府中の豆 ~お代わりをお持ちしました2011-02-14 07:54:32

 曹植に話を戻しますが、「洛神賦」のような傑作を残し、その詩文が高く称賛されているものの、本人は「吾雖德薄,位為蕃侯,猶幾戮力上國,流惠下民,建永世之業,留金石之功。」と語ったように、文学者としての高名よりも、政事での活躍を望んでいたようです。
 ある意味では兄の曹丕と好対照です。文学的な名声は弟に及ばないですが、曹丕は「典論」論文で文学の重要性を謳い、後世に大きな影響を与えました。

 「蓋文章,經國之大業,不朽之盛事。年壽有時而盡,榮樂止乎其身,二者必至之常期,未若文章之無窮。」

 台湾で高校を通っていた頃、この文章が国語の教科書に載っていたが、経国の大業、不朽の盛事とは、なかなか気合いが入っているな、と感心ました。

 日本においては、時代は下りますが、かの「古今和歌集」の仮名序が、ようやく匹敵できるのではないでしょうか?

 「力をも入れずして天地を動かし
  目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
  男女のなかをもやはらげ
  猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」

 裂ぱくの気合が感じられ、この紀貫之の序文も好きです。
 もっともこう大上段に構えられ、いつも「文以載道」で迫られると、息苦しくなる書き手もいるはずです。戯文、洒落、息抜き、エンターテイメントとしての文学もいろいろありますから。

 「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出してたまるものかは」

 江戸時代、宿屋飯盛という人が詠った狂歌です。天地が一々動かされてはたまらないから、歌詠みは下手で結構、古今の序文をふまえた上で斜めに構えた、捧腹絶倒に値する傑作だと思いませんか。


 この宿屋飯盛はただ者ではありません。
 通称を石川五郎兵衛、雅号を石川雅望と言い、狂歌師にして国学者であり、そして小伝馬町の「糠屋(こぬかや)」という旅籠のあるじです。
 国学では古語辞典の「雅言集覧」や源氏物語の研究書「源註余滴」でいまも知られていますが、狂歌は大田南畝に学び、好きが高じて仲間を集め、「伯楽連」なる狂歌の連を作りました。「伯楽」の名は、連中に小伝馬町や馬喰町の人が多かったからでしょうが、近くに北町奉行があり、訴訟で上京する人のための公事宿が多かったようです。糠屋もそのひとつ、狂歌名の「宿屋飯盛」はその本業に因んだものです。
 「初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る」、「世わたりの道にふたつの追分や、たからの山に借銭のやま。」などが、宿屋飯盛が詠んだ歌です。

 悪質な公事師の尻押しをしたという疑いで、石川雅望は江戸払いとなりました。
 時は寛政三年、江戸を追われた石川雅望は宿屋を廃業して、府中で住まいを構えました。
 府中は東京都の地理的中心にあり、いま東京競馬場がある町で、僕もまめに通っていました。「伯楽連」とは「馬」でつながった、と言いたくもなりますが、江戸の町民の交通手段は足、大江戸と言えども西は新宿あたりまで、府中は日本橋から二日脚、現代人の感覚ではわからない距離にあり、辺鄙な地でした。

 ある日、大田南畝が訪ねてきました。弟子の境遇を見て、泣きながら歌を詠みました。

 「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」

 ふちうは「府中」であって、「釜中」です。健康の意のまめと足のまめを表現しながら、曹植の七歩の詩をふまえ、「釜中」に「府中」を引っかけたのであります。
 出久根達郎のエッセイで書かれていますが、まめは真面目の意味もあり、石川の無実も言外訴えていたかも知れません。

コメント

_ why ― 2011-02-14 10:10:43

 「君もまめ我らもまめはまめながら、ふちうにありて泣く草鞋くひ」
二つも引っ掛けるとはお見事ですね。語呂からして、意味合いからして、そう簡単に思いつかないものでしょう。
中国にも「東邊日出西邊雨、道是無情却有情」や「春蚕到死絲方尽、蠟炬成灰涙始乾」などがありますが、二つも引っ掛けた句、ありましたっけ?

_ (未記入) ― 2011-02-14 11:44:45

>出久根達郎のエッセイで書かれていますが、まめは真面目の意味

こちらのほうが、しっくりとしますよね。
「私もあなたも、ひたすら地道に生きてきたのに、どうしてこんなところに送られてこんな目にあったのか」。
府中といえば、刑務所ですけど、この当時は刑務所はまだ関係なかったのでしょうか。

>初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る
さて、これはどういう意味でしょう?

_ 花うさぎ ― 2011-02-14 20:26:55

↑名無しは私でした。

初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る
 
これは、特にひねった意味はなく、そのままの意味なのかもしれませんね。

_ (未記入) ― 2011-02-14 23:09:07

whyさん、
> 二つも引っ掛けるとはお見事ですね。
お見事ですね。
四方赤良は幕府の下級武士、宿屋飯盛は旅籠のあるじ、もうひとつの狂歌連「本町連」の中心人物・大屋裏住も名の通り、裏長屋の大家さんです。表の顔を別に持ちながら趣味で歌を詠い、何気なく和漢の涵養も見せたりと、江戸の狂歌師たちはなかなか侮れないです。

_ T.Fujimoto ― 2011-02-14 23:18:04

花うさぎさん、仰る通りです。
真面目にやっていて、なぜこのようなことになったのでしょうかと、嘆いていたんだと思われます。

> 府中といえば、刑務所ですけど
やっぱりそうですか?
府中と言えば、というアンケートがどこかでやっていて、僕がまず思い浮かぶ東京競馬場は2位であって、1位は府中刑務所だったそうです。
まだ調査していませんが、刑務所のルーツは江戸時代に遡るかも知れませんね。

_ T.Fujimoto ― 2011-02-14 23:23:10

花うさぎさん、
> 初咲きの梅は秤か市人の二りん三りんあらそふて見る
秤の二厘三厘を争うことと、花の二輪三輪をかけているかと思いますが、あとはそんなにひねているわけではないと思います。
初咲きの梅なので、まだほとんどは蕾で、わずかに咲いているその何輪かの花を、人々が寄ってたかって見ている様を表現したのではないでしょうか?

_ sharon ― 2011-02-15 17:12:30

对不起,完全看不懂。
まさか、私が与えた美しいヒント"相思豆"を再び便所から府中の刑務所まで持って行かれたとは夢にも思わぬ展開です。
もし私があの、多愁多病身的林妹妹なら、今頃,心痛得吐血了吧?

_ T.Fujimoto ― 2011-02-17 08:01:11

sharonさん、こちらにもですね。僕は競馬場に持参していくつもりでしたが、流刑で行かれた話ので、やはり思い浮かぶのは刑務所のほうでしょうね。
それにしても2リットルの2倍、林妹妹はこれ以上ダイエットすると危険だと思います。

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