昭和最後の名勝負(2)2007-08-15 23:53:43

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 オグリキャップやサッカーボーイ同様、あるいはそれ以上に、1つ年上のタマモクロスもまた数奇な運命を辿ったサラブレッドでした。


 同期のマティリアルがスプリングSを目の覚める末脚で制し、混戦クラシック戦線のトップに躍り出た、そのわずか数週間前の3月初め、タマモクロスはようやくその遅いデビュー戦に出走しました。
 上位人気にはなっていたが、結果は7着。折り返しの新馬戦2走目も4着。3走目のダート戦でようやく初勝利を上げたものの、そのあとも5回出走して勝てず、旧4歳の10月時点で8戦1勝、どこにもいるごく普通の下級条件馬でした。

 しかし、そこで、タマモクロスが突如目を覚ました。突如としか言ようがない、日本の競馬史上でもかつてないほどの大変身です。

 久々に出走した芝の400万平場を後方から差して7馬身差ででっこ抜くと、次の特別戦でも8馬身差の圧勝を演じました。
 京都新聞杯よりも速い時計だったため、いきなり菊花賞のダークホースに数えられましたが、小原調教師は無理せず、しっかり5週間の間隔を取り、鳴尾記念(当時2500メートル)に出走すると、初の重賞出走でも6馬身ちぎって勝ちました。

 残念ながら、タマモクロスの活躍はちょっと遅かったのです。
 生産牧場は経営不振で倒産し、生産者は借金を抱えてほとんど夜逃げした形でサラブレッドの生産が手を引いたそうです。
 それでもタマモクロスは、育ての親を呼ぶかのように、勝ち続けてました。

 
 そのタマモクロスが金杯で、最後方から直線だけで全馬を差し切る、というドラマチックな勝ち方を演じ、昭和63年の競馬が幕開けとなりました。

 阪神大賞典を勝つと、いよいよ待ちに待った初めてのGIの大舞台で、1番人気に支持されました。
 かつての生産者も人目を忍んで京都競馬場に行った、という天皇賞・春でも、胸がすき、ついてに腹もすいてしまう快勝を見せたと思えば、その後の宝塚記念でも前年の天皇賞(秋)を勝ったニッポーテイオーを下し、なんと重賞5連勝を含む7連勝を続けていました。

 タマモクロス、この不思議なサラブレッドは、いろんな意味でシンボリックな馬です。かの武豊騎手と同じ日にデビューし、関西馬時代を切り裂き、やがて訪れる競馬ブーム、芦毛伝説の先鞭をつけたわけです。


 そこに、偶然にもう1頭の芦毛のスーパーホースがいました。いうまでもなくオグリキャップです。

 クラシック出走権を持たないこの地方出身の関西馬が、初めて関東ファンの前に現れたのは、ダービーから1週間後のニュージランドトロフィー(当時1600メートル)でした。
 ビデオでも実況アナウンサーが興奮気味で、「オグリキャップ楽勝!持ったまま!河内は、河内は手綱を持ったままでゴールインです!」「強いですね!大川さん」と綴ったように、このレースでの衝撃的な圧勝で、オグリキャップはたちまち全国区の大スターとなりました。

 そして、クラシックで同期生と走れないオグリキャップが、どうしても意識しざるを得ないのが、1歳年上の先輩、タマモクロスとなりました。


 写真は、毎日新聞夕刊に載っていた特集のコピーです。
 学生時代、学校図書館にあった縮刷版をコピーしたものですから、かなり長い間手元に置いている、とうことになります。

 初めて古馬と対戦した高松宮杯と、天皇賞の前哨戦、毎日王冠を勝ち、中央入りして重賞6連勝を達成したオグリキャップと、宝塚記念からのぶつけで、史上初の天皇賞春秋連覇を狙うタマモクロス。
 ともに1年以上無敗の快進撃を続けていた芦毛の両雄が初めて対戦する天皇賞・秋は、前人気が高く、スポーツ紙のみならず、一般新聞紙でも大きく取り上げるようになったわけです。

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