兄弟の絆、その重み2008-09-16 00:23:56

 イギリスの生化学者、J.B.S.ホールデーンは他人のために我が身の危険も顧みない、そんな人だったそうです。彼がインドでの隠遁生活の終わり頃、あるインタビューで、兄弟のためなら死ねるか、という質問に対して「ノー」と答えて、インタビュアを驚かせたそうです。

 「兄弟が三人ならば、できる。兄弟でなければ、いとこ九人のためになら。」


 花うさぎさんのところ(http://chugokugos.exblog.jp/8530606/)で、「(レスリングの伊調姉妹について)普通の姉妹ってあんなに美しい愛情で結ばれているものなのだろうか。ただただ驚くばかりである。」とあったのが、その後の話も含めて、ちょっと引っかかって気になりました。

 たまたま「曽我兄弟」の話を読んでいますが、血が水より濃く、と近松は嘯くものの、ここにも結局は骨肉の争いが出てきます。
 身内とは何か、兄弟姉妹、その血のつながりの重みはいかほどのものでしょうか?


 そこで、ライアル・ワトソン博士の著書に引用されたホールデーンの話を、ふっと思い出しました。
 この話はよほどワトソン博士に深い印象を与えたのでしょうが、複数の著作に取り上げられています。

 「兄弟が三人ならば、できる。兄弟でなければ、いとこ九人のためになら。」
 いたって単純な計算です。
 兄弟ならその遺伝子の約半分は自分と同じもので、いとこの場合は約八分の一が共通です。
 自分の勇敢な犠牲によって、兄弟が三人助けられれば、この取引は確実に黒字になり、生き残る自分が50%多くなるわけです。

 墨家の「兼愛」とかは、お話にならないのであります。

コメント

_ 花うさぎ ― 2008-09-16 08:51:29

計算上はそうですけど、
クローン人間が生き残っても、その人自身が世の中から消える痛みは変わらないのと同じように。理解できそうで理解できない感覚ですね。でも、おもしろい。

兄弟の愛情だけでなく、フィクションではない生身の愛情とはそんなに純粋な形で存在するものなのかと思う時があります。

川端康成が北条民雄のことを「(彼は)人を愛そうと思って憎む」と書いていたように、
私の場合も、愛情と憎しみは常にともにあります。
逆に、自分を傷つけた人であっても、どこか共感できる部分を見つけてしまい、憎もうと思っても憎みきれません。

なので、ああいうマスコミで言われるような分かりやすい兄弟愛みたいなものは本当にあるのだろうかと思ってしまうのですね。

曽我兄弟の話も、はるか昔、子供向けの本で読みましたが(もうあまり覚えていませんが)、あの人たちは、私などとは違う倫理感の中で生きている人達、そういう人たちの兄弟愛みたいな気がします。

_ 月の光 ― 2008-09-16 21:27:15

子供の為には死ねるけど、親のためには・・・助けるのもイヤだわ

_ 花うさぎ ― 2008-09-16 23:01:22

遺伝子のこととかは関係なく、
「3人のためには死ねないが、9人のためには死ねる」というのなら、理解できそうです。

つまり、自分の命と引き換えにどれだけ多くの貢献をすることができるか、という基準で死んでもよいかを考えるなら。

月の光さんがおっしゃること、分かります。
子供に対しては、「愛と憎しみ」ではなくて、「愛とほんのちょっとのうんざり」くらいかな。

私は親に対してはよく思うことばかりではないですが、
ある年齢までは、まさにこの人たちによって生かされてきたという一点のためだけでも、恩義に報いると思います。

_ 月の光 ― 2008-09-17 06:38:43

「愛とほんのちょっとのうんざり」
良い言葉ですね(笑)
あまりにも 的を得た言葉なので

_ T.Fujimoto ― 2008-09-17 07:51:32

花うさぎさん、おはようございます。
ネタがおもしろいだけで、もちろんこの遺伝子の計算に従う人はいないでしょう。

但し、大切な命を投げ出してもよい対価を考えるとき、ひとつは救える人間の数はいかほどか、ひとつは救う人々はどれほど親しい身内であるか、その2つの基準が含まれているところは、ある意味で的を得ているかな、と思いました。

_ T.Fujimoto ― 2008-09-17 07:58:03

月の光さん、おはようございます。
親が好きでも、そのために死ぬかどうか、というのもありますね。
そう考えると、もうひとつのファクターがあります。種族が生き延びてゆくためには、若い命を助けるべきです。基本的に老いてゆく親よりも、遺伝子をこれから伝えていく子供を、より大事にするように、動物はなっているかのも知れません。

