嫌というほど好き、死ぬほど生きてほしかった2011-02-03 07:41:20

 7時前、カーテンの隙間に漏れる朝日が目に入って、春を感じました。
 冬眠中のクマが目覚めた、というわけではありません。早朝の相変わらずの寒さの向こうに、生気がかすかに芽生え、うごめき始めたような気がしました。
 中華圏では春節とも呼び、今日は旧正月です。


 映画「非誠勿擾」のエンディングテーマ曲「最好不相見」を、sharonさんがブログで紹介しています(http://daybydayon.exblog.jp/12032161/)。本編は未見ですが、美しい風景をバックに歌われたこの歌詞がおもしろくて、以下転載させて頂きました。

 最好不相見,便可不相戀
 最好不相知,便可不相思
 最好不相伴,便可不相欠
 最好不相惜,便可不相憶
 最好不相愛,便可不相棄
 最好不相對,便可不相會
 最好不相誤,便可不相負
 最好不相許,便可不相續
 但曾相見便相知,相見何如不見時
 安得與君相訣絕,免教生死作相思

 出会わなければ良かった、愛し合わなければよかった、口では言っても、本心は逆なのでしょうね。
 大人になって、平和な国で普通に暮らしていたら、そうそう感情の起伏が訪れることはないかも知れません。しかし、人間というものは、気持ちが、生活が安定しているだけで、幸せだと心底感じられるように出来ていないものです。

 反語です。嫌いと言うのは好きである裏返し、嫌になっちゃうほど好きです。早く忘れてしまいたいと嘆くのは、大概は夢寐にも忘れられない人です。

 「世の中は色と酒とが敵なり どうぞ敵にめぐりあいたい」
 四方赤良(大田南畝)のように、素直に唄えればいいのですが、なかなかそうはいかないのが人間の感情、機微の難しいところです。

 山本夏彦の「死ぬの大好き」もウソですし、沢木耕太郎の随筆を読んで知りましたが、デキシーランド・ジャズのスタンダートに「I'll Be Glad When You're Dead, You Rascal You !」という長い題名の曲があります。


 この古い演奏もそうですが、かなり陽気な曲です。
 しかしこれは葬式、葬送の歌なのです。

 タイトルは訳せば、「お前が死んじまって俺はうれしいぜ、この馬鹿野郎が!」となりますか。
 男が本当に大切な友を送り出すとき、これ以外の感情表現はできない、悲しみを口にしたらやるせなくなる、そういうことはあるのでしょう。

今の話は皆うそだ2011-02-08 01:06:59

 中公文庫から出ている鳶魚江戸文庫を、順不同で、細々と読んでいます。
 その最後の36冊目「江戸雑録」に「瓦版の話」という文章があり、瓦版の始まりから、種類や消長などまで論じています。言ってみれば、三田村鳶魚は瓦版の史料的価値を認識、考証した先駆者でもあるわけです。

 杉浦日向子の本にも書かれているように、瓦版は今日の新聞のルーツのように言われていますが、実際はゴシップや宣伝が多く、有ること無いことをおもしろくおかしく書いています。なるほど、相撲の勝負付けや火事、地震の情報は確かなのですが、「三つ目の人魚が越中湾に出た」のように、いまのスポーツ紙や大衆雑誌も顔負けの、耳目を引く大ボラが載っていました。
 読む人もバカばかりじゃないので、概ねインチキだとわかった上で買い、洒落を楽しむものだそうです。


 「瓦版の話」に載っている話ですが、嘉永二年五月の読売に、「是は此度吉原の女郎が三ッ子を産みたる 世に珍らしき次第をごらふじろ」と大声で売られた一枚紙が、いまも残っているそうです。

  今度新吉原江戸町一丁目
  の尾張屋彦三郎かゝへ遊女
  花の井と申者三ッ子をうみ
  しを町奉行所へ訴へ出候得
  は珍らしき事に思召早々
  見届させ身もと御ただしの上
  名を一郎二郎三郎と御附被下
  うぶ着一重づゝ被下置以後
  そまつこれなき様大切にそ
  だて可申様に被御仰渡候

 これなどは親切なほうだと思います。
 頭文字だけ縦に読めば、「今の話は皆うそだ」と、ちゃんと告白してありますから。

釜中の豆 ~「相思」から「相煎」2011-02-13 23:20:44

 またまたsharonさんのブログで見かけたものですが、王菲が歌う「紅豆」という曲を紹介されています(http://daybydayon.exblog.jp/12055568/)。ありふれた中華系バラードのようでいて、うまくデリケードさを醸し出す歌い手の力も相まって、いい雰囲気に仕上がっています。
 この歌を知らなかったのは僕が無知なだけ、簡単に調べましたが、中華圏では大流行したヒット曲だし、作詞した林夕という方も、多産をもって知られる超売れっ子作詞家であるようです。

