、歌われた風は、夏の風かも知れません。


 日本では、夏の土用中に吹く涼しい北風を「土用間」と呼んだり、台風に伴って海から吹く南東の風を「いなさ」と呼んだりします。

 7月と8月の東地中海、バルカン半島から吸収された空気が南下して暑いサハラに向かって吹く季節風は「エテジアン」と呼ばれているそうで、ギリシャ語で季節を意味する「エトス」に由来します。トルコ沿岸ではこれらの風は「荒くれ」を意味する「メルテメ」と呼ばれています。
 アラビア海では毎年6月から9月にかけて南西の卓越風が吹きます。夏の気怠さを吹き飛ばしながら、かつては沿岸諸国の海上貿易、交通に大きな影響を与えていました。


 「エル・コンドル・パサー」だけでなく、ナンシー・シナトラとリー・ヘイズルウッドの「サマーワイン」も名曲だそうです。

顔の平均値2009-03-08 17:27:52

 適当にネットニュースを見ていたら、「アモイ商報」の伝によると、アンディ・ラウ顔に整形したいが、違いすぎて無理だと断れた日本人がいたそうです(<http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090216-00000018-rcdc-cn>)。

 美男・美女とはどんな顔か?大きな目?高い鼻?
 美人はありふれているわけではないかも知れませんが、絵画のケースと違って(?)、意外にも平凡な顔はいいと言われているようです。

 スコットランドのアバディーン大学で働いている実験心理学者である、Lisa M DeBruine氏とBen Jones氏のサイトに、複数の人の顔を重ねて「顔の平均値」を作成できるデモのページがあります。
 <http://www.faceresearch.org/demos/average>

 整形外科に行って、違いすぎて無理だと言われるときの気分はわかりませんが、違いすぎる顔でも平均するとおもしろいです。
 なにより、母数を増やしていくと、この顔の平均値はかなりの確率でいい男、いい女の顔になるようです。


 審美感の基準は地域によって違うし、時代の流れによってもどんどん変化しています。
 古い肖像画に残っている美人・英雄の絵は見るとがっかりすることもあり、どちらかといえば、その物語のほうこそ千古に謳われ、より多くの人々の心に響くと思います。

【レース回顧】2009弥生賞、チューリップ賞2009-03-09 23:25:21

 3歳のクラシック・レースに向けて、最も重要なトライアルと言えば、牡馬では弥生賞、牝馬だとチーリップ賞。いずれも先週に行われ、無事に終わりました。
 春のクラシックもこれで終わってしまったのではないかと思えてしまうほど、両レースとも単独人気を博した大本命が、これでもかのパフォーマンスを見せて圧勝しました。

 特にチーリップ賞を差し切ったブエナビスタ、どう見ても逃げ馬おあつらえ向きのスローペースを、外から捲って完勝する様は、見ていて溜息が出てしまいました。
 未対戦の新星がまだまだ潜んでいるかも知れませんが、とりあえず桜の主役の座は、これで決まってしまったような気がします。

 ライバルより頭1つも2つも抜けているのは、4連勝無敗の牡馬・ロジユニバースも同じです。まさか自分でペースを主導して逃げ切るとは思いわなかったが、走り方を見るとあくまでも楽なペースを悠々と走っているだけで、ムキになることなく、相手が先手を主張すれば鼻を譲れる余裕もありそうです。
 セイウンワンダーやアーリーロブストら強敵と目される馬がよいところなく自滅してしまったのは、まあ事実かも知れません。一戦毎に増える体重と言い、成長しながら勝つ、少なくともロジユニバースにとっては、これ以上にない完璧な形で本番を迎えそうです。

根暗少女の気象学2009-03-10 00:57:03

 Aniboom.comで見かけた短編アニメです。




気象学、生気象学2009-03-11 22:54:22

 人の気分や心情を天気に喩えるのは、昔から使われている表現方式です。
 逆もあります。「生気象学」です。
 「大気の物理的、化学的環境条件が人間・動物・植物に及ぼす直接、間接の影響を研究する学問」というのがその定義です。


 元々気象学(meteorology)、少なくともアリストテレスが初めてこの言葉を使った紀元前330年前では、「空中にあるものども(meteor)」のすべてに関する学問でした。

 日本気象協会北海道支社が、通常の天気予報でフェーン現象が起こることを予報したあと、このフェーン現象のために「車の運転や、夫婦げんかに注意を」といったコメントをつけ加えたことで話題を集めていましたが、晴天の日に気分が軽やかになり、雨の日には滅入った気分になりがちなのは、なにも心理的な要素ばかりではない、ということです。