_ 花うさぎ ― 2008-09-17 14:15:35

二十四孝などもあるし、中国人の発想なら、それでも親を助けるのことになるのでしょうかねえ。
そうなると、中国人は、自然の節理に反した人たちかもしれませんね。

以前、ある人が「親の替えはないけど、子供はまたいくらでも作れる」と言っていました。

_ T.Fujimoto ― 2008-09-18 00:05:53

花うさぎさん、「愛とほんのちょっとのうんざり」 はなかなか言い得て妙ですね。
親に対して、僕の場合、ほとんどは感謝と、やはりちょっとのうんざり、ですかな。

_ T.Fujimoto ― 2008-09-21 22:59:09

花うさぎさん、二十四孝など孝行を美徳だとするのは、年寄りたちが自己保護のために考え出した論理、かも知れません。
いや、これはあまり良い考え方ではないでしょうね。

勇敢な行為に対して授与される米国のカーネギー・メダル、その重要な選考ポイントは、血縁者の救命で示されている勇気でないことだそうです。
血縁者でない者を救う勇気こそは、当たり前のことでなく、真に表彰に足る行為です。

同じ論法でいいかどうかですが、子供を保護したり溺愛するのは当たり前のこと、褒め称えるほどのことではありません。
親を養って敬愛するのは、当たり前のことでなく、自然の摂理に反するからこそ、それが完璧できた人は偉い、二十四孝などに列し、褒められるのでしょうかな?

_ why ― 2008-09-24 12:34:46

二十四孝なんか吐き気を催すほど気味悪いものだと思いますが、親孝行は美徳だと思います。

確かに皆さまがおっしゃるように、人類の種の保存という科学的観点から、人間が命を賭けてでも子供を守ろうとする行為は合理的に解釈できるものですね。そこまで守ってくれる親には、やはり子として報いることを考えるのが当然ではないでしょうか。

これは生物学や人類遺伝学でなく、社会学や倫理学の範疇になるのでしょうか。体にインプットされたものは子供への無償の愛だとすれば、頭で理解するものは親への孝行なのでしょうね。

私は昔、親の厳しさに反発する時期もありましたが、今はありがたい存在だと思っています。掛け値なしに自分のことを思ってくれるのはやはり親だけではないでしょうか。

_ why ― 2008-09-24 12:42:51

《左伝》厲公四年,祭仲専国政。厲公患之,陰使其婿雍糾欲殺祭仲。糾妻,祭仲女也,知之,謂其母曰:“父与夫孰親?”母曰:“父一而已,人尽夫也。”

これは究極の話ですが、血縁の唯一性から見れば、親はかけがえのない存在だということですね。

_ T.Fujimoto ― 2008-09-25 00:01:24

whyさん、二十四孝が、吐き気を催すほど気味悪いものだと思われるとは、意外です。
仰ったように、我々の社会や倫理の範疇のなかでは、親孝行は美徳です。花うさぎさんが「恩義に報いる」と書かれたのにも賛同できます。
但し普遍性というか、例えば人類以外の動物ではどうかを思った時、慈烏失其母.....というのは本当の話なのかなと。

_ T.Fujimoto ― 2008-09-25 00:10:23

whyさん、父一而已はともかく、人尽夫也とはよほどの自信家でしょうか。
まあ、「兄弟如手足、妻子如衣服」という言い方もあって、血縁関係のない夫婦は、生物学的にも立場の弱い関係かも知れません......
それと、思うに、雍糾の妻が相談を持ちかけた「母」は、間違いなく実家の母親で、義母ではないと思います (笑)

_ 花うさぎ ― 2008-09-25 07:50:29

「兄弟如手足、妻子如衣服」。
ブハハーッ。
ため息が出ます。

まさに中国人の家族はそういう感じですよね。
うちのお金はまさにその手足たちに流れていってしまうのです。

_ 花うさぎ ― 2008-09-25 07:56:21

そもそも「衣服」にすぎない私ごときが、
夫のお金を「うちのお金」というのがおこがましいんでしょうかねえ。

で、だったら「児女」は何になるんでしょう。「衣服」よりもマシなものにたとえられているとよいのですが。

_ sharon ― 2008-09-25 14:11:23

花ウサギさん、
妻子は妻と子供のことです、だとしたら、
「児女」も「衣服」よりもマシなものにたとえられていないです。( !。! )

_ 花うさぎ ― 2008-09-25 22:20:58

Sharonさん、ご教示くださってありがとう。

「兄弟」が「兄と弟」であるように、「妻子」は「妻と子」なのですね。

>「児女」も「衣服」よりもマシなものにたとえられていないです

そうなんですか。ブハ~(また、ためいき)

_ T.Fujimoto ― 2008-09-25 23:14:38

花うさぎさん、中国人がすべてそうとは思いませんが、兄弟の契りや大家族を大事にする傾向が、確かにあるような気がします。
ただ劉備が「兄弟如手足」と持ち上げたのは、現実的に、強力な関羽、張飛パワーがどうしても必要だったかも知れません (^^;)

_ T.Fujimoto ― 2008-09-25 23:19:54

そもそも、劉備のX代先祖(本当?)の劉邦こそ、追っ手から逃れるために妻と子を幾度も馬車から突き落とした、妻子軽視派の本家、元祖みたいなものですね。

_ T.Fujimoto ― 2008-09-25 23:38:38

sharonさん、ご教授ありがとうございます。「妻子」は確かに妻と子供でしょうね。

某三国志研究家によると、長阪坡で夫人と阿斗を棄てて逃げたときは、劉備自身4度目の脱衣ショーだったそうです。
ところが趙雲や関羽といった手足たちが、兄さんの衣服を実に大事に守ってきたことも、付け加えておきましょう。

