疲労測定結果は要注意 ― 2013-03-01 23:00:33
日立システムズのニュースリリースを読みました。
<http://www.hitachi-systems.com/news/2013/20130221.html>
疲労科学研究所と協業して、測定器を用いて自律神経の状態を測定する「疲労・ストレス検診システム」なるものを販売開始したそうです。
疲労科学研究所という会社は初めて聞きましたが、なかなか目を引く社名です。しかし、今回私が気になったのは、疲労測定結果のレポートのほうで、「正常」「注意」「要注意」の3段階で評価されるそうです。
あまりそういうイメージを抱いていなかったのですが、やはり「要注意」というのは、ただの「注意」よりも、さらに高いレベルの注意が必要だという意味を含んでいる言葉でしょうか?
<http://www.hitachi-systems.com/news/2013/20130221.html>
疲労科学研究所と協業して、測定器を用いて自律神経の状態を測定する「疲労・ストレス検診システム」なるものを販売開始したそうです。
疲労科学研究所という会社は初めて聞きましたが、なかなか目を引く社名です。しかし、今回私が気になったのは、疲労測定結果のレポートのほうで、「正常」「注意」「要注意」の3段階で評価されるそうです。
あまりそういうイメージを抱いていなかったのですが、やはり「要注意」というのは、ただの「注意」よりも、さらに高いレベルの注意が必要だという意味を含んでいる言葉でしょうか?
競馬場のヘミングウェイ ― 2013-03-09 23:05:11
先週の弥生賞に、エピファネイア、コディーノ、キズナなど今年のクラシックを狙う若駒の有力どころが出走し、2強や3強と呼ばれ、人気を博しました。
しかし、僕が注目したのは、前記の3頭からちょっと離れた4番人気に押された、藤原英昭厩舎のヘミングウェイです。
9番人気ながら2着に突っ込んできた前走のシンザン記念を含め、デビューから6戦して1勝2着5回という、なかなか勝ち切れないが、崩れもしない安定した成績を持つ馬です。
ヘミングウェイの馬主は、世界の競馬界を席巻している、ドバイのシェイク・モハメド殿下です。馬名は、アメリカの小説家の名前から、と出馬表プログラムに書かれているので、アーネスト・ヘミングウェイに因んだものだと思われます。
井崎脩五郎の著作で読みましたが、あるとき、アーネスト・ヘミングウェイは競馬場のスタンドで、顔見知りの新聞記者にこう語ったそうです。
「競馬場には、たった二種類のタイプの人間しかいないな」
「どういうタイプですか」と新聞記者が聞くと、ヘミングウェイは、「損している人間と、得している人間さ」、と答えました。
「馬券が当たっている人間と、外れている人間、という意味ですね?」
「いや、違うよ。」
ヘミングウェイは笑いながら答えました。
「競馬ファンとスリ、しかいないという意味さ」
当時の競馬場に、いかにスリが多かった、という意味も込めているかも知れませんが、まともな競馬ファンは、誰もがみな損していることを、やはり皮肉ったのでしょう。
これはどこの競馬場で交わした会話なのかと言うと、好事者が調べてくれまして、時代的背景も含め、フランスのロンシャン競馬場ではないか、という推測が出ています。
ヘミングウェイは、猛獣狩りや大物釣りを愛した豪放な文豪というイメージを一般的に抱かれていますが、もちろん彼にも若いときがありました。パリ時代、シェイクスピア書店に通い、貧困と戦いながら新しい文学を模索していた二十台のアーネスト・ヘミングウェイは、当時の写真に写る風貌も若々しく、精神的にも柔軟で繊細だったようです。
しかし、のちの文豪の心に潜んでいる根源的なものは、一貫して存在していたとも言われています。
パリ時代より前の1918年、アメリカ赤十字社の救急要員として第一次世界大戦に参加していたヘミングウェイは、オーストリア軍の放った砲弾の破片を体中に浴び、重傷を負いました。戦争の惨禍を目にし、突然襲ってくる死の不条理性を、このとき、嫌と言うほど思い知らされました。
