国語の教科書2011-04-17 09:00:53

 近ごろ物忘れがひどくなりましたが、子供の時分、最初に学んだものは、なぜかなかなか忘れないでいます。

 台湾で小学校を通っていたときの「国語」は、もちろん中国語ですが、一年生は注音符号(台湾で使われる発音記号)を学ぶ「首冊」の後の第一冊、最初の文(第一課)のタイトルは「上學去」だと覚えています。
 「好學生, 早早起, 背了書包上學去。」
 これで全文、さすがに短いものでした。

 第二課は「我的學校」です。
 「我的學校大, 我的老師好。我是好學生, 天天上學早。」
 漢字は、第一課の復習を兼ねているかも知れません。

 第三課は「我的同學」です。
 「我是王小美, 他叫李大同。林明明最高, 方英英最矮。
  我們一同讀書, 也一同遊戲。」

 本文を覚えているのはここまでです。
 王小美、李大同、林明明、方英英と言ったキャラクターはその後もたびたび登場してきます。「私」は、といえば王小美でした。この教科書は使われなくなって久しいし、そもそも近年では日本と同じ、台湾でも複数の出版社から異なる教科書が出されているようで、最近の人はもう知らないと思います。しかし、その頃の台湾で「国語」を学んだ人たちにとっては、忘れがたく、懐かしい名前ばかりです。


 日本では明治36年に編纂され、翌37年から国定国語教科書として全国の小学校で使われていた「尋常小学読本」(第一期)の巻二に、家庭での挨拶の場面が出てきます。
 「タローハイマアサノアイサツヲシテヰマス
  オトウサン オハヤウゴザイマス
  オカアサン オハヤウゴザイマス
  オチヨハイマネルトキノアイサルヲシテヰマス
  オトウサン オヤスミナサイマセ
  オカアサン オヤスミナサイマセ」

 大正7年の「尋常小学国語読本」(第三期、いわゆる白表紙本)では巻一から、「オハナ」が出てきます。
 昭和8年発行の第四期国定教科書「小学国語読本」になると、巻一にタラウサンと一緒に登場したのが「ハナコサン」、続いて「ユキコサン」が出てきます。
 このあたり、お花から花子、女の子の名前の付け方、呼び方が変わっているのは興味深いです。


 いま日本で使われている小学校の国語教科書には「詩を楽しもう」と銘打ち、わかりやすい現代詩を選んで読ませています。
 言葉は簡単ですが、実は意味の深い詩も含まれています。例えば、光村図書版の4年生上期には木村信子の「ぼく」が載っています。
 「たとえば
  このクラスのなかの
  たった ひとり
  この学校のなかの
  たった たった ひとり
  地球の上の
  かずにならないくらいの
  ひとり
  の ぼく
  だけど
  これ ぜんぶ
  ぼくなんだ
  ぼくという
  宇宙なんだ」


 小学生は侮れません。最近の台湾の国語教科書を見させてもらいましたが、
 「江水三千里, 家書十五行。
  行行無別語, 只道早還郷。」
 「松下問童子, 言師採薬去。
  只在此山中, 雲深不知処。」

 驚くなかれ、「京師得家書」も、「尋隠者不遇」も、小1の教科書に載っています。


 日本でも、前掲した白表紙本の三年生の「笑ひ話」など、なかなか味のある文章が載っています。
 「月と日と雷が同じ宿屋にとまりました。朝、雷が目をさまして見ると、月と日が居りません。宿の者にきくと、『もうとうにお立ちになりました。」と言ひます。雷はかんしんして、
 『あゝ、月日の立つのは早いものだ。自分は夕立にしよう。』」

 一年生の謎かけもおもしろいです。
 「ワタクシ ノ キモノ ニハ、ホソイ ハリ ガ 一パイ ハエテヰマス。イマ ハ 木 ノ 上 ニ ヰマス ガ、モウ スコシタツ ト、キモノ ヲ ヌイデ、下 ヘ トビオリマス。
 ワタクシ ノ カラダ ハ、日 ニ ヤケタ ヤウ ナ イロ ヲ シテヰマス。
 ワタクシ ヲ ヒ ノ ナカ ヘ イレル ト、大キナ コヱ ヲ タテテ、トビダシマス。」

