裝神弄鬼、雕虫小技2011-05-25 22:59:35

 「今昔物語集」巻十四の十三「入道覚念、法花ヲ持シテ前世ヲ知レルコト」の話を、澁澤龍彦が「文字食う虫について」(「ドラコニア奇譚集」に収録)で引き、だいぶ前に読みました。

 曰く、覚念というお坊さんが法華経を習い覚え、朝晩誦しましたが、なぜかそのうちの三行だけ、どうしても覚えられません。いくら暗誦しても、その場所にかかると、けろりと忘れてしまいます。
 覚念は大変悲しみ、三宝に祈願して加護を求めたら、その夜に夢を見て、ある気高い老僧からお告げがありました。すなわち、覚念の前世は紙魚(シミ)であり、法華経のなかに巻き込まれ、経典のなかの三行の文を食べてしまったのが宿因となり、転生したいまも、どうしてもその三行は覚えられないのだそうです。

 この話を原典に、芥川龍之介が短編を書いていると聞きますが、残念ながら未読です。

 人間に転生した後も書物を食べたらそりゃ珍事だと言えますが、紙魚の身で食べていたなら、当然の話、仕方のないことです。


 出久根達郎の小説「御書物同心日記」(<http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/01/10/1103792>)に、「一寸はゆうにある」という、紙魚の親分というか、ヌシみたいなのが出てきます。
 ざっと三百年は生きていますよ、とその紙魚を捕まえた主人公の丈太郎が吹いていますが、昆虫としては長く生きる紙魚でも、調べたら寿命は7、8年程度で、仙人みたいに三百年を生きるのは、到底無理な話です。


 「文字食う虫について」のなか、澁澤龍彦がもうひとつ、李時珍の「本草綱目」にある話を引用しています。

 紙魚が道教の経典に入り、「神仙」と書いている文字を食うと身の色が五色になるが、人がその紙魚を食べれば、その人間が神仙に羽化できるという俗説があったそうです。
 武則天の寵臣・張易之の子供がその話を聞き、「神仙」の字をとにかくたくさん書いた紙を引き裂き、瓶の中に入れ、その瓶に紙魚を放り込んで、紙を食わせました。もちろん、紙魚を食べるだけで首尾良く神仙になろうと企んだものですが、なぜか一向に成功せず、とうとうその男、精神病になってしまったそうです。

 自分でお経も読まず、修練もさぼり、紙魚を食べるだけで一挙神仙の高みに駆け上がろうとするのは、さすがに虫が良すぎたのでしょうね。

コメント

_ why ― 2011-05-29 18:41:14

昔は「窃書者為雅賊」という言葉がありましたが、それが本当なら、書物をかじって生き長らえる紙魚を「雅虫」として、もう少し丁重に扱わないといけないかもしれませんね。
しかし、不意に開いた埃まみれの本に紙魚でも出てこられたら、そりゃ、びっくりしますね。なんだか虫の居所が悪い…ような気分になりませんか。
ま、紙魚は紙魚として勝手に生きているだけで、どうも虫が好かないなんて思うのは人間の、確かに虫のいい話でしょう。
梅雨に入りましたね。いよいよむし暑い季節に突入かしら。

_ T.Fujimoto ― 2011-05-30 23:12:18

whyさん、雅虫だと言われても大事の書物をかじる犯人に相違はなく、本の虫にとっては大敵、虫が好かんのです。腹の虫が収まらないでしょうが、丁重に扱われてほしいというのは虫が良すぎ、無視されるのがオチなのでしょうね。

_ why ― 2011-06-02 00:58:06

うむ、やっぱりいいですね。こういうゆったりとした文章を読んだり、時にはどうでもいい話題を語り合ったりして、Fujimotoさん一流の「粋」に感じ入っています、しみじみと。

_ why ― 2011-06-02 07:32:52

Fujimotoさん、おはようございます。
上のコメント、語弊があったかもしれません。
たわいのない話でも本当に面白く聞かせていただける、そういうところが楽しいですね。
失礼しました。

_ T.Fujimoto ― 2011-06-03 01:22:15

whyさん、いやいや、どうでもいい話題、ということで全然結構ですよ。
実際、僕もそう思います(笑)

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