パリに移り住んでからも、彼は「トロント・スター」紙の通信員として、激動する世界の現場に何度も立ち会っていました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2011/03/30/5764496)。
1922年9月、ヘミングウェイはコンスタンティノーブルに渡って、ギリシャ・トルコ戦争を取材しました。10月には撤退するギリシャ軍や避難民の悲惨な実情も目撃し、死が日常茶飯のように繰り返された世界の悲惨さ、不条理を、心のなかに刻み、後々まで彼の作品に反映し続けたかも知れません。
アーネスト・ヘミングウェイは書きました。
「競馬場では、軽い死を、何度も味わうことができる。希望や確信の、絶望的な破綻。そのたびに我々は、一瞬、死を実感する。すべてから開放される、どこか甘美なその感覚を忘れることができずに、我々は、当たるあてのないものに賭けるのだ......」
作品の中で死と向かい合い続けたヘミングウェイにとって、競馬場もまた、死を凝視する場所のひとつだったかも知れません。
馬のほうのヘミングウェイは、弥生賞では初めて6着に沈み、そして本日になって、脚部の骨折が判明しました。
「来週にも手術をする。(中略) 秋の復帰を目指していく」と藤原英師がインタビューに答えたそうです。
しかし、僕が注目したのは、前記の3頭からちょっと離れた4番人気に押された、藤原英昭厩舎のヘミングウェイです。
9番人気ながら2着に突っ込んできた前走のシンザン記念を含め、デビューから6戦して1勝2着5回という、なかなか勝ち切れないが、崩れもしない安定した成績を持つ馬です。
ヘミングウェイの馬主は、世界の競馬界を席巻している、ドバイのシェイク・モハメド殿下です。馬名は、アメリカの小説家の名前から、と出馬表プログラムに書かれているので、アーネスト・ヘミングウェイに因んだものだと思われます。
井崎脩五郎の著作で読みましたが、あるとき、アーネスト・ヘミングウェイは競馬場のスタンドで、顔見知りの新聞記者にこう語ったそうです。
「競馬場には、たった二種類のタイプの人間しかいないな」
「どういうタイプですか」と新聞記者が聞くと、ヘミングウェイは、「損している人間と、得している人間さ」、と答えました。
「馬券が当たっている人間と、外れている人間、という意味ですね?」
「いや、違うよ。」
ヘミングウェイは笑いながら答えました。
「競馬ファンとスリ、しかいないという意味さ」
当時の競馬場に、いかにスリが多かった、という意味も込めているかも知れませんが、まともな競馬ファンは、誰もがみな損していることを、やはり皮肉ったのでしょう。
これはどこの競馬場で交わした会話なのかと言うと、好事者が調べてくれまして、時代的背景も含め、フランスのロンシャン競馬場ではないか、という推測が出ています。
ヘミングウェイは、猛獣狩りや大物釣りを愛した豪放な文豪というイメージを一般的に抱かれていますが、もちろん彼にも若いときがありました。パリ時代、シェイクスピア書店に通い、貧困と戦いながら新しい文学を模索していた二十台のアーネスト・ヘミングウェイは、当時の写真に写る風貌も若々しく、精神的にも柔軟で繊細だったようです。
しかし、のちの文豪の心に潜んでいる根源的なものは、一貫して存在していたとも言われています。
パリ時代より前の1918年、アメリカ赤十字社の救急要員として第一次世界大戦に参加していたヘミングウェイは、オーストリア軍の放った砲弾の破片を体中に浴び、重傷を負いました。戦争の惨禍を目にし、突然襲ってくる死の不条理性を、このとき、嫌と言うほど思い知らされました。
パリに移り住んでからも、彼は「トロント・スター」紙の通信員として、激動する世界の現場に何度も立ち会っていました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2011/03/30/5764496)。
1922年9月、ヘミングウェイはコンスタンティノーブルに渡って、ギリシャ・トルコ戦争を取材しました。10月には撤退するギリシャ軍や避難民の悲惨な実情も目撃し、死が日常茶飯のように繰り返された世界の悲惨さ、不条理を、心のなかに刻み、後々まで彼の作品に反映し続けたかも知れません。
