賀正 ― 2009-01-01 09:26:37
![](http://tbbird.asablo.jp/blog/img/2009/01/01/88f5f.jpg)
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あけましておめでとうございます。
今年はみなさんにとって素晴らしい一年であるようにお祈りいたします。
あけましておめでとうございます。
今年はみなさんにとって素晴らしい一年であるようにお祈りいたします。
グアムの総合格闘技 ― 2009-01-05 23:31:53
![](http://tbbird.asablo.jp/blog/img/2009/01/05/89cc2.jpg)
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先月、リフレッシュ休暇を取ってグアムへ行ってきましたが、宿泊したホテルで、グレイシー柔術チーム・グアムのシャツを着た方を複数名見かけました。
ホテルで拾った「GUAM Life」という無料の情報誌にも、PXC14、PXC15の結果とともに、Baby Joe Taimanglo、Alex Castro、Jesse Taitano、廣野剛康、参戦した4選手のインタビューが掲載されています。
グアムではいま総合格闘技が熱いです。
グアムのMMAと言えばPXCです。
元々Pacific X-tream Combatの略でしたが、グアム島外でのイベント開催に向け、Premier Xtream Combatに最近名称変更されました。大きな会場でないにしろ、最近はどのイベントも観客が多数詰めかけ、大盛況になっているようです。
PXCのページ(http://www.pxc.tv/)にも誇らしげに紹介されています:
Until the recent explosion of the UFC on cable television, PXC has sold more tickets per capita than any other event in the United States.
PXC main shows attract live audiences of around 5,000 people, Live TV broadcasts attract around 40,000 live viewers, and Preba Hao events aim to reach a live audience of roughly 600 people.
それと、あまり知られていないようですが、PXCは日本との交流もわりと盛んで、日本から選手が多数参戦しています。
例えば、去年3月のPXC14に廣野選手が出たあと、11月下旬のPXC16には日本人の3選手、田中寛之、谷口智則、近藤秀人がそれぞれ勝利を得ています。
先月、リフレッシュ休暇を取ってグアムへ行ってきましたが、宿泊したホテルで、グレイシー柔術チーム・グアムのシャツを着た方を複数名見かけました。
ホテルで拾った「GUAM Life」という無料の情報誌にも、PXC14、PXC15の結果とともに、Baby Joe Taimanglo、Alex Castro、Jesse Taitano、廣野剛康、参戦した4選手のインタビューが掲載されています。
グアムではいま総合格闘技が熱いです。
グアムのMMAと言えばPXCです。
元々Pacific X-tream Combatの略でしたが、グアム島外でのイベント開催に向け、Premier Xtream Combatに最近名称変更されました。大きな会場でないにしろ、最近はどのイベントも観客が多数詰めかけ、大盛況になっているようです。
PXCのページ(http://www.pxc.tv/)にも誇らしげに紹介されています:
Until the recent explosion of the UFC on cable television, PXC has sold more tickets per capita than any other event in the United States.
PXC main shows attract live audiences of around 5,000 people, Live TV broadcasts attract around 40,000 live viewers, and Preba Hao events aim to reach a live audience of roughly 600 people.
