宮崎競馬 ― 2007-07-27 23:33:11
明日7月28日、JRA小倉競馬のメイン競走は、「宮崎競馬100年記念」というレース名で行われます。
宮崎競馬と言っても、いまとなっては知る人も少なくなったかも知れませんが、厳密に言えば、中央競馬では1994年までに「宮崎競馬」が開催されていました。
もちろん、1963年に地方の宮崎競馬の廃止以降、本当の宮崎競馬場には競馬が開催されていません。
手元の「風の伝説」(広見直樹 著、1991年出版)の記述を引用すれば、
「宮崎競馬場は市内のほぼ中央にあった。以前はその名前のとおり競馬場として使用されていたこともあったが、現在はサラブレッドの育成牧場として生まれ変わっている。デビュー前の競走馬がここで育てられ、訓練され、出番を待つ。」
「その片方で、現役生活を終えたものの、その成績があまり芳しくなかったという理由で種牡馬にも繁殖牝馬にもなれなかった馬たちが、第二の人生を送るためにここに集まっている。」
では、なぜ中央競馬で「宮崎競馬」が1994年まで続いていたかと言えば、日本中央競馬会が成立した1948年当時の競馬法が、改訂もせず、延々と使われていたためです。
まず、競馬法が最初に公布された1923年(大正12年)には、根岸、東京、京都、阪神、札幌、函館、福島、新潟、中山、小倉、そして宮崎の11クラブが競馬開催団体として認められ、それぞれ4日間の開催が最初の「公認競馬」として許されました。
では国営競馬時代を経て、1948年中央競馬会として発足した1948年の時点は、と言えば、競馬法第2条では、中央競馬会が開催する競馬場として、札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、横浜(根岸)、中京、京都、阪神、小倉、宮崎の12カ所が記載され、それぞれ年間3開催×8日間の競馬が行えることになっています。
年間合わせて288日(12×3×8)の開催ができる中央競馬会は、実際競走を行っていない横浜と宮崎の日数を、「代替開催」という形で他の競馬場に振り分けたわけです。
この幻の「宮崎競馬」は1994年の競馬法改正で、正式に終焉をみました。
農林水産省令により、中央競馬会で開催できる競馬場は、横浜と宮崎を除く10カ所に変わり、開催日数もそれぞれ最大5開催になったためです。
最初の宮崎競馬が開催されたのは、1907年11月だそうです。
確かに今年で100年になるわけですが、100年記念としてはちょっと早く、冬の開催まで待てないものかと思いました。
宮崎競馬と言っても、いまとなっては知る人も少なくなったかも知れませんが、厳密に言えば、中央競馬では1994年までに「宮崎競馬」が開催されていました。
もちろん、1963年に地方の宮崎競馬の廃止以降、本当の宮崎競馬場には競馬が開催されていません。
手元の「風の伝説」(広見直樹 著、1991年出版)の記述を引用すれば、
「宮崎競馬場は市内のほぼ中央にあった。以前はその名前のとおり競馬場として使用されていたこともあったが、現在はサラブレッドの育成牧場として生まれ変わっている。デビュー前の競走馬がここで育てられ、訓練され、出番を待つ。」
「その片方で、現役生活を終えたものの、その成績があまり芳しくなかったという理由で種牡馬にも繁殖牝馬にもなれなかった馬たちが、第二の人生を送るためにここに集まっている。」
では、なぜ中央競馬で「宮崎競馬」が1994年まで続いていたかと言えば、日本中央競馬会が成立した1948年当時の競馬法が、改訂もせず、延々と使われていたためです。
まず、競馬法が最初に公布された1923年(大正12年)には、根岸、東京、京都、阪神、札幌、函館、福島、新潟、中山、小倉、そして宮崎の11クラブが競馬開催団体として認められ、それぞれ4日間の開催が最初の「公認競馬」として許されました。
では国営競馬時代を経て、1948年中央競馬会として発足した1948年の時点は、と言えば、競馬法第2条では、中央競馬会が開催する競馬場として、札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、横浜(根岸)、中京、京都、阪神、小倉、宮崎の12カ所が記載され、それぞれ年間3開催×8日間の競馬が行えることになっています。
年間合わせて288日(12×3×8)の開催ができる中央競馬会は、実際競走を行っていない横浜と宮崎の日数を、「代替開催」という形で他の競馬場に振り分けたわけです。
この幻の「宮崎競馬」は1994年の競馬法改正で、正式に終焉をみました。
農林水産省令により、中央競馬会で開催できる競馬場は、横浜と宮崎を除く10カ所に変わり、開催日数もそれぞれ最大5開催になったためです。
最初の宮崎競馬が開催されたのは、1907年11月だそうです。
確かに今年で100年になるわけですが、100年記念としてはちょっと早く、冬の開催まで待てないものかと思いました。
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