万愚節の発毛速報2011-04-01 23:56:14

 みなさん、もうおつきになりましたか?

 他愛のないウソをついても良いことになっているのが4月1日、エイプリル・フールです。
 若干古い言い方で「万愚節」とも言いますが、これは歳時記などに出ていて、俳句の季語になっています。

 「エイプリルフール日本2011」の速報によると、
 孫正義氏に毛が生えたそうです。

台湾からの義援金2011-04-09 00:20:25

 東北大震災に対する台湾からの義援金は、4月1日時点ですでに106億円を突破したそうです。人口2300万、平均月収が13万円前後であることを考えたら、とんでもなくすごい額です。
 <http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-219295-01.html>

 もちろんほかでも、世界中、たくさんの国や地域からたくさんの義援金、物資が届いてます。
 被災者支援や被災地の復興にちゃんと活用してほしいですね。

初カツオ2011-04-12 00:14:51

 気候が暖かくなって身仕度もうんと楽になりました。桜が散ると、初カツオの季節がやってきます。

 カツオで現在最も好まれるのは秋の戻りカツオですが、江戸時代の人々は初カツオを珍重していました。
 「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」という山口素堂の俳句は有名ですが、とにかく人々が早さを争い、解禁早々豆相の海でカツオが取れると、大変の高値で取り引きされます。

 魚河岸の景気は何も初カツオだけでなく、夕河岸のアジ、イワシも元気良く売れましたが、やはり魚屋の一番際立ったのが初カツオだったそうです。
 文化十年の「かまはぬ尽」に「高い物の親玉、初松魚、五両してもかまはぬ」と書いています。
 三田村鳶魚によれば、さすがに五両はしなかったでしょうが、ニ、三両で売れるのは珍しくないようです。実際、1812年に歌舞伎役者・中村歌右衛門が三両で購入した記録があり、1823年に高級料理店「八百善」が一本四両で競り落とした話もあったようです。

 「ハテ袋物商売や初松魚うる手合は、金持を相手にやアせぬ」ともありますから、むろん庶民が簡単に手は届きませんが、意外と本当の大金持ちが買うものではなく、いきを重んじる江戸っ子が気張って買うものなのかも知れません。
 「初鰹袷を殺す毒魚」と、大阪町奉行を勤めた某が書きました。
 袷を売り飛ばしても初鰹を買う、という気前は、大阪の人からすると明日の暮らしをどうするか、理解し難いうつけ者に見えますが、明日には明日の風が吹く、そう思う江戸っ子の本来の姿なのかも知れません。

 江戸では丈夫な体でふんどし一本で日々の糧を稼ぎます。
 粋だと言われるのが理想、枯れていることが条件、つまり物事に対して執着しないのがよいことになっていました。

メビウスの歯車2011-04-15 23:47:46

 メビウスの帯、またはメビウスの輪と呼ばれるものは、よく知られています。そこから発展してきたメビウスの歯車というものは、僕ははじめて知りました。
 ここに2種類のメビウスの歯車があります。

 1つ目はCGで作成されているものです。
 縦から横へ、歯車がぐるぐるまわっているのがわかります。



 もうひとつは、なんと実物で製作されているものです。
 
 白い部分はメビウスの帯になっており、ひねりが1回加えられています。外側の黒い帯はひねりが2回加えられています。ずっと目を凝らして見ると、頭がおかしくなりそうですが、小さな青いゴムの平歯車たちは、どういうわけか、2つの不思議な形の帯に挟まれ、うまく噛み合っています。
 作者はカリフォルニア大学バークリー校でロボット工学を専攻するAaron Hoover氏です。
 なんだか理解するのも難しいですが、白い帯を使って動かすこともできるそうで、非常におもしろいです。

 設計図というか、CGで書いた絵もあります。
 

国語の教科書2011-04-17 09:00:53

 近ごろ物忘れがひどくなりましたが、子供の時分、最初に学んだものは、なぜかなかなか忘れないでいます。

 台湾で小学校を通っていたときの「国語」は、もちろん中国語ですが、一年生は注音符号(台湾で使われる発音記号)を学ぶ「首冊」の後の第一冊、最初の文(第一課)のタイトルは「上學去」だと覚えています。
 「好學生, 早早起, 背了書包上學去。」
 これで全文、さすがに短いものでした。

 第二課は「我的學校」です。
 「我的學校大, 我的老師好。我是好學生, 天天上學早。」
 漢字は、第一課の復習を兼ねているかも知れません。

 第三課は「我的同學」です。
 「我是王小美, 他叫李大同。林明明最高, 方英英最矮。
  我們一同讀書, 也一同遊戲。」

 本文を覚えているのはここまでです。
 王小美、李大同、林明明、方英英と言ったキャラクターはその後もたびたび登場してきます。「私」は、といえば王小美でした。この教科書は使われなくなって久しいし、そもそも近年では日本と同じ、台湾でも複数の出版社から異なる教科書が出されているようで、最近の人はもう知らないと思います。しかし、その頃の台湾で「国語」を学んだ人たちにとっては、忘れがたく、懐かしい名前ばかりです。


 日本では明治36年に編纂され、翌37年から国定国語教科書として全国の小学校で使われていた「尋常小学読本」(第一期)の巻二に、家庭での挨拶の場面が出てきます。
 「タローハイマアサノアイサツヲシテヰマス
  オトウサン オハヤウゴザイマス
  オカアサン オハヤウゴザイマス
  オチヨハイマネルトキノアイサルヲシテヰマス
  オトウサン オヤスミナサイマセ
  オカアサン オヤスミナサイマセ」

