ちょっとした幸せ ― 2013-10-13 23:30:54
最近は、こんなものや、
こんなものを
見て聞いて、幸せを感じています。
こんなものを
見て聞いて、幸せを感じています。
鰹はウナギ? ― 2013-10-16 23:31:33
初カツオを取り上げたことがあります(http://tbbird.asablo.jp/blog/2011/04/12/5801133)が、天高く秋、いまは戻りカツオが美味しい季節です。
「戻りカツオは脂が多い。質の良い物はマグロのトロにも負けない脂のうまさがある」と、ウィキペディアに記載されています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%82%AA)が、確かにそうかも知れません。
このウィキペディアには以下の記述もあります:
「日本では古くから食用にされており、大和朝廷は鰹の干物(堅魚)など加工品の献納を課していた記録がある。カツオの語源は身が堅いという意で堅魚(かたうお)に由来するとされている。「鰹」の字も身が堅い魚の意であるが、中国ではこの字はウナギを指す。」
前半は問題ありません。
「徒然草」の第百十九番目の話題に、カツオのような下魚と言われていた魚が、いまでは身分の高い人も食べはじめ、世も末だからこそと、当時の世情を嘆いた文章があります。
「たべもの噺」(鈴木晋一、小学館ライブラリー)を読むと、江戸時代の荻生徂徠がこの文章を読んで、「かつうをは供御に用ふる物なり。延喜式に見ゆ。兼好も古書は見ざるにや。」(「南留別志」)と書き、兼好の無学を批判したそうです。
しかし、平安時代、天子の食膳に上せられていたのは、ウィキペディアで書かれたように、どう考えても生魚ではなく、現代の鰹節でなくとも、煮て乾燥した一種の乾魚だと考えられます。「鰹」の字源が「堅い魚」であることも頷けるもので、生で食べるかどうかとは別問題ですので、むしろ荻生徂徠の批判が勇み足だったと思われます。
ところが文章の後半、中国では「鰹」はウナギを指す、とありますが、これは果たしてそうなのでしょうか?
少なくとも現代の辞書では、「鰹」という漢字は日本語と同じ意味、カツオという魚を指すのに使われています。(日本語からの逆輸入かも知れませんが)
では昔はどうでしたか、どうも「鰹」という漢字はあまり多用されていなかったようです。調べてみたところ、「爾雅注疏」の卷九·釋魚第十六に、一応「鰹」が出ています。(http://www.zwbk.org/zh-tw/Lemma_Show/75781.aspx)
鰹,大鮦;小者鮵。(今青州呼小鱺爲鮵。○鰹,音堅。鮦,音同。鮵,音奪。)
[疏]“鰹,大鮦;小者,鮵”。○釋曰:此即上文“鱧”也,其大者名鰹,小者名鮵。故注雲:“今青州呼小鱺爲鮵。”鱺與鱧,音義同。
「鱧」の記述も併せれば、鰹=鱺=鱧、つまり鯶魚であり、鯇魚であり、台湾でよく「草魚」と呼ばれている淡水魚のことを言っているようです。
ウナギを指す用例は、結局僕は見つかりませんでした。
ウナギは、中国語で「鰻鱺」(「鰻」とも略す)と書くことがあり、ただの「鱺」と多少関係があるかも知れませんが、詳細不明です。
「戻りカツオは脂が多い。質の良い物はマグロのトロにも負けない脂のうまさがある」と、ウィキペディアに記載されています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84%E3%82%AA)が、確かにそうかも知れません。
このウィキペディアには以下の記述もあります:
「日本では古くから食用にされており、大和朝廷は鰹の干物(堅魚)など加工品の献納を課していた記録がある。カツオの語源は身が堅いという意で堅魚(かたうお)に由来するとされている。「鰹」の字も身が堅い魚の意であるが、中国ではこの字はウナギを指す。」
前半は問題ありません。
「徒然草」の第百十九番目の話題に、カツオのような下魚と言われていた魚が、いまでは身分の高い人も食べはじめ、世も末だからこそと、当時の世情を嘆いた文章があります。
「たべもの噺」(鈴木晋一、小学館ライブラリー)を読むと、江戸時代の荻生徂徠がこの文章を読んで、「かつうをは供御に用ふる物なり。延喜式に見ゆ。兼好も古書は見ざるにや。」(「南留別志」)と書き、兼好の無学を批判したそうです。
しかし、平安時代、天子の食膳に上せられていたのは、ウィキペディアで書かれたように、どう考えても生魚ではなく、現代の鰹節でなくとも、煮て乾燥した一種の乾魚だと考えられます。「鰹」の字源が「堅い魚」であることも頷けるもので、生で食べるかどうかとは別問題ですので、むしろ荻生徂徠の批判が勇み足だったと思われます。
ところが文章の後半、中国では「鰹」はウナギを指す、とありますが、これは果たしてそうなのでしょうか?
