お米の好ましい食感2011-09-07 01:48:59

 秋立つや稲穂が頭を垂らし、うれしいというより美味しい、実りの季節がすぐそこです。
 お米は日本人の主食だけあって、ブランドもいろいろあるし、拘る人は実にかなりの拘りようです。


 あれは1993年でしたか。記録的な冷夏、日照不足により日本国内で栽培されるお米の生育が著しく悪く、タイ、中国、アメリカからお米の緊急輸入が行われました。
 なかでも、日本政府からの緊急要請に対して、いち早く応えたのがタイ政府でした。しかし大量に輸入・流通させたタイ米は、結局かなりの不人気で、後に不法投棄されるなどの社会問題まで発展しました。

 テレビのニュース番組で、レポータがタイの米産地まで取材しに行ったのは別に問題ないですが、汗を流して収穫している最中の農家の方を捕まえて、あなたたちのお米はまずい、と日本では言われていますが、いかが思われますか、というストレートなインタビューまではしなくてもいいじゃないかと思いました。
 呆然となってしまったおじさんの悲しい顔を、僕はいまも忘れられません。

 タイ米が不評なのは、質の違う日本米と同じ炊き方にしたせいだと言われます。
 流通量が少なかったのもありますが、カリフォルニア米や中国米にはそのような風評被害があまり聞かれず、タイ米の独特の香味と、なによりあのパサパサ感が、日本人の多くは馴染めなかったのだと思います。
 テレビでは、寒天や餅を入れて一緒に炊く等によって粘り気を増す工夫なども紹介された。しかし、そもそもねんばりとしたご飯が旨いのは、昔からなのでしょうか?


 青木正児の「用匙喫飯考」を読むと、宋の計有功の「唐詩記事」に収録されている薛令之の詩が引用されています。
 貧乏暮らしを愚痴っているその詩に「飯渋匙難滑、羹稀箸易寛」という句がありますが、ここの「滑」は、青木先生の解説によれば、ぬるぬるするのではなく、さらさらするのであります。匙が滑りにくいのは、なんのことはなく、貧しくて、粘った飯しか食べられなかったためです。
 北朝後魏の「斉民要術」巻九に飯の炊き方を記したうち、粟飯二種に対しても「滑美」と賞賛していますが、匙から流れ落ちるぐらい、さらっとした感触が好ましかったのです。

 さらに、「物類相感志」飲食篇には、飯を作るのに朴硝を入れて炊くと、一粒ずつ離れて粘りつかない、という秘訣まで書かれて、昔の中国人の嗜好は推して知るべしです。

 上の寒天や餅を入れて粘り気を増す云々とは、実に好対照でした。