牙を見て、象を描く2013-09-11 00:34:17

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 日光東照宮に、狩野探幽が文献を元に下絵を描いた、とされている象のレリーフがあります。
 実物を知らずに想像で描いたことから、「想像の象」と呼ばれています。


 日本において、象は長い間、石か材木のようなものでした。生きた象が日本に渡来したのは十五世紀に入ってからで、それ以前に渡って来たのは象牙ぐらいです。
 「岩波古語辞典」の「きさ」の項に、次のような記述があります:

 きさ【象】象の古名。......「象、岐佐(きさ)、,,,大耳・長鼻・眼細・牙長者也」(和名抄)

 その隣の項も、おなじ「きさ」という語が出ています。

 きさ【橒】木目。「橒、木佐、木文也」(和名抄)

 奥本大三郎の著書「干支セトラ、etc.」にありますが、象牙に木目のような模様があることから、象牙をことを「きさ」と呼び、ついてに象自体も、「きさ」と呼んでしまいました。
 耳が大きいとか、鼻が長いとか、中国の書物に描写されているのを知りながら、硬くて光沢のある白い象牙だけを見て、あの皺だらけの巨体を想像するのは、やはりなかなか難しかったかも知れません。


 事情は、古代ギリシャにおいても同様です。
 ホメーロスにとって「エレファス」はやはり象ではなく、まずは象牙を意味するものでした。

 象をめぐる数々の伝説が、多くの古代作家によって語られていますが、澁澤龍彦によれば、そのなかで一番奇抜なのは、最初にクテシアスやシシリアのディオドロス、ストラボンなどの古代作家が語り、のちに多くの中世キリスト教的動物誌作家に引き継がれた、インド象の脚に関節がない、という伝説です。
 関節がないから、象は膝を折り曲げることができず、寝るときも樹に寄りかかって立ったままです。樹を切り倒せば、象も一緒にひっくりかえって、二度も起き上がれなくなるから、捕獲するのは容易である、と伝えられています。

 プリニウスの「博物誌」は第八巻地上の動物の部を、まず象の記述から始めています。象の記述は非常に長く、第一章から第十三章にまでに及びます。
 「民衆の信じるところでは、象の懐胎期間は十年である。もっともアリストテレスによれば懐胎期間は二年で、一度に一頭以上の子は生まない。象は二百年、ときには三百年も生きる。そして六十歳から成獣となる。彼らは水をたいそう好み、しばしば河のほとりに棲息するが、あまりにからだが大きいので泳ぐことはできない。また彼らは寒さに堪えられない。これが彼らの最大の弱点である。(略) また彼らが土を食うとき、少しずつ土を食うことになれてゆけばよいが、さもないと命とりになる。さらに彼らは石も食うが、いちばんの好物は樹の幹である。(略)」
 という第十章の記述を長々と引用しながら、澁澤龍彦は「このあたり、動物学的に正しいか正しくないかを論ずるよりも、むしろ古代人の想像力のパターンの意外に平凡であることを確認したほうが有益であろう。」と評しました。(「私のプリニウス」、河出文庫)


 古から数百年、もしくは数千年を経って、いま僕たちの前に残されているのは象の彫刻、そして博物誌の記述です。
 いまからさら数百年、もしくは数千年が経過したとき、我々古代人は「よくモノを見た。よくモノを描けた」と未来の人に評価してもらえるために、僕らは何を残せば良いでしょうか?
 二千万画素のデジカメだけでは、やはり物足りないのでしょう。

コメント

_ why ― 2013-09-19 23:17:12

有象無象、森羅万象といった言葉を思い出しました。
象とあまり関係ないかもしれませんが、言葉の成り立ちを考えるのも面白いですね。

_ T.Fujimoto ― 2013-09-22 09:10:26

whyさん、おはようございます。
確かに面白いですね。此有故彼有、此生故彼生。森羅万象、天工精妙。幻象だと軽んじるべからず、ですな。

_ why ― 2013-09-23 22:31:12

本文もさることながら、コメント返しの文体、いつもながら素敵ですね。好きです。

_ T.Fujimoto ― 2013-09-24 23:35:09

whyさん、いつも示唆に富むコメントを頂き、こちらこそ感謝感激です。

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