雨降って今日一日を生きのびる2011-09-20 09:10:13

 「すでに不合理を知る少年の手記に日本の宿命があり」 (福岡千代吉)

 「巣鴨」という歌集(第二書房、昭和28年刊)に収録された歌です。

 巣鴨は、お年寄りたちの原宿と称される前にある巣鴨戦犯刑務所を指し、戦争犯罪人とされる人たちの歌です。首記の歌、「やまびこ学校」という中学生の文集を読んだ感想です。
 不合理だと知りながら、「咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょう 国のため」とやらを、声揃えてなぞったかも知れません。

 * * * * *

 「川柳マガジン」2004年8月号に「特攻隊員が遺した川柳」なる記事が掲載されました。
 昭和20年3月30日第一国分基地に進出した神風特別攻撃隊、及川、遠山、福知、伊熊の若き隊員4名が、百句にのぼる川柳を残したそうです。

 「能書は、遺書に代筆よくはやり」
 「生きるのは良いものと気づく三日前」
 「雨降って今日一日を生きのびる」
 「未だ生きているかと友が訪ねる」
 「痛かろう、いや痛くないとの議論なり」

 特攻出撃は三日前に通達され、雨なら延期になるように読めます。
 4月6日、菊水第一号作戦が行われ、神風特攻215機が出撃しました。以下、出撃指令から漏れ、ひとまず生き残った福知、伊熊二氏の合作です。

 「特攻隊員神よ神よとおだてられ」
 「神様の大飯くひにただあきれ」
 「慌て者小便したいままで征き」
 「万歳がこの世の声の出しおさめ」
 「父母恋し彼女恋しと雲に告げ」
 「あの野郎、いきやがったと目に涙」
 「従兵は夜ごと寝床の数を聞き」

 この日、わが艦隊に沈むものはなし、と米海軍省の発表があった4月11日、特攻隊は39機出撃されました。こうして、残るふたりも沖縄海域に散りました。
 不合理だと知りながら、です。

コメント

_ 蓮 ― 2011-09-29 00:40:07

自らの軍隊生活を書いた文章というのはフィクションも含めてそれこそたくさんあるのでしょうけれど、その場そのときの当事者の素直な気持ちに触れることができるここに紹介されているようなものはそれほど多くないのではないでしょうか。

_ 花子ママ ― 2011-09-29 09:19:19

父の軍隊時代は輸送機の操縦兵士でした。
終戦まじか、鹿児島知覧に特攻隊員に命じられて現地に赴いた時、すでに飛べる飛行機は一機もなかったそうです。
その時、自分がお国のために死ねなかったことを悔やみ恥じたんだという話しを聞いたことがありました。その傷心の時期を経て、反戦の思想に至るまでの苦悶と慙愧の念を推し量ると堪らないものがあります。少なくとも父の場合、ご紹介のような句を兵士のときに詠まなかったのではないかと思いました。でも今となれば、「そうだったな・・」と共感できるのかも知れませんね。

_ T.Fujimoto ― 2011-09-29 23:11:49

蓮さん、その時代を生きてきた人は残念ながらだいぶ少なくなり、実態を知ることが難しくなったかも知れません。そういう意味でも、こういう生の声は、やはり貴重なのでしょうね。
ただ、あの大変な時代においても、考え方は人それぞれで、決してすべての人間をひとつの束にまとめられない、ひとつの型に嵌められない、と僕は思います。

_ T.Fujimoto ― 2011-09-29 23:25:15

花子ママさん、いつも貴重なお話、ありがとうございます。
周りの人たち、仲間が国のために犠牲になっていくことを傍から見たら、どうでしょうか、その時代にいたら、やはり僕も死に急いだかも知れません。「散るのは覚悟」と嘯きながら。
不条理な世のなかに生まれ、現実と世論の力は抗しがたいものがあると思いますね。

_ why ― 2011-10-01 19:30:20

極限な環境に置かれた時の作品は鬼気迫ったり、ぐっと来たりして感動が深いものですね。朝日新聞の歌壇には、アメリカの刑務所にいるらしい郷隼人さんという方の歌が時々掲載されていました。他には横浜でホームレス生活を送っている公田耕一さんという方もちょっと前までよく歌を作っていました。どちらも本当に佳作ばかりで、すっかりファンになりましたが、二人とも消息が途絶えたようで、残念でなりません。
脱線してしまい、すみません。

_ T.Fujimoto ― 2011-10-03 02:02:17

whyさん、前に公田耕一さんの話を伺った際に、若干調べてみました。なるほど、確かに極限状態を真に知る人でなければ、なかなけ書けないものがありますね。
「為賦新詩強說愁」だけではうわべしか表せず、「北風勁且哀」は北国の厳しい冬を体験してでないと真実味が出ないのもそうで、理解できない話ではありません。
「殺人放火の罪は母天子人の間に立つの頴考叔なり」は極論ですが、教えて頂いた通り、本当の窮地に追い込まれないと気づかないことはあるのでしょう。

_ why ― 2011-10-03 08:56:09

公田耕一さんのこと、前にもお話ししましたか。それは失礼しました。気に入ったお話しとか、本とか何度もしつこいくらい言っているようですね。誠にお恥ずかしいです。
為賦新詩強說愁、そうですね。若い頃は身の程知らずにけっこう無理をしていました。ま、今でも薄っぺらではありますが、年の功なのか、人の話を聞くときや本を読むときなど、「四方八方」からものごとを考えるようになりました。我ながら、ちょっとだけ人様の気持ちがわかるようになったり、理解が深まったりしたような気がします。
すっかり秋らしくなりましたね。天涼好個秋!

_ T.Fujimoto ― 2011-10-05 07:01:09

whyさん、おもしろい話をいろいろ教えて頂き、いつも感謝しています。
そうですね。若い人の発想と感性は瑞々しく、大変素晴らしいものですが、歳月のなかで磨かれた判断力と経験も捨てがたいものですね。年をとると、肉体の消耗とともに感受性も鈍くなると若いときは思ったりしましたが、そうではなく、記憶力など弱くなる部分もありますが、判断が研ぎ澄まされてくることもあり、情緒力が高まることもあるような気がします。

_ 花うさぎ ― 2011-10-05 09:39:56

年齢を重ねると感性が若い頃に比べてある面で鈍くなるというのは、あり得ることかもしれません。少女のころ、ヘルマンヘッセの初期の著作を好んで読みましたが、
今読むと出てくる人たちがただの社会不適応者のように思えてしまい、登場人物に共感することもありません。

その一方で、人の感情やものごとの道理などがよく分かるようになった部分もあり、それに伴って、若いころには気付かなかったであろうことにも、心を動かされることも多くなりました。20代ごろまでは、感動しても涙を流すことなどありませんでしたが、最近は以前に比べ涙もろくなり、何かにつけ、積極的に泣いています。

娘に言わせると、それは感性や情緒が豊かになったのではなく、ボケて感情がだだ漏れ状態になっただけなのだそうです。まあ、そうかもしれません。

_ T.Fujimoto ― 2011-10-08 09:22:30

お年寄りは生理学的に涙腺がゆるくなっているだけ、なんて暴言を聞いたことがありありますが(笑)、そうではないと思います。
二十台と六十台では経験が違うので、触発される感情もレパートリーの数が違うかも知れません。その間の世代に位置するいまは、青春時代もよかったな、これからも楽しみだな、ととりあえず思うようにしている状態です。

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