うごけば、寒い ― 2013-01-19 13:38:23
南国生まれにとって、この冬の寒さは、応えます。
「うごけば、寒い」は、橋本夢道(http://tbbird.asablo.jp/blog/2008/02/27/2666324)の俳句です。夢道の墓は生前に建立されたようで、墓石にも、「炎天や『うごけば 寒い』吾が墓石」と刻まれています。
普通、体を動かせばいくらかは温まりもしそうですが、真に骨まで沁み酷寒のなかでは、動けば動くほど心身とも辛くなるようです。
そうすると、コタツのなかに足を埋めて読書するに如かず、です。
子供が読みかけている武侠小説「鹿鼎記」(金庸原作、徳間書店)の日本語訳版を手に取って、適当にページをめくりました。
あれっ、と思いました。
あるはずと思ったものが、ないからです。
台湾の遠流出版社から出ている中国語版が僕の本棚にありますが、比べると、この遠流版の第一話、および第一話直後に挿入されている注釈だけが、なぜか日本語訳版ではそっくり抜かれ、収められていません。
あるいは、この日本語訳の原本にしている中国語版に、すでになくなっているかも知れません。
省かれた本来の第一話は、歴史上に残る明史案(http://baike.baidu.com/view/295986.htm)を取り上げています。
そして、続く作者による注釈は、次のように書かれています:
「本書的寫作時日是一九六九年十月二十三日到一九七二年九月二十二日。開始寫作之時, 中共文化大革命的文字獄高潮雖已過去, 但慘傷憤懣之情, 兀自縈繞心頭, 因此在構思新作之初, 自然而然的想到了文字獄......」
中華圏のベストセラー作家の金庸、本名は査良鏞、先祖のひとりに査嗣庭という人物がいます。
清の雍正帝の時代、ウィキペディアの記載(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%8D%E6%AD%A3%E5%B8%9D)によれば、科挙の郷試において、礼部侍郎であった査嗣庭が試験官を務め、「詩経」の一節である「維民所止」を出題したところ、清朝を批判するものだとされ、査嗣庭は投獄され病死、死体は晒し者とされました。
時事を風刺したりする日ごろの言動のせいだと思われますが、「維民所止」の「維止」が、漢字「雍正」の頭を刎ねた形であるため、とも言われています。
改竄事件で話題になった「南方週末」のOBは、「微博」で「広東メディアは改革・開放後、最も暗黒な時代に遭遇した」と批判したそうです。
政治が暗黒なほど、自由な言動は制限され、文字の獄は惨烈を極まるのです。
橋本夢道は1941年(昭和16年)2月、治安法違反の容疑で逮捕されました。いわゆる新興俳句弾圧事件、もしくは昭和俳句弾圧事件です。
治安維持法違反と言っても、菊は皇室の象徴として使われたゆえ、「菊枯れる」という季語を用いたことで皇室の衰退を暗示した、という言いがかりに近いケースも、なかにはあったそうです。
夢道は当時37歳、妻子を残して二年間を獄中に送り、獄中の冬で詠んだのが、冒頭の一句でした。
抑圧された苛政の下、人々は口を持っていても言葉は喋れず、手を持っていても文章は書けません。
動けば、寒い、のであります。
「うごけば、寒い」は、橋本夢道(http://tbbird.asablo.jp/blog/2008/02/27/2666324)の俳句です。夢道の墓は生前に建立されたようで、墓石にも、「炎天や『うごけば 寒い』吾が墓石」と刻まれています。
普通、体を動かせばいくらかは温まりもしそうですが、真に骨まで沁み酷寒のなかでは、動けば動くほど心身とも辛くなるようです。
そうすると、コタツのなかに足を埋めて読書するに如かず、です。
子供が読みかけている武侠小説「鹿鼎記」(金庸原作、徳間書店)の日本語訳版を手に取って、適当にページをめくりました。
あれっ、と思いました。
あるはずと思ったものが、ないからです。
台湾の遠流出版社から出ている中国語版が僕の本棚にありますが、比べると、この遠流版の第一話、および第一話直後に挿入されている注釈だけが、なぜか日本語訳版ではそっくり抜かれ、収められていません。
あるいは、この日本語訳の原本にしている中国語版に、すでになくなっているかも知れません。
省かれた本来の第一話は、歴史上に残る明史案(http://baike.baidu.com/view/295986.htm)を取り上げています。
そして、続く作者による注釈は、次のように書かれています:
「本書的寫作時日是一九六九年十月二十三日到一九七二年九月二十二日。開始寫作之時, 中共文化大革命的文字獄高潮雖已過去, 但慘傷憤懣之情, 兀自縈繞心頭, 因此在構思新作之初, 自然而然的想到了文字獄......」
中華圏のベストセラー作家の金庸、本名は査良鏞、先祖のひとりに査嗣庭という人物がいます。
清の雍正帝の時代、ウィキペディアの記載(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%8D%E6%AD%A3%E5%B8%9D)によれば、科挙の郷試において、礼部侍郎であった査嗣庭が試験官を務め、「詩経」の一節である「維民所止」を出題したところ、清朝を批判するものだとされ、査嗣庭は投獄され病死、死体は晒し者とされました。
時事を風刺したりする日ごろの言動のせいだと思われますが、「維民所止」の「維止」が、漢字「雍正」の頭を刎ねた形であるため、とも言われています。
