北京オリンピックの最大の汚点2008-09-05 06:38:50

 いまさらですが、北京オリンピックの話です。

 今回のオリンピックほどテレビ中継をたくさん見たのは、僕では初めてです。時差が少ないのと、盆休みに重なったため、一流アスリートたちの競演と真剣勝負を、大いに楽ませて頂きました。
 概ね成功裏に終わり、あれだけ大規模のイベントですから、関係者たちは本当によく頑張ったと思います。


 ですが、頂けない点もいくつかありました。

 騒がれていた開会式セレモニーにあった花火のCG映像や、少女の歌の口パクなどは、数のうちに入りません。
 オリンピックはいうまでもなくスポーツのイベントです。その存在意義から考えれば、開会式で重要なのはせいぜい開会宣言と選手入場ぐらいで、演出のたぐいはおまけのおまけ、ショーや演出だと思えば、上で挙げたようなことは、良いかどうかは別としても、まず重要なこととは思えません。

 それよりも、テニスやバドミントン、一部試合会場でのファンによる他国選手への妨害、あれはただ呆れてモノが言えません。


 それと、開催者側が犯した最大の失策だと僕が考えるのは、馬術競技の香港開催です。北京オリンピックでの汚点だと言ってもよいぐらいかと。

 会場の都合で、開催都市ではなく、近隣の町で一部の種目が行われるのは、いままでもよくありました。しかし、北京ほどの大邑、近くに馬術競技が行える場所がなかったのでしょうか?遠く離れた香港でそれを行わなければならない理由はどこにあるのでしょうか?
 他の競技も含めて、世界各国から来る多くのアスリートたちと一堂にし、選手村で交流を深めるのが、オリンピックの魅力だと語る選手がいますが、馬術選手ではその楽しみの一部が、奪われたことになります。
 意外とマスコミも騒がないですが、どう贔屓目で捉えようと、政治的な意図がはっきり見えます。決してスポーツの世界に持ち込んではならないものです。

 国威の宣揚や政治理念の発信も、本来オリンピックの場で行うべきものではありません。
 今般行われたのは中国オリンピックではなく、北京オリンピックなのです。本来「国」というものが前面に出てくることを抑えようとした先達の意志がわからないのなら、まずはオリンピック憲章の基本から勉強したほうがよいかとさえ思います。

指のブレイクダンス2008-09-13 00:43:01

これは、なかなかおもしろいです。


【レース予想】2008朝日チャレンジカップ2008-09-15 08:48:52

  秋立つや 馬語る顔の 笑み嬉し

 のんびりとした夏競馬もよいものですが、昔からの競馬ファンは、秋の中山が開幕すると、いよいよ秋の大レースに向けてのステップが本格的に始まる気分になり、うきうきしてしまいます。


 今週は、変則的な3連続開催。祝日の今日にも、阪神競馬場で伝統の第59回朝日チャレンジカップが行われます。

 土曜、日曜のレースを見ると、例年通り、秋の開幕はというと、依然として夏を使われて調子があがった馬が有利です。ましてはこのメンバー、超のつく一流馬が休み明け組にはいないようです。
 代わりに、小倉記念をえらい強い競馬で快勝した格上のドリームジャニー、大器と言われて久しく、ようやく初のオープン勝ちを同じく小倉で飾ったニルヴァーナ、同じく良血がいよいよ開花かとなるベガの仔・キャプテンベガ、ローカルで秋の目処を付けた馬たちが集まってきました。

 このなかでは、ニルヴァーナを押したいと思います。前走の末脚はなかなか見所がありました。
 同じレースを走って3着だった3歳のウイントリガーも、よかったと思います。
 無論前売り一番人気のドリームジャニーも、57キロならむしろ恵まれていて、切る理由がなさそうです。

◎ ニルヴァーナ
○ ウイントリガー
▲ ドリームジャニー

兄弟の絆、その重み2008-09-16 00:23:56

 イギリスの生化学者、J.B.S.ホールデーンは他人のために我が身の危険も顧みない、そんな人だったそうです。彼がインドでの隠遁生活の終わり頃、あるインタビューで、兄弟のためなら死ねるか、という質問に対して「ノー」と答えて、インタビュアを驚かせたそうです。

 「兄弟が三人ならば、できる。兄弟でなければ、いとこ九人のためになら。」


 花うさぎさんのところ(http://chugokugos.exblog.jp/8530606/)で、「(レスリングの伊調姉妹について)普通の姉妹ってあんなに美しい愛情で結ばれているものなのだろうか。ただただ驚くばかりである。」とあったのが、その後の話も含めて、ちょっと引っかかって気になりました。

 たまたま「曽我兄弟」の話を読んでいますが、血が水より濃く、と近松は嘯くものの、ここにも結局は骨肉の争いが出てきます。
 身内とは何か、兄弟姉妹、その血のつながりの重みはいかほどのものでしょうか?


