残暑お見舞い申し上げます2007-08-11 13:38:33

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 立秋だと名ばかりの猛暑日が続きます。
 皆様はいかがお過ごしでしょうか?
 くれぐれも、ご自愛くださいますようお願い申し上げます。

 (写真は友人H.C.C.氏の作品を借用)

昭和最後の名勝負(1)2007-08-14 23:52:24

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 今夜は久々に古いビデオを見ました。

 携帯で撮った写真から読みとれるかどうかですが、「タマモクロス・オグリキャップ・サッカーボーイ 昭和最後の名勝負」というタイトルです。
 僕が購入した最初の競馬関係のビデオであり、内容もまさに僕が競馬を見るようになった最初の年、昭和63年(1988年)の競馬を彩る3頭の名馬にスポットライトをあてたものです。


 3頭のうち、まず頭角を現したのはサッカーボーイです。

 3歳時(いまの数え方でいえば2歳時)に4戦3勝し、しかもGI阪神3歳ステークスのレコード勝ちを含めて、勝った3戦は、2着馬に9馬身、10馬身、8馬身をつけての圧勝ばかりで、ビデオ中に実況の杉本アナが思わず口走ったように、あのテンポイントを連想させ、テンポイントの再来だと期待されていました。
 競馬界の勢力地図は平成になってから概ね西高東低の状態が続きますが、昭和の後期はと言えば、関西馬はずっと関東馬に押されていた時代で、いまと比べれば東西対抗の意識もまだ強く、あのテンポイントのように美浦所属馬に一矢を報う、という期待が大きかったと思います。

 社台牧場がダイナの冠号をやめた一期生だったように記憶していますが、
あとから考えると、いきなり印象的な名前を持つスターホースが現れたものです。

 但しそのサッカーボーイにしても、競走生活は順風満帆なものではありませんでした。
 春のクラシックでは体調や足元に不安があったり、皐月賞は回避し、なんとか出走したダービーも惨敗でした。

 ようやく狂っていた調子を取り戻したのは、中日スポーツ4歳ステークスで皐月賞馬ヤエノムテキを撃破し、函館記念で前年のダービー馬メリーナイスに5馬身差をつけてレコード勝ちした頃でしょうか。


 サッカーボーイの世代は、あとから見るとタレントが豊富でレベルの高いジェネレーションになりますが、世代の強い馬たちがクラシックレースでいい勝負を演じたわけではありません。
 そもそもシーズンを通じて満足な状態で走れた馬さえあまりいません。強いて言えば、後年に秋の天皇賞ももぎ取ったヤエノムテキぐらいなものです。
 サクラチヨノオーはダービーの栄冠が最後の勝ち鞍になったし、強行軍でダービー2着まで辿り付いたメジロアルダンも、ダービー後の故障から復活するまで1年間かかりました。
 後に歴史的名馬にまで成長したスーパークリークは晩成型で、ぎりぎり間に合った菊花賞で大輪を咲かせましたが、春の時点では無名馬でした。

 なにより笠松公営競馬から転入して、無敵な快進撃を続けていたオグリキャップは、クラシック登録がなく(当時はまだ追加登録制度もなく)、裏街道を走らざるを得なかったんです。


 後に競馬史上にほとんど類を見ない大人気を得るまでに至ったオグリキャップは、地方12戦10勝(8連勝中)の成績をひさげて、中央入りした最初のレースは、サッカーボーイとサクラチヨノオーとが初めて対戦した弥生賞の裏番組、いまはなきGIII、ペガサスステークスでした。

 外から豪快に差し切り、2着のラガーブラックに3馬身差も離したとき、「噂に違わぬ強豪!」だと実況されましたが。
 レース前では、ラガーブラックから離された2番人気。半信半疑、微妙な扱いだったようです。

昭和最後の名勝負(2)2007-08-15 23:53:43

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 オグリキャップやサッカーボーイ同様、あるいはそれ以上に、1つ年上のタマモクロスもまた数奇な運命を辿ったサラブレッドでした。