 「還沒好好的感受雪花綻放的氣候, 我們一起顫抖, 會更明白什么是溫柔......」と歌い出す一番は、まあこれと言って難解なフレーズはないですが、二番の歌い出しの「還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口, 然后一起分享, 會更明白相思的哀愁......」のところ、なぜ「把紅豆熬成纏綿的傷口」なのか、不思議で気になっていました。
 あずきを煮詰めたらぜんざい、まさかあれを傷口に塗るのか、などとバカなことを考えていたら、答えはsharonさんから教えて頂きました。
 「紅豆最相思」か、なるほど、あずきではないですね。前にchococoさんのところで書かれた話(http://blogs.yahoo.co.jp/chococo_latte/33672060.html)も、いまさらながら思い出し、かろうじて合点となりました。

 賈宝玉が即興で詠った「紅豆曲」も読み直しましたが、「滴不尽相思血涙拋紅豆...」のくだり、、ままならぬ思いがつい詰まって、「相思」の記念に渡された紅豆まで投げ出したのでしょうか?
 罪のない紅豆がこうして放り出されるのは、「紅豆最相思」だと言い切り、なんだかんだ流行らせた、千四百年前の大詩人・王維にも幾分の責任があるように思えます。

  紅豆生南国
  春来発幾枝
  願君多采摘
  此物最相思


 王維の紅豆詞の以外、豆に関する古詩で有名なのがもうひとつ、例の曹植の「七歩の詩」も思い出されます。

  煮豆持作羹
  漉豉以爲汁
  萁向釜下然
  豆在釜中泣
  本是同根生
  相煎何太急

 「煮豆燃豆萁,豆在釜中泣。 本是同根生,相煎何太急。」とする書物もありますが、どちらにしても根本は同じ、ポイントは後半の「本是同根生,相煎何太急」です。本来相い思うべき兄弟は、こちらは相い煎(に)ることになってしまいました。
 皇帝である兄・曹丕が聞いて、慚愧の色を隠せず、それ以上の迫害を与えなかったのですから、言ってみれば、曹植のトンチが身を救った、ということになります。


 話が脱線気味ですが、釜中の豆でつい思い出したのがもうひとつ、落語の話です。手元に資料がないですが、大筋は以下のように覚えています:

 寺の大釜のなかに、味噌を作るための豆が大量に煮られています。
 良い匂いがしてきて、和尚さんが食べたくなったが、なにぶん小僧の前でつまみ食っては示しがつかないので、小僧を用事に出しました。小僧が戻ってきても見られないように、思案したあげく、どんぶりにみそ豆を盛って、ひとりで隠れて食べる事にしました。
 帰ってきた小僧は、こちらはこちらで和尚さんがいないのを良いことに、みそ豆をつまみ食いし始めました。しかし食べているところをもし見つかると大変なので、やはりどこか良い場所がないかと考えました。
 意を決して、小僧は豆をどんぶりに山盛りして、臭いのを我慢すればと心ウキウキして向かったのは雪隠、すなわち便所です。
 で、便所の扉を開けてみたら、びっくり、和尚さんがしゃかんで豆を食べているのでないですか。和尚さんも仰天したが、小僧はそれ以上に慌ててしまい、思わず「お、お代わりをお持ちしました」、と。

 こちらのトンチが、結局身を救ったかどうか、落ちのあとなので、定かでないのは言うまでもありませんが。

府中の豆 ~お代わりをお持ちしました2011-02-14 07:54:32

 曹植に話を戻しますが、「洛神賦」のような傑作を残し、その詩文が高く称賛されているものの、本人は「吾雖德薄,位為蕃侯,猶幾戮力上國,流惠下民,建永世之業,留金石之功。」と語ったように、文学者としての高名よりも、政事での活躍を望んでいたようです。
 ある意味では兄の曹丕と好対照です。文学的な名声は弟に及ばないですが、曹丕は「典論」論文で文学の重要性を謳い、後世に大きな影響を与えました。

 「蓋文章,經國之大業,不朽之盛事。年壽有時而盡,榮樂止乎其身,二者必至之常期,未若文章之無窮。」

 台湾で高校を通っていた頃、この文章が国語の教科書に載っていたが、経国の大業、不朽の盛事とは、なかなか気合いが入っているな、と感心ました。

 日本においては、時代は下りますが、かの「古今和歌集」の仮名序が、ようやく匹敵できるのではないでしょうか?

