フグのエキス2009-05-08 01:29:53

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 大型連休の最終日、雨の中、子供を連れて江ノ島の水族館に行って来ました。

 フグが泳ぐ水槽の前に、若いカップルが談笑していました。
 「いつも思うけど、なんで河豚は海なのに、漢字は『河』と書くのかな?」
 「川にもいたりして」
 「いや、それだけはないよ。『海』で書くと、確かにイルカになってしまうよね。」
 「そうだっけ?イルカとフグは一体どこが似ているかな?」


 イルカとフグのどこが似ているかは置いとくとして、「それだけはない」というのはウソで、大陸の大きい川にフグが捕れることだけは間違いないです。

 「本草綱目」に河豚は江淮河海に皆あると言っているから、古来より、長江にも淮水にも黄河にもそれぞれいるはずです。
 ネットで調べると、河豚は「長江三鮮」のひとつに数えられ、中国では長江産のものが一番有名だそうです。しかし江豚と呼ばず、河豚だと名付けたところ、その昔は黄河産のものが有名だったかも知れません。


 いずれもしても、台湾Yahooの質問回答(http://tw.knowledge.yahoo.com/question/question?qid=1306020206076)に、「全球只有日本人吃河豚,而且視為河豚是珍饈。」とあるのは、きっと間違いです。
 少なくとも中国人は昔から食し、東坡居士の「正是河豚欲上時」もあれば、梅堯臣の「河豚当是時 貴不数魚蝦」の詩も知られています。

 日本だけでなく、エジプトにもフグを捌くための免許が存在するらしいです。
 中国はどうかはわかりませんが、数百年前にはさすがにないでしょう。
 むかし当ブログで陳維崧の詩を引用した(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/02/23/1203213)ことがありますが、清の大詩人・陳維崧は河豚を食って中毒し、「顔も目も腫れ上がって弁識できないほど」だと、王漁洋という人が「居易録」に記しているそうです。
 このくだり、青木正児が著書の「酒の肴」に書いてありますが、青木正児は下関の生まれで、河豚(「フク」と、濁らず書いた)にはそれなりのこだわりがありそうです。


 さて、「毒の話」(山崎幹夫、中公新書)によれば、フグ毒の中毒は早い場合は20~30分、通常は3~6時間で発症します。中毒症状はまず頭痛、めまい、胸苦しさを感じ、動悸が激しくなるそうです。
 毒成分テトロドトキシンの人での致死量はなんと0.5~2ミリグラムだけで、比べても意味はないですが、言ってみれば青酸カリの百分の一以下です。

 うえの写真は、江ノ島水族館の売店で購入した土産の「河豚せんべい」です。

 フグの味はしない(というよりフグの味は?)ですが、成分を見ると、ちゃんと「フグのエキス」というのが含まれています。
 フグのエキスってなんだろうかと考えているうち、まさかですが、ちょっとめまいがしてきました。

昼食前の会話2009-04-13 00:02:32

 ね、パパ、100を3で割ると、いくつになるの?
 33で、余りが1だね。

 おー、そうか、わかった。ありがとう。
 意味はわかるよね。

 うん。
 でも、もうひとつの答えは33と三分の一だよ。

 なんで答えが2つある?
 そうだね、例えば100人の子供を3つの組に均等に分けようとすれば、ひと組は33人ずつ、最後にひとり余るんだよね。ケーキ100コを3人で分けるなら、最後に余った1コは三分の一ずる切ればいいけど、子供は3つに切っちゃいけないだろう。
 (うーん、ちょっと例が悪かったかな...)

 は、は、3つに切ったら死んちゃうよ。33.3とも言うんだよね。
 33.3333333... だね。

 3はどこまで続くの?
 正しくは無限個続くけど、普通は気にならない所で止めていいよ。

 ふーん...
 ケーキを33コももらって、最後の三分の一はちょっとだけ少なくても気にならないだよね?
 (ちょっと違うか?)


 パパ、無限大×3はいくつなの?
 無限大だよ。わかるよね?

 わからない。
 無限大はいくつ掛けても無限大だよ。

 無限大はゼロだと思えばいいのかな。
 ちょっと違うかな。0は100より小さいけど、無限大は明らかに100より大きい。

 無限大の1コ前は何?
 1コ前って?

 無限大-1は?
 ちょっと難しいけど、無限大-1も無限大。

 ふーん...
 無限大+1も無限大だよ。それと、1÷0も、無限大みたいもんだね。

 53÷0は?
 53ってなに?

