父系図2013-09-03 22:53:03

 検索してみたら、ネット上で坪内祐三氏の「父系図」が読めることに気づきました。
 <http://yomimonoweb.jp/tsubouchiyuzo/>

 その第一回で取り上げた親子が、まさに淡島椿岳と淡島寒月の親子でした。(そして、第二回が内田魯庵と内田巌であります)
 「この親子は近代日本史の中で私が一番好きな親子だ。」だと言い切るくだり、やはりなんだか面白いです。

骨を見て、象を想う2013-09-08 13:40:28

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 すでに終了しましたが、先月の下旬まで、京セラドーム大阪で「世界大恐竜展」が行われました。(<http://worlddino2013.com/>)

 ポスターに大きく描かれているティラノサウルスは、僕が小さいときに図鑑で見た絵とはかなり印象の違うもので、なにしろ、体中のかなりの部分が羽毛に覆われています。
 最近の学説では、ティラノサウルスは爬虫類のような変温動物でなく、活動的と思われる骨格構造などから、鳥類と比較的近縁にあり、恒温動物であった可能性は高いとされています。


 長い歳月を経れば、羽毛や筋肉はなかなか残るものではありません。しかし、骨は化石として我々の目の前に残ってあります。
 ライアル・ワトソンが言うには、名人にかかれば、ただの骨も案外饒舌になります:
 「放っておけば、骨は無言だ。しかし名人の手にかかると、骨は歌い始める。一番いい歌を引き出すには、特殊な感性、ある種の科学的千里眼を必要とする。その能力をもつ者はめったにいないが、才能があるものなら骨をうまく説得して、予言ではなく、我々人類の過去にまるわる秘密を語らせることができる。」(「アフリカの白い呪術師」、村田恵子訳、河出書房新社)


 中国古代の書物「韓非子」の「解老篇」に、以下の文章があります:
 「人希見生象也,而得死象之骨,案其圖以想其生也,故諸人之所以意想者皆謂之象也。」

 二千年以上の前の中国では、人々は生きている象を見ることはめったにありません。死んだ象の骨を見て、象の姿を推測し、生きている象を想像します。
 ゆえに、人々が頭のなかで想いうかべるものが「象」と言い、つかまり、「想像」とは想「象」から来る言葉、ということになります。

 所詮は「瞎子摸象」だと言うなかれ、想像力は我々を過去と未来につなぐ、とても大切な力です。

牙を見て、象を描く2013-09-11 00:34:17

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 日光東照宮に、狩野探幽が文献を元に下絵を描いた、とされている象のレリーフがあります。
 実物を知らずに想像で描いたことから、「想像の象」と呼ばれています。


 日本において、象は長い間、石か材木のようなものでした。生きた象が日本に渡来したのは十五世紀に入ってからで、それ以前に渡って来たのは象牙ぐらいです。
 「岩波古語辞典」の「きさ」の項に、次のような記述があります:

 きさ【象】象の古名。......「象、岐佐(きさ)、,,,大耳・長鼻・眼細・牙長者也」(和名抄)

 その隣の項も、おなじ「きさ」という語が出ています。

 きさ【橒】木目。「橒、木佐、木文也」(和名抄)

 奥本大三郎の著書「干支セトラ、etc.」にありますが、象牙に木目のような模様があることから、象牙をことを「きさ」と呼び、ついてに象自体も、「きさ」と呼んでしまいました。
 耳が大きいとか、鼻が長いとか、中国の書物に描写されているのを知りながら、硬くて光沢のある白い象牙だけを見て、あの皺だらけの巨体を想像するのは、やはりなかなか難しかったかも知れません。


 事情は、古代ギリシャにおいても同様です。
 ホメーロスにとって「エレファス」はやはり象ではなく、まずは象牙を意味するものでした。

 象をめぐる数々の伝説が、多くの古代作家によって語られていますが、澁澤龍彦によれば、そのなかで一番奇抜なのは、最初にクテシアスやシシリアのディオドロス、ストラボンなどの古代作家が語り、のちに多くの中世キリスト教的動物誌作家に引き継がれた、インド象の脚に関節がない、という伝説です。
 関節がないから、象は膝を折り曲げることができず、寝るときも樹に寄りかかって立ったままです。樹を切り倒せば、象も一緒にひっくりかえって、二度も起き上がれなくなるから、捕獲するのは容易である、と伝えられています。

 プリニウスの「博物誌」は第八巻地上の動物の部を、まず象の記述から始めています。象の記述は非常に長く、第一章から第十三章にまでに及びます。
 「民衆の信じるところでは、象の懐胎期間は十年である。もっともアリストテレスによれば懐胎期間は二年で、一度に一頭以上の子は生まない。象は二百年、ときには三百年も生きる。そして六十歳から成獣となる。彼らは水をたいそう好み、しばしば河のほとりに棲息するが、あまりにからだが大きいので泳ぐことはできない。また彼らは寒さに堪えられない。これが彼らの最大の弱点である。(略) また彼らが土を食うとき、少しずつ土を食うことになれてゆけばよいが、さもないと命とりになる。さらに彼らは石も食うが、いちばんの好物は樹の幹である。(略)」
 という第十章の記述を長々と引用しながら、澁澤龍彦は「このあたり、動物学的に正しいか正しくないかを論ずるよりも、むしろ古代人の想像力のパターンの意外に平凡であることを確認したほうが有益であろう。」と評しました。(「私のプリニウス」、河出文庫)


