津本陽の言葉 ― 2009-02-22 11:19:21
いままではさっぱり縁がなかったのですが、去年の暮れから続けて津本陽氏の小説を3冊読みました。
奇抜な設定や劇的な展開がふんだんにあるわけではないですが、行雲流水のように流れるその言葉に、魅了されました。
以下に適当にいくつの段落を写してみましたが、使い古しになっていない表現をちりばめながら、難解になったり飾りすぎたりする嫌いもなく、僕には心地よかったのです。
「さあこれから河原町で茶漬けなどを食べて、金福寺から詩仙堂へでもいってくるか」
晴れわたった秋空をながめ、三条大橋の手前の小路で昼食をとった。
歯の傷に障らないようゆっくりと食事を終えると、高下履を鳴らし東へむかって歩を運ぶ。賀茂河原には薄が白銀の波打たせ、赤とんぼが群れをなして澄んだ空中に浮いている。
(「拳豪伝」より)
往来に沿う店舗は顧客の足がとだえることなく、祭礼のような賑わいをみせている。書林は遠方からでも眼につく看板を掲げ、店頭に和漢の書籍を山積みしている。呉服屋は眼もあやな色彩の布帛を軒に垂れ、道を行く女性を誘う。
傘屋、煙草屋、花かんざし屋、段通敷物屋、絵草紙、銅器、磁器、骨董、菓子、煎餅、鯛味噌、奈良漬、寿司、岩おこし、かまぼこ。かぞえきれない多種多様の店舗が、男衆、女中を店頭に立たせ、客の呼び込みに懸命であった。
(「拳豪伝」より)
日常の些細な物事が、いくらでも古池に湧く泡のように頭にうかび、佳つ次は果てもない物思いに疲れ切って、悲鳴をあげる。
彼女は左馬之助が、この屋形へもう帰ってこないのではないかと、怯えていた。おそれたらいかん、こわがる者には、ほんまに鬼が姿をみせにくるのやと、気をとりなおそうとするが、懊悩はみぞおちのあたりにわだかまって、うごかなかった。
(「剣のいのち」より)
東使左馬之助は、左手で佩刀の鯉口を切り、姿をあらわした敵を横目で睨みながら、足先で地面をさぐった。彼は無意識に、斬りあいに有利な低い足場を求めた。眩しい朝の陽射しが照りわたり、顔に冷や汗がふきだしてくる。
(「剣のいのち」より)
湯のような風が、草いきれをはこんでいた。道筋の地蔵尊のうえに枝をひろげる、楠や椋の古木で、無数の油蝉がやかましく啼き立てている。
宮本武蔵は菅笠を眼深にかぶり、ゆっくりと足を運んでいる。陽は頭上をわずかに過ぎていた。
(「宮本武蔵」より)
三日ののち、武蔵は円光寺へ帰った。千種川沿いに六里の道を辿り、途中、蝉時雨のなかで握り飯を食う。
彼はあとを追ってくる敵がいないのをたしかめたのち、河原に降りると衣類をぬぎすて、川に入った。肌に冷たい水はこころよい。抜き手を切って中流に泳ぎ出て浮き身をする。
彼は弥蔵、お千とともに讃甘竹山城下の野池で泳ぎまわり、田螺とりに陽の落ちるのを忘れた記憶を呼び起こす。
...
初夏の空に、ちぎれ雲が流れていた。武蔵はふだんは思いだすのを避けている、讃甘に住んでいた頃のふるびた記憶の絵を、幾枚もくりひろげた。
(「宮本武蔵」より)
高下履を「鳴らし」、足先で地面を「さぐった」、ですな。
奇抜な設定や劇的な展開がふんだんにあるわけではないですが、行雲流水のように流れるその言葉に、魅了されました。
以下に適当にいくつの段落を写してみましたが、使い古しになっていない表現をちりばめながら、難解になったり飾りすぎたりする嫌いもなく、僕には心地よかったのです。
「さあこれから河原町で茶漬けなどを食べて、金福寺から詩仙堂へでもいってくるか」
晴れわたった秋空をながめ、三条大橋の手前の小路で昼食をとった。
歯の傷に障らないようゆっくりと食事を終えると、高下履を鳴らし東へむかって歩を運ぶ。賀茂河原には薄が白銀の波打たせ、赤とんぼが群れをなして澄んだ空中に浮いている。
(「拳豪伝」より)
往来に沿う店舗は顧客の足がとだえることなく、祭礼のような賑わいをみせている。書林は遠方からでも眼につく看板を掲げ、店頭に和漢の書籍を山積みしている。呉服屋は眼もあやな色彩の布帛を軒に垂れ、道を行く女性を誘う。
傘屋、煙草屋、花かんざし屋、段通敷物屋、絵草紙、銅器、磁器、骨董、菓子、煎餅、鯛味噌、奈良漬、寿司、岩おこし、かまぼこ。かぞえきれない多種多様の店舗が、男衆、女中を店頭に立たせ、客の呼び込みに懸命であった。
(「拳豪伝」より)
日常の些細な物事が、いくらでも古池に湧く泡のように頭にうかび、佳つ次は果てもない物思いに疲れ切って、悲鳴をあげる。
彼女は左馬之助が、この屋形へもう帰ってこないのではないかと、怯えていた。おそれたらいかん、こわがる者には、ほんまに鬼が姿をみせにくるのやと、気をとりなおそうとするが、懊悩はみぞおちのあたりにわだかまって、うごかなかった。
(「剣のいのち」より)
東使左馬之助は、左手で佩刀の鯉口を切り、姿をあらわした敵を横目で睨みながら、足先で地面をさぐった。彼は無意識に、斬りあいに有利な低い足場を求めた。眩しい朝の陽射しが照りわたり、顔に冷や汗がふきだしてくる。
(「剣のいのち」より)
湯のような風が、草いきれをはこんでいた。道筋の地蔵尊のうえに枝をひろげる、楠や椋の古木で、無数の油蝉がやかましく啼き立てている。
宮本武蔵は菅笠を眼深にかぶり、ゆっくりと足を運んでいる。陽は頭上をわずかに過ぎていた。
(「宮本武蔵」より)
三日ののち、武蔵は円光寺へ帰った。千種川沿いに六里の道を辿り、途中、蝉時雨のなかで握り飯を食う。
彼はあとを追ってくる敵がいないのをたしかめたのち、河原に降りると衣類をぬぎすて、川に入った。肌に冷たい水はこころよい。抜き手を切って中流に泳ぎ出て浮き身をする。
彼は弥蔵、お千とともに讃甘竹山城下の野池で泳ぎまわり、田螺とりに陽の落ちるのを忘れた記憶を呼び起こす。
...