 同期のマティリアルがスプリングSを目の覚める末脚で制し、混戦クラシック戦線のトップに躍り出た、そのわずか数週間前の3月初め、タマモクロスはようやくその遅いデビュー戦に出走しました。
 上位人気にはなっていたが、結果は7着。折り返しの新馬戦2走目も4着。3走目のダート戦でようやく初勝利を上げたものの、そのあとも5回出走して勝てず、旧4歳の10月時点で8戦1勝、どこにもいるごく普通の下級条件馬でした。

 しかし、そこで、タマモクロスが突如目を覚ました。突如としか言ようがない、日本の競馬史上でもかつてないほどの大変身です。

 久々に出走した芝の400万平場を後方から差して7馬身差ででっこ抜くと、次の特別戦でも8馬身差の圧勝を演じました。
 京都新聞杯よりも速い時計だったため、いきなり菊花賞のダークホースに数えられましたが、小原調教師は無理せず、しっかり5週間の間隔を取り、鳴尾記念(当時2500メートル)に出走すると、初の重賞出走でも6馬身ちぎって勝ちました。

 残念ながら、タマモクロスの活躍はちょっと遅かったのです。
 生産牧場は経営不振で倒産し、生産者は借金を抱えてほとんど夜逃げした形でサラブレッドの生産が手を引いたそうです。
 それでもタマモクロスは、育ての親を呼ぶかのように、勝ち続けてました。

 
 そのタマモクロスが金杯で、最後方から直線だけで全馬を差し切る、というドラマチックな勝ち方を演じ、昭和63年の競馬が幕開けとなりました。

 阪神大賞典を勝つと、いよいよ待ちに待った初めてのGIの大舞台で、1番人気に支持されました。
 かつての生産者も人目を忍んで京都競馬場に行った、という天皇賞・春でも、胸がすき、ついてに腹もすいてしまう快勝を見せたと思えば、その後の宝塚記念でも前年の天皇賞(秋)を勝ったニッポーテイオーを下し、なんと重賞5連勝を含む7連勝を続けていました。

 タマモクロス、この不思議なサラブレッドは、いろんな意味でシンボリックな馬です。かの武豊騎手と同じ日にデビューし、関西馬時代を切り裂き、やがて訪れる競馬ブーム、芦毛伝説の先鞭をつけたわけです。


 そこに、偶然にもう1頭の芦毛のスーパーホースがいました。いうまでもなくオグリキャップです。

 クラシック出走権を持たないこの地方出身の関西馬が、初めて関東ファンの前に現れたのは、ダービーから1週間後のニュージランドトロフィー(当時1600メートル)でした。
 ビデオでも実況アナウンサーが興奮気味で、「オグリキャップ楽勝!持ったまま!河内は、河内は手綱を持ったままでゴールインです!」「強いですね!大川さん」と綴ったように、このレースでの衝撃的な圧勝で、オグリキャップはたちまち全国区の大スターとなりました。

 そして、クラシックで同期生と走れないオグリキャップが、どうしても意識しざるを得ないのが、1歳年上の先輩、タマモクロスとなりました。


 写真は、毎日新聞夕刊に載っていた特集のコピーです。
 学生時代、学校図書館にあった縮刷版をコピーしたものですから、かなり長い間手元に置いている、とうことになります。

 初めて古馬と対戦した高松宮杯と、天皇賞の前哨戦、毎日王冠を勝ち、中央入りして重賞6連勝を達成したオグリキャップと、宝塚記念からのぶつけで、史上初の天皇賞春秋連覇を狙うタマモクロス。
 ともに1年以上無敗の快進撃を続けていた芦毛の両雄が初めて対戦する天皇賞・秋は、前人気が高く、スポーツ紙のみならず、一般新聞紙でも大きく取り上げるようになったわけです。

昭和最後の名勝負(3)2007-08-17 10:14:29

 クライマックスへ向かうまでのストーリーが完璧でも、結末が期待外のアンチ・クライマックスになることが、多々あります。

 例えば、兄弟そろって無敵な快進撃を続けていた1994年の前半。巷で兄か弟かの論争が起き、だれもがビワハヤヒデとナリタブライアンの初対決を期待して待っていが、直前にお兄さんに故障が発生して、早めの引退で夢の対決は夢のままに終わりました。