 え?適当。
 53÷0も無限大だよ。その前に、1÷0.1はいくらになるか知っている。

 0.01?
 違う、10だよ。

 あ、10だね。
 例えば飴は1コ0.1円で、1円持っていたらいくつ買える?10コだよね。

 うん、知ってる。
 じゃ、1コ0円の飴で、1円持っていたらいくつ買える?

 なるほど、無限個ね。
 そう、これが1÷0みたいなものだ。53円持っていても同じ無限個だよね?

 まあね。


 抽象的な学問は、具体的な例を持ち出すのは必ずしも良くない、という話を転載した覚えがありますが、実際はすぐに使ってしまいました。

命と自我の意識2009-04-11 12:21:23

 人間が生まれてすぐ、誰でも同じように熟練に楽器を弾けていたら、もしかして、我々はいつまで経っても音楽を理解できないかも知れません。
 しかし、学習してはじめて覚える事柄がたくさんある一方、この「私」が意識的に学ばなくても、なぜかできてしまうことがあります。

 例えば、自立神経系に属する臓器たちの、互いに連携しながら協調する複雑な動きなど。幸いに僕はあまり心配せずとも、心臓はちゃんと律動的な収縮をして血液を循環させ、リンパ小節はちゃんとリンパ球の増生を行ってくれます。
 必要であれば、できる限りの力こぶを作ることができるし、思い切り深呼吸を指令することもできます。しかし普段歩くときから筋肉一本一本の動きを考えているふしはなく、数秒に一度、呼吸を繰り返し促す必要もなさそうです。

 ここ数十年、自立神経系器官等の動作も誘導できそうだと、研究を通じて知られてきました。詳しくは調べていないですが、期待する働きができたタイミングに快楽神経を刺激して奨励すれば、どんどん期待通りの動きが増えていくらしいです。
 この方法により、腎臓の尿を形成する速度を変えたり、血圧を上げたり下げたりするのが、いくらかはできるようになった話を、随分前に聞いたことがあります。

 もっとたくさんのことを、我々の脳がコントロールできるようになるかも知れません。

 いや、できるようになりたいならば、ですね。
 僕にはその自信がないです。
 司令官としては頑張っていきたいですが、これ以上細かいことまでやらなければならないと思うと、できる自信もなければ、正直、くたびれてしまいます。

 人を会社を例えるなら、この大脳の「私」は、社長であると自負している一方、会社そのものでないのも確かです。

 ましては、人間に限らず、ほとんどの生物は明らかに集合体です。
 体のなかには多くの微生物が存在し、別々の遺伝子でそれぞれの生命の営みを行っていますが、人間として生きていくなか、決して欠かせないのもたくさんあります。
 そう考えると、いや、「私」はちゃんと統制できる社長かどうかさえも疑わしいです。


 さて、自分と自分でない区分は、我々に芽生えている「自己意識」のよるものですが、「ゆえにわれあり」という自我の意識は、たぶん大脳が考え出したものです。
 その範疇はだいぶ曖昧なもののようです。
 分子レベルで考えると、今日の僕の汗は、いつかの古の人の涙だったかも知れません。
 ますます困ったな、少なくともまずはちゃんと社長と会社の違いを区別しないとわけがわからんくなりそうです。

 人類の歴史上、自分の自我と他人の自我をあまり区別できなかった時代があったと、人類学の学者が言っています。
 その時代の人間は、他人ばかりでなく、石や草木にも魂を感じていたかも知れません。

 「意識は他者の行動を予測するために生まれた」というのは、「社会的知性説」の仮説です。短絡ですが、生存競争に勝つための手段だと捉えることもできます。

 あまり環境に左右されず、ほとんどの幼児はある段階から自我が生まれて、他人との区別を確立します。この事実は、そういう働きを司る神経回路が形成される時期があることを示唆しています。


 このようにして生まれてきた「意識」は、まあ、どうなんでしょうか、僕は、なんだか「波」のようなものだと感じます。
 いや、命そのものが海の上に浮かぶ波、意識はある「しきい値」を越えた波の白いしぶきですか。別々の波とも、近いや遠いのはあるとして、底はそれぞれ繋がっているものです。

 言うまでもなく、波を構成する海水は、いつまでもその波に属するものではありません。
 なんらかの拍子で、意識の水平線より上に浮かんで、やがて岸に砕けて散ってしまいます。
 海の水は何ひとつ増えたり減ったりすることはないです。