少なくとも現代の辞書では、「鰹」という漢字は日本語と同じ意味、カツオという魚を指すのに使われています。(日本語からの逆輸入かも知れませんが)
では昔はどうでしたか、どうも「鰹」という漢字はあまり多用されていなかったようです。調べてみたところ、「爾雅注疏」の卷九·釋魚第十六に、一応「鰹」が出ています。(http://www.zwbk.org/zh-tw/Lemma_Show/75781.aspx)
鰹,大鮦;小者鮵。(今青州呼小鱺爲鮵。○鰹,音堅。鮦,音同。鮵,音奪。)
[疏]“鰹,大鮦;小者,鮵”。○釋曰:此即上文“鱧”也,其大者名鰹,小者名鮵。故注雲:“今青州呼小鱺爲鮵。”鱺與鱧,音義同。
「鱧」の記述も併せれば、鰹=鱺=鱧、つまり鯶魚であり、鯇魚であり、台湾でよく「草魚」と呼ばれている淡水魚のことを言っているようです。
ウナギを指す用例は、結局僕は見つかりませんでした。
ウナギは、中国語で「鰻鱺」(「鰻」とも略す)と書くことがあり、ただの「鱺」と多少関係があるかも知れませんが、詳細不明です。
これもダブルスタンダードか ― 2013-10-22 23:31:36
このタイトル、whyさんのブログ文(http://blogs.yahoo.co.jp/bao_bao_cj/62203396.html)から、そのままそっくり借用しようと思いましたが、著作権に引っかからない範囲(^^;)で、マイナーチェンジを施しました。
whyさんの場合、相手との共通の文化や認識に基づき、相手の思考様式を理解し、異なる価値判断を示したものだと解しました。
なるほど、ダブルスタンダードは存在してもおかしくないです
日本人だって、敬語の使い方のおぼつかない人たちが増えています。
慣れればどうということがないでしょうか、年配の方も国語にうるさくなくなり、若者の怪しい言葉遣いを指摘する人が減ったように見受けられます。そういう世の中なのでしょう。
しかし一方で、マニュアルによって鍛えられた接客業は、まったく基準が違うようです。
井上ひさしが著書に書いていますが、ファーストフード店の若い少女店員が、非の打ち所一つない、あまりに完璧な敬語を流暢に駆使しているのを聞いて、一瞬、わけがわからなくなったそうです。
「いらっしゃいませ。ご注文をうけたまわらせていただきます。」
「こちらでお召し上がりでしょうか?それともお持ち帰りになさいますか?」
「お会計をさせていただきます。消費税がかかりまして五百七十六円になります。」
「千円のおあづかりです。はい、四百二十四円のお返しになります。」
「お待たせいたしました。どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ。」
「......ありがとうございましたァ。」
余談ですが、プロによれば、顧客から「他にないのか?」と聞かれて、「ございません」と否定形で応答するのは失格で、「ただいまはこちらだけになっております。」と肯定形が出て初めて一人前だそうです。
そんなものですか。
井上先生と同じ感想で、戦後、やはりお客は神さまになったのです。
日常的な会話形式から乖離し、ただ接客マニュアルへの準拠を考えて型に嵌めた対応を、客側も無意識のうちに求めているかも知れません。
買い物のときだけ、一時的に、神さまになるんです。
whyさんの場合、相手との共通の文化や認識に基づき、相手の思考様式を理解し、異なる価値判断を示したものだと解しました。
なるほど、ダブルスタンダードは存在してもおかしくないです
日本人だって、敬語の使い方のおぼつかない人たちが増えています。
慣れればどうということがないでしょうか、年配の方も国語にうるさくなくなり、若者の怪しい言葉遣いを指摘する人が減ったように見受けられます。そういう世の中なのでしょう。
しかし一方で、マニュアルによって鍛えられた接客業は、まったく基準が違うようです。
井上ひさしが著書に書いていますが、ファーストフード店の若い少女店員が、非の打ち所一つない、あまりに完璧な敬語を流暢に駆使しているのを聞いて、一瞬、わけがわからなくなったそうです。
「いらっしゃいませ。ご注文をうけたまわらせていただきます。」
「こちらでお召し上がりでしょうか?それともお持ち帰りになさいますか?」
「お会計をさせていただきます。消費税がかかりまして五百七十六円になります。」
「千円のおあづかりです。はい、四百二十四円のお返しになります。」
「お待たせいたしました。どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ。」
「......ありがとうございましたァ。」
余談ですが、プロによれば、顧客から「他にないのか?」と聞かれて、「ございません」と否定形で応答するのは失格で、「ただいまはこちらだけになっております。」と肯定形が出て初めて一人前だそうです。
そんなものですか。
井上先生と同じ感想で、戦後、やはりお客は神さまになったのです。
日常的な会話形式から乖離し、ただ接客マニュアルへの準拠を考えて型に嵌めた対応を、客側も無意識のうちに求めているかも知れません。
買い物のときだけ、一時的に、神さまになるんです。
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