 メジロマックイーンとトウカイテイオーが初めて、かつ結果的に唯一対戦した1992年の天皇賞・春も、双方前哨戦を余裕でクリアするまでは完璧な盛り上がりでしたが、本番ではテイオーが案外な走り(後に故障発生)で馬群に沈み、いくぶんがっかりした結果となりました。

 しかし、天皇賞におけるタマモクロスとオグリキャップの芦毛対決は、結果までもが他馬を置き去りにする、きれいなワン・ツー・フィニッシュでした。
 いつも後方から追い込む競馬をするタマモクロスが、早めに2番手にあがる展開は意外でしたが、直線追い上げてくる年下のライバルを完璧に退け、古馬の意地を見せた走りは、素晴らしいと褒め称えても褒め足りないぐらいのものです。

 次のジャパンカップ、勝利こそ名手マッキャロンが騎乗したアメリカのペーザバトラーにを奪われましたが、2着タマモクロス、3着オグリキャップ、その着差は天皇賞とまったく同じ1馬身と1/4でした。


 オーナー歴50年して初のGI馬と持ったオーナーの意向で、有馬記念後の引退が決まったタマモクロスに、オグリキャップがリベンジできるチャンスは、その有馬記念だけとなりました。

 一方、負けじと、同世代のサッカーボーイも復活して挑んできました。

 函館記念のあと、軽い脚部不安に再び襲われ、菊花賞を断念しましたが、3ヶ月ぶりのレースとなるマイル・チャンピオンシップで、サッカーボーイはまたも目の覚めるような強烈なパフォーマンスを見せました。
 「サッカーボーイ先頭に立ちました!」「後続を引き離すか、離した!離した」「3ヶ月半ぶりも、8キロ太めでも関係なし。これは恐ろしい馬です!これは恐ろしい馬です!」と杉本アナが驚き、「天才少年!強烈シュート!」と翌日のスポーツ紙がかきかて、いよいよ昭和最後の名勝負、そのお膳立ては完了しました。


 昭和最後のGIレース、第33回有馬記念は、関西馬3頭が単枠指定される事件的な盛り上がりのなか、幕を上げました。

 中間に飼い食いが細くなり、状態が心配された繊細なタマモクロスは、それでも最強馬の誉れで、単勝1番人気を死守しました。
 対して、連戦の疲れもなく、中山までスクリーングまで敢行し、翌秋の6連戦を待たずにそのタフネスぷりを誇示したオグリキャップは2番人気。
 関東エリアでいい走りができていなかったサッカーボーイは、体調を整え、虎視眈々の3番人気でした。

 レースでは、初めてオグリキャップに跨った岡部騎手が中団よりやや前に位置取りし、サッカーボーイは後ろから2番手、タマモクロスは最後方からレースを進む形となりました。
 やはり坊間で噂されていたように体調が不十分だったのか、と見ていたら、タマモクロスは3コーナーを過ぎると、大外から捲ってきて、淡々と進んでいたレースが一気に動きました。

 好位から楽な手応えで抜け出してきたオグリキャップは、そこで後方から追い上げてくるライバルを待ち、そして追い出しました。
 クビを伸縮する独特なフォームで捲るタマモクロス、直線で外から差すサッカーボーイと、真ん中を割る菊花賞の勝ち馬スーパークリーク。

 短くもスリリングな時が流れ、後続の追い上げを絶ったオグリキャップがついに、念願のGI初制覇を果たしたことになります。競馬史上最も「劇的」なサラブレッドになるオグリキャップ、その第1章はハッピーエンドで終えることが出来ました。

 35秒5であがったオグリキャップとサッカ-ボーイに対して、35秒2で2着に割り込んだタマモクロスの意地と貫禄。
 あとにまたも故障が発症し、結果的に、種牡馬入りを宣言していたタマモクロスと同じく、最後のレースとなった3着のサッカ-ボーイ。
 実は3番手にゴールしながらも、斜行によって失格とされた、のちにタマモクロスに次ぐ天皇賞連覇を果たし、オグリキャップの新たなライバルとなったスーパークリーク。
 すべてがドラマ仕立て、筋書き通りに進んだようにさえ感じた、昭和の競馬のクライマックスでした。