 「力をも入れずして天地を動かし
  目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
  男女のなかをもやはらげ
  猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」

 裂ぱくの気合が感じられ、この紀貫之の序文も好きです。
 もっともこう大上段に構えられ、いつも「文以載道」で迫られると、息苦しくなる書き手もいるはずです。戯文、洒落、息抜き、エンターテイメントとしての文学もいろいろありますから。

 「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」

 江戸時代、宿屋飯盛という人が詠った狂歌です。天地が一々動かされてはたまらないから、歌詠みは下手で結構、古今の序文をふまえた上で斜めに構えた、捧腹絶倒に値する傑作だと思いませんか。


 この宿屋飯盛はただ者ではありません。
 通称を石川五郎兵衛、雅号を石川雅望と言い、狂歌師にして国学者であり、そして小伝馬町の「糠屋(こぬかや)」という旅籠のあるじです。
 国学では古語辞典の「雅言集覧」や源氏物語の研究書「源註余滴」でいまも知られていますが、狂歌は大田南畝に学び、好きが高じて仲間を集め、「伯楽連」なる狂歌の連を作りました。「伯楽」の名は、連中に小伝馬町や馬喰町の人が多かったからでしょうが、近くに北町奉行があり、訴訟で上京する人のための公事宿が多かったようです。糠屋もそのひとつ、狂歌名の「宿屋飯盛」はその本業に因んだものです。
 「初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る」、「世わたりの道にふたつの追分や、たからの山に借銭のやま。」などが、宿屋飯盛が詠んだ歌です。

 悪質な公事師の尻押しをしたという疑いで、石川雅望は江戸払いとなりました。
 時は寛政三年、江戸を追われた石川雅望は宿屋を廃業して、府中で住まいを構えました。
 府中は東京都の地理的中心にあり、いま東京競馬場がある町で、僕もまめに通っていました。「伯楽連」とは「馬」でつながった、と言いたくもなりますが、江戸の町民の交通手段は足、大江戸と言えども西は新宿あたりまで、府中は日本橋から二日脚、現代人の感覚ではわからない距離にあり、辺鄙な地でした。

 ある日、大田南畝が訪ねてきました。弟子の境遇を見て、泣きながら歌を詠みました。

 「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」

 ふちうは「府中」であって、「釜中」です。健康の意のまめと足のまめを表現しながら、曹植の七歩の詩をふまえ、「釜中」に「府中」を引っかけたのであります。
 出久根達郎のエッセイで書かれていますが、まめは真面目の意味もあり、石川の無実も言外訴えていたかも知れません。

玉兎の春2011-02-19 00:42:52

 石川雅望がお上のお咎めを受けて江戸を追われた後、宿屋飯盛の代わりに「伯楽連」をまめたのは、同じく四方赤良(大田南畝)門下で狂歌を学んだ、1歳年下の岸識之です。
 通称は岸宇右衛門、狂歌名は頭光と言います。聖人から発せられる光背の頭光(ずこう)のほうではなく、読み方は「つぶらのひかる」、若ハゲであったゆえです。

 頭光は軽快で大らかな詠み口を身上とし、「花の山色紙短冊酒さかな入相のかねにしめて何程」、「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」、「月みても更に話句なかりけり世界の人の秋と思へば」、などがその作品です。
 日本橋亀井町に生まれ、長じて亀井町の町役人となり、生粋の江戸っ子、日本橋っ子でした。彼にはこんな歌もありました:
 「我ら団十郎ひいきにて生国は花のお江戸のまん中」


 団十郎とは、むろん歌舞伎の市川団十郎を指し、団十郎は江戸の昔から筆頭役者でした。初代は元禄年間の人で、頭光の時代はと言えば、名人の誉れ高い五代目が活躍していました。

 五代目の団十郎は荒事、和事とも堪能で、舞踊にも秀で、敵役、実悪、女形など、ひとりで何役も演じて見せたと言います。
 また、文才もあって、四方赤良ら文化人との交流を持ち、自らも「花道のつらね」の名で狂歌を詠みました。頭光がひいきするのもむべなるかなです。
 寛政八年に一時引退し、成田屋七左衛門と名を改め、向島に草屋を建て、好きな俳諧、狂歌を作り、質実な隠居生活を送っていました。
 花道のつらねが詠んだ歌で有名なのは、
 「たのしみは春の桜に秋の月 夫婦仲良く三度くふめし」

 華やかな舞台で見栄を切る姿は影もなく、毎日三度の飯など、平凡な楽しみを歌っています。それでいて実に決まっていて、気に入っています。
 関係ないですが、いまから十数年前、この歌を一文字だけ変えて、敬愛する友人夫婦に送りました。
 「たのしみは春の桜に秋の菊 夫婦仲良く三度くふめし」
 友人夫婦はともに競馬キチで、桜花賞と菊花賞は欠かせないだろうと思ったためです。名優には失礼だったかも知れません。