それと、あまり知られていないようですが、PXCは日本との交流もわりと盛んで、日本から選手が多数参戦しています。
例えば、去年3月のPXC14に廣野選手が出たあと、11月下旬のPXC16には日本人の3選手、田中寛之、谷口智則、近藤秀人がそれぞれ勝利を得ています。
ジョッキー・クラブ ― 2009-01-07 23:32:56
「日本騎手クラブ」という団体があります。
1960年、かつての「調教師騎手会」から独立した、JRAに所属する騎手によって組織されている団体です。騎手の騎乗技術や社会的地位の向上、央競馬の発展に寄与することなどを目的としている団体です。
一方、競馬が開催されている多くの国には「Jocky Club」が存在します。
Jocky Clubは、特に英国の文学作品などに登場していて、競馬に詳しくない翻訳家が、「騎手クラブ」と訳したりすることがありますが、これは正しい訳だと言えません。
なるほどjockyとは競馬の騎手を指しますが、Jocky Clubは「日本騎手クラブ」のような、騎手たちによって組織された任意団体とはまったく異なる組織です。
アメリカにも、フランスにも、香港にもJocky Clubがあって、組織と権限などは国によって異なりますが、元を辿れば、いずれも英国のジョッキー・クラブに範をとって作られているものです。
元祖である英国のJocky Clubは、ホームページ(http://www.thejockeyclub.co.uk/)によると、競馬にやってきた貴族や紳士達によって、1750年頃に創立されたものです。
最初はロンドンで創設されたが、すぐにニューマーケットに移され、その後Jocky Clubは権威を得て、長きに渡り、英国の平地競馬のすべてを統括することになりました。
すべてというのは、競馬場の免許、調教師、騎手の免許や取り消し、競走馬の血統登録、馬名登録から、その他競馬全般にわたる監督を引き受けています。
ちなみに、香港Jocky Clubの中国語名称はすなわち「香港競馬会」です。
このような組織をなぜJocky Clubと称したかは、「蹄の音に誘われて」(佐藤正人)によると、18世紀の創設当時はプロの騎手が存在しなく、馬主は自分の馬に乗ってレースするので、ジョッキーはすなわち馬主であったためです。
アメリカのJocky Clubは英国を真似て作ったものですが、ある事件の裁判結果により、オールマイティ的な存在でなくなり、免許関係は州競馬委員会に移され、馬の登録を主とする機関となっていました。
英国のJocky Clubも、1993年にイギリス競馬公社に対して懲罰部門など一部を除く競馬の統轄権限を委譲し、2006年には競馬監理機構に残る権限も委譲し、約250年携わった競馬の統轄業務から完全に離れることとなりました。それでもいまのJocky Clubはなお14の競馬場、広大な調教設備、The National Studなどを管理、運営していることは確かです。
1960年、かつての「調教師騎手会」から独立した、JRAに所属する騎手によって組織されている団体です。騎手の騎乗技術や社会的地位の向上、央競馬の発展に寄与することなどを目的としている団体です。
一方、競馬が開催されている多くの国には「Jocky Club」が存在します。
Jocky Clubは、特に英国の文学作品などに登場していて、競馬に詳しくない翻訳家が、「騎手クラブ」と訳したりすることがありますが、これは正しい訳だと言えません。
なるほどjockyとは競馬の騎手を指しますが、Jocky Clubは「日本騎手クラブ」のような、騎手たちによって組織された任意団体とはまったく異なる組織です。
アメリカにも、フランスにも、香港にもJocky Clubがあって、組織と権限などは国によって異なりますが、元を辿れば、いずれも英国のジョッキー・クラブに範をとって作られているものです。
元祖である英国のJocky Clubは、ホームページ(http://www.thejockeyclub.co.uk/)によると、競馬にやってきた貴族や紳士達によって、1750年頃に創立されたものです。
最初はロンドンで創設されたが、すぐにニューマーケットに移され、その後Jocky Clubは権威を得て、長きに渡り、英国の平地競馬のすべてを統括することになりました。