アーネスト・ヘミングウェイは書きました。
「競馬場では、軽い死を、何度も味わうことができる。希望や確信の、絶望的な破綻。そのたびに我々は、一瞬、死を実感する。すべてから開放される、どこか甘美なその感覚を忘れることができずに、我々は、当たるあてのないものに賭けるのだ......」
作品の中で死と向かい合い続けたヘミングウェイにとって、競馬場もまた、死を凝視する場所のひとつだったかも知れません。
馬のほうのヘミングウェイは、弥生賞では初めて6着に沈み、そして本日になって、脚部の骨折が判明しました。
「来週にも手術をする。(中略) 秋の復帰を目指していく」と藤原英師がインタビューに答えたそうです。
競馬場のトルストイ (ほかタゴール、シェクスピア) ― 2013-03-20 00:57:19
前回はヘミングウェイについて書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2013/03/07/6740400)が、実はヘミングウェイの同期に、トルストイがいます。
もちろん、競馬のほうの話です。
トルストイは2010年、ロシアの文豪レフ・トルストイが没後百周年の年に生まれ、いまJRA栗東・音無厩舎に所属している馬です。
レオ・トルストイの名著「アンナ・カレーニナ」に、競馬場のシーンが描かれています。
アンナが、恋人のヴロンスキーの落馬に動揺し、浮気が夫に疑われてしまう、あの有名な場面です。
実は19世紀は、ロシアの競馬人気がもっとも頂点に達した時期で、モスクワの競馬場に上流階級やお金持ちの人々が集まっていたようです。
そもそもロシアにはアラブ、ドン、アカールテケ(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/10/22/1866220)などの基礎血統や、オルロフ・トロッターなどの改良種がそろい、20世紀初頭には世界の馬の三分の一をも所有していたそうです。
そんな馬の王国だけに、サラブレッドという優れた競走種が発達したときにはいちはやく輸入していました。19世紀後半からロシア革命までの間に、英国三冠馬ガルティモアを筆頭に、多くの優れたサラブレッドが輸入され、馬産に関する伝統、技術や優れた環境を考えれば、優秀なサラブレッドがたくさん育てられて良いはずです。
しかし、ロシアがサラブレッド競馬の国際舞台に長く登場しませんでした。
ひとつは、ロシアではトロット競争のほうに伝統があり、人気を集めていたためだと思われます。トロットの名馬たちの名前が、革命前のロシアのスポーツ新聞に踊っていたようです。
もうひとつは、ドン河流域の馬産地が、クリミア戦争、ロシア・トルコ戦争、ロシア革命などで、激しい戦地になり続けたせいかも知れません。
そんななかでも、19世紀のロシア・サラブレッドの血統を現代に伝えているのは、ソビエト政権樹立後のロシアで抜群の種牡馬成績を残した、タゴールという馬です。
馬のトルストイは、かなりの良血です。
お父さんは、日本競馬界きっての英雄、ディープインパクトです。
お母さんのグレースアドマイヤは重賞を勝てなかったが、府中牝馬ステークスで2着し、G1のエリザベス女王杯では6着に入っていたオープン馬です。グレースアドマイヤの母はアイルランド産のバレークイーン、未出走ですが、オークス、ヨークシャーオークス、セントレジャーを制した名牝サンプリンセスを母に持つ良血馬です。バレークイーンは日本に輸入されるや、いきなり1996年のダービーを勝ったフサイチコンコルドを出し、さらにグレースアドマイヤの後も、2009年の皐月賞を勝ったアンライバルドなどを輩出しています。
グレースアドマイヤの子供からも、2007年の皐月賞を勝ったヴィクトリーや、2006年の天皇賞・春でディープインパクトの2着に入ったリンカーンが出ています。
マドリードのカフェで、アーネスト・ヘミングウェイが一人の記者とこんな会話を交わしました。
ヘミングウェイ: 君はレースを見に出かけるかい?
