ジョン・ヘンリー ― 2007-10-19 23:36:00
ジョンヘンリー(John Henry)が、今月の8日に亡くなったそうです。
1975年生まれなので、享年32歳、サラブレッドとしてはそこそこの長寿だと思います。
7歳時はジャパンカップにも出走していたジョンヘンリーは、2歳時にはやばやと去勢されたセン馬なので、種馬としての勤めもなく、かつての大ヒーローはケンタッキーのホースパークで悠々と余生を送っていたそうです。
この馬、アメリカでもの凄い人気を博していたというが、当然だと思います。
なにしろ、大器晩成を絵に描いたようなサクセスストーリー。それに、あの名前ですから、人気が出ないほうが不思議です。
ジョン・ヘンリーと言う、たぶん日本だと山田太郎的な名前は、なじみやすいだけでなく、鉄道工員ジョン・ヘンリーの話はあまりに有名で、数多くの歌、演劇、小説にたびたび登場する、言ってみればアメリカ文化史のヒーローです。
<http://en.wikipedia.org/wiki/John_Henry_(folklore)>
さて、ジョンヘンリーは気性が荒かったためとは言え、あっさり去勢されていたのは、サラブレッドの世界で最も重要視されている血統が、ほんとど見るべきものがなく、とても種牡馬になるまでの成功が期待されていなかったのでしょう。
実際、1976年に1歳馬のセリに出されていたときは、わずかに1100ドルで落札されたそうです。
というか、その父親のオールボブバワーズ自体、ジョンヘリーが生まれた年の暮れにわずかに900ドルで売却された、人気のない下級種牡馬でした。
母親の血統も、先祖を遡っても華々しい成績を残した馬は、まったく見あたりません。
そういう背景なので、2歳になったジョンヘンリーは、賞金の低い、小さな競馬場でデビューしました。
むろん大事に使われたわけもなく、2歳時だけで10回も出走して、3勝したが、それでも獲得賞金の合計は5万ドルに達していなかったようです。
クレーミング競走に出ていたこともあり、3歳まで実に5回も馬主が変わっていました。
最後のオーナー、ルービン氏は貧しい家の生まれで、60代半ばになってようやく購入した初めての競走馬が、このジョンヘンリーでした。まさかこの馬がのちに650万ドルもの賞金を稼いでくれるとは、夢にも思わなかったのでしょう。
ジョンヘンリーは全米年度代表馬に2度も選ばれました。
最初は6歳のときでした。7歳、8歳の時点では一度調子落ちしていたが、競走馬としてかなり高齢になる9歳時に、なぜかふたたび力が甦り、ブリダーズカップ・ターフなど6勝を挙げ、2度目の栄冠に輝いたのであります。
専門家の分析によれば、たまたまその頃、北米の古馬陣は手薄で、レベルが例年以下だったのも幸いしたとの話。
それはそうかも知れません。
が、9歳にしてG1を5勝するのは、やはり大変な偉業だったと思います。
もっと強い馬は長い競馬の歴史上にわんさかといるのでしょう。しかし、これほどドラマチックな馬は、あとにも先にもいないような気がします。
1975年生まれなので、享年32歳、サラブレッドとしてはそこそこの長寿だと思います。
7歳時はジャパンカップにも出走していたジョンヘンリーは、2歳時にはやばやと去勢されたセン馬なので、種馬としての勤めもなく、かつての大ヒーローはケンタッキーのホースパークで悠々と余生を送っていたそうです。
この馬、アメリカでもの凄い人気を博していたというが、当然だと思います。
なにしろ、大器晩成を絵に描いたようなサクセスストーリー。それに、あの名前ですから、人気が出ないほうが不思議です。
ジョン・ヘンリーと言う、たぶん日本だと山田太郎的な名前は、なじみやすいだけでなく、鉄道工員ジョン・ヘンリーの話はあまりに有名で、数多くの歌、演劇、小説にたびたび登場する、言ってみればアメリカ文化史のヒーローです。
<http://en.wikipedia.org/wiki/John_Henry_(folklore)>
さて、ジョンヘンリーは気性が荒かったためとは言え、あっさり去勢されていたのは、サラブレッドの世界で最も重要視されている血統が、ほんとど見るべきものがなく、とても種牡馬になるまでの成功が期待されていなかったのでしょう。
実際、1976年に1歳馬のセリに出されていたときは、わずかに1100ドルで落札されたそうです。
というか、その父親のオールボブバワーズ自体、ジョンヘリーが生まれた年の暮れにわずかに900ドルで売却された、人気のない下級種牡馬でした。
母親の血統も、先祖を遡っても華々しい成績を残した馬は、まったく見あたりません。
そういう背景なので、2歳になったジョンヘンリーは、賞金の低い、小さな競馬場でデビューしました。
むろん大事に使われたわけもなく、2歳時だけで10回も出走して、3勝したが、それでも獲得賞金の合計は5万ドルに達していなかったようです。
クレーミング競走に出ていたこともあり、3歳まで実に5回も馬主が変わっていました。
最後のオーナー、ルービン氏は貧しい家の生まれで、60代半ばになってようやく購入した初めての競走馬が、このジョンヘンリーでした。まさかこの馬がのちに650万ドルもの賞金を稼いでくれるとは、夢にも思わなかったのでしょう。
ジョンヘンリーは全米年度代表馬に2度も選ばれました。
最初は6歳のときでした。7歳、8歳の時点では一度調子落ちしていたが、競走馬としてかなり高齢になる9歳時に、なぜかふたたび力が甦り、ブリダーズカップ・ターフなど6勝を挙げ、2度目の栄冠に輝いたのであります。
専門家の分析によれば、たまたまその頃、北米の古馬陣は手薄で、レベルが例年以下だったのも幸いしたとの話。
それはそうかも知れません。
が、9歳にしてG1を5勝するのは、やはり大変な偉業だったと思います。
もっと強い馬は長い競馬の歴史上にわんさかといるのでしょう。しかし、これほどドラマチックな馬は、あとにも先にもいないような気がします。
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