すべてというのは、競馬場の免許、調教師、騎手の免許や取り消し、競走馬の血統登録、馬名登録から、その他競馬全般にわたる監督を引き受けています。
ちなみに、香港Jocky Clubの中国語名称はすなわち「香港競馬会」です。
このような組織をなぜJocky Clubと称したかは、「蹄の音に誘われて」(佐藤正人)によると、18世紀の創設当時はプロの騎手が存在しなく、馬主は自分の馬に乗ってレースするので、ジョッキーはすなわち馬主であったためです。
アメリカのJocky Clubは英国を真似て作ったものですが、ある事件の裁判結果により、オールマイティ的な存在でなくなり、免許関係は州競馬委員会に移され、馬の登録を主とする機関となっていました。
英国のJocky Clubも、1993年にイギリス競馬公社に対して懲罰部門など一部を除く競馬の統轄権限を委譲し、2006年には競馬監理機構に残る権限も委譲し、約250年携わった競馬の統轄業務から完全に離れることとなりました。それでもいまのJocky Clubはなお14の競馬場、広大な調教設備、The National Studなどを管理、運営していることは確かです。
物の数え方 ― 2009-01-12 14:09:21
家の人が、台湾の小一の前期で使われている「国語」の教科書を手に入れ、子供に読ませようとしています。
摺個小球拍一拍
摺件衣服身上穿
摺艘小船水上漂
摺架飛機天上飛
摺朶小花送媽媽
教科書に出ている「折り紙」の話ですが、漢字の数が日本の比でないのは当然として、内容もなんとなく難しいです。後期には、例の「春眠不覚暁」の漢詩が出ており、それを小一の子供に読ませようとしているぐらいです。
何に難儀しているかというと、物を数える単位です。
一「個」小球、一「件」衣服、一「艘」小船、一「架」飛機に、一「朶」小花。
まあ、物の数え方は、中国語に限らず、日本語でもやはり難しいです。
某アナウンサーが初めての競馬中継で、「向こう正面、XXXXXが逃げて、あとに馬が3『匹』並んでいる......」としゃべって、大いに笑われたと、あとで振り返ったのをテレビで見ました。
馬は、中国語なら3「匹」で良いですが、日本語では一般的に「頭」を使い、「匹」は小動物だけに限定しています。
が、ウサギは「匹」ではなく、鳥のように「羽」で数えます。なるほど、骨格を見ると、ウサギはなんとなく鳥類に近いですが。
着物は一枚、帯は一筋、僧侶の袈裟は一領で、数珠は一具または一連。
遺骨は一体、神は一柱、神社は一社または一座。
佃煮は一折りまたは一曲げ、水アメも一曲げ、もしくは一壺。じゃ、壺も一壺かというと一口だそうです。
椅子は一脚、たんすは一棹、ふすまは一領または一枚。正月の松飾りは一門、二門で数えるのを知っている人は少なそう......
字は一字、句は一句、人は一人、では本は?と子供に聞いたら、「一本」ですって。
苦笑いしながらそう言った人がいましたが、実は「一本」は間違いではありません。本は形によって、いろいろな数え方があるようです。
摺個小球拍一拍
摺件衣服身上穿
摺艘小船水上漂
摺架飛機天上飛
摺朶小花送媽媽
教科書に出ている「折り紙」の話ですが、漢字の数が日本の比でないのは当然として、内容もなんとなく難しいです。後期には、例の「春眠不覚暁」の漢詩が出ており、それを小一の子供に読ませようとしているぐらいです。
何に難儀しているかというと、物を数える単位です。
一「個」小球、一「件」衣服、一「艘」小船、一「架」飛機に、一「朶」小花。
まあ、物の数え方は、中国語に限らず、日本語でもやはり難しいです。
某アナウンサーが初めての競馬中継で、「向こう正面、XXXXXが逃げて、あとに馬が3『匹』並んでいる......」としゃべって、大いに笑われたと、あとで振り返ったのをテレビで見ました。
馬は、中国語なら3「匹」で良いですが、日本語では一般的に「頭」を使い、「匹」は小動物だけに限定しています。
が、ウサギは「匹」ではなく、鳥のように「羽」で数えます。なるほど、骨格を見ると、ウサギはなんとなく鳥類に近いですが。
着物は一枚、帯は一筋、僧侶の袈裟は一領で、数珠は一具または一連。
遺骨は一体、神は一柱、神社は一社または一座。
佃煮は一折りまたは一曲げ、水アメも一曲げ、もしくは一壺。じゃ、壺も一壺かというと一口だそうです。
椅子は一脚、たんすは一棹、ふすまは一領または一枚。正月の松飾りは一門、二門で数えるのを知っている人は少なそう......