 そこで、ライアル・ワトソン博士の著書に引用されたホールデーンの話を、ふっと思い出しました。
 この話はよほどワトソン博士に深い印象を与えたのでしょうが、複数の著作に取り上げられています。

 「兄弟が三人ならば、できる。兄弟でなければ、いとこ九人のためになら。」
 いたって単純な計算です。
 兄弟ならその遺伝子の約半分は自分と同じもので、いとこの場合は約八分の一が共通です。
 自分の勇敢な犠牲によって、兄弟が三人助けられれば、この取引は確実に黒字になり、生き残る自分が50%多くなるわけです。

 墨家の「兼愛」とかは、お話にならないのであります。

獲得形質の、子孫への遺伝(1)2008-09-18 00:25:06

 ジャン・ラマルク、正確に表記すれば、ジャン=バティスト・ピエール・アントワーヌ・ド・モネ・ド・ラマルク(Jean-Baptiste Pierre Antoine de Monet, Chevalier de Lamarck)、というフランス人の科学者、博物学者が18世紀にいました。
 チャールズ・ダーウィンの「種の起源」より半世紀も前に、当時博物学界で上がっている諸説をまとめ、進化論に関する著書を出版していました。


 著書のなか、ラマルクは2つの重要な法則をまとめています。

 1つ目が、いわゆる「用不用説」の法則。
 発達の限界を超えていない動物であれば、如何なるものでも、頻繁かつ持続的に使用する器官は、次第に発達し、強壮になり、その力はその器官を使用した時間の比率による。これに対して、いかなる器官でも、恒常的な不使用は、僅かずつ弱々しくなり、次第にその機能上の能力がなくなって、時には消失する場合もある。

 2つ目が、「獲得形質の遺伝」の法則。
 それぞれの個体で、自然に獲得したものや失ったものの全ては、それがその品種が長い間置かれていた環境の影響によるものであっても、そしてそこから生じた特定器官の優先的な使用や恒常的な不使用の影響によるものであっても、獲得された形質が両性に共通であるか、少なくとも子供を作る個体に共通ならば、それらは、その個体の生殖による新しい個体に保持される。


 その2つ目、生物体が環境に反応して獲得した形質は、遺伝することができる、という理論は、極めて魅力的であります。
 少なくとも、ダーウィンの「突然変異」、「自然選択」あるいは「最適者生存」の理論は荒涼だと考える人達にとっては、ほとんど希望のよるところです。

 ラマルク主義者であるパウル・カンメラー(1880~1926)は書きました:
 「獲得形質を子孫に伝えることが不可能だとすれば、本当の生物進化というものも不可能になる。人はむだに生き、むだに苦しむだけだ。人が生涯をかけて獲得したものも、彼が死ねばすべて死んでしまう。彼の子も、孫も、いつも改めてどん底からスタートしなければならないのだ。」
 「もしも獲得形質が時たまでも遺伝されるなら、私たちはただもう過去の奴隷にすぎないのではなく、未来に乗り出す船長でもあることが明らかになるだろう。」
 「教育と文明、衛生と社会的努力などの業績は単に個人を利するだけではない。なぜならあらゆる行為、あらゆる言葉、いや、あらゆる思考さえ、たぶん子孫に痕跡を残すことができるだろうからである。」


 ラマルク主義がスターリンの支持を受けたため、ソビエトでは1930年代から1950年代頃、それに反論する学者の多くは迫害を受け、断罪され、処刑されたり。
 ソビエト以外の遺伝学界では、この「獲得形質の遺伝」の法則が、どんどん否定されていたにも拘わらず、です。