 花道のつらねの歌を検索して、もうひとつ見つかりました:
 「をそろしき寅の年の尾ふみこえて光のどけき玉の卯の春」

 恐ろしかったかどうかは別として、虎年の尾をなんとか踏み越えて、兎年を迎えているのは、ちょうどいまと同じです。
 僕のつぶらのひかり、いや、間違いました。のどかに射る春の光が、じきに訪れて来ることを、いまかと心待ちしています。

同族的文学2011-02-21 22:55:04

 先日の記事で引いた、大田南畝の「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」に対して、whyさんからコメントを頂きました:
 『二つも引っ掛けるとはお見事ですね。語呂からして、意味合いからして、そう簡単に思いつかないものでしょう。
 中国にも「東邊日出西邊雨、道是無情却有情」や「春蚕到死絲方尽、蠟炬成灰涙始乾」などがありますが、二つも引っ掛けた句、ありましたっけ? 』

 「東邊日出西邊雨、道是無情却有情」は知らなかったのですが、なかなか良くできて、感心しました。
 僕が覚えているのは「因荷而得藕,有杏不須梅。(因何而得偶,有幸不須媒)」と、不完全かも知れませんが、曹雪芹の「千芳一窟(哭),萬艶同杯(悲)」ぐらいですか。
 こういう同音異義の引っかけは、伝統的な中国文学には少ないかも知れません。

 枚挙にいとまがないほど、日本の文学ではたくさん出てきます。
 原因のひとつに、日本語の発音の単純さが挙げられるかも知れません。
 そう言えばだいぶ前に、花子ママさんのところで初恋は電話ボックス派か携帯メールかと聞かれ、郵政省メールだと自白したところ、「ポストの前でもじもじしているだろう」と揶揄されたので、反撃してみました。
「二つもじ 牛の角もじ もじもじと
 恋ひのふみ 二の足をふみ ふみぶみで」

 まあ、まったく反撃になっていないのは置いておくとして、格調の高さを求めないなら、僕でも駄洒落の句が簡単に作れる、という話です。


 しかし待って、中国語だとそうでもないですかね?本当に中国語だと駄洒落が少ないでしょうか?
 いま書きながら思い出してみると、現代の宣伝ではよく見かけるような気がします。
 新聞の三面記事や雑誌記事の表題にもよく出ていますね。

 してみれば、中国語に駄洒落の文化がないというより、正統な文学としてなかなかなりえなかっただけかも知れません。ひとことで言えば「難登大雅」。中国文学では長い間、もっときまじめな形を求め、諷刺にしても日本的なからかいではなく、強い諷錬精神に富むものが最良だとしていたように思えます。


 脱線しそうですが、その先日の記事で、「古今和歌集」の仮名序を、曹丕の「論文」と比較しましたが、必ずしも適切でないことに、いま気付きました。

 中国の伝統的な一流文学は、政治との関係においてその価値が見出され、それに対して日本の文学は、成り行き上かも知れませんが、脱政治であるように見えます。
 男女の仲を和らげ、武人の心を慰める、とは言えても、「経国の大業」とはちょっと違うような気がします。
 日本では、宮廷の女房、法師、隠者、町民など、政治的にはアウトサイダーである人たちが長期的に文学の中心を占めているので、高官、士大夫が支えている伝統的な中国文学と、なんらか異なる傾向を示すのは当然かも知れません。
 政治は文学にとって縁が薄く、文学に政治を取り入れるのは野暮、という考え方が強いように感じます。しかしこの脱政治の傾向は、国際的に見て、決して一般的なものではないと思います。


 ついてに、高浜虚子の話を書いたとき、頂いた多くのコメント(http://tbbird.asablo.jp/blog/2010/09/30/5379220)を、いまさら思い出した。
 日本人の叙情が、短歌や俳句という短い短詩形で表されることが多いせいもありますが、詠嘆が頂点だけつまみ取る傾向が強いです。中国の唐詩、宋詞だとそうした詠嘆だけでは不足で、しばしば人生観や思想が必要になってきます。
 これも、実は中国の場合においてのみ特殊にそうなっているのではなく、ヨーロッパの場合でもそうであるようで、大陸系の詩がみなそうらしいです。多読していないですが、ワーズワースの詩も自然を詠んだあとに、その対比で思想を説き、人生について見解を述べているものが多いです。

 説明や説得しようとする努力が大きく欠如している短歌や俳句は、詠嘆のみを楽しみ、その共感のみを期待しています。良いか悪いかではないし、線を引いて二分できるほど単純でないのも承知しています。ですが、広い大陸的な文学と比較すれば、言わずともの部分が強く、かなり海島的な、家族的な、同人的な文学だと思えてしまいます。

 家族的な場において、他の力との均衡や支配を考える政治の問題は野暮な課題、同族的な信頼をかえって傷つける話になってしまうのも、なんとなく納得してしまいました。