字は一字、句は一句、人は一人、では本は?と子供に聞いたら、「一本」ですって。
苦笑いしながらそう言った人がいましたが、実は「一本」は間違いではありません。本は形によって、いろいろな数え方があるようです。
続・物の数え方 ― 2009-01-13 23:50:15
先日、物の数え方が難しいと嘆いていました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2009/01/12/4054227)が、お世話になった方々からいくつか反響がありました。
前回とは角度が違いますが、家に置いてある二十数年前の古い雑誌には、こんな文章が載っています:
「男はつらいよ」シリーズの「翔んでる寅次郎」を見ていたら、結婚式場の会話に、「きょうはもう五組(ゴクミ)もあって......」というセリフが出てきた。
的確な風俗描写を見せる山田洋次監督のことだから、いかにも、いまの人の言いそうな言い方を、意識的に使ってみたのかと思う。
「五組」はもともと「イツクミ」とよんだ。ヒトクミ、フタクミ、ミクミ......の系列であることは言うまでもない。
たぶんいまでは「イツクミ」と言ったほうが怪訝され、「二組」が「ニクミ」と読まれてもあまり違和感がないぐらいです。和語の数詞が、あまり使われなくなってきたせいかと思います。
家を数えるのに、一戸、二戸はイッコ、ニコで問題はないですが、一棟、二棟なら、本来はヒトムネ、フタムネであるはずです。
それがいまやこちらも、イットウ、ニトウ......にすり変わってきたような気がします。
言葉は生き物なので、変わるのは仕方ないと思います。
ただ「お月様いくつ、十三七つ」と歌っても、一つ、二つ......の感覚が薄れては、意味さえわからなくなりそうで、それはそれで悲しいような気もします。
前回とは角度が違いますが、家に置いてある二十数年前の古い雑誌には、こんな文章が載っています:
「男はつらいよ」シリーズの「翔んでる寅次郎」を見ていたら、結婚式場の会話に、「きょうはもう五組(ゴクミ)もあって......」というセリフが出てきた。
的確な風俗描写を見せる山田洋次監督のことだから、いかにも、いまの人の言いそうな言い方を、意識的に使ってみたのかと思う。
「五組」はもともと「イツクミ」とよんだ。ヒトクミ、フタクミ、ミクミ......の系列であることは言うまでもない。
たぶんいまでは「イツクミ」と言ったほうが怪訝され、「二組」が「ニクミ」と読まれてもあまり違和感がないぐらいです。和語の数詞が、あまり使われなくなってきたせいかと思います。
家を数えるのに、一戸、二戸はイッコ、ニコで問題はないですが、一棟、二棟なら、本来はヒトムネ、フタムネであるはずです。
それがいまやこちらも、イットウ、ニトウ......にすり変わってきたような気がします。
言葉は生き物なので、変わるのは仕方ないと思います。
ただ「お月様いくつ、十三七つ」と歌っても、一つ、二つ......の感覚が薄れては、意味さえわからなくなりそうで、それはそれで悲しいような気もします。
写真のなかの戦争(Big Pcture) ― 2009-01-20 07:47:09
爆破と流血と悲しみ。
イスラエル軍の数週間及ぶ攻撃を受けたパレスチナ自治区ガザ地区にあって、かつては貿易都市として栄えたラファの街は、がれきの山に変わり果てています。
<http://www.boston.com/bigpicture/2009/01/scenes_from_the_gaza_strip.html>
それにしても、いつものことですが、「Big Picture」の写真は本当に素晴らしいです。
多少重いページですが、絶対に一見する価値があると思います。
どんな饒舌な説明よりも力強い、写真の持つすごいパワーと可能性を思い知らされます。
イスラエル軍の数週間及ぶ攻撃を受けたパレスチナ自治区ガザ地区にあって、かつては貿易都市として栄えたラファの街は、がれきの山に変わり果てています。
<http://www.boston.com/bigpicture/2009/01/scenes_from_the_gaza_strip.html>