 ライアル・ワトソンの「風の博物誌」によると、「フェーンの吹く日はいつになく見通しが良く、空気は清浄で鋼鉄のような稜線のアルプスがくっきりと近くに見える。だが植物はしおれるし、動物は足元がおぼつかなくなり、人びとは不機嫌で無愛想になる」。

 また、北米はカリフォルニアのネバダ山脈から吹く強風「サンタアナ」も悪評が高いです。いつもは43パーセントぐらいの湿度が15パーセント以下に急落し、静電気がたまり、不自然な不祥事が増えると言われています。信用できるデータを持っているわけではありませんが、殺人と悪質な暴力事件が増加する、との統計情報もあるそうです。

天地間無用の通人2009-03-12 00:34:41

 「春の夜や女見返る柳橋」とは正岡子規の句ですが、現在は台東区の柳橋、江戸時代では橋畔に船宿が並んで、管弦風流の地として賑わっていました。
 安政6年(1859年)、何有仙史(かゆうせんし)なる者が「柳橋新誌」を著わし、(その年には出版されなかったようですが)すこぶる評判になったようです。

 「蓋し柳橋の妓、その粧飾淡くして趣あり、その意気、爽やかにして媚びず、世俗の所謂神田上水を飲む江戸児の気象なる者にして、深川の余風を存す」と、褒め称えています。


 これを書いた何有仙史、本名は成島弘、柳橋に因んでか柳北を号とし、若くから文才が知られていました。
 十八の年、父親(養父)のあとを継ぎ幕府の将軍侍講見習となり、「徳川実紀」の修訂にも加わりましたが、将軍の前に「昔から大名は馬鹿なものでして」と講釈して、老中が驚き、お役御免となったそうです。(幕府を批評した狂歌を作ったため、との説もあり)
 暇となったことを幸いし、彼はまずオランダ語、次に英語をほぼ独学で勉強しました。慶応元年(1865年)に閉居を解かれ、学者から騎兵頭、慶応四年にはあっという間に外国奉行、会計副総裁までに大出世しました。
 ところが、江戸開城の前日に成島は職を辞し、二君を仕えず、幕府瓦解とともに野に下りました。


 その成島柳北は明治四年(1871年)、東本願寺の顕如上人に従ってヨーロッパに渡り、後にはアメリカにも行ってました。
 いまはちょうどドナルド・キーンの「続 百代の過客」(金関寿夫 訳)を読んでいますが、成島のヨーロッパ旅行記にあたる「航西日乗」が取り上げられています。

 幕末や明治の初頭、その時代に西洋を訪ねたほかの旅行者の日記に較べても、成島の日記ははるかに面白いです。オランダ語と英語を話せた(パリ滞在中には個人教師についてフランス語も勉強していたそうで)からだけでなく、同時代の日本人と違って、外国の人に親しくなろうと努力していたから、とドナルド・キーンは考えています。
 「航西日乗」には多くの漢詩が掲載されていますが、そのひとつ「巴里賈人龍動女  幾多生面以諳名」の句がある通り、行きの船の上ですでに、パリ(巴里)の商人やロンドン(龍動)の女性と、顔なじみになりました。また、オランダ人と上陸して市街を散策するなどの話もありました。

 ヨーロッパでは教会や美術館を多数見学し、オペラ座で劇も観賞されたそうです。
 「晩餐囲案肘交肘  秦越相逢皆是友  酔臥誰能学謫仙  夜光盃注葡萄酒」
 これはパリのカフェで、ひととワインを交わした時に感じた悦びを表した漢詩ですが、海外での生活を心から楽しんだ、日本最初の国際人だったかも知れません。


 明治六年(1873年)、日本に戻ったあとですが、14年ぶりに「柳橋新誌」の続編を世に送りました。
 14年の歳月で柳橋も一変しました。姿が悪ければ芸があり、芸がなければ才識があった芸妓は、ただ化粧のみ施した人形の如くと化しました。もちろん客も悪いです。「遊戯其の道有るのを知らず、風流何者なるを弁ぜず」だとか。

 「柳橋新誌」を読んで眉をひそめる人がいて、君の書は世に益なくして、いたずらに人をののしる、と。
 我はもとより天地間無用の人なり、ゆえに世間有用の事をなすを好まず、と成島柳北が笑って答えたそうです。

 とんでもないです。後に「朝野新聞」や文芸雑誌「花月新誌」を創刊し、明治政府の言論取締法を批判したり、文芸界にも尽力しました。