射ゆ鹿の因と縁2014-11-22 11:08:04

 日本書紀に次の古い歌謡が残っています(斉明天皇四年)。
 「射ゆ鹿(しし)を 認(つな)ぐ川邊の 若草の 若くありきと 吾が思はなくに」

 射られた獣の血のあとを追っていくと川辺に出る、という解釈が良いのか、それとも手負いの獣が水を求めていくものだと経験的に知って川辺まで追ってくる、という解釈が正しいか、僕にはよくわかりません。
 やわらかな草のしとねのある場所を、獣は死に場所として選び、そしてそれを狩人はなんとなく知っていたのかも知れません。


 ライアル・ワトソン博士の著書によれば、明らかなものと、隠蔽されているものによって、世界が構成されていることを、アフリカの部族社会の人々は認識しています。(「アフリカの白い呪術師」、河出書房新社)

 例えば、ブッシュの平野を通る道の、錆のような赤土に、割れたひづめの跡が一つ残っていたとします。それを見つけた追跡者は、しゃがみこんでその足跡の深さや形を観測し、土の手触りを確かめ、土が野獣が通ったことによってどの方向にどの程度動いたかを判断します。そして、推論を出します。
 若い雌カモシカが二時間前に近くの池で水を飲んでいたら、ワニに左前足を噛まれたが、逃げてここに足跡を残した。
 こういうのを、我々は科学だと呼びます。

 追跡者は、ひづめの跡を見下ろして立ち、手のひらを下に向け、親指を直角に横に曲げ、ほかの指をあわせて後ろにそらせながら足跡を指す。これで足跡にとどめをさし、カモシカが遠くまで逃げないようにしたつもりです。
 次に、道端に生えるアカシアの木から白い長い刺を一本抜いて、足跡に突き刺します。これでカモシカの傷を悪化させます。
 こういうのを、我々は呪術だと呼びます。

 しかし、アフリカの部族では、両者を区別するのは困難、または不可能だそうです。


 試しに、結果を生ぜしめる直接的で明確な結びつきを「因」、もっと曖昧で不可知的な結びつきを「縁」、と呼んでみることも良いかも知れません。
 なんとなくの経験則が次第に整理され、迷信だと思われた事柄が知識になり、科学の仲間に入ったりすることも、あるような気がします。