初夏の空に、ちぎれ雲が流れていた。武蔵はふだんは思いだすのを避けている、讃甘に住んでいた頃のふるびた記憶の絵を、幾枚もくりひろげた。
(「宮本武蔵」より)
高下履を「鳴らし」、足先で地面を「さぐった」、ですな。
コメント
_ why ― 2009-02-28 00:51:35
_ why ― 2009-02-28 00:55:44
ところで、愚にもつかないことをお聞きしますが、この記事はいつの間にか書き足していらっしゃいませんか。
_ T.Fujimoto ― 2009-03-01 16:21:39
whyさん、僕も図書館のリユースコーナーで「拳豪伝」を拾って、この冬にはじめて津本陽氏の時代小説を読みました。
エンターテイメントを書いていても、森鴎外にさかのぼれそうな典雅な文章は、時折織り交ぜる風景の描写や生きた感じの会話も含めて、なかなか「美味しい」と思います。
エンターテイメントを書いていても、森鴎外にさかのぼれそうな典雅な文章は、時折織り交ぜる風景の描写や生きた感じの会話も含めて、なかなか「美味しい」と思います。
_ T.Fujimoto ― 2009-03-03 00:55:46
>この記事はいつの間にか書き足していらっしゃいませんか?
はい、お察しの通りでございます。
(すみません、コピーで楽しました ^^;)
はい、お察しの通りでございます。
(すみません、コピーで楽しました ^^;)
_ why ― 2009-03-03 07:13:15
あらま、もう海賊版が出たわ。
_ 花子ママ ― 2009-03-03 22:46:33
津本陽さんの本が何冊か本棚にありました。
「下天は夢か」とか・・・。シェフが読んでいつの間にか
Book 何とかの書架に戻したようです。で、
私も津本さんの三十年前に書かれた本をそこで買って
みました。歴史物ではないのですが、楽しみです。
津本さんの若かりし頃のお話のようです。(^^)
「下天は夢か」とか・・・。シェフが読んでいつの間にか
Book 何とかの書架に戻したようです。で、
私も津本さんの三十年前に書かれた本をそこで買って
みました。歴史物ではないのですが、楽しみです。
津本さんの若かりし頃のお話のようです。(^^)
_ T.Fujimoto ― 2009-03-04 06:21:40
whyさん、失礼しました。
本文のスタイルに合わせて、模範解答を写すことにしました。
本文のスタイルに合わせて、模範解答を写すことにしました。
_ T.Fujimoto ― 2009-03-04 06:27:08
花子ママさん、僕はつい最近までスルーしてきた作家のひとりでした。津本さんの三十年前に書かれた本というのはどんなものでしょうかね?
_ 花子ママ ― 2009-03-06 20:53:18
三十年前に、その30年前の二十歳の頃のことを書かれたんですって。そろそろ80歳になられるんですね。後書きに三十年の後に・・とあり、中で「『青春』は暗闇の遠方で光っているのぞきからくりのように、鮮やかな影像で私に迫ってきた」と書かれてます。
「恋の涯」本の題名です。とても可愛らしい津本さんが見えます(笑)
「恋の涯」本の題名です。とても可愛らしい津本さんが見えます(笑)
_ T.Fujimoto ― 2009-03-07 22:43:26
花子ママさん、こんばんは。
30年前の30年前、いやかなり古いですね。熟年以降の作品しか世にない晩成の作家かと思いましたが、そうでもなかったのですね。
暗闇の遠方で光る、のぞきからくりのような青春は、ちょっと興味がありますな。
30年前の30年前、いやかなり古いですね。熟年以降の作品しか世にない晩成の作家かと思いましたが、そうでもなかったのですね。
暗闇の遠方で光る、のぞきからくりのような青春は、ちょっと興味がありますな。
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上の「拳豪伝」の二つは歌のような、本当に声に出して読みたいリズムの心地よさを感じました。
文体も内容も全然違いますが、私の好きな幸田文もかなりリズム感のある文章の名手です。