マーラーNo.52011-04-22 23:43:26

 ダニエル・ハーディング(Daniel Harding)は言いました。
 「この体験を忘れない、決して忘れてはいけない。」

 3月11日の夜、交通も麻痺し、すみだトリフォニー・ホールはほとんど空席だったそうですが、「一人だけのためであっても、そしてこの場にいられない全ての人のためにも・・・指揮をする準備はできていた。」と後に語ったように、NJPのミュージックパートナーであるハーディングはタクトを振り、新日本フィルハーモニー交響楽団はマーラーの5番を演奏しました。
 この気迫の演奏は、聞きたかったような気がします。


 グスタブ・マーラーのCDを初めて買ったのは1992年、社会人になったばかりの年でした。(1番と5番と大地の歌などをまとめて)
 会社の寮に入っていて、部屋にはまだテレビを置いてなかったせいか、あれほど音楽をたくさん聞いた時期は、僕の人生にはほかにないと思います。
 同時期に聞き始めたチャイコフスキー、ホルスト、ムソルグスキーのように、メロディを歌ってくれません。なんだか混沌として、何度聞いても好きになれませんでした。しかし、何度も繰り返し、一番たくさん聞いたのも間違いないです。


 手元にある、インゴ・メッツマッハーの「新しい音を恐れるな ~現代音楽、複数の肖像」(小山田豊 訳、春秋社)には以下のような文章が載っています:
 「マーラーの交響曲をはじめて振ったのは、ウィーンでのことだった。交響曲第五番。荘重な葬送行進曲で始まり、やがて浄化された回想へと変わる。第二楽章は激しい爆発と、抑えがたい怒り。大きくうねるスケルツォは、あつかいが難しい。アダージェットは有名な愛の歌。そしてフィナーレの狂騒は果てしなく続く。」
 「いまでもよく覚えている。けっして完璧ではなかった。形の整わない箇所もあった。途中で『まずい、空中分解するぞ』と何度も思った。ぼくはすっかり力を使い果たしていた。それでも、演奏は成功だった。何度も崩壊寸前までいったのがとかったのだ。」
 「マーラーの音楽には、全身全霊を捧げるしかない。でなかったら、かならず何かが欠けてしまう。距離をおき、傍観するなんて許されない。マーラーの音楽はぼくたちを引きずり込み、知覚と感覚のすべてを要求する。」

 そうなのかも知れません。


 3月の新日本フィルハーモニーのマーラーはその後中止し、11日の一夜限りとなりました。
 しかし、6月に代替公演を行うことがこのたび決定しました。やはりマーラーNo.5を演奏するようです。