改竄事件で話題になった「南方週末」のOBは、「微博」で「広東メディアは改革・開放後、最も暗黒な時代に遭遇した」と批判したそうです。
政治が暗黒なほど、自由な言動は制限され、文字の獄は惨烈を極まるのです。
橋本夢道は1941年(昭和16年)2月、治安法違反の容疑で逮捕されました。いわゆる新興俳句弾圧事件、もしくは昭和俳句弾圧事件です。
治安維持法違反と言っても、菊は皇室の象徴として使われたゆえ、「菊枯れる」という季語を用いたことで皇室の衰退を暗示した、という言いがかりに近いケースも、なかにはあったそうです。
夢道は当時37歳、妻子を残して二年間を獄中に送り、獄中の冬で詠んだのが、冒頭の一句でした。
抑圧された苛政の下、人々は口を持っていても言葉は喋れず、手を持っていても文章は書けません。
動けば、寒い、のであります。
コメント
_ 蓮 ― 2013-01-22 19:11:58
_ T.Fujimoto ― 2013-01-26 11:28:58
蓮さん、こんにちは。
寒い、と語った相手はやはり自分自身のようで、同じ獄中句に「どすんと冬のが暮れ一人の獄は一人なり」というにもあります。
「咳をしても一人」は知りませんでした。しかし、同じ荻原井泉水の門下生にして、尾崎放哉や種田山頭火と違って、夢道には放浪のイメージがなく、ほぼ40年間東京月島に定住し、まじめに生活していたようです。
寒い、と語った相手はやはり自分自身のようで、同じ獄中句に「どすんと冬のが暮れ一人の獄は一人なり」というにもあります。
「咳をしても一人」は知りませんでした。しかし、同じ荻原井泉水の門下生にして、尾崎放哉や種田山頭火と違って、夢道には放浪のイメージがなく、ほぼ40年間東京月島に定住し、まじめに生活していたようです。
_ 塵 ― 2013-01-26 19:40:39
「南方週末」の件を聞いていて思い出したのは20何年前の「世界経済導報」です。
「悪事は短期間に徹底的になすべし」、江沢民のことがあまり好きではないが、言論統制と言論弾圧にかけては中々の才能だったと言えるかもしれませんね。
日本もこういう時代があったんですね。不勉強にも何も知りませんでした。
しかし歴史上言論弾圧の数々を見ていると、ふっと宋の時代を思い出しました。蘇軾が投獄されて一時きわどかったようだけれど、言論で誅殺、ということがほとんどなかったと聞いています。あの時代にしては褒めるべきかもしれませんね。
「悪事は短期間に徹底的になすべし」、江沢民のことがあまり好きではないが、言論統制と言論弾圧にかけては中々の才能だったと言えるかもしれませんね。
日本もこういう時代があったんですね。不勉強にも何も知りませんでした。
しかし歴史上言論弾圧の数々を見ていると、ふっと宋の時代を思い出しました。蘇軾が投獄されて一時きわどかったようだけれど、言論で誅殺、ということがほとんどなかったと聞いています。あの時代にしては褒めるべきかもしれませんね。
_ T.Fujimoro ― 2013-01-27 23:16:51
塵さん、こんばんは。
蘇軾の話は、僕は不勉強で詳しくは知りません。但し宋太宗の「不以言罪人」の原則も、後世になってだいぶ怪しくなった、ということでしょうね。
日本にもむろん言論弾圧の激しい時代がありました。意外とその時代にいたら、耳目が塞がれてしまい、よほどの炯眼を持っていないと、真実を見分けられなくなってしまうかも知れません。
蘇軾の話は、僕は不勉強で詳しくは知りません。但し宋太宗の「不以言罪人」の原則も、後世になってだいぶ怪しくなった、ということでしょうね。
日本にもむろん言論弾圧の激しい時代がありました。意外とその時代にいたら、耳目が塞がれてしまい、よほどの炯眼を持っていないと、真実を見分けられなくなってしまうかも知れません。
_ why ― 2013-02-11 00:09:01
ピント外れの話になりますが、我が家はこたつがありません。こたつに足を埋めてみかんを食べながら本を読むというスタイル、一度やってみたいですね。
先日、NHKの朝7時のニュースにこたつ特集を組んでいましたが、なんでも戦前のこたつは足を入れることが出来ず、天板もついていなかったとか。さざえさんの漫画にも昔のこたつが登場しているらしいです。
理想としているのは、みんなでこたつを囲んでみかんを食べていたら、障子の外に雪がしんしんと降って、「雪やこんこあられやこんこ、降っても降ってもまだ降り止まぬ」とみんなで手拍子で歌って。そういう絵を想像しますが、はまり過ぎなのかしら。
先日、NHKの朝7時のニュースにこたつ特集を組んでいましたが、なんでも戦前のこたつは足を入れることが出来ず、天板もついていなかったとか。さざえさんの漫画にも昔のこたつが登場しているらしいです。
理想としているのは、みんなでこたつを囲んでみかんを食べていたら、障子の外に雪がしんしんと降って、「雪やこんこあられやこんこ、降っても降ってもまだ降り止まぬ」とみんなで手拍子で歌って。そういう絵を想像しますが、はまり過ぎなのかしら。
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“うごけば、寒い”尾崎放哉の“咳をしても一人”の句が浮かんできました。
「寒い」と語る相手がある(と思える)ぶん、ひとりで自分の咳を聞くしかないのにくらべると暖かい感じがします。