ちょっと変わったスポーツニュース2007-08-21 01:30:42

 今日ネットで見かけた、微妙に首を傾げたくなるようなスポーツ関連のニュースを2つほど。


(1) http://w106.news.tpc.yahoo.com/article/url/d/a/070819/57/izd0.html

 連日の熱戦で、夏の甲子園大会もいよいよ残すは準決勝と決勝のみとなりましたが、実は、今月25日~29日、第7回AAA野球アジア選手権が台湾で行われます。
 AAAというのは16~18歳限定の大会、台湾では「青棒」と呼ばれ、通常は高校生が対象です。
 日本でも過去は甲子園で活躍した選手を選抜して派遣したことがありましたが、今年の大会から、使用するバットが金属バットから木製バットに変わり、日本の高野連はこの制度変更に反対し、ボイコットすることに決めたそうです。

 仕方なく、社会人野球を統括する日本野球連盟は、社会人野球チームの高卒1年目の早生まれの選手、クラブ、専門学校の18歳以下の選手を召集し、 代表チームを編成、同大会に送り込むこととなりました。
 このチームは全日本アマチュア野球連盟(BFJ)の代表チームと認定されたため、オリンピックなどの日本代表と同じユニフォームを着ることになっています。

 成績がどうなるか、まだ未知数ですが、とりあえず「非常に特別なチーム」として、まず台湾のマスコミを驚かすことにはなりました。


(2) http://site.wcbo.org/content/e18/index_en.html

 チェスボクシングのライトヘビー級WCBO世界チャンピオンのFrank Stoldtが闘います。世界最高のチェスボクサーの座を賭けて、'Anti Terror'というニックネームを持つ Frank Stoldtが 10月に試合を行う予定、とあります。
 但し、相手はまだ決まっていないようです (爆)。

 知らない人のために解説いたします(僕も昨日までは知らなかった!)と、チェスボクシングはヨーロッパの人が考え出したスポーツで、チェス(最大6ラウンド)と、ボクシング(最大5ラウンド)が交互に行われるという、へんてこりんな競技です。
 チェスで先にチェックメイトするか、ボクシングで先にKOするかで勝負が決まるそうです。

 頭と体、知性と体力、その両方をちぇんとバランスよく兼備した人が勝つ、というつもりで考えた混合競技なのでしょうが、パンチでフラフラになった人が果たしてちゃんと考えることができるのでしょうか?
 世の中には、まだ不思議なものがあるものですな。

【素人の絵】朱塗りの社殿2007-08-21 11:55:21


 水彩鉛筆の直塗りを試してみました。

 水分の加減は難しいですが、慣れれば、かえっておもしろい効果も出せそうです。

 描いているのは、だいぶ前に訪れた神社の一角です。その場で写生したわけではなく、カメラに収めた風景を写し直したものです。
 水彩鉛筆の軽いセットなら、水彩よりも手軽で、旅のときにも簡単に持っていけそうです。このB5判ぐらいの小さいものなら短時間でかけるし、時間があったら、チャンレンジしてみたいと思います。

 こちらは着色前のデッサン稿(↓)。


Kick Return2007-08-25 02:09:04

 明日、ではなく、今日(8/25)は、久々に東京に出ます。

 神保町を回って、夜は後楽園ホールで全日本キックボクシングの「Kick Return」を観戦予定です。
 去年の夏は新日本キックの「Titans」でしたので、今年は全日本キックにしてみました。


・第4試合: 岩切博史 vs 上松大輔
 上松選手はいま文字通り昇竜の勢いにあるチーム・ドラゴンの選手です。岩切選手は未見ですが、全日本フェザー級4位なので、いい試合ができるんでしょう。

・第5試合: 藤原あらし vs 寺戸伸近
 Kick Returnのトーナメントがあるので、贅沢にも第5試合がバンダム級のタイトル戦。チャンピオンの藤原選手はテレビ中継(CS)で何回か見たことがありますが、アグレシブないい選手です。

・第6試合: 山本真弘 vs 大宮司進
 ここから最終までの4試合が、Kick Return 60キロ契約トーナメントの1回戦です。この階級は日本人の優れたファイターが多いし、1回戦の組み合わせがすべて、全日本キックの選手 vs 外敵なのも、おもしろいです。
 山本選手は全日本フェザー級チャンピオン、魔裟斗のシルバーウルフ所属の大宮司選手と、どんな闘いになるのでしょうか?

