踊る骸骨からのお誘い2014-06-09 22:08:30

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 ダンス・マカブル(La Danse Macabre、死の舞踏)とは、14世紀から15世紀のヨーロッパで流布した寓話、および一連の絵画や彫刻の様式です。

 日本では骸骨を飾り物にするのは流行ることがなかったようですが、ヨーロッパでは、中世の僧侶などが死と親しむため、好んで骸骨を机の上などに飾り、朝に晩に眺めていました。いわゆるメメント・モリ(死を思え)です。
 ダンス・マカブルも、その思想が反映されたかも知れません。
 骸骨に手を取られ、「さあいらっしゃい、一緒に踊りましょう」と誘われると、王様も貴族も、聖職者も学者も、兵士も婦人も農民も、みんな踊りの列に加わって、踊り出さずにはいられません。なにせ、死の前では、誰も等しい存在ですから。


 中世の欧州とは、まったく異質の生死観を持っているはずの古代中国に、実は似ているようなモチーフがありました。
 冒頭の絵がそれで、ダンス・マカブルよりもずっと古く、南宋の画家・李嵩(1166~1242)の作品、「骷髏幻戲圖」です。

 そこに描かれている空間は、あの世とこの世、二つの世界の境界であるように見えます。
 骸骨人形の踊りに誘われているのは、ハイハイしながら近づこうとする幼い子供で、「だめだよ!そちらへ行ってはならない!」と幼い子供を呼び止めようとしているのは、若い母親か子守りかなのでしょう。
 興味深いなのは、踊る骸骨を操るのはこれまた骸骨であり、その横になぜか赤ん坊に乳を与える母親が座っています。

 さて、この寓意はどう解釈すれば良いのでしょうか?

昭和7年珍事総決算、6月分抜粋2014-06-14 22:10:59

 以下、古い雑誌「新青年」よりの抜粋です。

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一日、ブラウン機、墜落して雄図挫折。
    隣へ行く様にはいかんです。

五日、武蔵野館に争議がおきました。
    休憩に演説をおきかせ致します。

十三日、力自慢の男、石をもち上げそこなつて残死。
    遺言に曰く、石碑はごめん。

十八日、鶏卵七百貫目盗んだ奴があります。
    よほど大きなオムレツが喰ひたかつたらしい。

十九日、ボクシングの練習中死亡。
    かうなつたら百数えても駄目です。

廿一日、橋の上から省線電車に飛び込み自殺。
    もとダイビング選手、だつたか、どうか。

廿七日、日本一の健康児表彰さる。
    病弱児の分は追つて発表。

廿ハ日、奥利根に人間の片足発見。寺島の続きでないかと大騒ぎ。
    足は高とびしましたかな。

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 昭和2年(1927年)のリンドバークによる大西洋横断飛行に刺激され、昭和6年に朝日新聞社は、太平洋無着陸横断飛行(本州とカナダのバンクーバーより南の間を飛行)の最初の成功者に日本人であれば10万円、外国人であれば5万円の懸賞金を出すと発表しました。
 何回かの失敗例を経て、すでに6年の10月に最初の成功者が現れたそうです。それでもなおブームが続き、このブラウン機は、5月29日に出発したものです。

 「寺島の続き」うんぬんとは、この年3月7日、寺島町の溝から首と手足が現れた殺人事件です。江戸川乱歩ら推理作家も犯人推理に加わり、新聞等でさまざまな特集記事が組まれました。被害者の遺体を切り刻む猟奇殺人の名称として「バラバラ殺人」が定着した事件でもあったようです。

昭和7年珍事総決算、8月分抜粋2014-06-18 21:13:58

 七月は飛ばして、ロサンゼルスオリンピックで盛り上がった八月を見てみましょう。(開幕したのは7月30日ですが)

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五日、南部、三段跳に優勝、大島も三位。
    義経もあの世で満足の由。

六日、ダンスホール、フロリダ全焼。
    明日から野天で踊ります。

十一日、魚河岸の騒ぎ。
    一心太助の末孫、ねぢ鉢巻でタンカをきる。

十五日、平泳ぎ、千五百に優勝して、水泳日本の名を成す。
    帰へりは泳いで帰へらうよ。

十八日、ベルギーの気象学者ピカール氏、昇天の新記録をつくる。
    もどつてこないのならザラにあるです。

十九日、女中凶器を奪つて強盗をねぢ伏す。
    あまり公表するとお婿さんのなり手がなくなる。

廿七日、景気は次第によくなると、鐡道省が発表しました。
    天気の間違ひぢやないか。

廿九日、宇治山田の富豪、売掛代三萬圓あつさり棒引とする。
    少し借りておけばよかつた。

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 南部忠平さんは三段跳びでの金メダルと併せ、走り幅跳びでも銅メダルを獲得しました。また、競泳男子は実施された全六種目(自由形の100m、400m、1500m、800mリレー、平泳ぎ200m、背泳ぎ100m)のうち、日本選手が5つの金メダル、4つの銀メダルを獲得したので、水泳日本と称したのは決して大げさではありません。