記者: ええ、ちょいちょい。
ヘミングウェイ: じゃあレーシング・フォームを読んだだろう......。ほんとの小説技術ってのはあれさ。
このエピソードは、私が知っているだけでも、寺山修司はそのエッセイに二度引用しています。
「レーシング・フォーム」は、言わずと知れた、百年以上の歴史を持つ、世界でもっとも著名な競馬新聞のひとつです。各レースに出走する全競走馬の豊富な情報を列記した一覧表を掲載しているのが特徴です。そこには、過去の細かい経歴だけでなく、父、母、兄弟、生まれ故郷のすべてが明記されています。
日本の競馬専門紙の馬柱も、小さい空間に様々な情報を詰め込んでいますが、それよりさらに情報が膨大で、ぶっ厚い新聞だと思ってよいかと思います。
「あれが、経験の集積であるのか、物語の集積であるのかを決めるのは、読者のたのしみというものだろう」
と言ったのが、当の寺山修司です。
ビッグデータの時代ゆえ、親や兄弟に名馬、活躍馬を持つトルストイは、いわゆる超良血馬として、必然的に多くの期待を集めています。
しかし期待された通りに必ずしも走らないのも、競馬の世界ではよくある話です。
トルストイはデビューしてから4回レースに出走し、うち3回が単勝一番人気に支持された(もう1回は二番人気)ものの、最高でも3着止まりで、いまのところ、高い期待に応えられていません。
ちなみにトルストイのひとつ上の兄に、シェクスピアという馬がいましたが、デビュー戦(やはり単勝一番人気)で6着に敗れた後、2戦目のレース中の故障が原因で予後不良、亡くなったそうです。
もちろん、競馬のほうの話です。
トルストイは2010年、ロシアの文豪レフ・トルストイが没後百周年の年に生まれ、いまJRA栗東・音無厩舎に所属している馬です。
レオ・トルストイの名著「アンナ・カレーニナ」に、競馬場のシーンが描かれています。
アンナが、恋人のヴロンスキーの落馬に動揺し、浮気が夫に疑われてしまう、あの有名な場面です。
実は19世紀は、ロシアの競馬人気がもっとも頂点に達した時期で、モスクワの競馬場に上流階級やお金持ちの人々が集まっていたようです。
そもそもロシアにはアラブ、ドン、アカールテケ(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/10/22/1866220)などの基礎血統や、オルロフ・トロッターなどの改良種がそろい、20世紀初頭には世界の馬の三分の一をも所有していたそうです。
そんな馬の王国だけに、サラブレッドという優れた競走種が発達したときにはいちはやく輸入していました。19世紀後半からロシア革命までの間に、英国三冠馬ガルティモアを筆頭に、多くの優れたサラブレッドが輸入され、馬産に関する伝統、技術や優れた環境を考えれば、優秀なサラブレッドがたくさん育てられて良いはずです。
しかし、ロシアがサラブレッド競馬の国際舞台に長く登場しませんでした。
ひとつは、ロシアではトロット競争のほうに伝統があり、人気を集めていたためだと思われます。トロットの名馬たちの名前が、革命前のロシアのスポーツ新聞に踊っていたようです。
もうひとつは、ドン河流域の馬産地が、クリミア戦争、ロシア・トルコ戦争、ロシア革命などで、激しい戦地になり続けたせいかも知れません。
そんななかでも、19世紀のロシア・サラブレッドの血統を現代に伝えているのは、ソビエト政権樹立後のロシアで抜群の種牡馬成績を残した、タゴールという馬です。
馬のトルストイは、かなりの良血です。
お父さんは、日本競馬界きっての英雄、ディープインパクトです。
お母さんのグレースアドマイヤは重賞を勝てなかったが、府中牝馬ステークスで2着し、G1のエリザベス女王杯では6着に入っていたオープン馬です。グレースアドマイヤの母はアイルランド産のバレークイーン、未出走ですが、オークス、ヨークシャーオークス、セントレジャーを制した名牝サンプリンセスを母に持つ良血馬です。バレークイーンは日本に輸入されるや、いきなり1996年のダービーを勝ったフサイチコンコルドを出し、さらにグレースアドマイヤの後も、2009年の皐月賞を勝ったアンライバルドなどを輩出しています。
グレースアドマイヤの子供からも、2007年の皐月賞を勝ったヴィクトリーや、2006年の天皇賞・春でディープインパクトの2着に入ったリンカーンが出ています。
マドリードのカフェで、アーネスト・ヘミングウェイが一人の記者とこんな会話を交わしました。
ヘミングウェイ: 君はレースを見に出かけるかい?
