釜中の豆 ~「相思」から「相煎」2011-02-13 23:20:44

 またまたsharonさんのブログで見かけたものですが、王菲が歌う「紅豆」という曲を紹介されています(http://daybydayon.exblog.jp/12055568/)。ありふれた中華系バラードのようでいて、うまくデリケードさを醸し出す歌い手の力も相まって、いい雰囲気に仕上がっています。
 この歌を知らなかったのは僕が無知なだけ、簡単に調べましたが、中華圏では大流行したヒット曲だし、作詞した林夕という方も、多産をもって知られる超売れっ子作詞家であるようです。

 「還沒好好的感受雪花綻放的氣候, 我們一起顫抖, 會更明白什么是溫柔......」と歌い出す一番は、まあこれと言って難解なフレーズはないですが、二番の歌い出しの「還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口, 然后一起分享, 會更明白相思的哀愁......」のところ、なぜ「把紅豆熬成纏綿的傷口」なのか、不思議で気になっていました。
 あずきを煮詰めたらぜんざい、まさかあれを傷口に塗るのか、などとバカなことを考えていたら、答えはsharonさんから教えて頂きました。
 「紅豆最相思」か、なるほど、あずきではないですね。前にchococoさんのところで書かれた話(http://blogs.yahoo.co.jp/chococo_latte/33672060.html)も、いまさらながら思い出し、かろうじて合点となりました。

 賈宝玉が即興で詠った「紅豆曲」も読み直しましたが、「滴不尽相思血涙拋紅豆...」のくだり、、ままならぬ思いがつい詰まって、「相思」の記念に渡された紅豆まで投げ出したのでしょうか?
 罪のない紅豆がこうして放り出されるのは、「紅豆最相思」だと言い切り、なんだかんだ流行らせた、千四百年前の大詩人・王維にも幾分の責任があるように思えます。

  紅豆生南国
  春来発幾枝
  願君多采摘
  此物最相思


 王維の紅豆詞の以外、豆に関する古詩で有名なのがもうひとつ、例の曹植の「七歩の詩」も思い出されます。

  煮豆持作羹
  漉豉以爲汁
  萁向釜下然
  豆在釜中泣
  本是同根生
  相煎何太急

 「煮豆燃豆萁,豆在釜中泣。 本是同根生,相煎何太急。」とする書物もありますが、どちらにしても根本は同じ、ポイントは後半の「本是同根生,相煎何太急」です。本来相い思うべき兄弟は、こちらは相い煎(に)ることになってしまいました。
 皇帝である兄・曹丕が聞いて、慚愧の色を隠せず、それ以上の迫害を与えなかったのですから、言ってみれば、曹植のトンチが身を救った、ということになります。


 話が脱線気味ですが、釜中の豆でつい思い出したのがもうひとつ、落語の話です。手元に資料がないですが、大筋は以下のように覚えています:

 寺の大釜のなかに、味噌を作るための豆が大量に煮られています。
 良い匂いがしてきて、和尚さんが食べたくなったが、なにぶん小僧の前でつまみ食っては示しがつかないので、小僧を用事に出しました。小僧が戻ってきても見られないように、思案したあげく、どんぶりにみそ豆を盛って、ひとりで隠れて食べる事にしました。
 帰ってきた小僧は、こちらはこちらで和尚さんがいないのを良いことに、みそ豆をつまみ食いし始めました。しかし食べているところをもし見つかると大変なので、やはりどこか良い場所がないかと考えました。
 意を決して、小僧は豆をどんぶりに山盛りして、臭いのを我慢すればと心ウキウキして向かったのは雪隠、すなわち便所です。
 で、便所の扉を開けてみたら、びっくり、和尚さんがしゃかんで豆を食べているのでないですか。和尚さんも仰天したが、小僧はそれ以上に慌ててしまい、思わず「お、お代わりをお持ちしました」、と。

 こちらのトンチが、結局身を救ったかどうか、落ちのあとなので、定かでないのは言うまでもありませんが。

コメント

_ (未記入) ― 2011-02-14 01:15:45

>あずきを煮詰めたらぜんざい、まさかあれを傷口に塗るのか
アハハ、愉快な発想ですね。せっかくの林夕の相聞歌も台無しではありませんか。
文字通り色気より食い気?どんだけ食い気張ってんねん(この関西弁、合っていますか)。

>「紅豆最相思」か、なるほど、あずきではないですね
このくだりまで来たら、もう笑いすぎてお腹が痛い。Fujimotoさんいつもこうして真面目な顔して笑わせるんですね。

_ why ― 2011-02-14 01:17:20

ごめんなさい。無記名になってしまい、失礼しました。
why到此一遊!