 二年生の教科書にも謎かけがあったようです。
 「木 ノ ヤウ ニ カタイ ガ、木 デハ アリマセン。サカナ ノ ニホヒ ガ シマス ガ、アタマ モ ヲ モ アリマセン。ヨク 人 ノ タベル モノ デスガ、ソノ ママデ ヤイタリ ニタリ シテ タベル ノ デハ アリマセン。チヨツト 見ル ト、リッパ デハ ナイ ガ、オメデタイ 時 ノ オクリモノ ニ ナリマス。
 今 ハ 死ンデ ヰマス ガ、モト ハ 海 ノ 中 デ オヨイデ ヰマシタ。海 ニ キタ 時 ヨリ モ、今 ハ スコシ 長イ 名 ヲ モツテ ヰマス。何 デセウ。アテテ ゴラン ナサイ。」

 「生」の初物を取り上げたばかりですが、今度は乾き物になりましたね。

コメント

_ sharon ― 2011-04-17 18:08:25

バイリンガルとして面白いネタがいっぱいありますね。

_ xdaiba ― 2011-04-17 21:07:16

中文很讲究语言的押韵,日语好像不一样。下方カタカナの文章、中国人の私にとってかなり読みづらいですね。

_ T.Fujimoto ― 2011-04-18 20:05:39

sharonさん、気に入って頂けましたか。
但し、実はあまりバイリンガルでなかったし、記事とも関係はないと思いますが(笑)

_ T.Fujimoto ― 2011-04-18 20:33:57

xdaibaさん、確かに中国語で古代の詩賦から現代の流行曲まで、良い詩には押韻(しかも脚韻)が要求されます。対句を楽しむこととともに、中国詩文の特色だと思います。
小学生のカタカナばかりの文は、僕も読みづらいと思います。日本語を勉強していたフランス人の友人によれば、最初は漢字がまったくわからないので、漢字のないカナばかりの文章しか読めないですが、中級に入ってだんだん漢字が読めるようになると、今度は逆に漢字があるほうが早く読めます。フランス人もそうなのですから、中国人に限った話ではないかも知れません。

_ 花うさぎ ― 2011-04-19 18:05:46

どうして、中国人はカタカナが苦手なのでしょう。
平仮名と片仮名、表音文字が2セットあると考えれば、簡単なことのように思えるのですが、どうしてでしょう。

上の文が読みにくいのは、旧仮名遣いで書かれているせいでは?

_ T.Fujimoto ― 2011-04-19 22:42:16

花うさぎさん、ご指摘ありがとうございます。
仮名ばかりで漢字が少ないと読みにくい、と僕が理解してしまいましたが、よく見たら、元々頂いたコメントは、確かにカタカナだと明示しました。
カタカナの文が読みにくいのは、どうでしょうか、やはり例が少なくて、目と脳が慣れていないからではないでしょうか?
で、いま思い出しましたが、この話題はどこかでされませんでしたか?読んだ記憶があったような......

_ xdaiba ― 2011-04-20 06:58:22

我想是因为中国人习惯了汉字,汉字从字面上看其意比较容易一目了然。而日语中假名多的情况下,往往不通读全句既难知其所云了。日本語下手な私だけそう思っているかもしれません。

_ why ― 2011-04-22 00:26:15

王小美、李大同、林明明、方英英、いかにもいそうで、すごくリアルな名前ですね。
しかし一年生で、いきなり「我們一同讀書, 也一同遊戲」を学ぶとはハードルが高いですね。画数多くないですか。難し~い!
私が一年生だった頃、最初は「人口手、大中小」といった感じで、ひと通り簡単な字を覚えて、一学期最後の課(17課でしたっけ)は「全世界無産者連合起来」でしたよ。マルクスの言葉でしたよね。今思い出すと吹き出してしまいます。

_ why ― 2011-04-22 00:42:39

カタカナが読みづらいのはなぜだろうと、以前にも話題にのぼりましたね。xdaibaさんがおっしゃるように、漢字は表意文字なので、理解しながら読み進めるんですね。でも、表音文字はかたまりで読まないといけません。脳が反応して判断するのに、ある程度先まで進まないと出来ないですね。同時進行ではなく、読んだ分だけ後ろについて作業するでしょう。そこのタイムラグがやはり苦手という認識として現れたのでしょう。そういう意味では、カタカナもひらがなも同じく読みづらいと思いますよ。
ただ、ひらがなだけの文章は普段、めったに目にする機会はありませんが、カタカナは外来語など、わりかしかたまりで出てくるので、どうしても目立つんですよね。そこで、カタカナが読みにくいと結論付けたのではないでしょうか。