玉子の値段2009-04-06 06:36:13

 土曜日に子供をスイミングスクールに連れていて、待っている間は指令通り、近所のスーパーで玉子を買ってきました。
 タイムサービスの玉子はLサイズの10個パックが98円、このスーパー土曜日恒例の目玉商品です。そのために5分前に行っても、すでにそれなりに長い列が作られていました。後尾に並んだら、すぐに後ろから年配のオジサンから言葉を掛けられました。

 玉子はここに並ぶのですか?
 はい、ここだと思います。
 結構な列だな。まあ、安いからですね。
 えい、有り難いです。
 わしらが小さい時も確かに1個十円だったとかで、いや、その頃の十円だったから、かなり高いものでしたが。

 確かに時代とともに、ほかの物が軒並み値上がりするなかも、値段がほとんど上がらない、逆に下がっていくものがいくつかがあります。鶏卵はそのひとつです。


 浪花で生まれ、31歳に江戸へ移り住んだ喜田川守貞という人が、京坂と江戸の風俗の違いを「守貞漫稿」(1853年)なる随筆に綴り、江戸後期の様子がよくわかる貴重な資料となっています。
 その「守貞漫稿」に、江戸の屋台で売られていたにぎり寿司の図が載ってあります。鶏卵焼、車海老、海老そぼろ、白魚、まぐろさしみ、こはだ、あなご甘煮、のり巻きなどです。

 新生姜の酢漬けなどがついて、値段はみな八文で、玉子を使った鶏卵焼だけは倍の十六文だったそうです。

景気の波、人生の波2009-03-04 23:10:08

 資本主義の経済には、48年から60年ぐらいの周期で景気の山谷が遷る長期的な循環が存在します。そう提唱したのが、旧ソビエトの統計学者ニコライ・D・コンドラチェフ教授で、1926年の論文に含めて発表しています。1930年代から1940年代の世界恐慌を予測したこの長期変動は、「コンドラチェフの波」と呼ばれたりするそうです。
 昭和50年1月の朝日新聞で取り上げた記事が、講談社ブルーバックスシリーズの「予測の科学」で引用されていますが、見ると、周期的にはやや遅れていますが、いまがほぼその第5波の谷底だと見ることもできます。
 波が終わったら完全に元に戻るものではなく、朝日新聞で取り上げた記事では、波を打ちながらも波ごとにわずかずつ上にのぼっていく図にしています。

 この循環の周期や要因は、あまり理論的に説明されず、もしかしてただの偶然かも知れません。

 しかし祇園精舎の鐘、沙羅双樹の花、何一つ変わらないものがなく、諸行無常、盛者必衰、これだけは我々が常に経験してきたことです。
 あれこれ変化する様は「ゆらぎ」だと捉えることができ、大きなゆらぎのなかに小さなゆらぎが含まれ、さまざまなゆらぎのなか、ほぼ元の状態に復帰するものもあれば、「経年変化」によって復帰しないものもありましょう。

 四季は変わらず循環するだけのように見えても、そのなかを生きている人間が、いつの間にか老いてしまいました。
 最近keikoさんも書かれた「年年歳歳花相似, 歳歳年年人不同」(http://taohua1.exblog.jp/9329157/)も、まあそういうことなのでしょうね。

兎にも角にも心よきかな2009-01-27 17:39:04

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 一年の始めと聞けば老いながら
 兎にも角にも心よきかな


 中華圏では春節とも呼ぶ旧正月が昨日にあり、中華圏はどこでも大いに賑わっています。
 その前の日曜日、大晦日に当たる除夕の日は、主にブログを通して知り合った仲間による、実に素敵な新年会に参加しました。(http://tubomim.exblog.jp/10210301/


 冒頭の歌は、生田流箏曲の名人だった葛原勾当によるものです。
 勾当なので、もちろん目が不自由な方ですが、16歳から病没する71歳まで56年間続いた日記がいま残っています。
 自ら考案した木活字を利用して自力で記したりしていたそうですが、到底本人では読めないはずです。
 それでも書き続けた所為を考えれば、日記とは言いながら、誰かに読まれることを意識して綴ったのに違いないです。


 ブログも、基本的にそうですね。
 完全にメモ帳代わりで使っている非公開のブログを僕もひとつ持っていますが、普通ネットで公開しているものであれば、程度の差こそあれ、どこか読み手を意識している部分があるかと思います。なんらかの目的で発信し、なにかを伝えたくて、いろいろな思いが込められています。

 葛原勾当が日記を綴った時代と違うのは、ブログではときに反響が上がったり、交流が生じたり、ブログ主が当初考えもしなかったフィードバックが得られる場合も多々あります。
 まあ、悪い方向に転んでしまえば、犯罪に繋がったりする報道を耳にすることもありますが、それはたぶん少数で、少なくとも僕だけが幸運だったと思えません。