 8月18日、自ら開発した気球FNRS-1に乗って成層圏に達し、自身の高度記録を更新したオーギュスト・ピカールは、「タンタンの冒険」のビーカー教授のモデルだそうです。ウィキペディアによれば、とスイス生まれのスイス人であるそうです。Free University of Brusselsの教授をしていたせいで、ベルギー人だと思われただけかも知れません。

アナログレコード・コレクション(その1)2014-06-28 22:45:13

 二十数年前から使えるプレーヤーがなくなったのに、我が家にはいまだ捨てられず積まれているレコードが一部残っています。
レコードたち

 半分ぐらいは台湾に住んでいた頃の父のコレクションですが、なかでも古色蒼然ながら一際存在感を見せているのは、古賀政男大全集のLP 7枚組です。「超級豪華版」とは、いくらなんでも言い過ぎだと思いますが。
古賀先生

 それにしても、八代亜紀も、森進一も、台湾で絶大な人気を誇っていた鳳飛飛も、みんな若かったのです。
 
 

 個人的に思い出があるのは、このStevie Wonderです。初めて台湾に行ったときの従兄から、もらったプレゼントです。

 それと、この黄梅調歌劇のサウンドトラック「梁山伯と祝英代」も懐かしいものです。1963年の香港映画なので、さすがに真のリアルタイム世代ではないですが、実は70年代の終わり頃かな、なぜか台湾で再び大ブームになっていたことがあり、劇場で再放送したのを実は小学生の高学年だった僕も見ました。

 アルバムがほとんどですが、シングル盤も数枚あります。
 こちらは原田知世さんが歌った、「時をかける少女」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2012/11/25/6642582)の主題歌です。
 

アナログレコード・コレクション(その2)2014-06-30 23:14:53

 一番多く残っているのは、中森明菜さんのレコードです。
 まずこれは、1982年のデビューアルバム「プロローグ<序幕>」です。
 
プロローグ

 これは、セカンドアルバムの「バリエーション<変奏曲>」です。美少女でした。
バリエーション

 これは、1983年のサードアルバム「ファンタジー<幻想曲>」です。タイトルからして、ここまでが三部作のような感じです。
ファンタジー

 同じ1983年にリリースされた4枚目のアルバム「NEW AKINA エトランゼ」です。前作もそうですが、ポートレートが入っています。
NEW AKINA エトランゼ

 たくさんあります。
 1984年の「ANNIVERSARY」(左上)、「POSSIBILITY」(右上) と、1985年の「BITTER AND SWEET」(左下)、「BEST」(右下、シングル曲を収めたベスト・アルバム) をまとめて。
4枚まとめて

 
 漏れてしまいました。
 「BEST」よりも前に、1983年12月に発売された初のベスト・アルバム「BEST AKINA メモワール」も持っています。これは好きです。
メモワール

 続きます。
 「クリムゾン」(左)は1986年のスタジオ・アルバム、「赤い鳥逃げた」(中)は1985年5月にリリースされた12インチシングル、「MY BEST THANKS」は1985年12月にリリースされたミニ・アルバムです。
3枚まとめて

 1984年12月の「SILENT LOVE」は、完全限定でリリースされたミニ・アルバムです。ハードカバーは消印付きの国際郵便風の包装で、2枚のポートレートに4ページのカラー・イラスト入り歌詞カードが封入されて、なかなか洒落た作りのコンセプト・アルバムとなっています。
SILENT LOVE

 生産限定盤のミニ・アルバムと言えば、デビューした1982年12月24日に発売された「Seventeen」もそうです。盤面がピクチャーディスク仕様となっていて、両面とも明菜さんの写真が使われています。
Seventeen

 と、いろいろ残っていますが、これらのLPなどを、私は一度もプレーヤーに掛けたことがありません。というのも実は、これらのレコードを入手したのは、すでに我が家には稼動できるプレーヤーがなくなった後です。
 CDになる前、実は当時、テープで聞いてました。台湾で売られているテープが、これもそのうちのいくつかは残っています。
テープ

 私は意外と物持ちが良いかも知れません。