_ why ― 2011-04-22 07:33:06

あともう一つ、考えられる理由として、使用頻度も関係しているかもしれませんね。やはり平仮名のほうが高いでしょう。使用頻度と習熟度が正比例になるのではないでしょうか。

_ T.Fujimoto ― 2011-04-22 23:12:05

xdaibaさん、仮名ばかりが羅列する文を眺めて、すばやく文意を汲み取るのには、単語の区切りを同時に認識する必要があり、意外に難しいのは、whyさんからもコメントを頂いた通りだと思います。必ずしもxdaibaさんの日本語が下手だから、というわけでもないと思いますよ。

_ T.Fujimoto ― 2011-04-22 23:24:15

whyさん、確かに「讀書」「遊戲」など、画数の多い漢字をおもいきり使っていて、ハードルは高かったかも知れません。思えば、この「国語」の編集者たちは、文章を作るのに注力し、習う漢字の画数をあまり考慮していなかったようです。
やっぱり漢字は簡単な方、「人口手、大中小」などから徐々に練習すべきでしょうね。なかなか文章にはできないかも知れませんが。(大人大口 小人中手?)

_ T.Fujimoto ― 2011-04-22 23:27:52

whyさん、「全世界無産者連合起来」は、これも結構ハードルが高くありませんか?
「無産者」の意味は、もしかして僕は中学に入ったときも知らなかったかも知れません。

_ T.Fujimoto ― 2011-04-22 23:38:08

whyさん、カタカナもひらがなも長く繋がると読みづらいのは、仰るとおりだと思います。
僕は英文をタイプするときも、よく使う単語は比較的速く打てますが、知らない単語だと見ながら入力するときも、手が付いていけず、遅くなります。アルファベットの組み合わせも見慣れたもののほうが認識が速いから、きっとひらがなもカタカナもかたまりで認識し、よく目にするかたまりが速く理解できるのでしょう。
そういう意味でも、普段ひらがなの形で目にすることが多い「木ではありません」より、あまり見慣れない「木デハアリマセン」のほうが、認識速度が遅くなるのは、ありそうな気がします。

_ why ― 2011-06-17 10:02:43

Fujimotoさん、お見せしようと思ったページがありましたので、URLを貼りつけましたが、そのせいかコメントは反映されませんでした。どうしましょう。分解してお送りしますね。http:/と /www.  と下のURLの後半部分をくっつけて、検索してみてください。台湾の小学校の教科書(昔のものかしら)の紹介です。kanzhongguo.com/node/407789

_ T.Fujimoto ― 2011-06-18 00:56:03

whyさん、ご紹介ありがとうございます。懐かしくて涙が出てきそうです (笑)

ご紹介のページに載っている図は、最後の4つを除き、1975年版だと思われます。僕は、ちょうど1つ前の1968年版を使った最後の世代です。下の学年の子が使っていたものですが、こうして見ると、変わっていない課もたくさんあります。
「過山洞」はたぶんそのまま、「爸爸捕魚去」は若干の変更されて残っていました。「我的爸爸是軍人」からの4つも、学んだ記憶があります。

1968年版と1975年版の大きな違いは、王小美、李大同たちが一斉に消えてしまったところです。
こんな話があります:
若你不確定讀到的是哪一版,很簡單,有個簡明的測試題,就是:「你認識李大同嗎?」

_ T.Fujimoto ― 2011-06-18 01:14:04

whyさんがご紹介して頂いたページ(http://www.kanzhongguo.com/node/407789)、下の4つの図は、もっと後の、噂に聞く1993年版だと思います。
ここまでは「国立編訳館」というところから教科書が発行され、台湾ではどの小学校も同じ教科書が使われていました。

2000年頃から、日本と同じように、学習指定要綱に従いながらも、複数の民間の書店が別々の教科書が発行されるようになりました。お上の意図が文章に反映されなくなり、また世代共通の記憶というものも、なくなってしまいました。

_ why ― 2011-06-26 14:21:41

最後のプロパガンダ用のものを除けば、よく工夫された良質な教科書ですね。子供の情操教育にもってこいの内容ばかりですし、カラフルで読んでいて楽しいですね。王小美、李大同が載っていなかったのはちょっと残念でした。どんなものか読みたかったです。
しかしそれにしても、一年生でこの漢字の量、この画数、大変だったでしょう。ピンイン、なんかの暗号のようですし。勉強量、違いますね。