 カンメラーが書かれたような、絶望的な進化理論は事実です。

獲得形質の、子孫への遺伝(2)2008-09-20 07:49:59

 マーティン・ガードナーか1952年に書いた「科学の名において」で、権力にすり寄って旧ソ連の生物学を壊滅させてしまったトロフィム・D・ルイセンコを取り上げています。
 遺伝に関するルイセンコの考え方はラマルク主義です。それが発展論理の社会主義の教義と一致したことが発端ですが、ダーウィンの自然選択説に基づく異なった学説の研究者を卑劣に弾圧したことで、ラマルク主義そのままが悪名高いものとなってしまいました。


 チャールズ・ダーウィンの自然選択説の正当性が様々な研究者によって認められると、進化論の中心はずっとダーウィニズムと、その継承であるネオ・ダーウィニズムへと続くことになります。

 突然変異はまったくのランダムに起こるもので、ある生物がどんな経験をしたかということは、まるで関係がなく、突然変異が有用なものなら生き延びるチャンスが増えるだけです。
 のちに提案された中立進化説を加えて言うならば、突然変異の多くは生存競争のなかではそれほど有利でも不利でもなく、様々な変異が分子レベルで共に生き残り、前適応や遺伝的な多様性を説明しています。


 しかし、前記マーティン・ガードナーの著書でもちょっと書いてありますが、本当のところ、ダーウィンも獲得形質の遺伝を認めていて、その意味でチャールズ・ダーウィンはラマルク主義者です。
 但し、自然選択や後に追加発表された性選択に比べると、進化で演じる役割が僅かだと言っているだけです。

 個体がその生涯の間に身に付けた形質が子孫に伝わるというラマルク主義の考え方は、遺伝学的にまったく成立しない、と多くの研究者が指摘してきましたが、最近のエピジェネティクスという遺伝的機構等幾つかの発見で、それが全く見当外れとは言えなくなってきたのです。
 => 日本エピジェネティクス研究会のHP(http://www.nig.ac.jp/labs/NigPrjct/jse/index.html

 ダーウィンが予言していたように、その影響は限られているとしても、進化のある局面では、ラマルク主義の出番もあるかも知れません。

【馬関係の本】「物語 馬のいる歴史風景」(山岡明、新人物往来社)2008-09-24 22:51:20

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 タイトルには明記していませんが、すべては「日本の」歴史風景です。日本史の流れの中、馬が出てくるのを、三十数編綴った書物です。

 と言っても、必ずしも馬がどんと前に出て主役を張る場面ばかりではなく、源頼朝の鎌倉炎上や、大塩平八郎の蜂起など、なぜ作者がこの題材を選んだかと思うぐらい、馬の出番が少ない話も含まれています。
 また、良観房忍性、甘露寺親長、山名時氏など、割とマイナーな人物を取り上げてもいます。

 最後に、あとがきに代えて、と副題を付けた「馬・人・歴史」という文が載っています。日本在来馬の祖先から「古事記」「風土記」に出てくる馬、駅馬や牧の時代から明治以降の馬種改良に至るまで、あとがきにしては24ページもある長文で、新鮮味は少ないですが、こちらもよくまとまったちゃんとした論文だと思います。

【観戦記】2008 K-1WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL162008-09-29 07:43:23

 ここ2週間いろいろあって、9/23のDreamや昨日の戦極は見逃して、かろうじて土曜日のK-1 WORLD GPの開幕戦を、テレビ観戦しただけです。

 今年は1回戦から好カードがいくつも組まれ、なかでも目覚ましい働きをしたのが、K-1を創生期から支えてきたベテランのピータ・アーツです。WOLR GP 3連覇中の巨漢王者セーム・シュルトに対し、まったく臆することなく、カウンターを食らいながらも突撃を続け、勇気は素晴らしいものでした。
 個人的な採点ではドローでしたが、敢闘精神が2名のジャッジの支持を勝ち取って、シュルトの2年間無敗の記録を止めたのは、文句なし今大会の殊勲賞になるのでしょう。

 それと、チェ・ホンマンの復帰もよかったです。そのホンマンとの接戦に勝ったバダ・ハリは、打たれ弱いところが依然としてありそうですが、スピードと多彩のテクニックはさすがであり、新時代の旗手と呼ばれるだけのものがあります。
 新鋭のエロール・ジマーマン、グーカン・サキともども、横浜での決勝大会が楽しみです。