それにしても、いつものことですが、「Big Picture」の写真は本当に素晴らしいです。
多少重いページですが、絶対に一見する価値があると思います。
どんな饒舌な説明よりも力強い、写真の持つすごいパワーと可能性を思い知らされます。
人類の足跡 ― 2009-01-21 23:39:50
人体の設計図と言われるヒトゲノムは、1991年に始まった「ヒトゲノム計画」により解読され、2003年4月の解読完了宣言を経て、2004年10月に完成版の論文発表が出されています。
それによりと、人類には22,287個の遺伝子があり、そのうち約99.9%は全人類共通で、各個人で異なるのは残り0.1%だけのようです。
当然血縁の近い人はより多く共通の遺伝子を持っているわけです。
例えば、最近ではよく耳にするDNAでの親子鑑定、全ゲノムを解析するわけではないにせよ、数万円で、かなりの確率で鑑定できると宣伝されています。
全ゲノム解析も、1990年では30億ドルだったのが、近頃ではどんどん値段が下がって、Knome社(http://www.knome.com/home/)では、個人の全ゲノム解析サービスを約35万ドルで販売しているようです。
こういった個人の親子鑑定などとは別に、いろいろな民族、人種の遺伝子差を調べることによって、人類が地球上にどう広がっていったか、過去にどの民族がどう分かれてきたのか、その検証も進んでいます。
その1つが有名な「National Geographic」が主導している「Genographic」です。
検査料金込みで、キットは$99.95(送料別)です。(https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/lan/ja/participate.html)
男性ならY染色体による父系調査か、ミトコンドリアDNA解析による母系調査かを選択し、女性はY染色体を持っていないので、ミトコンドリアDNA解析による母系調査のみですが、どっちにしても、数ヶ月後に結果が送られてくるようです。
まだやったわけではないですが、これはおもしろいかも知れません。
我々ホモ・サピエンスがアフリカで誕生し、その後アジアへ渡ったり、ヨーロッパに行ったりし、何万年をかけて動いていたと、いまのところでは考えられています。
その話題になったとき、みんなが思い浮かべるのはリーキー一家やジョハンソンといった著名な人類学者かも知れませんが、遺跡、化石と想像力だけで考えるのではなく、明確に現在ある自分の体を証拠にして検証するのも、いいのではないでしょうか。
それによりと、人類には22,287個の遺伝子があり、そのうち約99.9%は全人類共通で、各個人で異なるのは残り0.1%だけのようです。
当然血縁の近い人はより多く共通の遺伝子を持っているわけです。
例えば、最近ではよく耳にするDNAでの親子鑑定、全ゲノムを解析するわけではないにせよ、数万円で、かなりの確率で鑑定できると宣伝されています。
全ゲノム解析も、1990年では30億ドルだったのが、近頃ではどんどん値段が下がって、Knome社(http://www.knome.com/home/)では、個人の全ゲノム解析サービスを約35万ドルで販売しているようです。
こういった個人の親子鑑定などとは別に、いろいろな民族、人種の遺伝子差を調べることによって、人類が地球上にどう広がっていったか、過去にどの民族がどう分かれてきたのか、その検証も進んでいます。
その1つが有名な「National Geographic」が主導している「Genographic」です。
検査料金込みで、キットは$99.95(送料別)です。(https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/lan/ja/participate.html)
男性ならY染色体による父系調査か、ミトコンドリアDNA解析による母系調査かを選択し、女性はY染色体を持っていないので、ミトコンドリアDNA解析による母系調査のみですが、どっちにしても、数ヶ月後に結果が送られてくるようです。
まだやったわけではないですが、これはおもしろいかも知れません。
