【観戦記】HERO'S 2007 ~ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦2007-07-18 00:59:43

 PRIDEで目が肥えた格闘ファンからすれば、物足りなさは残るかも知れませんが、HERO'Sの大会としては標準以上のレベルだと思います。
 テレビ観戦なので、正しく捉えているか自信はないですが、切ったりするところが少なく、TBSの格闘技中継としても上出来な部類でしょう。(評価が甘い?)

 以下の順番は、テレビの放送順ではなく、実際の試合順に並び替えました。

 
× 勝村周一朗 vs アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ ○
 70キロ契約に合わせたためか、ノゲイラは丸くなっていて、動きがいくらかシャープさを欠けるような気がします。
 とは言え、ここで負けられない、という意地と気迫まで欠けてしまうことはなく、熱くなって打撃で来た勝村をしっかりパンチで捉えました。

○ アンドレ・ジダ vs アルトゥール・ウマハノフ ×
 危険な強打者同士の試合で、シュートボクセのシダが、日本で連勝をしてきたウマハノフを撃破しました。
 1ラウンド1分20秒、という短い決着タイムですが、こういう組み合わせ、もう一度戦えば勝負はどう転ぶかはわからないです。どっちも、またまた見てみたい選手です。

× 柴田勝頼 vs ハレック・グレイシー ○
 総合第1戦をラッキーパンチで飾るも、普通のグレイシーなら、本来はまだ勝ち負けできないレベルの柴田選手、寝技にも無策だったし、予想通りの一本負けとなりました。
 柴田は、まっと練習して強くなってほしいと思います。

× 宮田和幸 vs ビトー“シャオリン”ヒベイロ ○
 宮田選手は徐々に進化しています。総合転向した当初と比べると、打撃もうまくなっているし、落ち着いて試合ができるようになっています。
 ですが、この日は相手が悪かった、としか言いようがないです。粘ってテークダウンすると、無駄な動きなく、すぐさま肩固めを決めてしまうシャオリンは、寝技で言えば、やはり優勝候補の本命ですね。

○ ブラックマンバ vs 所英男 ×
 ブラックマンバが、リベンジを目指す所英男を返り討ちにしました。
 所選手は動きが多彩で退屈な試合をしない、好きな選手ですが、残念です。もっとタックルを磨く必要があるかも知れません。ブラックマンバは手足が長く、寝技の対応もうまくなって来て、準決勝以降もおもしろい存在でしょう。

○ 宇野薫 vs 永田克彦 ×
 ほとんどスタンドでの打撃に終始する、やや意外の展開です。百戦錬磨でクレバーな宇野選手が勝つのは、一応予想通りですが。
 ちょっと宇野選手の試合にしては、変化が少なく、おもしろくなかったような気がしますが、身体能力の高い永田に対抗するために考えた作戦だったようです。そのへんは安全運転の結果ともいえるし、優勝候補に期待されるゆえプレシャーだったかも知れません。

○ メルヴィン・マヌーフ vs ベルナール・アッカ ×
 マヌーフはK-1にHERO'S、試合に出っ放し、それでいて相変わらずの気合で、相変わらずの怖さです (笑)。アッカ選手はディフェンスがよく、冷静に対処しようとしていますが、残念ながら最後はマヌーフの圧力に押されてしまいました。

× 田村潔司 vs 金泰泳 ○
 この試合がメインだと、最近のコアなファンは不満だったんでしょうが。酷評されるような試合ではなかったと思います。
 金泰泳は、前回の石沢戦ですでに見せましたが、総合への対応がよくできています。田村潔司はグラップラーとしては、打撃がうまい選手ですが、金選手のローにうまく対処できなかったようです。とは言え、諦めたりせず、最後まで打撃やタックルで向かうところは、総合のパイオニアとしての意地は一応見せたと思います。

【馬関係の本】「根岸の森の物語」2007-07-21 23:28:11

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 題記のタイトルからはわかりにくいかも知れませんが、「競馬は横浜で生まれ育った」というサブタイトルもついていて、根岸競馬場について書かれている本です。
 「馬の博物館」による編集で、かなしんブックスの1冊として、1995年に神奈川新聞社、かなしん出版から発行、発売されました。


 2部構成ですが、第1部は「競馬のふるさと根岸」という題名がつき、この本のメインと言える部分です。
 内容は、前に取り上げた「文明開化うま物語」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/23/1527686)と、いくぶん被っています。
 早坂さんの著作同様、この本も、1861年か1862年かに横浜で始まった最初の洋式競馬についてかなりのページをさいています。

