カエルの王様、もしくは神様2013-04-10 21:48:55

 グリム童話集の第一巻の序文に、次のように書かれています。
 「私たちの収集の方法についていえば、話を忠実に、それをより純度の高いものにすることを第一と考えた。私たちは手に入れた話に何一つ付け加えなかったし、その話自体の出来事や特徴に潤色を加えることはいっさいしなかった。聞いた通りにその内容を再現しようとしたのである。(1819年の第二版)

 「グリム童話~メルヘンの深層」(講談社現代新書)の作者・鈴木晶によれば、これは「真っ赤な嘘」だそうです。
 特にヴィルヘルム・グリムは加筆修正した際は、自身の宗教的な、もしくはブルジョワ的道徳観に基づき、大いに検閲の朱筆を振るっていたようです。


 一例ですが、童話集の冒頭に置かれている「かえるの王さま」は、もとの「草稿」では次のような記述になっています:
 「王女はカエルをつかみ、自分の部屋に連れて行きました。そして腹立ちまぎれにカエルをつかみ、力いっぱいベッドのところの壁に投げつけました。でもカエルは壁にぶつかるとベッドの上に落ち、美しい和解王子の姿となって横たわっていました。王の娘はそのかたわらに身を横たえました。」

 第二版では、以下のように書き換えられました:
 「王女は、腹の中は煮えくり返るような気持ちでしたが、二本の指でカエルをつかみ、階上の部屋に連れていきました。自分はベッドに入りましたが、カエルをベッドにあげるかわりに、力いっぱい壁に投げつけました。『これであんたもゆっくり休めるでしょうよ、いやなカエルめ』。
 ところが、下に落ちたのは死んだカエルではなく、生きている、美しく優しい目をした王の息子でした。これで彼は正式に、王女の父親の許しをえて、王女の大切な仲間に、夫になりました。二人は満足して眠りに付きました。」

 草稿および初版では、カエルはベッドに落ち、王女はそのままかたわらに身を寄せた表現になっていましたが、このような婚前交渉の匂いをヴィルヘルム・グリムは消し去り、しかも念入りに、父親である王の許しを得て夫になった表現を付け加えました。


 これを書きながら遠い昔の記憶を辿ってみましたが、僕が幼稚園の先生から聞いた話では、カエルを壁にぶつけるくだりがなかったような気がします。
 むしろ、内心では嫌だと思いながらも、姫様はカエルとの約束を守り、カエルにキスして、その結果、魔法が解け、カエルが元の王子の姿に戻ってメデタシメデタシ、という筋だったと記憶しています。

 実は、古い雑誌(ナショナル・ジオグラフィック日本語版)を読むと、明治21年、「女学雑誌」という雑誌に、すでに巌本善治の訳で、グリム童話のなかいくつかの話が紹介されたそうです。
 しかし、この巌本訳では、娘は嫌々ながら約束を守り、カエルの足をマッサージしてやると、カエルは老人(神様)に変身し、約束を守ったごほうびに、娘に幸せを授ける、という話にすっかり様変わりしました。


 初版のグリム童話集が出版されて人気を博しましたが、「しかるべき母親や乳母が、ラプンツェルの物語を無垢な娘に向かって顔を赤らめずに話してやれるだろうか」(フリードリヒ・リュース)といった批判の声も上がっていました。(ヴィルヘルム・グリムはそうした批判を受け入れ、書き換えをさらに進めた、と考えられます。)

 さすがに明治期の日本訳にはそのような心配はありませんね。
 原作の素朴な面白みが翳り、道徳臭の濃い寓話になってしまったような気はしますが。

引き続き、童話の書き換えについて2013-04-15 23:22:07

 前回の記事で取り上げた「グリム童話~メルヘンの深層」(鈴木晶、講談社)は、「赤ずきん」の原型にあたるメルヘンをひとつ収録しています。

 そのヘルヘンに、女の子(赤ずきんをかぶっていない)が狼に騙され、おばあさんの肉と血を干し肉とワインとして食べてしまうシーンがあります。(そばにいた子猫が「うへえ!自分のおばあさんの肉を食べて血を飲んでしまうなんて、なんてひどい娘っこだ」と喋ったが、女の子は気づかなかったようです)

 あまりに残酷なシーンであるためか、シャルル・ペローが「赤ずきん」に書き換えたときにはすでに削除され、ペローの作品に基づくグリム童話にも当然含まれていない部分です。
 読みながら、思い出したのは日本の民話の「かちかち山」、タヌキが翁を騙し、タヌキ汁と称して婆汁を食べさせたくだりです。

 民話や童話は、本来かなり残酷な話も含まれるものです。
 しかし仄聞によれば、近頃、タヌキは婆汁を作らず、うさぎもタヌキを泥舟に乗せて沈めたりしないようです。
 すべては話し合いで丸く収まる平和的なストーリーも悪くはないですが、そんなかちかち山であったら、子供心に強烈な印象を与えることがなく、そもそも長い歳月を経て現代まで伝わらなかったかも知れません。


 時代が、社会が変われば、確かに人々が好む形に童話やメルヘンも変わります。
 子供に甘いこの時代、残酷な童話は好まれず、そればかりか、本来厳然と存在する現実の厳しささえも、隠してしまったかも知れません。

 今風の「蟻とキリギリス」では、夏に働きもせず、さんざん遊びまわったキリギリスが冬になって食べ物に困り、蟻の家を訪れると、蟻はその備えのなさを諭したうえ、キリギリスに食べ物を分けてやりました。

 イソップの原作には、むろんそのような甘いことは書いていません。
 「アリはキリギリス(セミだったかも)が飢えて死ぬのを待って、その死体をも食べ尽くした」というのが、僕らが知っている、本来の結末です。

ほしくなる玩具、WAVEDRUM Mini2013-04-23 00:40:20


 KORGのWAVEDRUM Miniが、おもしろそうです。



 ほしくなってしまいました。まったく使えもしないのに (^^;)

YouTubeで世界を見る2013-04-24 23:11:32

 家にいながら世界を見ることができるのですから、なんだかんだ、YouTubeはやっぱりすごいです。

 世のなか、知らないことだらけです。
 なにしろベトナムでは橋が火を噴き、ブラジルでは本屋さんの吹き抜けの側面まで本棚に覆われています。
 



 イタリアCalcataの古い街角も素敵ですし、アメリカSan Gabriel山の夜景も美しいです。