我々ホモ・サピエンスがアフリカで誕生し、その後アジアへ渡ったり、ヨーロッパに行ったりし、何万年をかけて動いていたと、いまのところでは考えられています。
その話題になったとき、みんなが思い浮かべるのはリーキー一家やジョハンソンといった著名な人類学者かも知れませんが、遺跡、化石と想像力だけで考えるのではなく、明確に現在ある自分の体を証拠にして検証するのも、いいのではないでしょうか。
兎にも角にも心よきかな ― 2009-01-27 17:39:04
![](http://tbbird.asablo.jp/blog/img/2009/01/27/8d539.jpg)
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一年の始めと聞けば老いながら
兎にも角にも心よきかな
中華圏では春節とも呼ぶ旧正月が昨日にあり、中華圏はどこでも大いに賑わっています。
その前の日曜日、大晦日に当たる除夕の日は、主にブログを通して知り合った仲間による、実に素敵な新年会に参加しました。(http://tubomim.exblog.jp/10210301/)
冒頭の歌は、生田流箏曲の名人だった葛原勾当によるものです。
勾当なので、もちろん目が不自由な方ですが、16歳から病没する71歳まで56年間続いた日記がいま残っています。
自ら考案した木活字を利用して自力で記したりしていたそうですが、到底本人では読めないはずです。
それでも書き続けた所為を考えれば、日記とは言いながら、誰かに読まれることを意識して綴ったのに違いないです。
ブログも、基本的にそうですね。
完全にメモ帳代わりで使っている非公開のブログを僕もひとつ持っていますが、普通ネットで公開しているものであれば、程度の差こそあれ、どこか読み手を意識している部分があるかと思います。なんらかの目的で発信し、なにかを伝えたくて、いろいろな思いが込められています。
葛原勾当が日記を綴った時代と違うのは、ブログではときに反響が上がったり、交流が生じたり、ブログ主が当初考えもしなかったフィードバックが得られる場合も多々あります。
まあ、悪い方向に転んでしまえば、犯罪に繋がったりする報道を耳にすることもありますが、それはたぶん少数で、少なくとも僕だけが幸運だったと思えません。
類は友を呼ぶ。ネットやブログを介した交遊は、自由度の高い、利害関係の少ない、新しい人間関係の可能性を示してくれているように思います。
一年の始めと聞けば老いながら
兎にも角にも心よきかな
中華圏では春節とも呼ぶ旧正月が昨日にあり、中華圏はどこでも大いに賑わっています。
その前の日曜日、大晦日に当たる除夕の日は、主にブログを通して知り合った仲間による、実に素敵な新年会に参加しました。(http://tubomim.exblog.jp/10210301/)
冒頭の歌は、生田流箏曲の名人だった葛原勾当によるものです。
勾当なので、もちろん目が不自由な方ですが、16歳から病没する71歳まで56年間続いた日記がいま残っています。
自ら考案した木活字を利用して自力で記したりしていたそうですが、到底本人では読めないはずです。
それでも書き続けた所為を考えれば、日記とは言いながら、誰かに読まれることを意識して綴ったのに違いないです。
ブログも、基本的にそうですね。
完全にメモ帳代わりで使っている非公開のブログを僕もひとつ持っていますが、普通ネットで公開しているものであれば、程度の差こそあれ、どこか読み手を意識している部分があるかと思います。なんらかの目的で発信し、なにかを伝えたくて、いろいろな思いが込められています。
葛原勾当が日記を綴った時代と違うのは、ブログではときに反響が上がったり、交流が生じたり、ブログ主が当初考えもしなかったフィードバックが得られる場合も多々あります。
まあ、悪い方向に転んでしまえば、犯罪に繋がったりする報道を耳にすることもありますが、それはたぶん少数で、少なくとも僕だけが幸運だったと思えません。
類は友を呼ぶ。ネットやブログを介した交遊は、自由度の高い、利害関係の少ない、新しい人間関係の可能性を示してくれているように思います。
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