 そのあと、1866年の初期完成から、根岸競馬場の歴史を、その間起きた様々な出来事も織り交ぜながら、ほぼ年代順に追ってわかりやすく述べています。
 例えば、日本在住の外国人、駐在軍の主導による初期は、日本政府の要人もよく出席し、国際友好の舞台になっていたことが、手にとって理解できました。(明治天皇は実に13回も根岸競馬場に来られていたそうです。)
 以降、馬券黙許、公認競馬、馬券禁止、馬券再開と時代が流れ、1942年(昭和17年)の最後の秋開催まで、日本近代競馬の発祥地かつ中心地であった根岸の競馬についても、かなりわかりやすく編集されています。


 第2部「根岸競馬の思い出」は、元騎手や競馬会関係者による座談会の形式になっています。
 まあ、座談会の形式ゆえ内容が散漫になっているのは確かですが、根岸競馬場は坂の上り下りがきつく、カーブも危険なコースであったとか、競馬開催の昼休みには一流の演奏者を招いてのクラシック音楽演奏が行われていたとか、ほかではあまり聞けない、おもしろい話題も出ています。


 それと、この本の特徴は、なんと言っても貴重な古い写真や図版が多数掲載されていることです。

 文中に挿入されているモノクロの写真や絵だけでなく、本の最初にカラーページが数頁ありますが、そちらも、
 根岸競馬場の円形馬場が見える、明治4年に描かれた横浜一覧の絵画とか、
 1865年の英字新聞に掲載されていた駐屯軍競馬のイラストを着色した絵とか、
 横浜開港資料館に所蔵している明治や大正時代の根岸競馬場の写真とか、
 大正や昭和初期、根岸競馬場で実際発売された勝ち馬投票券(馬券)とか、
競馬ファンなら眺めながらいろいろ想像力を馳せ、十分に楽しめるかと思います。

【翻訳練習 (日→中)】「椰子の実」2007-07-25 00:33:00

 柳田國男が明治31年の夏、伊良湖に滞在したときに椰子の実を拾った話を、親友の島崎藤村に語ったところ、それが素材となって椰子の実の叙情詩、そして後の名曲が生まれました。



 椰子の実   島崎藤村
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名も知らぬ遠き島より 從遙遠不知名的島嶼
流れ寄る椰子の実一つ 漂來一顆小小椰子果
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故郷の岸を離れて 離開你故郷的海岸
汝(なれ)はそも波に幾月 不知已隨波奔流多少旬
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旧(もと)の樹は生ひや茂れる 生你長你的樹茂盛如昔
枝はなほ影をやなせる 而且想必枝葉婆娑成蔭
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われもまた渚を枕 我也以沙灘為枕
孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ 孤身漂零如水鳥
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実をとりて胸にあつれば 撿起椰果抱在胸前
新なり流離の憂 流浪者的憂愁再上心頭
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海の日の沈むを見れば 遙看海上的斜陽西沈
激(たぎ)り落つ異郷の涙 満溢而落的是異郷的涙
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思ひやる八重の汐々(しおじお)  想望著層層起落的潮汐
いづれの日にか国に帰らん 到底何時方能回故園
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【格闘技ニュース】Kimbo2007-07-26 23:35:23

 インタネット上で、カルト的な人気を博している Kimboが、Cage Fury Fighting Championship 6で、あのダンク・アボット選手と対戦することが決まったようです。(http://www.cagefuryfighting.com/

 タンク・アボットは、いうまでもなく、UFC草創期から人気を博していた、直線的なファイターですが、Kimboを知らない方は、YouTubeあたりで検索すれば、たくさん出てきます。
http://youtube.com/results?search_query=Kimbo&search=Search

 元々ストリートファイトの素人映像によって有名になった人ですが、Cage Fury Fighting Championship 5のメインイベントに出て、元ボクサーのRay Mercer(K-1にも出場)に勝ちましたので、CCFCでは2大会連続の出場となります。

 まあ、ボクシングに多少心得のある巨漢素人ファイターなので、見るなら、いまが一番おもしろいと思います。(あと何回か闘えば、普通のプロファイターとして強くなっていくか、素人のままで勢いがなくなって負け込むか、そのどちらになってしまう、という意味です)

