金々先生のニセ中国語2011-09-30 00:17:17

 恋川春町に、「金々先生栄花夢」という黄表紙が残っています。(http://www.geocities.jp/ezoushijp/kinkinsenseieiganoyume.html

 「邯鄲一夢」の話の翻案だそうですが、下の巻に、茶屋の女が「唐言(からこと)」を使う場面が出てきます。

  茶屋の女 「ゲコンカシコロウサヨンケガ、キコナカサカイコト」
  おまづ 「イキマカニイケクコカクラ、マコチケナコトイキツケテクコンケナ」


 上のページの注釈には、「明和・安永の頃、江戸深川遊里で流行した言語の遊戯。」とあります。その前の宝暦年間から流行っていたとする記述も目にしますが、要するに、日本語の間にカキクケコの音を挟んで中国語風に聞こえる、と言う遊びです。

 上の対話も、はさみ言葉を抜けば、以下のようになります。
 「源四郎さんが、来なさいと」
 「いまに行くから、待ちなと言ってくんな」

 江戸の人には、南方系の中国語の k音が特に耳に残り、このように聞こえたのでしょうか?


 元禄期の歌謡集「松の葉」には、「唐人歌」と題する次のような歌が収録されています。
 「かんふらんはるたいてんよ、長崎さくらんじや、ばちりこていみんよ
  でんれきえきいきい、はんはうろうふすをれえんらんす」

 中国語の音を書き取ったものだそうですが、元は何かを僕は推測すらできません。いずれにしても、日本人は単純に音の面白さで遊んでいたのでしょう。
 そのうち、本当の中国語を離れ、フェイクな中国語としての「唐言」が遊郭の洒落として遊ばれ、時には他人に知られたくないことを話す暗号としても使われたらしいです。

 「金々先生栄花夢」だけではありません。
 朋誠堂喜三二の黄表紙「見徳一炊夢」にも、主人公の清太郎の書を見て、書道の師匠である唐人が「ブクキキヨコオコナカテケダカ」と評しました。
 通訳は、「御器用な御手跡じゃと、先生がおほめなされます」と、清太郎に伝えました。
 とんでもないです。「唐言」をマスターした粋な読者なら、これは「不器用な手だ」、と正しく翻訳できるはずです。