・第7試合: 石川直生 vs 村浜武洋
 活ける伝説・村浜選手がここにでるとは!大阪プロレスで闘っていますが、元はと言えば1997年K-1 JAPANフェザー級チャンピオンです。魔裟斗といい勝負をした実力が、60キロ級になったら、ますます脅威的になるのでしょうか?それとも駿馬も老いたのでしょうか?大注目です。

・第8試合: 前田尚紀 vs 梶原龍児
 この試合の争点もわかりやすいです。山本真弘と同じく名門・藤原ジム(藤原敏男)所属の前田選手に対して、梶原選手は新興勢力チーム・ドラゴン所属。ボクシングのうまい梶原選手に、全日本フェザー級1位の前田選手がどう捌くかが見物です。

・第9試合: 大月晴明 vs ワンロップ・ウィラサクレック
 野良犬・小林選手が引退して、僕的には大月選手が全日本キックの顔だと考えています。よりによって1回戦が日本人キラーのM-1バンダム王者ワンロップでうか?流血狙いのヒジはあまり好きじゃないですが、調子のいいときのワンロップ選手が桁違いに強いなのは、間違いないです。大月選手に頑張ってほしいと思います。

【読後感】「パリ歴史探偵術」 宮下至朗著2007-08-26 17:34:54

 講談社現代新書の1冊です。

 16世紀なかばに作られた手彩色の「バーゼルのパリ図」や、140年前のガイド・ブック「パリ・ディアマン・1867年版」を片手に、あるいはゾラ、プルーストの小説、モネ、ルノワールの絵画を思い浮かべながら、現代のパリを探検するという試みは、実にナイスなアイディアです。

 何気ない坂や階段は、かつて城壁を囲むお堀の斜面だったり、ヴラマンクが描くレストラン「マシーン」がペルシャ絨毯の店に様変わりしたり、パリ市内に点在する「モーリス広告塔」は、むかし公衆トイレに広告が付き、さらに本来の目的であるトイレ機能が退化した結果だったりすることに気づき、なるほどと頷いてしまいます。


 特に古いガイドブックの紹介が、僕にはおもしろかったです。

 パリの乗り合い馬車は、1867年版のガイドブックによると、31路線あったそうです。
 アルファベット、車体の色等で区別でき、乗り替えキップをもらえば、追加料金なしでほかの路線に乗り替えられるとのことですが、このシステムは、少なくともちょっと前の日本の市電や台湾のバスにもありました。

 乗り合い馬車が現代の公共バスなら、辻バスは現代のタクシーに似ています。
 辻馬車の料金表も1867年版のガイドブックにも掲載され、小型と中型などで料金が異なったり、零時を過ぎた以降の深夜割り増しが必要だったり、いまのタクシーのシステムと大差がないようです。
 もちろん、メーターはないですので、5分きざみで料金があがる、という完全時間制でした。

 写真の技術が発明されて、19世紀中葉以降にブームが起き、パリの写真館数は1851年に29軒だったのが、5年後には161軒、さらに5年後には約800軒にと、爆発的に増えていたそうです。
 ガイドブックでは「肖像写真」「風景・建築物の写真」「立体写真」「馬の写真」「ギャラリー」の5項目に分類していました。
 馬の写真が独立した項目をなすのは興味深いですが、馬車の項にある通り、パリでは最盛期に一万頭以上の馬が公共輸送で活躍していたし、それぐらい身近かつ重要な存在だったのでしょう。


 歴史ある町は、あの道の曲がりくねった様にさえ意味が隠され、いかにも人が暮らしてきた痕跡です。
 パリともなるとさすがに遠くて、自分では簡単に行けないですが、こういう話では、きっと日本の町だって同じです。

 いにしえの面影をさぐり、現代の町を歩きます。そこに生きていた人たちの息吹に、ちょっとだけでも触れることができれば、楽しい旅はなお一層おもしろくなるのでしょう。