宮崎競馬2007-07-27 23:33:11

 明日7月28日、JRA小倉競馬のメイン競走は、「宮崎競馬100年記念」というレース名で行われます。

 宮崎競馬と言っても、いまとなっては知る人も少なくなったかも知れませんが、厳密に言えば、中央競馬では1994年までに「宮崎競馬」が開催されていました。

 もちろん、1963年に地方の宮崎競馬の廃止以降、本当の宮崎競馬場には競馬が開催されていません。

 手元の「風の伝説」(広見直樹 著、1991年出版)の記述を引用すれば、
 「宮崎競馬場は市内のほぼ中央にあった。以前はその名前のとおり競馬場として使用されていたこともあったが、現在はサラブレッドの育成牧場として生まれ変わっている。デビュー前の競走馬がここで育てられ、訓練され、出番を待つ。」
 「その片方で、現役生活を終えたものの、その成績があまり芳しくなかったという理由で種牡馬にも繁殖牝馬にもなれなかった馬たちが、第二の人生を送るためにここに集まっている。」


 では、なぜ中央競馬で「宮崎競馬」が1994年まで続いていたかと言えば、日本中央競馬会が成立した1948年当時の競馬法が、改訂もせず、延々と使われていたためです。

 まず、競馬法が最初に公布された1923年(大正12年)には、根岸、東京、京都、阪神、札幌、函館、福島、新潟、中山、小倉、そして宮崎の11クラブが競馬開催団体として認められ、それぞれ4日間の開催が最初の「公認競馬」として許されました。

 では国営競馬時代を経て、1948年中央競馬会として発足した1948年の時点は、と言えば、競馬法第2条では、中央競馬会が開催する競馬場として、札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、横浜(根岸)、中京、京都、阪神、小倉、宮崎の12カ所が記載され、それぞれ年間3開催×8日間の競馬が行えることになっています。
 年間合わせて288日(12×3×8)の開催ができる中央競馬会は、実際競走を行っていない横浜と宮崎の日数を、「代替開催」という形で他の競馬場に振り分けたわけです。

 この幻の「宮崎競馬」は1994年の競馬法改正で、正式に終焉をみました。
 農林水産省令により、中央競馬会で開催できる競馬場は、横浜と宮崎を除く10カ所に変わり、開催日数もそれぞれ最大5開催になったためです。


 最初の宮崎競馬が開催されたのは、1907年11月だそうです。
 確かに今年で100年になるわけですが、100年記念としてはちょっと早く、冬の開催まで待てないものかと思いました。

【レース予想】2007小倉記念2007-07-28 23:07:15

 スウィフトカレント、ヴィータローザ、ニホンピロキースなど、去年このレースの上位馬が、そろって今年も出走してきます。
 しかし、斤量も手頃なためか、前売りではあがり馬のニルヴァーナが一番人気になっていました。

 先週ではエリモハリアーが函館記念3年連続勝利、という偉業を達成したばかりで、夏のローカル競馬は、何年連続して同一レースで好走したりするケースが目立ちます。
 季節、馬場、展開などのファクターが向くこともありますし、目標を定めてしっかり調整した結果でもあるかと思います。

 サイレンジャスパーを含めて、去年4着まで好走した馬のなか、どう順位を付けるか、ですが、去年の勝ち馬で天皇賞・秋でも好走したスウィフトカレントは、さすがに斤量的に不利になってきました。

 ヴィータローザとニホンピロキースは、調べてみると。おもしろいことで同じレースでの出走が多く、着順が近いことも多いですが、僅差ながら、すべてヴィータローザが先着しているようです。
 最近2走はいずれもヴィータローザが4着、ニホンピロキースが5着、去年の小倉記念もヴィータローザが2着、ニホンピロキースが3着。
 そうして見比べると、本命はヴィータローザのほうを選びたくなりますな。


◎ ヴィータローザ
○ ニホンピロキース
▲ スウィフトカレント
△ メイショウカイドウ
△ ソリッドプラチナム

【格闘技ニュース】カール・ゴッチさん死去2007-07-30 00:16:10

 プロレスの神様、A・猪木の師匠のひとり、UWFの顧問、ゴッチイズムを伝えるストロングプロレスの影の象徴である、カール・ゴッチさんが世を去ったそうです。

 プロレスラーとして最後の試合となったのが、1982年1月後楽園ホールにおいて木戸修と対戦したエキシビション・マッチですが、この試合のビデオはたまたま我が家に長く残っていて、何回も見ました。
 高齢には関わらず、正確で力強い動きと、きれいなジャーマン・スープレックス、素晴らしかったんです。

 ゴッチの名は、かのフランク・ゴッチに倣って付けたそうですが、わずかに残っている古き良き時代のプロレスの魂が、これでまだ1つの巨星が消えたこととなります。