_ why ― 2011-02-14 09:04:53

>還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口, 然后一起分享, 會更明白相思的哀愁...
でも、よく考えたらこの歌詞はやはりおかしいですね。あずきを煮詰めるのはいいとしても、それを傷口に塗るのはなんのためでしょう、さらに傷口には、「纏綿」は使えないでしょう。ロジックが分かりにくいですね。一時流行っていた抽象派というか前衛的詩人の作品にこういう表現がよく見られていましたが、林夕の場合は、趣旨がちょっと違うような気もしますね。ラブソングによく使う言葉を、語呂がいいようにテキトーに組み合わせただけかもしれません。

_ why ― 2011-02-14 09:15:39

それに笑っておきながら言うのも何ですが、何を隠そう、私もあずきを煮詰めるのだと思いました。このほうが自然ですよね。だって相思豆は見つめるものであっても、煮詰めるものじゃないですもの。
煮詰めるなら、やっぱりあずきですよ。とすれば、還沒為你把紅豆熬成纏綿的傷口ではなく、一層のこと、還沒為你把紅小豆熬成纏綿的傷口にしてくれれば、もっと分かりやすかったですね。
Fujimotoさん一流のセンスが光る面白い記事でした。

ところで、煮豆燃豆萁の豆は何豆でしょう。紅小豆、緑豆、黄豆、黒豆・・・
よく考えたら、兄弟だけにこれこそ把紅豆熬成纏綿的傷口のような切実感がありますね。

_ T.Fujimoto ― 2011-02-14 22:32:19

whyさん、色気より食い気なのは、はい、間違いはございません。
> このくだりまで来たら、もう笑いすぎてお腹が痛い。
笑って頂けるならうれしいです。本人はいたって大真面目に悩んだのですが。
いや、まあ、大真面目というほどではないので、小真面目ぐらいでしょうか?はい、小真面目な顔はしていたと思います。(覗きましたか?)

_ T.Fujimoto ― 2011-02-14 22:46:39

whyさん、
> あずきを煮詰めるのはいいとしても、それを傷口に塗るのはなんのためでしょう
塗るところはすみません、僕の妄想です。林夕は、傷口になるまで煮つめるだけかも知れません。ロジックは確かに成り立っていないですが、不完全な文法と論理は詩の発展性と暗示性を高める、という話も聞きますので......

> ラブソングによく使う言葉を、語呂がいいようにテキトーに組み合わせただけかもしれません。
言っちゃいけないかと思いましたが、実は僕も同じようなことを考えました。年に数百曲(もっと?)の詞を付けるなら、玉と石が混ざってしまうのは仕方ないでしょう。「紅豆」というのも、韻脚を合わせようとして出てきた台詞なのかも知れません。
結果的に大衆受けして、ヒット曲になったのですから、彼にはやはりある種の素晴らしい才能があったんだと思います。

_ T.Fujimoto ― 2011-02-14 22:53:44

whyさん、煮豆燃豆萁の豆は何だったか、僕も教えてほしいぐらいです。
どこかにまめな方がいて、考証してくれたりはしていませんか?

_ why ― 2011-02-14 22:57:40

>どこかにまめな方がいて、考証してくれたりはしていませんか
それなら、ミスター・ビーンに聞いてください。

_ Sharon ― 2011-02-15 10:07:04

对不起,看不懂。
まさか、私が与えた美しいヒントu"相思豆"を便所まで持って行かれたとは?
もし私があの、多愁多病身的林妹妹なら、今頃,2公升的眼泪都流尽了吧

_ T.Fujimoto ― 2011-02-17 07:54:45

sharonさん、すみません、半分は書きながらの思いつきなので、どこへ行くかは本人も予測不能です。予定外に長くなり、途中でお手洗いによってもらいましたが、決して相思豆を持っていったわけではなく、悪しからず。

_ xdaiba ― 2011-02-18 10:23:50

小和尚还很会随机应变呢!很搞笑,哈哈。

_ T.Fujimoto ― 2011-02-19 00:33:39

whyさん、すみません、ミスター・ビーンを見逃してしまいました。
英国紳士でありながら、三国志に関する豆知識にも詳しいですかな?聞いてみます。

_ T.Fujimoto ― 2011-02-19 00:37:31

xdaibaさん、確かに臨機応変ですね。頭がいいのか悪いのかよくわかりませんが。
まあ、この和尚さんも恥ずかしいところを見られたため、そう怒ったりはできないはずです?

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