_ why ― 2008-10-05 15:55:40

>長阪坡で夫人と阿斗を棄てて逃げたときは、劉備自身4度目の脱衣ショーだったそうです。

ふっふふ、そのとおりですね。脱衣ショー以外のなにものでもありません。
劉備摔孩子ー收買人心、とよくいうではありませんか。

_ why ― 2008-10-05 16:11:10

Fujimotoさん、親孝行は美徳だと思いますが、しかし、二十四孝のようにマニュアル化されてしまうと、もはや人間の情理に悖る、吐き気を催すものというほかありませんね。

臥氷求魚、、姿蚊飽血なんか、ま、一歩下がって、よかろうとしても、老莱娯親あたりはもう気持ち悪いだけですよね。郭巨埋兒、嘗糞憂心となると、さすがに許しがたいと思いませんか。

あはは、昔の人間って、気味悪いことをよく次々と考えたんだなと妙に感心させられるくらいです。

過ぎたるは及ばざるが如し。人間の常軌に逸したこと甚だしいですね。出来っこないことを求められてもね。

_ why ― 2008-10-05 16:28:40

父一而已,人尽夫也。
ふっふふ、確かに思い切った発言ですね。考えようによっては、よほどの自信家に思えなくもありません。

ま、ここで、「母」は一つの蓋然性として、「人尽夫也」と指摘したというふうに解釈することも出来ませんか。世界中の男という男は、あなたの夫になり得るんだけれど、あなたと血が繋がった肉親といえば、父親のたった一人ですよ、さあ、どうする?ということですね。

義父を殺めようとしたのも、母にそれの相談を持ちかけたのもそうですが、昔の人間の思考回路はどうも分かりにくいところがありますね。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-07 00:31:43

whyさん、臥氷求魚や老莱娯親あたりはともかく、姿蚊飽血、郭巨埋兒はどんな話でしたっけ?(^^;)
考えてみると、二十四孝はよく聞きますが、その話にひとつひとつちゃんと読んだかというと、そうでもないかも知れません。
仰ったように、人間の常軌に逸したことが気持ち悪い原因でしょうね。

孝道が社会学や倫理学の範疇に属すると前に書かれましたが、その通りですね。社会や倫理の規範は、その社会の成り立ちに依存し、時代の流れによって修正され、別の時空の人が理解できないのも、むべなるかなと、改めて思いました。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-07 00:44:08

whyさん、さあ、どうする?ということですね (笑)

ただ、義父を殺めようとしたのは、絶対的な上司の命令でした。子が親を殺め、親が子を殺す、三面記事を占める今日の実話を見ると、ラマルク主義者よろしく、人間の思考回路は大して進化していないように見えますね。

_ 花うさぎ ― 2008-10-07 09:22:15

ふふふ、WHYさん、何だのかんだの言っても、
「二十四考」お好きですね。

以前にも書きましたが、シンガポールのHaw Par Villaに、「二十四孝」のどぎついアトラクションがあります。ディズニーランドのIt’s A Small Worldみたいに、それを二十四孝の人形を船に乗ってみるのです。

気味が悪くて、楽しいですよ。
ぜひ、シンガポールでご覧になってください。
マーライオンよりも印象に残っています。
それを船にのって

_ T.Fujimoto ― 2008-10-09 06:15:56

花うさぎさん、ふ、ふ、「二十四孝」が中華圏、儒教圏でいかに広がっているかを物語っていますね。
が、それでも遊園地のアトラクションにすることはないと思いますな。全然楽しそうな雰囲気がないですもの。
いや、もしかしてホラー系の乗り物として!?

_ why ― 2008-10-12 23:41:49

ああ、とうとうこのトピック、「最近の記事」リストから消えてしまいました。
探すのに骨が折れました。
はい、なんだかんだと言って、「二十四孝」を引き合いに出していますね。ゲテモノ好きかもしれません。
二十四もあるので、極フツーの親孝行が多いのに、なぜかきわどいものばかりが印象に残りますね。そうそう、「割股療親」もありましたっけ。
生まれて初めて読んだ長編小説『欧陽海之歌』(人助けした解放軍の英雄の実話を基にした物語)に、主人公の母親が親の病気を治療するために、自分の腕から肉を抉り取って、スープの出汁にしたという、子供心に恐ろしい話が出ていて、今になっても忘れられません。
まさか二十四孝がここまで息が長かったとはね。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-13 03:32:03

whyさんはゲテモノ好きですか?
「欧陽海之歌」はまったく知りませんが、さすがにこういう内容は、子供には怖すぎて、忘れられないのでしょう。

まあ、二十四孝もきわどいものだからこそ印象に残る、かも知れませんね。

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