 古から数百年、もしくは数千年を経って、いま僕たちの前に残されているのは象の彫刻、そして博物誌の記述です。
 いまからさら数百年、もしくは数千年が経過したとき、我々古代人は「よくモノを見た。よくモノを描けた」と未来の人に評価してもらえるために、僕らは何を残せば良いでしょうか?
 二千万画素のデジカメだけでは、やはり物足りないのでしょう。

凱旋門賞の前哨戦(Sporting Lifeを見て)2013-09-16 15:25:03

 凱旋門賞まであと3週間、重要なトライアルレースがこの週末に行われました。

 まず、日英のダービー馬が鼻を並べてゴールしたのがニエル賞(3歳、GII・芝2400m)です。パリ大賞典を楽勝してきた人気のフリントシャー(Flintshire)を交わし、エプソンダービー馬のルーラーオブザワールド(Ruler Of The World)の内から猛追をも凌いだのが、まさに今年の日本ダービー馬、キズナです。
 "Sporting Life"がブックメーカーの話を引用した形で、このレースの上位2頭は凱旋門賞でも有力だと評しました。
 <http://www.sportinglife.com/racing/news/article/465/8923446/kizuna-edges-thrilling-niel>

 しかし、3歳馬なにするものぞとその翌日、今度はオルフェーヴルがそれ以上のパフォーマスを見せ、もうひとつトライアルレース、フォワ賞(4歳以上、GII・芝2400m)を3馬身差で楽勝しました。
 オルフェーヴルは昨年の凱旋門賞で2着に入り、日本調教馬および日本生産馬による初の凱旋門賞制覇を目指し、今年もロンシャン競馬場のターフに戻ってきました。
 去年起きてしまったことは変えられないが、自信を持って凱旋門に戻ってくることはできる、とシミヨン騎手が語ったそうです。
 <http://www.sportinglife.com/racing/news/article/465/8923618/orfevre-oozes-class-in-prix-foy>

 日本からやってきた2頭のチャレンジャーはこれ以上ない良い形で前哨戦をクリアしましたが、もうひとつのトライアルとも言える同日のGⅠレース・ヴェルメイユ賞(3歳以上牝馬限定、芝2400m)も、1番人気のトレーヴ(Treve)が快勝し、本番では強敵となりそうです。
 この無敗の牝馬に騎乗したのは、写真からもわかる通り、例のデットーリ騎手です。
 <http://www.sportinglife.com/racing/news/article/465/8923562/cool-dettori-triumphs-on-treve>

 キングジョージを5馬身差のレコードタイムで圧勝したドイツ馬のノヴェリストも、すでに2週間前にバーデン大賞(3歳以上、芝2400m)に勝利し、順調な調整を見せています。
 さあ、役者がそろいました。

老婆姿の人魚2013-09-24 22:47:19

 横田順彌の「明治の夢工房」(潮出版社)を読んでいますが、「明治の広告は謎の宝庫」の章で、明治42年8月号の「探検世界」に掲載されている、「懐中要薬 清心丹」なる薬の広告を引いています。

 作者によると、
 「この『清心丹』は、よく判らない薬だ。ここの書いてある効能を読むと、胃腸薬のようでもあるのだが、別の広告の文章を読むと、『心思鬱憂』『頭痛』『眩暈たちくらむ』『痰咳』『中暑』『中寒』と、なんでも効いてしまう。」
 「ところが首をかしげさせられるのは、登録商標のほうだ。これも人魚なのだが、なぜか、お婆さんの人魚で、しわくちゃの顔をして、しなびたバストをさらけ出している。これが判らない。どうして登録商標に、こんな年寄り人魚を使っているのか?『清心丹』を飲まないと、こんなになってしまうぞ、というのだろうか。」


 確かに、西洋の人魚姫の絵画を見ると、どれも若い娘の姿です。15歳になると人魚姫は海から浮かび上がり、月の光を浴びることが許される、とは書かれても、その50年後にどうなるかは、滅多には触れられていないようです。年を取る生き物なら、お婆さんの人魚がいて当然ですが。

 漫画「ワンピース」では、人魚族の女性は30歳を過ぎると、尾ひれが二股になって、普通の人間のように二足歩行で陸上生活のできる体になる、という設定になっています。
 作者は、年増の人魚を描きたくないから、と確かにどこかで読んだ記憶があります。なんとも男性作者の勝手なエゴです。


 ネットで探してみたら、筑摩書房版「明治文学全集」第26巻に、「一夜漬け人魚甘鹽」という話が収録されているようです:
 「釣り好きな仁太郎が隅田川で人魚を釣り上げ、夫婦となり、お花という娘をもうける。お花は老女のような姿で生まれ、一年ごとに若くなり、今年で十七八歳という時に、船から川へ落ちた半七という若者を救い、夫婦となる。半七が年取るとお花は若くなるという境遇を嘆き、二人で心中しようとした矢先、人魚の母が我が身を不老不死の肉として若夫婦に捧げる。 」

 生まれたときが老女で一年ごと若くなる娘が、いよいよ十七八歳の姿になるのであれば、その母親の人魚は、かなりの年齢になっているはずです。

 明治後期、東京市日本橋区元大坂町の髙木與兵衛は、婦人薬「清婦湯」と、首記の懐中薬「清心丹」の製造元ですが、その登録商標は確かに老婆姿の人魚です。
 もし上記の伝承が元であり、「不老不死の肉」に例えられるぐらいの妙薬だと宣伝するつもりなら、販売元の商標が老婆姿の人魚であって何もおかしくない、というより、老婆姿のほうが適切なのでしょう。