 類は友を呼ぶ。ネットやブログを介した交遊は、自由度の高い、利害関係の少ない、新しい人間関係の可能性を示してくれているように思います。

レンタルビデオ屋さんと貸本屋さん2008-12-16 22:00:40

 小学生の頃、家の最初のビデオはのちにほとんど絶滅になったβ(ベータ)デッキでした。

 いまから30年以上も前、台湾にビデオなるものが入ってきたばかりで、台北市内でもレンタルビデオ店がほとんど見当たらない時代です。店が存在しないだけで、レンタルビデオ屋さんがちゃんといて、行商人のように、向こうからやってきていました。

 家に上がってくるなり、黒いスーツケースを開けて、お客さん、どれがお好みですか。
 水戸黄門や子連れ狼、土曜ワイド劇場に水曜サスペンス、演歌の花道と8時全員集合、全日本プロレスと新日本プロレス。日本の一週前のテレビ番組、それがコマーシャルも含めてそのまま録画されたという、とびきり新鮮な海賊版ビデオがずらり並んでいました。
 1週間に1回ぐらいのペースでまわってきていたが、それ以外でも電話で呼べば都合は付けてくれます。顧客の好みに気を配ってくれる上、次回のリクエストもできるから、便利と言えば便利でした。

 行商人タイプのレンタルビデオ屋さんは、しかし長くは続かず、しばらくするとレンタルビデオ店が町のあっちこっちに現れてきました。のちにケーブルテレビが解禁されて一気に勢いが萎えてしまったが、それまでは本当にたくさんの台湾人がレンタルビデオ店に日々通っていて、日本やアメリカや香港の番組を見ていたわけです。
 中学生の頃、ほとんど僕がビデオを借りに行く係りなので、よく覚えていますが、初期のレンタルビデオ店では、まず客が入会金代わりに1000元で2本のビデオを買い取り、その後は1回で15元ほどで店にある新しいビデオと交換できる、そういう仕組みでした。
 菓子パン1コが5元の時代でしたから、いま考えると、えらく高価なビデオカセットでした。


 なぜこんな昔話を思い出したかというと、「お江戸でござる」(新潮文庫)を読むと、江戸時代の貸本屋とよく似ているのにびっくりしたからです。

 江戸時代の貸本屋も、腰から頭まで本の束を背負って、顧客先に出向くのが基本であったようです。
 お堅い実用書・教養書を除けば、草紙のような読み物はほとんど買うのではなく、江戸時代の人は貸本で読んでいました。
 ヒーロー物、恋愛物、ミステリー。お客さん、今度こんな本が入りましたよ、といい場面をちらっと見せて、ネタバレにならない程度であらすじを聞かせるそうでした。

 実は小学校の頃、僕も家の近くにあった貸本屋に通っていました。
 置いてあるのは漫画、武侠小説、恋愛小説の類でしたが、店のなかで読むなら問題ないとして、家に持って帰るには保証金が必要でした。僕が通っていた店では代わりに「学生証」を預けてもよかったのですが、大事な学生証を預ける後ろめたさもあったが、子供時分の僕たちにとって保証金はちょっとした大金でした。

 江戸時代では草紙類でも、1冊が現在のお金で1万5千円から2万円くらいはしたそうで、簡単には買えないわけです。が、ちょっと田舎に行くと、その1冊か2冊かをお客さんが買って、あとで貸本屋と交換するという、まさに僕がレンタルビデオ屋さんで経験したあのスタイルも、江戸の世にはできていたらしいです。

 江戸で最大のベストセラー作家が柳亭種彦であり、13年間にかけて38巻も出した「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」は、それぞれの巻がすべて1万部を超えるベストセラーになっていました。「源氏物語」をベースにしたラブストーリーですが、1冊を何十人もまわして読んだ江戸時代の貸本文化を考えると、いまのミリオンセラー以上の勢いです。
 連載中に「種彦先生が病気だ」という噂が広まると、続きが読めなくなるのではないかと心配して、著者の平癒を、江戸中の女性たちがいろいろな神仏に願掛けしたほどでした。


 幕末近くでは、江戸市内だけで800軒ほどの貸本屋があって、合わせればと数十万人の読者がいたそうです。江戸市民の生活と密に関わるだけでなく、重要な文化伝達の担い手でもあったと言えましょう。

紅葉狩り2008-11-30 09:15:34