 大正7年の「尋常小学国語読本」(第三期、いわゆる白表紙本)では巻一から、「オハナ」が出てきます。
 昭和8年発行の第四期国定教科書「小学国語読本」になると、巻一にタラウサンと一緒に登場したのが「ハナコサン」、続いて「ユキコサン」が出てきます。
 このあたり、お花から花子、女の子の名前の付け方、呼び方が変わっているのは興味深いです。


 いま日本で使われている小学校の国語教科書には「詩を楽しもう」と銘打ち、わかりやすい現代詩を選んで読ませています。
 言葉は簡単ですが、実は意味の深い詩も含まれています。例えば、光村図書版の4年生上期には木村信子の「ぼく」が載っています。
 「たとえば
  このクラスのなかの
  たった ひとり
  この学校のなかの
  たった たった ひとり
  地球の上の
  かずにならないくらいの
  ひとり
  の ぼく
  だけど
  これ ぜんぶ
  ぼくなんだ
  ぼくという
  宇宙なんだ」


 小学生は侮れません。最近の台湾の国語教科書を見させてもらいましたが、
 「江水三千里, 家書十五行。
  行行無別語, 只道早還郷。」
 「松下問童子, 言師採薬去。
  只在此山中, 雲深不知処。」

 驚くなかれ、「京師得家書」も、「尋隠者不遇」も、小1の教科書に載っています。


 日本でも、前掲した白表紙本の三年生の「笑ひ話」など、なかなか味のある文章が載っています。
 「月と日と雷が同じ宿屋にとまりました。朝、雷が目をさまして見ると、月と日が居りません。宿の者にきくと、『もうとうにお立ちになりました。」と言ひます。雷はかんしんして、
 『あゝ、月日の立つのは早いものだ。自分は夕立にしよう。』」

 一年生の謎かけもおもしろいです。
 「ワタクシ ノ キモノ ニハ、ホソイ ハリ ガ 一パイ ハエテヰマス。イマ ハ 木 ノ 上 ニ ヰマス ガ、モウ スコシタツ ト、キモノ ヲ ヌイデ、下 ヘ トビオリマス。
 ワタクシ ノ カラダ ハ、日 ニ ヤケタ ヤウ ナ イロ ヲ シテヰマス。
 ワタクシ ヲ ヒ ノ ナカ ヘ イレル ト、大キナ コヱ ヲ タテテ、トビダシマス。」

 二年生の教科書にも謎かけがあったようです。
 「木 ノ ヤウ ニ カタイ ガ、木 デハ アリマセン。サカナ ノ ニホヒ ガ シマス ガ、アタマ モ ヲ モ アリマセン。ヨク 人 ノ タベル モノ デスガ、ソノ ママデ ヤイタリ ニタリ シテ タベル ノ デハ アリマセン。チヨツト 見ル ト、リッパ デハ ナイ ガ、オメデタイ 時 ノ オクリモノ ニ ナリマス。
 今 ハ 死ンデ ヰマス ガ、モト ハ 海 ノ 中 デ オヨイデ ヰマシタ。海 ニ キタ 時 ヨリ モ、今 ハ スコシ 長イ 名 ヲ モツテ ヰマス。何 デセウ。アテテ ゴラン ナサイ。」

 「生」の初物を取り上げたばかりですが、今度は乾き物になりましたね。

マーラーNo.52011-04-22 23:43:26

 ダニエル・ハーディング(Daniel Harding)は言いました。
 「この体験を忘れない、決して忘れてはいけない。」

 3月11日の夜、交通も麻痺し、すみだトリフォニー・ホールはほとんど空席だったそうですが、「一人だけのためであっても、そしてこの場にいられない全ての人のためにも・・・指揮をする準備はできていた。」と後に語ったように、NJPのミュージックパートナーであるハーディングはタクトを振り、新日本フィルハーモニー交響楽団はマーラーの5番を演奏しました。
 この気迫の演奏は、聞きたかったような気がします。


 グスタブ・マーラーのCDを初めて買ったのは1992年、社会人になったばかりの年でした。(1番と5番と大地の歌などをまとめて)
 会社の寮に入っていて、部屋にはまだテレビを置いてなかったせいか、あれほど音楽をたくさん聞いた時期は、僕の人生にはほかにないと思います。
 同時期に聞き始めたチャイコフスキー、ホルスト、ムソルグスキーのように、メロディを歌ってくれません。なんだか混沌として、何度聞いても好きになれませんでした。しかし、何度も繰り返し、一番たくさん聞いたのも間違いないです。


 手元にある、インゴ・メッツマッハーの「新しい音を恐れるな ~現代音楽、複数の肖像」(小山田豊 訳、春秋社)には以下のような文章が載っています:
 「マーラーの交響曲をはじめて振ったのは、ウィーンでのことだった。交響曲第五番。荘重な葬送行進曲で始まり、やがて浄化された回想へと変わる。第二楽章は激しい爆発と、抑えがたい怒り。大きくうねるスケルツォは、あつかいが難しい。アダージェットは有名な愛の歌。そしてフィナーレの狂騒は果てしなく続く。」
 「いまでもよく覚えている。けっして完璧ではなかった。形の整わない箇所もあった。途中で『まずい、空中分解するぞ』と何度も思った。ぼくはすっかり力を使い果たしていた。それでも、演奏は成功だった。何度も崩壊寸前までいったのがとかったのだ。」
 「マーラーの音楽には、全身全霊を捧げるしかない。でなかったら、かならず何かが欠けてしまう。距離をおき、傍観するなんて許されない。マーラーの音楽はぼくたちを引きずり込み、知覚と感覚のすべてを要求する。」

 そうなのかも知れません。


 3月の新日本フィルハーモニーのマーラーはその後中止し、11日の一夜限りとなりました。
 しかし、6月に代替公演を行うことがこのたび決定しました。やはりマーラーNo.5を演奏するようです。