童謡?2014-11-03 14:02:52

 懐かしいです。
 小さいとき、一番最初に覚えた歌(?) がこれかもれ知れません。


 台湾語で「點仔膠」と言うと、アスファルトのことです。
 道路の破損を防ぐために舗装に使われるのは、いまと同じですが、昔はその品質があまりよくなかったのか、それとも乾ききっていないのを踏んでしまったのか、子供の足に付いてしまったのを歌っています。
 まあ、韻を踏んでいるだけで、歌詞はどうでも良いかも知れません。

【読後感】 「日中2000年の不理解」 王敏、朝日新聞社2014-11-11 21:29:22

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 安倍首相と中国の習近平国家主席による10日の日中首脳会談について、賛否が分かれているそうです。
 25分間の会談が行われただけで、賛否両論になるぐらいなので、互いの不信感はなお根が深いと言わざるを得ません。

 題記の本、図書館から借りてきたものです。
 日中2000年の「不理解」と書いて、様々な慣習や認識の異同を比較しているが、翻ってみれば、2000年もの長い交流があったからこそです。

 むろん、例え元がひとつであった部分の文化や慣習でさえ、時代を下ってそれぞれの風土に応じた独自の発展を遂げることが多いです。よく言われることですが、国際化に合わせた異文化理解はどの二国間においても必要です。日本社会における共通感情、社会通念が、異国では必ずしも通用しないことに、今一度よく注意しないとやけどします。

【読後感】 「アニメ文化外交」 櫻井孝昌、ちくま新書2014-11-15 23:42:53

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 「日本のアニメは好きですか?」と問いかけられたイタリアの学生は、次のように答えたそうです。
 「僕たちは日本のアニメで育っているんですよ」


 作者の櫻井さんは、「アニメ文化外交」を研究テーマとし、多くの国で講演等の活動を行っています。
 NARUTO、ONE PIECE、BLEACH......ジャパニメーションはいま世界中の若者を熱狂させ、いたるところで日本人のよく知らないJAPAN熱が起きている、と作者が書いています。

 パリで毎年行われているジャパンエキスポは、近年になって日本でも報道され、それなり知られるようになりましたが、決してフランスだけではありません。

 例えば、スペイン。
 サロン・デル・マンガ・デ・バルセロナ(Salón del Manga de Barcelona)は、2009年に出版された本書のなかでは6万人規模のイベントだと書かれていますが、その後も参加者が増え続け、Wikipediaによれば、今年は参加者13万人規模の大イベントになっているようです。(<http://es.wikipedia.org/wiki/Sal%C3%B3n_del_Manga_de_Barcelona>)
 アンダルシア地方のヘレス・デ・ラ・フロンテーラのサロン・デル・マンガ・デ・ヘレス(Salón del Manga de Jerez)(<http://es.wikipedia.org/wiki/Sal%C3%B3n_del_Manga_de_Jerez>や、マドリードのエキスポ・マンガ(Expo-Manga)も、やはり何万もの人を集めているようです。

 ほとんど自然発生でできたもので、日本ではほとんど報道されていないし、僕も知らなかったのです。

 しかし、何万のも日本に熱い関心を寄せる若者が集まるイベントに対して、何もアクションを起こさないで良いのでしょうか。インターネットで確認した限り、すでにアニメやまんがに限定されず、「なごり雪」が歌われる映像もあったりします。
 そういう声が外務省のなかでも、在外公館のなかでも、日増しに大きくなってきているのは事実です。
 外交手段としての意義について、「日本という国への関心・理解の強化」、「日本経済に対する貢献」、「クリエーターの交流」、「日本語の普及」、「社会モラルの形成」、という五つのポイントを本書で挙げた後、最後に「平和への貢献」というテーマを、作者は私見と断りながら付け加えました。

 「日本のアニメは”平和”をテーマにするものが多い気がしますが、これは政府のプロバガンダなのでしょうか?」と、ヨーロッパの大学生が聞きました。
 そうでないことを、我々は知っています。
 もちろん作品はエンターテインメントです。しかし、クリエーターたちが映像作品のなかに込めている想いは、いろいろな角度から検証・評価するのに値するものと思います。

射ゆ鹿の因と縁2014-11-22 11:08:04

 日本書紀に次の古い歌謡が残っています(斉明天皇四年)。
 「射ゆ鹿(しし)を 認(つな)ぐ川邊の 若草の 若くありきと 吾が思はなくに」

 射られた獣の血のあとを追っていくと川辺に出る、という解釈が良いのか、それとも手負いの獣が水を求めていくものだと経験的に知って川辺まで追ってくる、という解釈が正しいか、僕にはよくわかりません。
 やわらかな草のしとねのある場所を、獣は死に場所として選び、そしてそれを狩人はなんとなく知っていたのかも知れません。


 ライアル・ワトソン博士の著書によれば、明らかなものと、隠蔽されているものによって、世界が構成されていることを、アフリカの部族社会の人々は認識しています。(「アフリカの白い呪術師」、河出書房新社)

 例えば、ブッシュの平野を通る道の、錆のような赤土に、割れたひづめの跡が一つ残っていたとします。それを見つけた追跡者は、しゃがみこんでその足跡の深さや形を観測し、土の手触りを確かめ、土が野獣が通ったことによってどの方向にどの程度動いたかを判断します。そして、推論を出します。
 若い雌カモシカが二時間前に近くの池で水を飲んでいたら、ワニに左前足を噛まれたが、逃げてここに足跡を残した。
 こういうのを、我々は科学だと呼びます。

 追跡者は、ひづめの跡を見下ろして立ち、手のひらを下に向け、親指を直角に横に曲げ、ほかの指をあわせて後ろにそらせながら足跡を指す。これで足跡にとどめをさし、カモシカが遠くまで逃げないようにしたつもりです。
 次に、道端に生えるアカシアの木から白い長い刺を一本抜いて、足跡に突き刺します。これでカモシカの傷を悪化させます。
 こういうのを、我々は呪術だと呼びます。

 しかし、アフリカの部族では、両者を区別するのは困難、または不可能だそうです。


 試しに、結果を生ぜしめる直接的で明確な結びつきを「因」、もっと曖昧で不可知的な結びつきを「縁」、と呼んでみることも良いかも知れません。
 なんとなくの経験則が次第に整理され、迷信だと思われた事柄が知識になり、科学の仲間に入ったりすることも、あるような気がします。

古いカメラ2014-11-29 23:20:11

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 写真は、基本的にフィルムカメラの時代で引退しましたが、社会人一年目の冬に購入したカメラだけは、懐かしくて、なかなか捨てられずにいます。
 さすがに、そろそろ廃棄ですね。