記者: ええ、ちょいちょい。
ヘミングウェイ: じゃあレーシング・フォームを読んだだろう......。ほんとの小説技術ってのはあれさ。
このエピソードは、私が知っているだけでも、寺山修司はそのエッセイに二度引用しています。
「レーシング・フォーム」は、言わずと知れた、百年以上の歴史を持つ、世界でもっとも著名な競馬新聞のひとつです。各レースに出走する全競走馬の豊富な情報を列記した一覧表を掲載しているのが特徴です。そこには、過去の細かい経歴だけでなく、父、母、兄弟、生まれ故郷のすべてが明記されています。
日本の競馬専門紙の馬柱も、小さい空間に様々な情報を詰め込んでいますが、それよりさらに情報が膨大で、ぶっ厚い新聞だと思ってよいかと思います。
「あれが、経験の集積であるのか、物語の集積であるのかを決めるのは、読者のたのしみというものだろう」
と言ったのが、当の寺山修司です。
ビッグデータの時代ゆえ、親や兄弟に名馬、活躍馬を持つトルストイは、いわゆる超良血馬として、必然的に多くの期待を集めています。
しかし期待された通りに必ずしも走らないのも、競馬の世界ではよくある話です。
トルストイはデビューしてから4回レースに出走し、うち3回が単勝一番人気に支持された(もう1回は二番人気)ものの、最高でも3着止まりで、いまのところ、高い期待に応えられていません。
ちなみにトルストイのひとつ上の兄に、シェクスピアという馬がいましたが、デビュー戦(やはり単勝一番人気)で6着に敗れた後、2戦目のレース中の故障が原因で予後不良、亡くなったそうです。
恐ろしいことは平気で起きる ― 2013-03-29 21:55:14
「恐ろしいことは中々起ってこないやうに見えて平気で起ってくるものである。勢ひと云ふものはどんなことでもやってのける。」
大正13年七月号の「文芸春秋」に載っている、武者小路実篤の文章が、このような書き始めています。
そして、以下のように続きます。
「日米戦争なぞと云ふことも随分前から噂が立っていたが、今の勢ひでゆくとやりかねないやうに思ふ。常識的に考へても、亦深く考へてもとてもやれないことが、非常識家が多く馬鹿者が多いと平気でやってのける。その渦巻きにまきこまれたものはたまらない。」
「......戦争は国を富ますものでなく、貧乏にするもので、この上貧乏したら日本はどうなるか。......日本の運命は今實に大事なときで、狂ひかけているのを感じる。之を喰ひとめ、よりいい方に導く力は青年の力だけである。」
いまもって、いや、いまだからこそ読まれるべき文章、という気がします。
大正13年七月号の「文芸春秋」に載っている、武者小路実篤の文章が、このような書き始めています。
そして、以下のように続きます。
「日米戦争なぞと云ふことも随分前から噂が立っていたが、今の勢ひでゆくとやりかねないやうに思ふ。常識的に考へても、亦深く考へてもとてもやれないことが、非常識家が多く馬鹿者が多いと平気でやってのける。その渦巻きにまきこまれたものはたまらない。」
「......戦争は国を富ますものでなく、貧乏にするもので、この上貧乏したら日本はどうなるか。......日本の運命は今實に大事なときで、狂ひかけているのを感じる。之を喰ひとめ、よりいい方に導く力は青年の力だけである。」
いまもって、いや、いまだからこそ読まれるべき文章、という気がします。
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