最後の一枚、面白すぎて、吹き出してしまいました。ま、まんざらうそばかりでもなかったですけどね。大陸をそっくり台湾に入れ替えれば、中国の教科書に載っていたかもしれません。どこかで読んだセリフだな、と思うものばかりでした。

_ T.Fujimoto ― 2011-06-29 06:35:44

whyさん、その「看中国」のページに引用されたのは、すべて一年生の教科書ではなく、後半のものはもっと上級生が使う課文だと思います。日本の教科書と較べて、漢字が多いのは当然ですが、調べてみたら、大陸の教科書より多いわけでもないようです。

最後の一枚、これは僕らの世代になかったものだと思いますが、同じ主旨のプロパガンダ用の文章は、別に用意されました。「天堂与地獄」という4課続きの大作?が、四年生の頃に読まされたと記憶していますが、内容はタイトルから連想できるもので、言うに及ばないでしょう。いまの学生では読めないだろうから、貴重だと言えるかも(笑)

> 子供の情操教育にもってこいの内容ばかりですし
教師がそのつもりで教えていれば、そうなのかも知れませんね。
僕個人的な体験では、この「国語」は、ほぼ漢字や文法を勉強する道具としてしか使われなかったような気がします。

_ T.Fujimoto ― 2011-06-29 07:42:48

ちょっと探してみたら、ありました。
<http://www.wretch.cc/blog/joycer/9235967>

このカバー絵、真ん中にいるのが私王小美(私)です。
左は方英英、右にいるのは李大同か林明明か、僕にはわかりません。

_ why ― 2011-06-30 07:48:50

アハハ、尾巴長得不像話に吹き出してしまいました。これが王小美と方英英でしたね。制服、可愛いではありませんか。私が通った中学の制服は鉄道員のようなもので、ちょっとイヤでした。小学校は制服がなくて、何かのセレモニーの時は、みんな白のシャツと青のズボンが定番でした。

「天堂と地獄」、うむ、分かります。小学校の頃、私たちも天堂と地獄と教えられていましたよ。もちろん、そちらは地獄でしたよ。ふふ。地獄では、資本家が余った牛乳を貧しい人達に飲ませず、ドブ川に捨てていると、教科書にありましたが、ええ?地獄なのに余るほど牛乳があるんだと、驚きました。あと、地獄のくせに、みんなの家にカラーテレビがあったらしいですね。当方、天堂でしたが、まだカラーテレビは高嶺の花でした。1980年頃のことでした。

_ T.Fujimoto ― 2011-07-04 03:28:26

whyさん、長得不像話的尾巴はどこになるかと思いましたが、引用先のブログ文ですね。画像検索して出てきたURLを貼り付けただけで、文章まで気付かなかったのですが、確かに笑えますね。
「天堂与地獄」は、よく覚えていますよ。主人公は互いを知らない、同名同姓同じ10歳のふたりの蘇小海。大陸にいるほうの蘇小海は家が貧しくて、実に悲惨な暮らしをしていましたが、話半分ぐらいで読んで、と先生か誰かに言われていたような気がします(笑)

_ Marimo ― 2011-09-14 12:34:27

Wayさん はじめまして 近年の国語の教科書の内容を検索していたら偶然このHPを見つけました。

このページにある木村信子の「ぼく」が、目に留まりました。
大人の私でも もっと木村さんの詩が読んでみたくなりました。

教科書で読む詩や物語は、大人になってからも記憶に残るものですよね。
この詩も きっと多くの子供達の記憶にも残る事でしょう。
その深い意味が分かるのが、大人になってからの子供もいるかもしれませんが、
それはそれで、素敵ですよね。

_ T.Fujimoto ― 2011-09-17 00:19:42

Marimo様、はじめまして。
木村信子の詩を僕はほとんど知らないですが、息子の教科書から引用したこの詩の、その簡単な言葉の後ろにある深い意味を、子供たちがどう感じて思っているかが、気になりました。
小学生の子供たちは、確かに未熟かも知れませんが、思った以上に自分なりに考え、いろいろ吸収しているようです。それに、Marimoさんが仰ったように、例えいまでは浅い理解しかできなくても、頭に留めて置くことで、のちのちに振り返ってみて、新たな理解、新たな感動が生まれることもきっとあるのでしょうね。

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